このブログの転載、拡散をよろしくお願いいたします。
田母神俊雄氏と水島聡氏と大喧嘩だ。水島氏は私のことをほとんど知らないでしょうが、私とは関係が深い。私が自分勝手に私の師と呼ばせてもらっている西尾幹二氏と水島氏とは懇意の間柄だ。西尾先生はなんどもチャンネル桜に出演して水島氏と対談しています。その映像を西尾先生のブログでいままでに何回も見ています。また水島氏は西尾先生が主催する「坦々塾」でも講演しています。講演後の懇親会ではたまたま私は水島氏の隣席になり世間話をしました。水島氏と田母神氏が二人で度々デモを主宰し、私はそのデモに参加し、印象深い想い出があります。それはフジテレビデモの時です。フジテレビの本社ビルに掲げている日章旗が実にぼろくさい、見るからにみすぼらしいものだった。二人は本社前のデモ参加者の前で演説し、フジテレビの日章旗が実にきたならしく、一部ぼろきれのように切れている。本日真新し日章旗をもってきたから差し上げるから取りに来て、いま掛かっている汚い日章旗と取り換えてくれと演説した。フジテレビは取にこようとしないので水島、田母神両氏がフジテレビに乗り込んだ。取り換えを拒否されたとデモ参加者に伝えたところ、汚い日章旗が掲げられているそばにいた一部のデモ参加者がその汚い日章旗を引きずりおろし、真新しい日章旗を掲げてしまった。それを見たデモ隊全員が大歓声をあげての大拍手が出た。こういう光景に出あったデモは初めてなので今でも印象にのこっている。このように私は水島氏とは過去なにかと縁がある。
ところが田母神氏となるとほとんど縁がない。大分昔になると田母神氏が私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくれたことがある。その本の印象を田母神氏の元部下に語ってくれたのでしょう。その部下のかたが大作を読み、その読後感を私に送ってくれたことがあるのです。もしいますぐ私と田母神氏と会って、私は「大東亜戦争は。アメリカが悪い」の作者ですと言えば、田母神氏は思いだしてくれるでしょう。それくらい田母神氏と私とでは縁が薄いのです。その田母神氏が水島氏に告発され、東京地検に逮捕されたというのです。あれほど二人仲良く行動していたのに一体どうしたのでしょう。おそらく保守の方々全員そう思っているのではないでしょうか。田母神氏も水島氏も「つくる会」の支援者です。「つくる会」の会員の中には、不当にも東京地検に長期拘留されている田母神氏を支援するために「田母神俊雄を支援する会」を立ち上げたから参加してくれというメイルが入ってきました。私としては、いままでの水島氏との関係から、また水島氏は西尾先生初め有名な保守知識人たちにもよく知られた人です。何もせずただ黙って見ていれば、自然と水島氏支援のかたちになり、多分私にとっては良いことなのでしょう。しかし私自身、田母神氏がなぜ逮捕されたのかよくわからないのです。そこで私自身で調べあげ、その結果を自分のブログに発表しようと決めたのです。
話しの都合上大分前にさかのぼります。私の記憶が正ければ平成19年のある日、ある保守の団体から私宛にメイルが入りました。石川県の中小企業経営者、諸橋茂一氏が以前から村山富市元首相を裁判で訴えていたが、今度は河野洋平を裁判に訴えた。こんど東京地裁で裁判が開かれるから、諸橋氏応援のため裁判を傍聴してくれとの依頼だった。私は悪名高い、「村山談話」と「従軍慰安婦事件」の大元、村山や河野を裁判に訴えるとはたいしたものだ、称賛に値する男だと思い。喜んで裁判傍聴に参加した。この時私は初めて諸橋茂一氏にお会いした。同時に現在は高齢で鎌倉に隠居されている伊藤玲子先生に初めてお会いした。当時先生は日教組から天敵のように嫌われていると紹介された。最終的には諸橋氏は、裁判の目的は達することはできなかったが、私は確か合計三度裁判を傍聴したと思います。私と諸橋氏とのつきあいはこの時から始まっています。今では諸橋氏は「つくる会」の理事であり私は「つくる会」の会員です。現在では私は自分のブログを更新するときは、必ず諸橋氏に送っています。また諸橋氏は、毎月自社の社内報を私に送ってくれます。毎年「つくる会」の総会のとき、二人は出席しお互い挨拶をかわしています。
