日米の歴史と文化を語る。(2)

神様とゴッドの話
戦前、戦時中は、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)と呼ばれ神様扱いでした。しかし天皇陛下を神様と呼んだのは、なにも昭和天皇が最初ではありません。大昔から天皇は神と呼ばれていた。天皇を神と呼んだ最も古い記録は、「万葉集」の中にあります。「万葉集」とは、5世紀に君臨した仁徳天皇が詠んだ歌から8世紀半ばごろまでに歌われた4,500首の和歌を集めたもので、全20巻からなる歌集です。作者は天皇を初めとする皇族、貴族から庶民にいたるまで幅広い層にわたっています。日本が誇る最古の歌集です。その中に7世紀の歌で天武天皇の皇居造営を賛美したものがあります。(大君は神にしませば赤駒のはらばう田井をみやことなしつ)。これがその歌です。これで古くから天皇が神と呼ばれていたことがわかります。ところが日本では天皇だけが神あるいは神様と呼ばれていたわけではないのです。八百万(やおろず)の神と言って文字通り八百万の神様がいるとは思いませんが、とにかく沢山の神様が日本にいるということなのです。神様が日本に合計何人いるか正確な数は誰も知らないのです。
太陽、風、雷、海、山、森など自然や自然現象などにはほとんど神様がいるのです。神馬などと言って動物にも神と呼ばれる動物や神様との仲介する動物がいます。七福神といって富をもたらす神もいれば、疫病神といって病をはやらす神もいます。また縁結びの神といって結婚の縁組を司る神もいます。人間が死ねば神様に祭り上げられる人もいます、特に戦争中では、戦場で非常に功績のあった軍人は死後、神様となって祭られました。日露戦争の時、日本海海戦の司令官だった東郷元帥は、死後軍神として東郷神社という社で祭られているのは有名です。このように日本には、数え切れないほどの神様がいるのです。すなわち日本は、二つや三つの神ではすまない数多くの多神教の国なのです。にもかかわらず元森喜郎首相が、何年か前に「日本は神の国」と言ったらマスコミはじめ色々な方面から非難が飛んだが、彼ら全員馬鹿なのだ。この多神教の神を、誰が最初に訳したのか知れませんが、ゴッドと訳してしまったのです。これは大変な間違いなのです。なぜなら英語のゴッドは、全知全能の神とか造物主とか言ってたった一人しかいないのです。日本に沢山いる神々とは似ても似つかぬ、全く異なった存在なのです。神をゴッドと訳したため、特に戦争中アメリカ人は、日本人は昭和天皇のことを彼らの言うところのゴッドと思っていると思いこんでいたのです。証拠があります。1945年9月27日、敗戦の翌月、昭和天皇は、アメリカ占領軍最高司令官マッカーサー元帥に会うためにアメリカ大使館を訪問しました、

その日が両者の初めての会見でした。マッカーサーの妻、ジーン夫人は、その日夫の指示に従って日本人の使用人全員をキッチンに集めて、午前中はどこにも行かせずここで銀器をみがいているよう命令したのです。理由はマッカーサーが、昭和天皇は神であり、傍に近ずくことすら許されない存在である。だからもしその天皇が自分の目の前に姿を現したなら、日本人の使用人は、きっと全員ショックで気絶してしまうだろうと思ったからなのです。このことはマッカーサー自身が、日本人は天皇をゴッドと思っていると信じていたのですから恐らく他のアメリカ人も同じ思いだったのでしょう。そのためアメリカ占領軍の意向により終戦の翌年、1946年の元旦に昭和天皇は、有名な「人間宣言」の詔書を発せさせられたのです。昭和天皇自身に神を否定させたGHQは、キリスト教を日本国内に流行らすために日本全国で国民の神社内での会合をさせないように、日本全国いたるところ公民館を建設させた。戦前、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)と呼ばれていましたが、昭和天皇が人間でないと思った日本人はいないと言っていいでしょう。ところがこの「人間宣言」よって欧米人には、この「人間宣言」がはっせられるまで、日本人は昭和天皇をゴッドとして信じていたと確信させることになってしまったのです。同時に大東亜戦争で日本だけ徹底して非難してやまない反日日本人に「天皇の神格化の弊害」などと言って、日本批判の材料をあたえることになったのです。彼らは、日本の天皇が昔から神とよばれていたこと、神とゴッドの違いなど知らないのか、知らないふりをしているのです。これからは、神を安易にゴッドと訳さず絶対に「kami」として徹底して押し通すべきだと思います。「謝罪」、「迎合」、「主体性の欠如」と言う文化にどっぷりひたりがちな日本民象は、自分の主体性を世界にあまり主張することがない。特に大事な宗教に関しては、日本は「kami」の国の多神教だと、徹底して多神教であることを主張すべきだと思っています。

世界的には圧倒的に一神教の国が多く、日本みたいに日本古来の神道と外国から伝わった仏教がものの見事に融合しあっている多神教の国は世界でもめずらしいのです。世界が平和になるためには多神教を受け入れる国になるか、あるいは多神教を許容できる国になることが絶対に必要だと思っています。多神教の良さはその寛容性です。アメリカの最近の歴代大統領は、イスラエルとパレスチナの争いの仲介をとろうとして苦労を続けています。一年365日、たった一日で良いからイスラエル人は、イスラム教を、パレスチナ人はユダヤ教を礼拝する日をもうけたらどうだろうか。この提案を聞けば両国民は仰天し、無論反対するでしょう。アメリカの大統領も一神教だからこういう提案もできないでしょう。しかし日本人は多神教だからこの提案もできるし、また国民も実行できます。たまには日本の首相も、世界平和のために国連で多神教の寛容性についての演説をしてみたらどうですか。私に言わせれば、一神教の人間は、多神教の人間より頭が高い。多神教の人間の言うことよく耳を傾けろといいたい。

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4 comments »

勇馬眞次郎 より:
2016年8月28日 8:36 AM
大切なKAMIをお忘れです。山の神。古来、日本民族の半分はこの神の尻に敷かれてきました。
これは冗談ですが、鈴木孝夫氏は日本語を普及させることで世界平和がもたらされると説いています。世界で孤立した日本文明が世界を救う切り札になる、日本語を学ぶことで日本人のように柔らかく謙虚な人柄になることをフランス語で「タタミゼ」効果と呼ぶそうです。昔、米国自動車産業の本拠地で日本のモノ作りのノウハウを自動車メーカー幹部と話したことがあります。その結果でしょうか?GMやクライスラーが立ち直りました。これも半分冗談ですが、日本語を学ぶ中国人は殆どが謙虚になります。習近平も金正雲もISも日本語学習によって温和になるでしょう。世界平和実現への奇策です。

勇馬眞次郎 より:
2016年8月28日 2:27 PM
弊ブログで貴ブログ(えんだんじのブログ)をリンクさせて頂いても宜しいでしょうか?

えんだんじ より:
2016年8月29日 2:10 PM
勇馬眞次郎さん

同感です。英語の重要性もわかりますが、どうして日本国民全体が日本語を世界中流行らせようと考えないのでしょうか。頭にくるくらい、日本人は主体性がないのだ。本当に情けなくなります。

えんだんじ より:
2016年8月29日 2:13 PM
勇馬眞次郎さん
どうぞリンクしてください。

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