日本人の原爆投下論はこのままでよいのか(日新報道)

阿羅健一先生、杉原誠四郎先生、二人の対談本「吉田茂という反省」(自由社、平成30)の333頁から334頁の中途まで次のような対談をしています。
引用開始
杉原「なるほど、そうですね。
日本人の抱く原爆投下論へのレイ氏の批判というのは、あの原爆は、当時ソ連を牽制するために、投下する必要がないのに投下したという誤った批判を日本人はしている、と言う批判です。
レイ氏の言うのは、原爆投下の際の当時に、原爆投下にソ連を牽制する効果があるということは確かに認識されていたけれど、しかしそのことを目的として投下したのではなく、投下はあくまでも本土決戦で大量に犠牲となるアメリカ兵を救うためであり、日本からみても、原爆投下によって早期降伏ができ、それ以上の計り知れない日本人の犠牲者が出ずにすみ、さらに分断国家への悲劇も避けられたのではないか。そのことを認めようとしない日本人の原爆投下論は誤っているという批判です。
私は、このレイ氏の言っていることは当たっていると思うんです。そしてそのことを前提にしたうえで、レイ氏の日本人原爆投下論への批判を批判しているんです。」引用終了

ここでレイ氏と言っている人は、ハリー・レイ氏と言ってアメリカ人の歴史学者で、
日本でも明星大学、筑波大学、横浜国立大学、南山大学などで教鞭をとっています。このハリー・レイ氏は、杉原先生と共著を出版しています。本のタイトルは、「日本人の原爆投下論はこのままでよいのか」(日新報道、平成27)。
ところでこの本の269頁では、ハリー氏は、このように書いているのだ。
引用開始
「その上多くの著作家はガー・アルぺロ・ウ’’ィッツが1965年に書いた本に影響を受けた。アルぺロ・ウ“ィッツは日本の降伏は1954年11月までに決定的になるので、通常爆撃を継続すれば上陸作戦は不要であったと論じた1946年のアメリカの戦略爆撃調査を徹底して引用した。アルぺロ・ウ”ィッツ”の原爆外交説に関する学術研究を酷評したのは、ロバート・J・マドックスの論文、「ガー・アルぺロウ“ィッツ、修正主義のゴッドファーザー」である。
マドックスは、アルぺロ・ウ“ィッツが彼の説を立証するために粗雑な方法を使っていると批判した。すなわち、その粗雑な方法の最も顕著な特徴は論理的飛躍である。原爆外交説に対する最も重要な反論は、修正主義者は日本の「徹底的な敗北」と「明確な降伏」とを混同しているということであった。」(以下続くが略し引用終了)
ハリー氏は、彼の援護者としてジョン・ダワーの名前をあげている。ダワーにはヒット作がある「敗北を抱きしめて」だ。高山正之氏は保守の酷評家と知られている。その彼が「歴史通」という月刊誌(2015年1月号)に「(敗北など抱きしめて)などといられない」のタイトルの下にダワー氏を勝者の正義と偏見・無知と徹底して酷評しています。私もジョン・ダワー氏が大嫌い。女房に日本人に持つくらいならもっと日本について勉強しろと言いたい。

ガー・アルぺロ・ウ“イッツと言えば私には、懐かしい名前だ。彼が1995年に書いた大作、「The Decision To Use The Atomic Bomb」。英文のペーパバックで847頁の大作です。そのころ私は現役の外資系サラリーマン、最終学歴が高卒だ、だからどちらかと言えば英語の原文に弱い。いずれ日本語の翻訳書が出るから、いざとなればそれをたよればよいかなと考えた。当時まだ私は現役のサラリーマンで57,8歳だった。買った書店が渋谷の有隣堂だった。日本語の翻訳本が出た。鈴木俊彦、岩本正恵、米山洋子訳、はるぷ出版。日本語のタイトルは、「原爆投下決断の内膜―悲劇のヒロシマ、ナガサキ(上、下)。残念ながらこの翻訳本は,2006年8月の絶版になってしまった。現在、私は原爆関係では、次の三作の原書を持っています。
1. The Decision To Use The Atomic Bomb
2. Hiroshima In America
3. Hiroshima, Why America Dropped The Atomic Bomb
もし読みたい方がおれば、私に連絡ください。