田母神氏は、石川県にある小松基地の司令官でもあったので諸橋氏との付き合い18年になるということです。その田母神氏が水島社長などに誘われて平成26年2月に都知事選に立候補しました。選対本部長に水島氏がなりました。そのとき諸橋氏は、社業は社長の息子に任せ、自分は東京のホテルに泊まり込み田母神氏を一身に支えました。その時私は、選挙の陣中見舞に田母神氏の選挙事務所に伺うことができなかった。私がごく軽い症状とはいえ脳梗塞になり入院し10日間点滴を受けていたからです。この選挙立候補時に諸橋氏が田母神氏のそばにいてくれたことが、田母神氏にとって不幸中の幸いでした。諸橋氏が最近本を出版しました。本のタイトルは、「日本が世界の植民地を解放した」です。高木書房から平成26年6月26日に1600円で発売されています。本のタイトルは都知事選と何も関係ないが、最後の方に「追記その1からその5」まで書いてあります。その1が「田母神俊雄元空幕長 不当逮捕の真実」です。実に詳細に且つ簡略に書かれています。しかしこの本はあまり読まれていないでしょう。保守の人たちは、田母神/水島事件をどう対処するかといえば、チャンネル桜を見るかネット情報を見ることでしょう。水島氏はチャンネル桜という自前のテレビ局を持っていますから、自らチャンネル桜で自分の主張、自分の弁護もできます。それがそのままユーチューブに流れますから、情報戦では圧倒的に水島氏が有利です。さらに第三者による水島援護があります。例えば、若手気鋭の経済評論家、三橋貴明氏です。今年4月15日の三橋氏のブログは、水島氏支持一辺倒です。三橋氏も「つくる会」を支援してくれていますから、あまり悪口いえないのですが、田母神氏をぼろくそです。チャンネル桜を応援した方が営業上得するからです。三橋氏も諸橋氏の本を読めば多少とも意見を変えるかもしれません。
事件が起きたのは、水島氏(都知事選当時の最高責任者、同選対本部長)が田母神氏を告発し(平成27年12月25日)、その結果平成28年4月14日、彼が東京地検に逮捕されたことです。其の逮捕理由は、平成26年度東京都知事選終了後、田母神俊雄氏が事務局長をしていた島本順光(のぶてる)氏と共謀して、「共同正犯」として、選挙時の複数の運動員の人たちに、お礼としてお金を配った容疑です。問題の八端は大概お金ですが、今回もお金です。田母神氏は都知事選用に献金を求めましたが、集まった金額1億2千万円ほど、選挙に使ったお金が6千万円ほど、結局残金として6千万円ほど残りました。この6千万円の使い道が問題になったわけです。ここからは、この問題に詳細について書いていくわけですが、色々な問題を書いていくと理解しにくくなる文章になるので、これからは箇条書きにしていきます。
一。島本順光(のぶてる)氏への疑問
都知事選の会計責任者。元航空自衛官、二等空佐で退官、自衛隊出身の岡村秀昭参議院議員の政策秘書を長くやり、その後一貫して政治家の秘書ですが、すべて小沢一郎系の議員です。彼は「元航空自衛官が20年国会議員秘書をやってみた。」(ワニブックplus新書)という本を出版しています。従って選挙のベテランのはずです。今回の選挙応援してくれるボランティアの人たちに選挙資金の剰余金を配るということが選挙違反になることがわかっていたはずです。わからなかったふりをしていたのでしょうか。選挙とは全く関係ありませんが、彼は韓国語がべらべらです。よくカラオケで韓国の歌を韓国語で歌っていたそうです。
二。水島氏への疑問
1.水島氏は、田母神氏を告発したとき、水島氏を含めて28人いたと言っています。全員の名前は、知りませんが、一人だけ知っている人がいます。軍事評論家の鍛冶俊樹氏で、彼は都知事選では広報部長をやっていた人です。告発者28人は選挙資金不正使用問題で不満を感じていた人もいるでしょう。しかし全員島本氏からお金をもらっていません。ということは、全員金銭的被害は何も受けてないのです。すなわち実害はなにもないのです。それなのにいきなり東京地検に告発というのは過激的ではないでしょう。二人の間で穏やかな和解方法があってもいいのではないでしょうか。
2.平成28年3月23日、田母神氏が釈明記者会見をした。この時水島氏が選挙で残った残金(6千万円)は「頑張れ日本行動委員会」の口座に移してくれと言ったと田母神氏が発言したが、水島氏はチャンネル桜の「頑張れ日本・・・」の口座の中にではなく、『・・・都民の会』の口座を作ったらどうかと言っただけです。」と釈明した。これに対し諸橋氏はこう書いています。
