月末の日曜日、3月28日が私のブログ記事の更新日ですが、用事ができましたので7日間早めました。
お年寄りの中にはこのタイトルを見て一瞬なんのことだろうと思う人がいるかもしれません。今年、第82回アメリカ映画アカデミー賞、作品賞の本命になった二つの映画作品の題名です。「アバター」は巨額の制作費をつぎ込んだいわゆる3DによるSF超大作。一般公開早々に世界的に大評判を呼び、公開一ヶ月で前作「タイタニック」の世界興行収益記録を更新した。一方の「ハート・ロッカー」はイラク戦争を描いた戦争映画で、アカデミー賞発表時までの興行収益は最低の作品でした。「アバター」の監督は、「タイタニック」を監督したジェームス・キャメロン、「ハート・ロッカー」の監督は、キャスリン・ビグローという女性監督で、この両監督は、元夫婦だったのも興味がわきます。審査結果は、「ハート・ロッカー」が「アバター」に圧勝です。アカデミー作品賞ばかりでなく、監督賞、脚本賞など全部で6部門を受賞。キャスリン・ビグローは、アカデミー賞受賞初の女性監督の栄誉を手にした。これに反し「アバター」は美術賞など3部門だけでした。
両映画の内容をちょっと覗いて見ましょう。「アバター」は白人が、地球からはるか遠くにある惑星に行ってそこの住民と戦って希少鉱物を産する土地を支配しようとするが、抵抗にあって失敗する内容です。中国政府の土地強制収用を思い起こさせるというので中国政府が「アバター」の上映を禁止したりして話題を呼んだ。惑星の住民は、お尻に長い尾がついていて、耳が大きい。それがなければアメリカインディアンそっくりです。アメリカインディアンは白人の鉄砲に破れ、土地を強制収用されましたが、この惑星の住民はアメリカインディアンと同じで弓でしか戦えませんが、その惑星に住む怪鳥は最新戦闘機と、怪獣は最新兵器と戦えます。白人内に裏切りが出たりして、結局、白人は侵略をあきらめる形で終わっています。3D映像は、その迫力で観客を圧倒、充分に堪能させたことは事実です。現在3Dテレビの実現が間近らしいですが、現在の大型テレビより売れないでしょう。わざわざ3Dで見なければならない番組がそんなに沢山あるのでしょうか。もっとも3Dテレビの方がはるかに安ければ話は別ですけど。
「ハート・ロッカー」は、イラク戦争を扱っているといっても、イラク戦争のほんの一面だけを徹底的にスポットを当てている。イラク戦争の特徴の一つは、テロリストや敵による自爆爆弾、仕掛け時限爆弾、遠隔操作による爆弾攻撃です。これらの爆弾を見つけ出し処理するチームだけに焦点を絞っています。まさに現代戦争を代表する一面ですね。爆弾を発見しても最終的には、たった一人の兵士が、宇宙服のような防御服を着て(非常に重そうで着ると蒸し暑い)、爆弾に近づき起爆装置を外す。これだけの作業ですが、その時々の状況で実にどきどきするスリルと迫力があります。地雷処理などとは、全く比較になりません。テレビニュースなどで自爆テロがあったなどと報じられますが、その影には爆弾処理チームのような兵士の存在がいることを初めて認識しました。防衛大学の学生や陸上自衛隊員必見の映画ではないでしょうか。私はこの50年間に数々の戦争映画を見てきました。また数多くの戦争映画がアカデミー賞を受賞しています。この「ハート・ロッカー」も印象に残る映画です。
「ハート・ロッカー」が圧勝でアカデミー賞を獲得したことについて、テレビで名前を忘れたが二人の映画評論家が、こんなこと語っていました。一人は、「アバター」が選ばれなかったのは、物語性が薄かったからではないか、もう一人は「アバター」を見た人は、裏切られた気持ちが強いのでは。産経新聞では、「娯楽作品は軽視傾向」という大きな見出しをつけていました。現在の日本人は、愛国心が薄く、国への思いが弱い、なぜ「ハート・ロッカー」が選ばれたのか、審査員の心理が想像できないのだ。私は戦争経験があるほどの年寄りではないが、日本という国への思いと愛国心は強烈だ。だから私がこの両映画を見た時、「ハート・ロッカー」がアカデミー賞に選ばれたのは当然だと思った。
