私は、熱狂的なマリリン・モンローのファン。我が家にはモンロー全作品のビデオがある。その私が、こういうタイトルの映画が公開されると聞いただけで、なにがなんでも見にゆかなくてはという気分になってしまいます。映画、サッチャーの役を演じたのがメリル・ストリープなのだが、マリリン・モンローを演じたのがミシェル・ウィリアムズ。ミシェル・ウィリアムズと言って誰だかわかる人?私みたいにもう70歳も過ぎた男どもは、心に若さを失っているせいかもう映画を見に映画館に足を運ぶこともめったにない。彼らは街に出れば、さっそうと加齢臭を風になびかせ、どぶねずみ色の洋服を着て、うつむきかげんにとぼとぼと歩き、そばを美人が通りすぎても振り向くこともない。しかし酒席の時は、皆元気いっぱいだ。政治や歴史などの堅い話ばかりが延々と長く続く、感心するくらい長く続くのだ。話題が変わったなと思ったら病気の話。もう女性の話が出ることもない、話を元にもどしましょう。
ミシェル・ウィリアムズは、現在31歳、映画女優としてはまだ若手の部類かな。しかし芸暦は古い、14歳の時子役で「名犬ラッシー」に出演している。私は思いだせないが、思い出せる人もいるいでしょう。私がミシェル・ウィリアムズを見たのは、2010年の作品「ブルーバレンタイン」です。夫婦の絆が壊れていく暗い映画だった。この映画で彼女は、その年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。ミシェル・ウィリアムズは、背格好は確かにモンローに似ている。モンローに似ているのはそこだけです。その彼女がモンロー役を演じているというのですからから驚きです。日本公開前の雑誌ニューズウイークの記事をそのまま借用するとこう書いています。
「ミシェル・ウィリアムズにとって、『映画マリリン7日間の恋』でマリリン・モンローを演じるのは家を一軒建てるようなものだった。まず基礎づくり。モンローの映画をひたすらみた。次にモンロー自筆の文章や手紙を片っ端から読んだ。長いインタビューをダウンロードして何ヶ月もiPodで聞いた。
次にモンロー独特の、お尻をくねくねと振る歩き方。『顔は上を向いていて、胸骨には風船が付いているみたい。背中はアーチのように反って、あからさまな言い方だけど、後ろからセックスしてと誘っているみたい』とウィリアムズは言う。
『お尻には傾斜を付けて、前からでも後ろからでも見てちょうだいって感じで歩くの』」
このように書かれたんじゃますます見にゆきたくなり公開が待ち遠しかった。さらにニューズウイークは、こうも書いていました。少し長いが全文披露しましょう。
「ウィリアムズは、自分はモンローにまるで似ていないと思っている。『自分の顔をこんなに鏡を見たのは初めて、私の唇は彼女のものよりとんがってる。だから、そうみえないようにしたの。』彼女はモンローをまねるのではなく、その魂をつかまえようとした。毎朝、メーキャップ用の椅子に3時間半も座り、眉を少しだけ長くするなど、細部に修正を加えた。官能的な体形に近づけるため、体重をわずかながら増やした。髪の毛のかつらの色に合うよう、数日おきに脱色した。
『モンロー役をやっていると女神のような気持ちになるのではと思うかもしれない』と、ウィリアムズは言う。『でも毎日メークを落として顔を洗うと、鏡の中にフランケンシュタインがいるような気がした』
家に帰るとき、車の中で泣くこともあった。『モンローの悲しみをどう理解したのかと聞かれたけど、知らない人のためにこんなに泣いたのは初めて』
ウィリアムズはモンローを完璧に再現したが、それは三つの人格との格闘だった。まずスターのマリリン。カメラ好きな華やかなセレブだ。内気なウィリアムズにはこれが最も難しかった。次に劇中の映画でモンロー演じる踊り子エルシーだ。
そして最後に真実のモンロー。孤独の中で迷い、不安から薬物を常用するノーマ・ジーン・ベーカーだ。『三つの人格を分けて演じるべきかもしれないと思ったけれど、三つとも一人に人間なんだと気付いた』、『ほかの役と違って、マリリンとは別れる必要がない、彼女は私の一部になった。忘れることなんてできない』とウィリアムズは言う。