ガー・アルペロ・ウ“ィイツが書いた「The Decision to Use the Atomic Bomb」の最近のカストマーレビューがないだろうかパソコンを見たが見つからず、2006年8月6日に書いた西岡昌紀氏(内科医)のカストマーレビューが見つかった。その全文を引用します。
引用開始
「アメリカは、何故、日本に原爆を投下したのだろうか?その問いに対する、アメリカの歴史家アルペロウ“イッツ教授の答えである。
この本は、アメリカによる広島、長崎への原爆投下をライフワークとして来たアメリカの歴史家ガー・アルベロウ“イッツ教授が1995年に発表した大著であるが、その、日本語訳
(「原爆投下決断の内膜」上・下(はるぷ出版))は、2006年8月現在、残念ながら、絶版の状態に在る。私は、この本の日本語訳が絶版状態に在る事を残念に思う。
この本を読めば、広島、長崎への原爆投下が、戦争を終結する為の決定ではなかった事は、誰の目にも明らかである。そして、大統領をはじめ、原爆投下が不必要であった事を認めたアメリカ指導者が枚挙にいとまが無い事に、誰もが、「語るに落ちた」という気持ちを持つに違いない。
更に、この本は、原爆投下後、アメリカ政府・軍関係者が、原爆投下を正当化するために、どのようなウソをついたかまでを、徹底的に書いた。アメリカ人歴史家による、自国指導者への筆誅の書となっている。「ウソと暴力は、双子の兄弟だ。二人はいつも一緒にやってくる。」と言ったのは、ロシアの作家ソルジェニーツインであった。彼のこの言葉は、原爆投下が必要だったと言うアメリカのウソについての言葉であるかの様である。」
引用終了
私の感想文も全く同じです。すごい暴露には驚きました。「原爆投下が百万人以上のアメリカ兵の命を救った」と言って信じて疑わない退役軍人がいるのだ。さらに数年後、原爆投下のアメリカの神話を丹念に調べ上げ1997年にアメリカ人が書いた大作にもびっくりしました。原題は英文で、「An Exhibit Denied―Lobbying the History of Enora Gay」,日本語訳「拒絶された原爆展」(歴史のなかのエノラ・ゲイ)、(山岡清二監訳、渡会和子、原純夫訳、3800円、みすず書房)。作者はマーティン・ハーウィット。最近パソコンでこの本に対して誰かカストマーレビューを書いていないか調べて見ると、2003年6月3日に「やまちゃん」と言う名前で「20世紀の歴史に残る名著」として書いています。その全文を紹介すると、
引用開始
 国立航空宇宙博物館の元館長、マーティン・ハーウィットによる本書は、20世紀に頂点を迎え、そして21世紀に入ってもその勢いを弱めようとしない偏狭なナショナリズム、または「国民の物語」が、具体的な形で論争を引き起こした事例を生々しく物語っている。
 エノラ・ゲイ展示論争と時を同じくして、日本では歴史教科書論争が勃発した。従来の歴史教科書は「自虐的」であり、これではそれを使って歴史を学ぶ子供たちが自分の国に誇りを持つことはできないとして、教科書記述の大幅な改訂を要求する運動が一部の保守派知識人によって展開された。
 この二つの論争に共通する点は、自国民から多数の死傷者を出した過去の戦争の記憶をめぐって、その記憶を「国民の物語」、すなわちアメリカ人としてのまたは日本人としての集団記憶として語ることへの執着が、そう簡単には消滅しないという厳然たる事実を提示したことである。
 この二つの論争における大きな違いは、日本においては、「日本人としての誇り」を強調したグループの主張が歴史の歪曲、歴史修正主義として猛烈な反発を招いたのに対し、アメリカのエノラ・ゲイ展示論争においては、記念的性格とは異なる、学術的で分析的な展示を企画し、原爆投下の道義性や被害の実態などにも言及しようとした博物館スタッフに対し、退役軍人らが「政治的正しさ(political correctness)」という看板によって事実を捻じ曲げた修正主義という批判を浴びせたことである。日米間では、明らかに多数派の言説が正反対の特徴を示しているのである。つまり、アメリカでは愛国的言説が素朴に受け容れられる素地が大きいということである。そのことは2001年9月11日の同時多発テロ以後のアメリカにおける言説の保守化やハリウッド映画に頻繁に現れる、愛国心の肯定的な描写からも明らかである。
 国際交流の美名の下に全く異なる歴史観を持つ二つの国が協力を試みる時、各々の「国民の物語」が我々の前に立ちはだかって、陰に陽に論争の火種を持ち込んで来ることに、我々は常に敏感でいなくてはならないだろう。「国民の誇り」に執着する自慰的な言説が非生産的であることは言を俟たないとしても?それを克服することが言うほど易しいものではないことを、本書ははっきりと示している。20世紀の歴史に残る名著であると思う。
引用終了

