上記の本の三刷り目(三千部)が平成17年7月に出版された。それからおよそ半年後に出版社、碧天舎が倒産した。この突然の倒産ニュースには、私は完全に打ちのめされた。私はそれまでの本の売り上げのスピードや反響からいって、この本はベストセラーにならなくても、多少とも世間で評判を呼ぶ本になることは間違いないと思っていたからだ。倒産はその夢と希望を完全に打ち砕いた。それだけではない自費出版完結なのに、私にも負債があることがわかった。調べた結果碧天舎が使用していたある倉庫会社が上記の本の売れ残り430冊を抱えこみ、私に一冊400円で売りにだした。買わなければ焼却するほかないというのだ。「焼却」という言葉に憤怒したが、仕方がない交渉の結果私は一冊300円で買い取り、自宅に置いた。私は有隣堂の伊勢佐木町本店と八重洲ブックセンターの本社、この二社と個人契約を結びことに成功した。神奈川県下で私の本に実績があるのは、有隣堂の各支店だった。伊勢佐木町本店に行って神奈川県下の将来性ある作家の卵を支援してやる気持ちぐらい起こしてくれとくいさがった。八重洲ブックセンターは、当時毎年夏ごろになると「大東亜戦争史展」というようなタイトルで特別展を開いていた。あらゆる大東亜戦争関係の本が売られていた。私の本が売られる最適の場所だった。この両社で全部売りさばくのに一年ぐらいかかったと思う。
三刷り目を出版した平成17年に私は、「新しい歴史教科書をつくる会」に入会した。会長が八木秀次氏の時だった。執筆活動が主だったので、もっぱら会費だけを払う神奈川支部の会員で支部の会合には参加しなかった。それから2,3年後ぐらいに「つくる会」本部の総会は、どんなことするのか興味があったので総会に参加した。総会後の懇親会に「つくる会」の最初の会長であった西尾幹二先生が出席していた。私は西尾先生本人の姿を見たのはその時初めてであった。西尾先生が参加するのを知っていたら、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の本を持参してきたのにと思った。私は宣伝のために数人の著名人にこの本を送っていたが、西尾先生の住所を知らなかったので送っていなかったのだ。
西尾先生は著名人なので取り巻き連も多く、私と二人きりで話しする機会はないかもしれないと思っていた。宴たけなわの頃、ふと料理が並んでいるテーブルを見ると西尾先生が一人で料理をつまんでいるではないか、この機会を逃さじと私は急いで西尾先生のそばにかけこむようにして話かけた。
『私は30代後半ぐらいから先生の本を読み、以後先生の出版物は毎回読んでいます。私は高卒なので師という人がいません。そのため西尾先生をわが師と呼んでいます。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を書いたが、西尾先生の住所を知らなかったので送ることができなかった。』等と言ったら「それでは私の所を送ってください」」と言ってくれたのです。本を送って数か月後、西尾先生から私に電話があった。それには私は本当にびっくりした。先生は電話口で、「鈴木さん、あなたはすばらしい本を書きましたね。あなたの参考文献の中には、私がまだ読んでいない本もありましたよ。」
私はこれまで一般読者の賛辞の投稿や言葉を聞きましたが、保守知識人からお褒めの言葉など聞いたことがなかった。それが保守知識人論壇の重鎮である西尾先生からお褒めの言葉を直に私の耳で聞いたのです。私はうれしくてまいあがってしまった。
さらに先生は、「私は坦々塾を主宰しています、二、三カ月に一度くらい坦々塾を開いて私が講演するか、他の先生に講演してもらい、講演後は懇親会を開いているが、良かったら鈴木さんも会員になりませんか。」と言うではないか。
私は喜んで坦々塾の会員になった。初めて坦々塾に参加した時、現役の評論家や大学教授はいるし、その他多士済々ぶりには驚いた。ひょっとして高卒など私一人ではないのかと心配した。西尾先生が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を紹介してくれたので坦々塾ではかなり売れた。ちょうどその頃私は、展転社から「逆境に生きた日本人」を出版しようとしていた。欲張りな私はこの本の帯にまく宣伝文句を先生から貰えないかと考えたのです。先生からせっかく知遇を得たのにあまりにも早い、ぶしつけな要求ではないか考え込んでしまった。
しかし、本の出版を考えると先生にお願いするにはその時しかなかった。
私は怖々と本の原稿を送り、本に巻く帯の宣伝文句を依頼した。忙しくて時間がないと断られれば、それで仕方がないと諦めるつもりでした。ところが西尾先生は、執筆活動など忙しいにもかかわらず、引き受けてくれたのだ。帯の宣伝文句は、こうだった。
「私は著者の名前を評判をよんだ労作