「君は、これまで、田母神俊雄氏の名声と信用を散々利用した挙句、田母神氏が君の言いなりにならなくなった事を「逆恨み」して、正に、「異常なくらい」に田母神氏に対する誹謗中傷を続けてきました。これまで、さも「憂国の士」気取りをしてきた君は、延べ13時間30分(平成28年3月23日現在)にも亘って、真の「憂国の士」である田母神俊雄氏を誹謗中傷してきた事を恥かしいと思わないのですか?」(「日本が世界の植民地を解放した」304頁)
3.「「南京の真実」三部作をつくると、水島氏が言って三億数千万円を集めた。そして、5,6千万円かけて第一部作だけを作った。残りの3億円はどうしたのですか?」と私(諸橋)が発言した事に対して)
「(南京の真実)第一部作を作るのに、5-6千万であの映画が作れるか!2億3千万かかった。こういうデマを平気で飛ばす。諸橋はありもしないことを言った。諸橋は、私(水島)を誹謗中傷したとんでもない人物」(本文307頁)。
私(筆者)には、映画「南京の真実」に思い出がある。この映画が私の住む横浜市青葉区の区民ホールで上映された。その日水島氏が会場に来られるというので、私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を水島氏に人をとうしてさしあげていたので、今度は彼に直接差し上げようと思い「逆境に生きた日本人」を差し上げた。私もこの映画を見て以後、南京に関する情報、例えば、献金はどのくらいあり、どのくらい使ったとか、第二部、第三部は何時ごろ制作されるのか、或は中止になったのか、中止になったその理由は何かなど、何も知らされなかった。水島氏は田母神氏の選挙資金剰余金の使い方に文句があるなら、自分の映画製作に献金をどのように使ったのか明細を私たちに示すべきではないでしょうか。
三。東京地検への疑問
「えんだんじのブログ」の常連読者なら、今年私は田中角栄の小説を書くと書いたのを覚えている方がいるでしょう。男は一人前になれば自分の家庭を持つ、ところが田中角栄は、三つの家庭を持っていのだ。そこで角栄の私生活を中心に小説を書いてみょうと思ったのだ。そこで角栄関係の本を読み漁っています。その中で一番仰天したのはロッキード事件の真相を扱った本です。今から40年前の事件です。裁判は公正に行われるなどとはとんでもないまやかしです。ロッキード事件当時の三木総理、稲葉法相、最高裁、検察庁、マスコミすべてアメリカの思惑通りに進んでいき、田中角栄は冤罪になった。最近では「郵便不正事件」で村木厚子氏の冤罪事件があります。彼女は「私は負けない『郵政不正事件』はこうして作られた」(中央公論新社)と言う本を書いています。私は田母神氏にこの本を読むことをお進めします。村木厚子氏がいかにして冤罪に嵌められ、454日間も検事たちと戦い抜いた実体験を書いています。私は、田母神逮捕の背景には何か得体の知れない、しかも非常に政治臭いところあると睨んでいます。
1.諸橋氏は、田母神氏逮捕後、水島氏に対する告訴状を何回も東京地検に出しています。こんなことはチャンネル桜ではふられません。諸橋氏が自分の本に書いているからわかるのです。
一回目の告訴状:
諸橋氏は水島氏に回答期限は28年4月8日として配達証明付き郵便・「通告書」を送った。水島氏から何も解答がありません。そこで諸橋氏は4月21日に東京地検に出向き、水島氏に対する告訴状を担当のH検事に提出した。しかしH検事はその告訴状を諸橋しに返却した。
二回目の告訴状:
諸橋氏は、自社の顧問弁護士と相談の上「水島氏に対する告訴状」の内容を修正して4月29日東京地検に「上申書」と一緒に書留速達で送付した。(自社の顧問弁護士の話では、東京地検は、告訴された事件は基本的に、受理しなくてはならないことになっているとのことです。)ところがその4月29日付けの「水島氏にたいする告訴状」と「上申書」も内容不十分として返却されてきた。
三回目の告訴状:
その後の5月14日付けで提出した「告訴状」と「上申書」も内容不十分として返却されてきた。
四回目の告訴状:
諸橋氏は、再再度、自社の顧問弁護士と相談の上平成28年5月18日付けで改めて、東京地検に「水島に対する告訴状」と「上申書」その3、並びにその4を提出した。その内容は次の通りです。(略、本文312頁)
その内容は実にくわしい報告書になっていて、東京地検そのものに歯に衣を着せず、徹底して論理的に厳しい批判をあびせています。この「告訴状」や「上申書」が東京地検によって受理されたのかどうか今のところ私にはわかりません。しかし水島氏は逮捕されていませんので受理されていないのでしょう。ネットによれば9月9日現在、田母神氏は、釈放されず拘留されたままです。
2.田母神氏の話によれば、田母神氏が、東京地検から取り調べを受けた初日に、取り調べを受けた検事から、「田母神さんクラスの人物を取り調べる時には、東京地検の独断ではできません。上の方の了承を得てやっています。」と言う趣旨の事を言われたそうです。私は東京地検に聞きたい。田中角栄の「ロッキード事件」は「国策操作」だが村木厚子の「郵政不正事件」は「検事の計画操作」です。田母神事件はどっちなのですか。
3.「共同正犯」は成り立たない
田母神氏が逮捕された理由は、都知事選時事務局長をしていた島本順光と共謀して、「共同正犯」として複数の運動員の人たちにお礼としてお金を配った容疑です。いわゆる公職選挙法違反です。諸橋氏(つくる会、理事)も岡野俊昭氏(つくる会、副会長)は、島本氏よりお金を受け取ってくれと電話があった。二人とも受け取りを断りました。お金のために選挙運動をやったわけではないからです。二人も田母神氏に島本からお金を受け取ってくれと電話があったことを話した。田母神氏は、ただ「あぁ、そうですか。」と言っただけです。田母神氏は、島本が二人にお金を受け取ってくれと話したことも知らなかった、また田母神氏は、二人に「そう言わずにお金受け取ってくれとも」話さなかったのです。これで「共同正犯」に成り立ちますか。都知事選が終わって2年以上経過してから「公職選挙法違反」で立件した事例が過去にあるのでしょうか?
四。「田母神新党」(ワニブックスPLUS新書)
田母神氏が書いたこの本は、都知事選とは全く関係ありません。この本が出版されたのは、都知事選後7カ月経った平成26年9月です。私はこの本を読んでみた。どういう政見構想の基に新党を樹立するのか気になったからです。新党名は日本真正保守党。「綱領」のバックボーンは、アメリカからの完全独立、しかしアメリカとシナとも仲良くやる。憲法改正より自主憲法制定、自衛隊を強化し国防軍創設、核武装配備、武器輸出・非核三原則の見直し、外国人に参政権を与えない、移民を最小限に抑える等々。私は全面的に賛成。しかし最初の項目、アメリカからの完全独立、自主憲法制定、国防軍創設、核武装配備などは現在の自民党政府の議員でも公然と主張する政治家が極端にすくない。アメリカ政府に激しく嫌われることを知っているからです。この本では水島氏をほめているので、この時点では二人はまだ喧嘩していなかった。しかしこの本が出版された同じ年の8月28日に水島氏はこの本をぼろくそにけなした。しかもけなしても政策をけなしたのではなく、「なぜ今頃こんな本を出版するのか、一人で出版せず相談すべき人もいたでしょう。チャンネル桜も水島もこの本とは一切に関係がない。」と宣言したのです。私は、ユーチューブでその光景を見たのです。その瞬間私は、次のようなことを想像した。
「あぁ、水島氏は、保守の間でよく言われる『アメリカのポチ』なんだな。いわゆる対米追随主義者。戦後70年間自民党政権は、アメリカ追随主義者だった。唯いつの例外が田中角栄だが、そのためキッシンジャーに殺されたのも同然だった。諸橋氏に「南京の真実のパート2,3、はどうなったと問い詰められると」、水島氏は感情的な反論しかできず、論理的に答えることはできなかった。もう水島氏は、二度と「南京の真実」を作らないでしょう。アメリカ側からもう作るなと命令されているのだ。東京裁判史観をあくまでも主張続けようとするアメリカは、「南京の真実」パート2,3が大ヒットするようなことがあると困るのだ。」
田母神氏のような政治思想と持った政治家が国民の大人気をうけて国会議員になることは、アメリカにとって大脅威なのだ。国会議員にならないうちにその芽を摘んでしまえと日米合作の逮捕事件とにらんでいます。皆さん、私の想像は大変馬鹿げているでしょうか?