映画の画面では、イラク戦争の是非など論じられていまません。ただひたすらに爆弾処理チームの行動を写し出しています。それだけに説得力があるのです。どういう説得力か。すなわち非常にストレスのかかる危険な仕事にもかかわらず、ただひたすらに与えられた任務をまじめに、忠実に、そして国家への忠誠をつくす兵士の姿です。これが映画のクライマックスが敵味方大連隊を総動員しての攻防戦なら個人の奮闘ぶりは埋没してしまいがちになりますが、徹底して数人の爆弾処理チームに焦点を当てていますから、余計に兵士一人一人が国家への忠誠をことさら強調する結果になります。このためアカデミー賞審査員が例えイラク戦争反対でも、現実にいまアメリカ国家のために戦っている兵士の姿を見て感動するのです。だから「ハート・ロッカー」が受賞できたのだ。日本映画界は左翼の巣みたいな所です。日本人の映画評論家など愛国心がないから私のような考えは思い浮かばないのだ。
映画史上最大の興行収入を得たということは、世界中の多くの人々を堪能させたということです。それにもかかわらず「アバター」を選ばず、興行的に振るわなかった「ハート・ロッカー」を選んだということは、アカデミー賞受賞発表の日というこの平和な祭典の日でも、今現在イラクではアメリカ兵が戦っているのだということを審査員に十分認識させてしまうほどのすばらしい映画だったということです。アカデミー授賞式が、テレビ放映されました。女性監督のキャスリン・ビグローは受賞スピーチで、「この栄誉を現在イラクで戦っている全アメリカ軍兵士と分かち合いたい」というようなことを言って拍手喝采をあびていました。アメリカは徹底した資本主義国家だ。そのため映画史上最大の収益をあげた「アバター」にアカデミー賞に指名するような国民だったら、現在の大国アメリカの存在はなかったでしょう。「ハート・ロッカー」は、アカデミー賞審査員にアメリカという国への思いを改めて思い出させる役割を果たしたのだ。金銭的大成功よりアメリカという国家への思いを優先させたのだ。
ところで「アバター」を見た時、私は洋画を見て半世紀以上になりますが、今回初めて体験したことを書きます。私は「アバター」を横浜の複合映画館ビルで見ました。そこでは「アバター」の「字幕」版と「吹き替え」版が同日、同じ施設内の別々の映画館で上映されていたのです。私はとうとうここまで来たかと愕然としました。DVDの世界では、最近「字幕」と「吹き替え」両方が組み込まれているのが多くなっているのは知っていました。しかし「封切り映画」はすべてと言っていいくらい「字幕」でした。それがとうとう「封切り映画」まで「吹き替え」版が登場したのです。なぜ「吹き替え」版が多くなってきたかというと、その原因は現在の若者、とくに10代20代の若者のせいなのです。またこの世代は映画をよく見る世代です。
「字幕」の場合、映画画面の中央真下に「字幕」が出ますが、その字幕のセリフの字数は多くても13字までと決められていました。映画一場面で、映画を楽しみながら人が苦痛を感ぜずに読める字数は、実験、経験により13字が最適だとわかっているからです。この13文字数は、もう半世紀以上字幕による字数の最多は13字と法律みたになっていました。ところが現代の若者、とくにゆとり教育で育った10代、20代の若者が、映画を楽しみながら13文字を次の場面が展開するまでに読むことが苦痛になってきたのです。その結果どうなったか。字幕字数の最多を13字から10字に減らしたのです。10字に減らしたのは最近なので字幕翻訳者にとって努力目標みたいで10字に収まっていない例外も多々あると言われています。まさにこれは学力低下の証明以外のなにものでもありません。