「拒絶された原爆展」の頁数は索引を除いて599頁の大作です。これを出来るだけ簡潔に内容を語ります。国立航空宇宙博物館の信任の博物館長(マーティン・ハーウィット)になった時、翌年5月1日が原爆搭載機のエノラ・ゲイ号が長らく修復過程のあったのが5月1日に修復が終わり、長らくアメリカ国民に見せらのれなかったのが見せられる日になった。またその年の5月が原爆投下の50周年だった。この時を利用して、エノラ・ゲイ号をアメリカ国民に見せ、原爆投下50周年記念の行事をしようと考えた。早速新館長は、広島、長崎に原爆投下の資料の貸し出しをもとめた。一方国立宇宙博物館にとってやりにくい相手、議会と退役軍人協会の交渉に入りました。博物館側は、予算の承諾を議会から得なければなりません。退役軍人協会は過去の軍関係の資料がありその資料を借りださなければなりません。退役軍人協会は、アメリカでも強力な圧力団体でもあった。資料関係の提出は博物館側と退役軍人協会側との交渉になります。会場に提示する資料が退役軍人協会に握られ博物館側スタッフに不満がたまります。ここで新任館長、マーティン・ハーウイットは、一寸の虫にも五分の魂とばかり辞職覚悟で反撃に出た。その反撃も原爆投下を肯定する人たちにとって一番痛いところをついてきたのです。ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長の見積もりによれば、戦闘部隊19万のうち死傷者数六万三千名、そのうち死者は一万二千名から一万六千名と書いてあります。「原爆投下が百万人以上のアメリカ兵の命を救った」と信じて疑わない退役軍人にとって、死傷者6万三千名、死傷者に至っては一万二千名から一万6千名という数字は絶対に受け入れない数字でした。時のクリントン政権は「エノラ・ゲイ展」日本名、「原爆展」を、オープン直前にも中止し、カタログは販売禁止になった。ハーウィット館長も辞任した。この時の事情を克明に描いたのが「拒絶された原爆展」(歴史のなかのエノラ・ゲイ)1997年 みすず書房。

後年、2015年3月2日の日本の中国地方の中国新聞の記事に、「ヒロシマは問う 被爆70年」 「神話」の壁」、金崎由美記者が、ハーウィット元館長に取材している記事がパソコンに載っていました。最初の「問い」と「答え」を抜粋しました。
「――大量に送り付けられた抗議文から、壮絶な批判の矢面に立っていたことが伝わってきますね。
博物館としてやるべきことを全て要求したまでだ。機体の展示だけでなく、歴史的な背景についても最新の研究成果を提示する。来館者が豊富で正確な情報を得る場にする。米国と広島、長崎の両方の見方を尊重し、知ってもらう計画だった。」(以下省略)

ここでマーティン・ハーウィット新官庁を私が信用するのが、私は他の書物でも知っている事は、大東亜戦争中、ヨーロッパ戦線の最高司令官アイゼンハワー元帥が1948年に回顧録「Crusade in Europe」を出版した。
「私は原爆のようなものが敵に対して絶対に使われることがないようにと、私の望みを伝えました。なぜなら私は、アメリカが戦場でこのような武器の使用に先頭をきることを望んでいなかったからです。」
この回顧録はベストセラーになっているけど彼の発言は注目されることもなかった。
その後アイゼンハワーは、1953年に第34代アメリカ大統領になり二期務め退任後の1963年に二冊目の回顧録「Mandate for Change」を出版。この本のなかでも原爆使用の反対を唱え、さらに前作の回顧録より詳しく反対理由をのべているが、退役軍人協会も、メディアもクリントン政権も原爆展を開くこと中止したのだ。

ところでこのブログのお三方、ハリー・レイ氏、杉原先生、阿羅先生がたは、この話題のみすず書房の本、「拒絶された原爆展」(歴史の中のエノラ・ゲイ)を読んだのでしょうか。特に杉原先生とハリー氏は、共著で「日本人原爆投下論はこのままでよいのか」(原爆投下をめぐる日米の初めての対話)について一言も語っていません。「拒絶された原爆展」の和訳出版は1997年です。ところが、ハリー、杉原両氏の出版は2015年12月。私に何か理由があるに違いないと思っています。
私事を引き合いにだして恐縮ですが、私は「つくる会」に入会したのが、平成17年8月3日です。その時は、私は「つくる会」の中でも無名の定年サラリーマンです。翌年平成18年10月に私の三作目の本、「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」を出版しています。ここでも私は無名同然。私はこの原爆正当化の中で、私が上げた三冊の原書、「The Decision To Use The Atomic Bomb」,「Hiroshima In America」、「Hiroshima,why America dropped the atomic bomb」と一冊の和訳本、「拒絶された原爆展」(歴史のなかのエノラ・ゲイ)とその他数冊の参考物件として使用したことを私の本には書いています。
一方、私は二人の共著、「日本人の原爆投下論このままでよいか」の参考文献をチェック、特に和訳本、「拒絶された原爆展」は参考文献にはなかった。なぜ選ばなかったのか、説明していただければありがたい。
出版社の展転社をチェックして頂き、在庫が在れば、もしあなたが「つくる会」の会員であれば、読んでいただきたいと思っています。本の表紙には宣伝のため、大文字で「国家の名誉や誇りを気にしない国民がどこにいるか!」と書いてあります。その下に小さな文字で
「大作『大東亜戦争は、アメリカが悪い』で気炎を吐いた作家が再び現代人を叱咤する憂国の一書。
本のタイトルは、「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」、展転社、値段ハードカバー、2000円+税。よろしくお願いいたします。

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