結局田母神氏は、「日本真正保守党」を設立できず、衆議院選には次世代の党から立候補、落選した。
私は「田母神俊雄氏を支援する会」に入会します、皆さんも会に入会して支援してください。お願いいたします。宛先は、田母神俊雄氏を支援する会、会長 渡辺眞(つくる会 前理事)
携帯:090-1113-2061
アドレス: nabeshin4216@gmail.com
このブログの転載、拡散よろしくお願いいたします。
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14 comments »
等々力孝一 より:
2016年9月9日 5:55 PM
私、「田母神俊雄氏を支援する会」に入会していますが、難聴が重くなり、裁判の傍聴もまゝならない状態です。(私の分まで、といったら勝手かも知れませんが、)鈴木さんの御活躍に期待します。
水島さんは、メディアの社長(オーナー?)をしながら、自らそのメディアで言論活動をすることに、そもそも無理があると思います。南京事件の映画にしても、寄付金の募集・企画と、映画の監督制作は分離すべきだったのだと、今にして思います。
今回の件で、「保守派」内の同志的連帯が欠けているのは残念なことです。
田母神さんにとっては試練のとき、いずれ再決起のときが来るでしょう。
小堺みか より:
2016年9月10日 11:07 AM
諸橋さんは何の容疑で水島氏を告発されているのでしょうか?
買収への関与?
虚偽告訴?
映画の資金関係?
お分かりでしたら、お教えください。
池田俊二 より:
2016年9月10日 2:02 PM
えんだんじさん、私もこの喧嘩には多大の関心を抱き、あれこれ想像をめぐらしてをりましたが、貴重な情報に基づく、見事な分析を御披露下さり、なるほどと首肯させられ、多くを教はりました。
私は
①水島さんの田母神さん攻撃があまりに居丈高で、えげつないことから、これは本人に疚しいところがある、裏返しの証左ではないか。
②花田紀凱司会の「右向け右」といふ番組に田母神・水島両氏が出演して、論争することになつてゐ
た(田母神さん収監の前)のに、水島さんが出てこなかつた時、「逃げた」と感じ、やはり疚しいところが・・・と思ひました。
単なる臆測でしたが、さう見当違ひでもなかつたことを、貴論により知りました。貴台の情報収集力と推理力に敬意を表します。また、色々と教へて下さい。
等々力さんのお名前は久しぶりです。坦々塾新年会で総理大臣の70年談話を「政治文書なのだから、深く問題にすることはない」と、と等々力さんがおつしやつた時、「いかにも等々力さんらしい。”政治”といふ言葉の意味を御存じないのだらう」と想像しました。「我らの父や祖父が至るところで強姦した。我が軍の侵略・蛮行に堪へがたい苦痛を受けた諸国民は寛大にも、これを許し、和解に力を盡してくれた。我が国の今日あるのはひとへに諸国民のお情けのせゐである」といふ、祖国を誹り、先人を貶める総理談話を問題にしなくてもいい!? 狂人の寝言としか思へませんでしたが、
等々力さんが左翼出身であることを思ひ出しました。左翼では ”政治”といふ語をかういふ風に使ふのでせうね。
「『保守派』内の同志的連帯がかけている」? そんなものが存在したことがあるのですか。嘗てつくる会の八木事件の際、畏友伊藤悠可さんは日録に「最近、保守が殖えたやうな気がしてゐたが、水増しであつたことが分つた。これが普通だらう。以前は全然ゐなかつた」。福田恒存は孤立無援でやつてゐました。その後、「保守」の看板を掲げても商売になるやうになり、どつと偽物が流れ込んできました。今から15年前、西尾先生と私の対談本が出た時、出版社は宣伝文句に「真正保守」といふ字を入れました。私は感慨を催しました。一昔前なら、真正だらうが、元祖だらうが、苟も本を売らうとする側が、「保守」などといふ言葉を使ふことは絶対にありませんでした。それは「極悪」と
同義でしたから。
孤立してこそ、ほんものの保守がたまに現れるのではないでせうか。
えんだんじ より:
2016年9月10日 2:04 PM
等々力さん