私の最終学歴は高卒。私はもうすぐ72歳。私の年代では高卒や中卒が沢山いるのです。ところが現在、高卒は当たり前、男女とも大卒が沢山います。要するに現在の若者の方が我々の年代より高学歴なのだ。それでいて字幕を全部読みきれないうちに次の場面がきてしまう。そこで10字に減らしても字幕映画を見るのが苦痛になっているのだ。完全な読解力不足です。そして「アバター」のように封切りから「吹き替え」版の登場です。最もこれが最初のケースかどうか確かではありません。
日本民族が劣化しているとよく言われますが、その証拠の典型的な一例でしょう。この民族劣化のため現在の日本はあらゆる面で落ち目になっているのだ。日本の将来は、現在の若者に期待しなければなりません。その若者の読解力が、がた落ちなのです。教育の基本は、読解力です。その読解力が不足だから、大卒の新入社員が、先輩から教えてもらわないとビジネスレポートが書けないのも無理はない。工場勤務なら、新入社員が自分の工場で使用している機械のマニュアルが読めない、即ち読めても正常に解釈できない。会社側は、大事故になってはいけないと新入社員にマニュアルの読み方を特別に教えこまなければいけなくいなっているのだ。私の年代では考えられなかった事が今起きているのです。要するに我々の年代と比べると、分かり易く言えば、バカが多くなっているのだ。そのバカが多くなっているのに選挙年齢を18歳に下げようと主張しているのだ。バカも休み休み言えというのだ。私に言わせれば、選挙年齢引き下げどころか25歳か30歳に引き上げです。
外国では「吹き替え」が常識だと主張する人がいます。みなさん、「字幕」は世界で誇れるものであることをご存知ですか。「字幕」が成り立つためには、国民の識字率がほぼ100パーセントであること、そして多くの国民がある一定の読解力(我々の年代ならば、義務教育中卒の読解力)を持っているという前提がないと「字幕」ということが成り立たないのです。確かに現在は世界の識字率があがっているから、「字幕」は日本だけの現象ではありません。人口の少ない小国は、映画を見る人口そのものが少ないから「吹き替え」は高くつきます。そのため「字幕」は当たり前になっています。しかし日本は、人口が多くても、その「字幕」を半世紀以上前から行ってきたのです。さらに大昔をたどれば、これは映画とは全然関係ありませんが、江戸時代の時代劇をみれば、高札に一般庶民が群がって読んでいる場面が出てきますが、あの当時世界でお役所が高札で一般庶民に通達を出せるのは日本だけです。このように昔から教育水準の高かった日本が、その教育の面ですでに落ち目がずっと続いているのだ。私は大学で教えている現役の先生を何人も知っているが、皆さん一様に言うのは、日本の大学生は勉強しない、一生懸命勉強するのは、中国や韓国などからの留学生ばかりだと。
若者よ、最多文字数10字に絞り込んだ「字幕」映画を見ても苦痛を感じて映画を楽しめないなら、あなたの読解力は最低です。読解力が最低ということは思考力が最低ということです。なにをやっても成功しないでしょう。収入格差に悩むだけです。ぜひ読解力を上げる努力をしてほしいと思います。このような日本民族の教育劣化の原因は、半分は本人のせいですが、あとの半分は日教組のせいです。日教組をつぶさないかぎり日本の教育は改善しないでしょう。それと先生の質の向上です。学校の先生というのは、社会的に重要な職業なのに、これほど仕事ぶりについて責任を問われない職業はありません。
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18 comments »
terag3 より:
2010年3月21日 10:19 AM
terag3です。早速今月の最新ブログを読ませて頂きました。
私はまだいずれの作品も観ておりませんがその概要については知っております。「アバター」については知人からあの作品は素晴らしいから是非観るようにと勧められていましたが3Dには興味があるもののストーリーが現実離れしていてそれよりも「ハート・ロッカー」の方に関心がありました。
