ご存知のようにオバマは、最近ノーベル平和賞を受賞した。昨年の11月23日に私はブログで「バラク オバマは任期を全うできるのか」というタイトルで記事を書きました。11月23と言えば、私がブログを開いて一月目ですのでこの記事を読んでいない人が多いと思いますので、全文をここにもう一度披露しました。
「バラク オバマは任期を全うできるのか」
オバマ大統領誕生後のアメリカや世界については専門家たちが色々語ってくれていますので、そこでちょっと違った面からオバマを観察してみました。人間には、自分ではどうしようもない運、不運というものがあるということはどなたでも思うことでしょう。そういう観点からオバマ47歳のこれまでの人生を眺めると、本人とって一番つらい経験は、彼が10歳の時に両親が離婚したことでしょう。この離婚とて二組の夫婦のうち一組は離婚するアメリカにおいては日常茶飯事でめずらしくもなくさして苦労にもならない話です。
従ってオバマの人生は大体においてすべて順調だったことです。子供の頃黒人特有の極貧状態を経験しているわけでもありません。それどころか非常に裕福に暮らしています。83年にコロンビア大学卒業後社会活動に参加、90年にハーバード大学法科大学院に入学。卒業後は人権派弁護士として活躍、2004年に連邦上院議員に当選。一期四年だけです。決して苦学力行型の人間ではありません。ニクソン元大統領の苦学力行は有名です。
オバマは、民主党大統領候補の本命と目されたヒラリーを破り、今度はマケインを破った。大統領選挙中にオバマ陣営を一挙に有利に導いたのが、9月半ばから津波のように襲った米国の金融危機です。戦争はすべての人に災難をもたらすものでもありません。戦争がある人には幸運をあたえることもあります。この度の金融危機で多くの人が損失を出し、ウォール街では十万単位の人々が職を失った。ところがオバマには幸運をもたらしたことは否定できません。
さらに幸運をもたらしたのが、ほとんどのメディアがオバマ贔屓一色だったことです。新聞、テレビ、ラジオなどの論調の90パーセントはオバマ支持だったといわれています。オバマの資質にはすばらしいものがあるのでしょうが、しかし彼の強運さはすごいといわざるをえません。
ブッシュの政策がアメリカ国内で批判を浴びていたことは確かです。そのためブッシュの支持率も非常に低迷いしていました。それでもなぜメディアがあれほどまでにオバマを推したか。私はひょっとしてオバマが黒人だったから優位にたったのではないかと疑っています。アメリカの歴史は、アメリカインディアンから土地を奪い、黒人を奴隷にしてこき使いながら発展してきた事実があります。
そのため黒人への贖罪もあってアメリカのメディアは、オバマを徹底的に非難できなかったのではないでしょうか。もし徹底的に非難したら人種差別主義者とオバマ支持者からあるいは世界から非難が出たでしょう。そのためオバマを支持した方が、かえって自分たちは人種差別主義者でないことを証明したようでメディアには好都合だったのではないでしょうか。これでアメリカのメディアから人種差別主義が一掃されたなどと私は考えていません。
黒人の有権者は、オバマでなくても黒人の大統領候補なら誰でも熱狂的に支持したでしょう。こんな事言えるのも巷の白人たちの間だけで、メディアでは堂々と言えなかったのではないでしょうか。オバマは黒人の有権者の全票を獲得した事でしょう。
オバマの経歴にはいくつかの暗部があります。例えば、彼は上院議員一期四年しかやっていないのにすでに汚職政治家のレッテルをはられていた。また上院選挙時に愛人問題もあった。しかしメディアは、彼の暗部何一つ追及していません。オバマは稀に見る強運のめぐりあわせのもとに大統領になったのです。
若い時にそれえほど苦労することもなくそれでいて大強運にみまわれると、その強運が長続きしないことが多いいのではないでしょうか。また強運の反動にも怖いものがあります。その例をケネディー元大統領にあげて見ると、彼は生まれた時は、大資産家の次男。なにも苦労することもなく大学を出た。彼が働いたたった一つの経験が、大東亜戦争時に海軍に入隊したことでした。
若いアメリカ人男子ほぼ全員ほぼ入隊ですから彼の試練でもなんでもありません。除隊後どこにも勤めることもなく議員に当選。そして親父のお金で大統領選に出馬。当選。ケネディーの人気もすごかったが、ジャクリーン夫人も若いし、きれいだし人気がすごかった。大統領在職中、ケネディーとマリリン・モンローとの関係が暴露された。
その時私は自分の人生とケネディーの人生とを重ねあわせた。理由はその時私は猛烈なマリリン・モンローファンだったからです。モンローの出演映画はすべて見ていたし、現在でもモンロー出演映画のビデオをほとんど持っています。そのくらい私は大変なモンローファンでした。そこでその時私はこう考えたのです。