『大東亜戦争は、アメリカが悪い』で知った。
今度の作品もすばらしい。
戦中戦後、強圧権力の下で示した
日本民族の行動をするどく分析、
我々の猛省をせまる」西尾幹二
本が出版され、この文章が書かれた帯を見た時は、感無量、ただ、ただうれしいの一言だった。私の本に箔がついたのだ。さらに嬉しいことがあった。西尾先生は、この「逆境に生きた日本人」について私に坦々塾で講演させてくれたのです。私が、知的水準が高い人々の前で講演するなんて、私みたいに何も誇る経歴もない、一しがない定年サラリーマンにとってこれほど名誉なことはなかった。私は深く感謝して先生の講演依頼を受け入れた。
坦々塾では懇親会の後、二次会にカラオケに行くことが多いい。先生も参加するので私も参加する。自然と先生と会話することが多くなります。或時先生は、私の文章力をほめたのです。私はびっくりしてしまった。私は先生に正直に話しをした。私は小学校に入学以来定年になるまで文章は苦手と思い、作文で褒められたこともなければどこかに投稿したこともないのです。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を書いたのは、私の本心の怒りから書きあげたものです。
西尾先生の説によると、文章というものは、沢山本を読んで上手な文章を書ける人もいれば書けない人もいる、本など読まなくても文章の上手な人もいる。文章はそういうものなのだというのです。あげくに私の文章には、パワーがある、説得力がある、これからももっと書いたらどうかと言うのです。実にうれしい言葉でした。しかし私は多少おせいじもあるのではないかとも考えていた。そのため私は、その時には、そんなものなのかなと思っていただけでした。しかし今では西尾先生の言葉を信じ、自分にも文章力が多少でもあるかなと思っています。その理由は、私のブログです。このブログは、月に二週間おきに二回書いて、それが今年の10月には満七年を迎えるからです。7年間も二週間おきに書けるということは多少とも文章力があるからでしょう。小学校入学から半世紀、年賀状以外日本文の文章を書いたことのない私が定年後は毎日執筆活動を続けているとは、人生とはわからないものです。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は、出版社が倒産した時は、最大ショックだったが、西尾先生と知り合いになれたことは最大の喜びであった。
なお、「逆境に生きた日本人」の在庫がまだあります。読んで見たいと思う人は、私のブログにある、お問い合わせコーナーを利用して注文してください。一冊2、000円です。消費税と郵送代はいりません。『「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の思い出』のシリーズは、この回で終わりとさせていただきます。
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4 comments »
奥様 より:
2015年7月18日 10:10 AM
>えんだんじさま
貴方はえらいなぁ・・・・と
しみじみ思います。
根性がある。
だからこそ、本当の知識人と知り合え、
認められたのですね。
えんだんじ より:
2015年7月19日 7:11 AM
奥様さん
お褒めの言葉ありがとうございます。恐縮しております。
terag3 より:
2015年7月19日 4:53 PM
えんだんじさん
三刷り目(三千部)が出版されてから半年後に、出版社の倒産でその出版社が保管していた倉庫会社から著者に430冊の在庫本を買い取れとはおかしな話ですね。
あくまでもそれは倒産会社の負債であり、著者とは何ら関係なさそうですが、法律(民法)ではそうjなるのでしょうか?
それにしても400円の言い値を300円に負けさせて購入後、1年がかりで売りさばいたと言うことは平成19年ごろだったのでしょうか?確か2年ぐらい前に中古本市場では、一万円以上もしていたことが有りましたね。現在では3,400円から4,788円で販売されていて、五つ星のカスタマレビューが6件、いずれも絶賛されていますよ。今後も、この価格の推移は変わらないでしょう。
以前のコメントにもありましたが、3部作の文庫本にして再度、販売されては如何でしょうか??
それから、これの英訳本を1冊、頂いておりますが、現在米海軍関係の将官クラスの方々と懇意にしている知人が何人かいますので、誰にしようかと最適任者を物色中で、未だ手元に置いてあります。交友の輪を広げながらもっとも効果のある人物に絞り込んで探していますので今しばらくお待ち下さい。
えんだんじ より:
2015年7月20日 1:55 PM
Terag3さん
英文版についてはご苦労かけています。いつもご協力いただいてありがとうございます。