えんだんじさんのこのたびの紹介でさらにその感を強くしました。アカデミー賞と言うからには「ハート・ロッカー」が選ばれるのは当然だと思います。しかも得てして監督などは戦争映画を悲惨な箇所だけを強調して反戦平和主義に繋げようと画策することが多いものですがこの作品はイラク戦争の是非を問うものではなく爆弾処理チームの行動に絞りこんでスポットを当てることで、たとえイラク戦争反対者の審査員でも国家のために黙々と戦っている兵士の姿に多くの人々が感動するのだという、えんだんじさんの言葉に全く同感です。
また最後に若者たちの識字率の低下は日教組のせいであり教師は社会にとって重要な職業なのにその仕事ぶりについては責任を問われないというのにも同意同感です。今の先生たちは「仰げば尊とし我が師の恩」などと言う言葉は当て嵌まらず、単なる労働者になり下がっていることを何と思っているのでしょうか?しかも卒業式、入学式には先生でありながら、思想信条の自由と言い張って日の丸、君が代斉唱にも反対するなど・・・それで良いのだと言うなら本当に悲しいことです。
話は本題から逸れますが小学校の低学年には「読み書きそろばん」を徹底的にやることが教育の基本であるように思います。以上
猪 より:
2010年3月21日 11:53 AM
お若いですね。私はもう映画を見なくなり、殆ど古い映画を「テレビ番組」から選ってみております。
言われるように日本語でしゃべる外国人を見ていると興味が半減するのです。英語の勉強にもなる、日本語の勉強にもなる事をワザワザ外国人が使わないだろと思われる日本語に訳して仕舞う。
コロンボと言うテレビ映画が日本の俳優を使い外国人俳優が日本語を使いだした?のでしょうか?ジョン・ウエイン、タイロン・パワー、エロル・フリン、ゲーリ・クーパー、ハンフリー・ボガード、イングリット・バーグマン、ジーン・シモンズ、デボラ・カー、グレース・ケリー、モーリン・オハラ時代から未だに抜けていない私の「映画鑑賞時代」は遠い昔の話、今では映画館に行くことも語る事も無くなりました。
古い映画を見ると「正しい英語」「正しい日本語」が未だ有る様な気がして成りませんが、私は古いのでしょう。映画を配給する方にしても「日本語」でやらないと客が入らない?情けない話ですね。一挙両得英語も理解するのに役立つ、日本語の勉強にもなる。アメリカ・日本の古い映画を見ていても言葉が綺麗です。現在のモノは時代劇にしても見て居られない程「日本語」自体が乱れているのは困ったものと思います。字幕にも大きな意味が有った見方は新鮮でした。
言葉の乱れが全てに通じるのでしょう。読み・書き・暗記する教育の基本の崩壊がこの様な決果を招いているのは情けない事、日教組の教育を受けた年代が其々の中枢に居る事も国家観・愛国心を、態々教育しなければ高校生・大学生にも浸透しない現状を生んでいると考えますが、我々の年代にも責任の一端が有ったのだろうと反省しきり、私の家族・縁戚の人間には私の考えを伝える様にはしています。
教師が「労働者」と言った時点でおかしく成り出したのですが、もう50年以上たちますがら回復は大変です。
terag3 より:
2010年3月21日 2:24 PM
猪 様 はじめまして、terag3と申します。
このコメントを読んで私と同じ年代の方かと思い一言申し上げます。私も若い時から洋画フアンで邦画はほとんど観ませんでした。最近はテレビ番組やDVDを見ていますが以前ほどではありません。しかし洋画を観るにしても英語もほとんど分かりませんがましてやその他の外国語もさっぱりですが、外国の映画はその国の言葉で放映され日本語の字幕が出てくるものでなければ観る気がしません。
外国語が分からなくても日本語の字幕によって言葉の意味がなんとなく分かるところに面白味があると思うのです。
ところで、ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン、ハンフリー・ボガード、良かったですねぇ~!歌手ではエルビス・プレスリーの英語は良く分かりませんが言葉がはっきりしているところが好きでした。分からなくてもなんだか分かるような気がして・・・