「俺は子供の時には食うや食わずの極貧状態、やっとの思いで高校を卒後、就職してから苦労の連続、一方ケネディは資産家の息子何一つ苦労する事もなく、一流大学を出、議員になり親父の金で大統領になり、美しい妻もいる。そのうえ世界の大女優、俺の大好きなモンローとベッドを共にしているのだ。俺の人生と比べてあまりにも不公平じゃないか」と、その時の俺は、ケネディーに嫉妬を感じたし、うらやましいと思ったり、癪に障る男でもあった。
そのケディーが大統領任期を全うしないうちにあっさりと暗殺されてしまった。私は現在自分がまがりなりにも幸せだなと思っているせいもあるのか、人生というのは、例外もあるけどけっこうつりあいが取れているのではないかと考えています。若い時があまりにも恵まれすぎているとそれが晩年まで長続きしないのではないか、強運の反動もありえるのではないかと、それにひきかえ若い時苦労しても地道に努力していればある程度は晩年に報われるのではないかと。
話は余談になりますが、ケネディー死後、ケネディーの女たらしがある程度公表されています。近年公開されたFBIのファイルによるとケネディーは、短い大統領任期中32人の女性と関係を持ったというのです。その中に有名な二人の女性がいます。一人はマリリン・モンロー、もう一人は女優の卵のジュディス・キャンベルです。なぜ彼女が有名かというとキャンベルは、シカゴマフィアのボス、サム・ジアンカーナのガールフレンドだったからです。サム・ジアンカーナは、自分のガールフレンドがケネディー大統領と関係を持っていることを知っていました。ケネディーは危険な情事にはまっていたのです。
資産家の息子として生まれ、軍隊に入隊した以外働いたことのない男が大統領になり、当選後はお気に入りの女にはすぐ手をだす。大統領選挙戦の相手は、苦学力行型のニクソンです。これでは人生あまりにも不公平とニクソンは思ったにちがいない。私もそう思いました。そのケネディーは、大統領任期中に暗殺されてしまいました。ケネディー暗殺後、弟のロバート・ケネデイー司法長官も、マリリン・モンローと関係を持ちました。その弟も暗殺されてしまいました。この二人の兄弟の暗殺には、いくつかの背景が語られています。しかし二人に共通の暗殺原因があります。
それは「親の因果が子に報い」だと私は思っています。ケネディー大統領の父は、禁酒法時代、密造酒の販売で財をなしたことで有名です。無論マフィアとの関連もありました。
「親の因果」など日本の警句を持ち出しているが、それと同じ意味の英語があるのか、という質問が出るのではと思い、調べておきました。全く同じ意味の英語表現があるのです。英語では、「The sins of the father are visited upon the sons.」
旧約聖書からきた言葉と言われています。ケネディー兄弟の暗殺は、この警句を地で行っています。「親の因果が子に報い」などと爺くさいことをと、言う人がいるかもしれません。しかし東西両極端には離れた民族、また極端に異なる文化を持つ民族になにか宗教がかった同じ警句があるということは大変興味深いものがあります。
話をバラク・オバマにもどしましょう。オバマも大変な強運の持ち主です。若い時それほど苦労せず、行政の実績何一つなく、メディアの全面的な支持を得、選挙戦中には金融危機がおこり、形勢が一挙に有利になり当選してしまいました。オバマは雄弁家だと言われています。自己主張の弱い日本では雄弁家といわれてもそれほど重要視されないでしょう。雄弁家すなわち舌先三寸でちょろまかしのイメイジの方が強いのではないでしょうか。
私も雄弁家はあまりかってはいません。しかしアメリカ人にとっては雄弁家というのは強力な武器で、聴衆者を催眠術にかける威力があるような気さえします。Change, Change, Changeと言うけどなにをChangeするのか具体性がないくせに、聴衆はYes, we can.,Yes, we can.とまるで放心状態のように応答するのです。アメリカ人は雄弁家が好きなんですね。ヒトラーも雄弁家で有名でした。
要するに私はオバマの強運さを取り越し苦労のように心配しているのです。もう一つ心配していることがあります。オバマの父親はいまどうしているかです。死んだとは聞いていません。あるいはもう死んでいるのかもしれません。母国のケニアに帰ったとは聞いているが、父親の出身地がテレビに映りだされたとき、父親について語られることもなかった。アメリカの大統領候補にでもなるとメディアが候補の過去を徹底して調べ上げることは有名です。しかし今回メディアは、オバマの父親についてほとんどなにも報じていません。
なにか隠しているのではないかと私は疑っています。何故なら今回の選挙ではアメリカのメディアは、オバマ贔屓だったからです。バラク・オバマのミドルネームはフセインです。フセインという名前はアメリカで嫌われています。マケイン陣営が、フセインの名前を持ち出したとき、メディアはあまりにも偏見に満ちているとして蓋をしてしまい二度とフセインというミドルネームが話題になりませんでした。