こうしてモンローを演じたミシェル・ウィリアムズは、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。しかし賞の受賞は、サッチャー映画のサッチャー役を演じたメリル・ストリープに持ってゆかれた。残念としかいいようがない。こんな予備知識を持って私は、映画館に足を運んだ。映画が始まって、スクリーン上にモンローが最初に現れる場面を私はわくわくする気持ちで待ち構えていた。ロンドンの飛行場で飛行機のタラップからサングラスをかけて夫で脚本家のアーサーミラーと一緒に降りてくる姿、これは望遠レンズでみているようなものだから、彼女の姿がはっきりしていない。次の場面が沢山の記者やカメラマンにかこまれての記者会見で、ウィリアムズのマリリン・モンローがアップで画面に登場した。顔は確かにモンローに似ているがそっくりさんではない。しかしウィリアムズのモンローの細部へのこだわりは生半可ではない。モンローの話しぶり、身振りやジェスチャー、体全体から伝わるモンローのオーラ。お見事の一言につきる。正真正銘のマリリン・モンローがそこにいるではないか。私は、若い頃にもどってモンローと再会した気分になっていた。隣に座っていた女房が言うには、映画が終わるまで私の顔が崩れっぱなしだったと、さもありなんと言ったところだ。
映画のストーリーは、私にはどうでもいいことだったが、一応読者に簡単に話しておきましょう。モンロー作品の中に「踊り子」という映画があります。この撮影は全部イギリスで行われました。そこでモンローはイギリスにくるわけですが、監督とうまがあわず、スタッフともしっくりいかない、一緒に来た夫のアーサーミラーとは夫婦喧嘩になってアメリカに帰ってしまった。そんな情緒不安定なモンローに、影になって彼女を支えてくれたのが、当時映画会社に入社したばかりで雑役をまかされていた青年です。その青年との淡い恋におちいるという話です。その二人のシーンの中でモンローは泣かせるセリフを一つ吐いている。モンローのベッドルームには、母親の写真が飾ってある。これは別にめずらしくもないあたりまえなのだが、その写真のとなりにリンカーン大統領の写真も飾ってあるのだ。その理由を彼氏に尋ねられると、「私は母と娘のたった二人の家族。その私は、父親が誰だかわからないの。それで自分で私の父親はリンカーン大統領と決めたの。以来母の写真と一緒なの」と言うのだ。薄幸の少女時代を知っている私には、泣かせるセリフです。この映画の見所は、ストーリーではなく、ウィリアムズのモンローぶりです。エルシーという踊り子役をするのですが、そのエルシーが、ちょっとコミカルな振り付けで歌いながら踊るシーンがあるのですが、このシーンは絶品です。まさにモンローそのものです。久しぶりに楽しい二時間弱を過ごせた。この映画、サッチャーの映画が公開されていた頃に公開されていたが、気づかなかったかった人も多いのではないでしょうか。もう少したてばビデオ屋に現れるでしょう。私と同年輩の男性諸君、あなた方は、若い頃かならずモンローの映画を見ているはずです。この際、ミシェル・ウィリアムズのモンローぶりを見てみませんか。年をとるととかく感動することが少なくなります。美人女優を見て感動しましょう。モンローは自分好みのタイプじゃないと言うなら別ですけど。
私はモンローファンでつくづくよかったと思っています。何故なら彼女は36歳の女盛りで死んでくれたからです。若いときどんなきれいな女優に夢中になっても、自分が年をとり、その女優の年老いた姿をみたら、その時点で彼女への想いが終わってしまいます。私はかって松坂慶子に夢中になった。追っかけをしたいくらいだった。その彼女は、もうダメです。太っちゃって見る影もない。もう松坂慶子への想いなどどこかに吹っ飛んでしまいました。そこえいくと、モンローは違います。年老いたモンローは見ていないし、これからも見ることもない。私の心には、モンローの若い頃しかの思い出だけしかない。従ってモンローを見れば自分の若い頃を思いだし、心が若返ることができるのだ。まさにマリリン・モンロー万歳の気分なのだ。