以上、余計なことまで申し上げまして失礼いたしました。
えんだんじ より:
2010年3月21日 4:07 PM
terag3さん
<小学校の低学年には「読み書きそろばん」を徹底的にやることが教育の基本であるように思います。
全く同感です。小学低学年で英語など教えるくらいなら国語の時間の充実です。
えんだんじ より:
2010年3月21日 4:23 PM
猪様
若い時映画を見ても、年を取ると映画館にゆかなくなる男女が多いのはたしかですね。私に言わせれば、それが心の若さを失う原因の一つではないかと思います。
もちろん、映画館に行く体力がなくなっていたら話は別ですが。
猪さんももし映画館に行ける体力があれば、ぜひ映画館まで足を運んでください。
若い新鮮な女優に出会え、どう成長していくか楽しみでしょ。
昔は美人じゃないと女優になれないから、洋画でも美人はキラ星のごとくいましたが、現在はあまりいませんね。
terag3 より:
2010年3月21日 4:49 PM
えんだんじさん、terag3です。
<昔は美人じゃないと女優になれないから、洋画でも美人はキラ星のごとくいましたが、現在はあまりいませんね。>
同感です。何故なんでしょう?私の20代当時に思ったことは「整形手術で美人になってもみんな同じ顔になって面白くも何ともないだろうなあ~」ということでした。確かに現代女性は昔と比較するとブスと言われる人が少なくなりましたが、一方テレビなどで出てくる女性はほとんどが黒髪を台無しにして「ちゃぱつ、きんぱつ」に染め上げ、つけまつげ、アイシャドウなどで、ことさら可愛さだけを強調した頭も良くなさそうな「チビギャル」が大流行です。おまけに中学生の性事情なる調査結果も公表されているように売春防止法のお陰で、日本人の性道徳は最低になっています。全く嘆かわしい限りですがそう思っているのは私だけなのでしょうか?
Hazama Hisatake より:
2010年3月21日 8:27 PM
「ハート・ロッカー」は宣伝で損をしているような印象です。あの予告編では、とても安っぽく見えてしまいます。
えんだんじ より:
2010年3月22日 8:29 AM
Hazama Hisatakeさん
私は予告編を見ていません。そうですか、予告編は安っぽく見えたですか。
今度はアカデミー賞を受賞したので良い宣伝にはなるでしょう。私は受賞後見た
ので観客がずいぶん入っていました。
猪 より:
2010年3月22日 10:23 AM
TERAG3さん
当時は洋画専門の人が多いようでした。映画音楽も魅力の一つで「黄色いリボン」を始め映画音楽が主体でジャズ・ルンバ・タンゴが流行ってる中での「プレスリー」監獄ロックでショックうぇを受け、未だに初期のプレスリー盤をcdにして車で聞いています。ファッションも矢張り洋画からでした、ズボンのシングルもジーン・ケリー・フレッド・アステアの「雨に歌えば」から現在までシングル。
俳優・女優さんの「声」も魅力が有りました。それを吹き替えでやると映画自体が壊れてしまう、日本の俳優にしても声帯模写で商売に出来る様な「個性」が有りました、女優さんでは若尾文子・高峰秀子・ジュディ・フォスターこの人たちも声に魅力が有ります。
映画館にも行きたいと思うのですが「空気」の関係で行かないのです。片肺故「空気」に気を使うのです、術後も飛行機には偶に乗ったのですが8000フィート位が限度、辛いです。
「えんだんじさん」が言われる「赤線廃止」当時は、もう駄目だとばかり前夜は「5軒」の梯子をしました。「青線」で不法売春を細々とやっていたのが、今では「援助交際」と名を変えて堂々とやってる。赤線では「男」の値打ち・女性に対する思いやり・男の遊び方・女性崇拝のなんたるかを教わる場所でも有りました。赤線内にも一流遊郭・二流遊郭と格が有り我々学生と社会人の差も有りました。
ホントの大人と偽の大人の差も赤線には有り、男の判断さえ遊びの中にも有って「区分」を知る事も覚えましたね。