このため日本でもバラク・オバマのミドルネームがフセインであることがあまり知られていません。メディアによって何も語られることのない理由は、オバマの父親には選挙戦で不利になる汚点があったのではないかと思っています。汚点があると私は、「親の因果が子に報い」ということを心配しなければならなくなります。
何も「親の因果」を心配しなくても、オバマには暗殺される可能性が非常に大きいと思います。勿論黒人だからです。選挙戦後半からオバマの警護が強化されています。大統領選挙では、州総取り方式ですのでオバマ圧勝の印象をあたえますが、総投票数は一億一千万票あまり、そのうちマケインが獲得したのが46パーセントです。
下馬評のわりにはマケインの善戦です。それだけオバマではいやだという人も多いいのです。アメリカには白人の人種差別主義者は健在です。オバマ大統領の経済政策の効果がなかなか上がらず、不況が続き、オバマへの期待に絶望感を感じるようだと貧乏白人の怒りを買い、暗殺される可能性が高くなるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから本日のブログ記事です。上記の記事のように私は、オバマのあまりの強運に余計な心配をしているのですが、今度はさらにノーベル平和賞まで授けられるという強運に出会っています。今月21日に発行されたアメリカの週刊誌、ニュ-ズウィークは、オバマに対して強運さには謙虚に対処しなととんでもないしっぺ返しに会うぞと警告しています。
ニューズウィーク誌も私と同じようにオバマの強運の強さを心配し始めたのでしょうか。その記事の一部を紹介しましょう
「はっきりしているのは、現職大統領が現実に功績を挙げないうちに称賛を浴びるのは好ましくないということだ。それに今回のオバマのノーベル平和賞受賞は、アメリカ人が好む『逆境を跳ね返して手にした勝利』とはことなる。(以下中略)
オバマ自身、自分はつくづく運に恵まれているようだと自伝の中で書いている。そのことが分かっているのであれば、身の程をわきまえて謙虚に振る舞ったほうがいい。まだ勝利を収めていないばかりか、出場すらしていないレースで賞をもらうようなまねすればいつかしっぺ返しを食らう。
古代ローマの皇帝たちは自分が思いあがらないように、召使に命じて、「皇帝といえども死を免れない一人の人間なのだ」と常に耳元でささやかせたという。オバマもそれに倣うべきだ(一日たりとも欠かせないその仕事は、首席補佐官のラーム・エマニュエルに任せるのがいいだろう)。
一週間前に第二の故郷であるシカゴにオリンピックを招致するためにデンマークのコペンハーゲンに乗り込んだことをオバマは早くも後悔しているに違いないが、12月にノーベル平和賞の授賞式のためにノールウェーのオスロまで嬉々として出かけていけば、それこそ一生後悔する羽目になるかもしれない。努力せず与えられた称賛を浴びて平気でいられる人間には、得てしてろくな運命が待っていない。」
どうですか、この記事。選挙前あれほどメディアはオバマびいきだったのに今では、実に手厳しい。ニュ-ズウィーク誌ばかりでなく、アメリカでは一般的にオバマのノーベルへ平和賞受賞には疑問や反対の声が大きい。それにオバマ人気も急降下しているだけにノーベル平和賞受賞には手厳しくなりがちです。ノーベル平和賞は、オバマにとって強運とか幸運とか呼べるのでしょうか。私はオバマにとってありがた迷惑な賞ではないかと推察しています。なにやら占い的になってしまいますが、このノーベル章受賞が、オバマの幸運続きの運のつきになるような気がしてなりません。
オバマは黒人大統領なだけに人気の反動が恐い。オバマは現在新しい疑念を払拭できないでいます。オバマはハワイ生まれと言われていますが、その出生証明書の提出に弁護士を使って拒否しているのです。アメリカでは憲法で大統領になれるのはアメリカ生まれと規定されています。なぜオバマは出生証明書の提出を拒むのでしょうか。もともとオバマは、謎の多い人間だったのに選挙期間中メディアが目をつぶっていた面があります。オバマの人気度がさらに低下すれば、この点が今度は強く再燃化するかもしれません。
オバマにとって最良の解決策は、早くアメリカ経済を活性化させることです。経済が順調にゆけば、クリントン元大統領みたいにすけべで不道徳な大統領でもアメリカ国民は受け入れてくれるのだ。オバマは頭がきれる、弁舌さわやかな雄弁家だ、それに自分自身が黒人であるというだけで優位にたてるほどの強運の持ち主で大統領にまでなった。こういう人間がこの先どういう人生経路をたどってゆくのか、不運な人間とは呼べないまでも決して強運ではなかった自称苦労人の私には、非常に興味の対象になる人間です。
追記:
本日でブログを開いて満一年になりました。毎週日曜日に更新してきたいたせいか一週間があっという間にたち、早くも一年たちました。このまま今年いっぱいまで続けるつもりです。来年からはブログをどうするか、止めるか、続けるか、続けるにしても不定期に更新するか、あるいは「歴史街道と時事海外評論」などというわくをはめずに自由自在に書いてみるか、などと色々と考えています。いずれにしても年内に結論を出すつもりでいます。