同じ遊郭の家で違う「女性」を指名する事は「男の恥」で「相手にも失礼」と変な仁義も教わりました。政治家が主義主張無くコロコロと政党を変える、本来は「恥ずかしい事」なのですが現在は平気でしょう。古い想いで話に成って仕舞い、失礼しました。
terag3 より:
2010年3月22日 12:50 PM
猪さん
早速のリコメント有難うございます。やっぱり同じ年代の方でしたね。しかし片肺運転とはお辛いでしょうくれぐれもご自愛下さい。
<同じ遊郭の家で違う「女性」を指名する事は「男の恥」で「相手にも失礼」と変な仁義も教わりました>←←←・・・これをterag3はやってしまったのです。
いつもの悪ガキ仲間と出掛けたのですが馴染みの女性が休みで居なくて自分だけしょぼしょぼと一人で帰るのは何だか癪に障ったので、やむなく他の女性を指名してチョンの間ではなく回しは取られましたが泊まりでやったところ、暫くたって次に行った時に馴染みの女性から散々にドヤサレました。当時18歳で23歳まで赤線のお世話になりましたがあの当時は良かったなあぁ~とつくずく思い出されます。しかし考えれば考えるほど現代の若者たちは可哀そうに思います。
えんだんじ より:
2010年3月22日 3:22 PM
TERAG3さん
<確かに現代女性は昔と比較するとブスと言われる人が少なくなりましたが
メーキャップと整形手術の進歩のせいでしょう。
猪 より:
2010年3月23日 11:49 AM
ハッハハハ、そうですかTERAG3さんの失策ですね・・・1000円の泊まりでも「粋」な遊び方は「我慢」でした。
言われるように若い人は「遊び・余裕」が無く成ったのでしょう、可哀想ですが60年、戦争逃避者が戦後のブランクを埋めた「進駐軍憲法」で作った「日教組教育」でドップリの政治家・官僚・財界人と製造元の「日教組・自治労・公労」と言う小細胞の集団に乗った政党「民主党」が政権につく時代「遊び・余裕」など無いでしょう。
無駄金をバラ捲き、世界での大金持ちを隠して国内でチマチマ「仕分け作業」で財政緊縮?この程度しか頭が回らない。中国・アメリカでも日本を真似て政策を打ち貧乏人が公共投資に回している、ダムや道路・建物だけが公共投資と考えているのが面白い人達です。
未来を見据えた公共投資は日本の様な大黒字国がドンドンやらなければ大国の名分が立たない。と太っ腹を持ってヒトラーもやらかした将来型の公共投資を「遊び・余裕」感覚を持ってやる時期なのでしょうが、社会党的知能・占領政策製造人材では無理なのでしょう。大臣がツィターとか「小便をチビッた」様な遊びで国民の歓心を買おうとする情けないですね。
極端ですが地方も含めて公務員3%給与カット、地方公務員半減政策、特法・独法役員給与50%カット、国会議員半減、お遊びの手当子供手当、農民補助、男女共同参画法廃止(何でも自民党に対抗して居るので加えただけ)消費税が一番公平ですから10%で30兆や40兆は出てくるでしょう。
法人税0、宗教税・遊興税「パチンコ」は遊び人の時間と無駄を省く意味でも強化する。日本経済「バンバンザイ」進駐軍憲法改正も含めて日本を見直をす「夢」の様な話ですが夢はいずれ現実と成る(希望です)。
話が飛んでもない所へ飛んでしまいましたが、幼稚になった政治家・官僚・財界人と、矢張り「お遊び」も人間成長の糧、金が有るなら、夢を持ちドンドン使うことと思っています。昔の事をしょぼしょぼ引き出し公開して「政治家の仕事」と考えている様な事では心細いです。
首相が「乳離れ」出来ない国なんて世界のどこを探してもないでしょう。最後は「愚痴」になりました。えんだんじさんのテーマから離れた所で誠に申し訳ありません。
eruze より:
2010年4月9日 3:59 PM
えんだんじさん こんにちは
「ハート・ロッカー」を4月5日に鑑賞して参りました。
イラク戦争での特に、爆弾処理に携わる兵士達の日々を克明に描いており
そのあまりにも日常化している「自爆テロ」「仕掛け爆弾」など、目に見えない敵との戦いのストレス
緊張感は、普通の戦場とは全く別な命懸けの知恵比べであり戦いであるのだと、何度も何度も
繰り返される「爆弾処理」場面を目にしながら再認識させられました。
誰もが皆、敵に見えてくる。どんな物でも「爆弾」が仕掛けられていると思えてくる。
そんな非日常が日常となっているイラクの様子は深刻であると異常だと感じました。
ニュースとして報じられる「自爆テロ」の実態、その内容の悲惨さは
ニュースでは伝えきれない、悲劇がそこに起きているということを
この映画を鑑賞し、はじめて深く認識できた気がいたしました。
えんだんじ より:
2010年4月10日 7:55 AM
eruzeさん、コメントありがとうございます。
私も、「自爆テロ」の実態を知りました。アメリカは大東亜戦争以後もかぞえきれないほどの
戦争をしていますが、よく国民が戦争に飽きないですね。なんだかんだと批判を内外で浴びながら
兵士は大変な危険な目にあいながら国の義務を果たしていく。良し悪しを含めてすごい民族なんでしょうね。
やたろう より:
2010年4月13日 7:06 PM
身近なところに教員をしてる者がいるので、学校の話をよく聞くのですが、特別に結果や責任を求められる事もなく、楽な仕事だなぁと感じます(保護者や子供との人間関係は大変だと思いますが)。
そして一方ではやる気があって優秀な先生にとっては報われない仕事だとも思います。
先生の質の向上も今の学校の組織のままでは期待できないと思います。もちろん大阪の一学校の一教員だけの話なので、すべてを語る事なんてできませんが、例えば教育大の授業は教員として役立つような授業はほとんどないみたいですし、教員になってからも、特別に指導をされる訳でもなく、いきなり授業をし、結局みんなそれぞれが自己流でやっていき、研究授業や研修等もありますが、最初から結論ありきの形だけです。
高学年になっても九九を覚えられない子を放置せざるをえない状況は子供がほんとかわいそうです。(我が子がそうでも何もしないのか!と思います。)
全部を教えきるのは無理でも、せめて一定レベル最低レベルは先生・学校に責任を持たせるような、学校が保証するようなものが必要だと思います。
えんだんじ より:
2010年4月14日 8:28 PM
やたろうさん
ブログへのコメントありがとうございます。
私は義務教育の最終目標は、立派な日本人に育てる事だと思っています。
ところが日教組が教育界の力を握っているため、日本という国家意識がほとんど零。立派な日本人に育つわけがありません。日本人があって日本国家があるわけではありません。日本国あっての日本人なのです。国際社会は、国どうしのつきあいで、国民どうしのつきあいではありません。国同士の付き合いだからパスポートが必要なのです。ところが日教組など国家を意識することが悪と考えているから立派な日本人が沢山育つわけがない。
mikan3rd より:
2010年6月27日 1:58 PM
コメント失礼します。
私は親が字幕映画派なので、高校の頃から衛星放送を介して字幕映画を見ていました。
それにしても、洋画の封切まで吹き替え映画ですか...前なら「トイストーリー」みたいな家族向けのアメリカ映画とかに吹き替えがあったのに、今は一般洋画にまでですか。恐るべし、ゆとり教育と愚民化政策。
(あ、地上波民放でやる映画の吹き替えはあれです。テレビ局は地上波見てる人間=子供かバカで貧乏人かって思ってますので。)
そんな時代にあっても衛星放送は洋画=家族向け以外の一般洋画は字幕一本でいっております。衛星だけはこの流れは絶対に変えないでほしいと願っています。
えんだんじ より:
2010年6月27日 4:15 PM
mikan3rdさん
コメントありがとうございます。
<衛星だけはこの流れは絶対に変えないでほしいと願っています。
私も全く同感です。字幕映画も絶対なくならないでほしいと思っています。