難聴が進んでいるようで心配です。何も具体的な治療方法を話すこともできず、心配するばかりで申し訳ありません。お大事にしか言えず、すいません。
えんだんじ より:
2016年9月10日 2:09 PM
小堺みかさん
名誉棄損罪で告訴しています。
等々力孝一 より:
2016年9月11日 1:55 PM
池田さんの悪たれにおつきあいするつもりはありませんが、「同志的連帯の欠如云々」については、やゝ舌足らずで誤解されることもあるかと感じ、補足します。
言わずもがな、とは思うが、私は、田母神陣営が水島氏と争う際に「同志的連帯」に配慮せよ、などといっているのではない。反対です。しかし、水島氏が田母神氏を告発したことは、一般的な同志的連帯の欠如の枠を逸脱した、利敵行為・政治的裏切りともいうべきものと考えています。
保守派の連帯意識の欠如を強く感じたのは、田母神氏にあれだけ政治的に期待しながら、活動のカナメとなる政治資金管理者に、腹心となるべき担当者をつけることができなかった、という保守派の政治的・組織的弱さのことです。その弱点を理解し、克服しなければ、今後、新党派の立ち上げも難しいと思うからです。
えんだんじさん
難聴のことは、私の活動不足の言い訳のようなもので、余計な心配をおかけして申し訳ありません。
私の身内には老年に難聴になったものが多く、とうとう私もその仲間入りをしたのか、といったところです。何らかの克服努力は必要と思いますが、自分の運命と覚悟しておりますので、なにとぞ情け無用と割り切って下さい。
えんだんじ より:
2016年9月12日 8:39 AM
勇馬眞二郎さん
「大作」という言葉の使い方、その通りだと思います。わざわざ教えて頂きありがとうございました。
等々力孝一 より:
2016年9月12日 10:16 AM
勇馬眞次郎様
あなたのお名前は、西尾日録でお目にしておりますが、悪いけれどそのコメントは読んでおりません。
(私のの見解は)「単にその文言の深刻な欠陥とその背後にある安倍氏の基本思想の理解不足」とは恐れ入りましたね。坦々塾当日の私の話を聞いた上でのご見解ですか? そうでなければ、先のコメントで述べた通り、池田さんの悪たれにおつきあいする気はありませんので、私の「安倍総理の思想に対する理解云々」といった言及は(少なくともえんだんじブログのコメントでは)ご遠慮願いたい。坦々塾当日の私の見解に対する批判ならば、別の形で承ります。
勇馬眞次郎 より:
2016年9月12日 4:30 PM
等々力様
コメントを有難うございました。拙文を無視なさらず、「結論だけでなく議論の中身を知ってから批判せよ」という教えを賜ったと解しました。御尤もです。しかしながら坦々塾当日の等々力様の話の全貌がどうであれ池田様の紹介した等々力様の「政治文書なのだから、深く問題にすることはない」という御発言の結論は動かないでしょう。であれば矢張り、「祖国を誹り、先人を貶める総理談話」を問題にしなくてもいい、肯定する、果ては当時保守系の有力論客の「百点満点だ」という評価には反対せざるを得ません。私見の詳細は、http://eumajapan.blog.fc2.com/blog-entry-70.htmlなどをご覧いただければ幸いですが、この談話は日本が現在国際社会のなかで深刻な苦戦を強いられている熾烈な歴史戦のなかでどれほど味方を「政治的」にも不利にしたか計り知れません。安倍氏を保守の星として期待した多くの憂国者たちを裏切るものでした。西尾先生の主張する通り、正面突破こそ現実的にも勝算の高い政治的高等戦術と確信します。
等々力様も池田様も一面識のない方々ですが、その主張と意見はその言葉で明確です。そして、安倍総理の70年談話をどう見るか、この田母神氏訴追収監をどう判断するかが真正保守と非真正保守を区別する基準になると思う立場を採りますが、それでも同じ保守愛国として連帯することは可能と思います。恐らく等々力様も70年談話には全面的に賛同するのではなく「政治文書」としてはという限定付きでお認めになった、占領下制定憲法打破を主張されており歴史認識の基本は同じと推測します。
池田様の言葉で「狂人の寝言」は聊か言い過ぎの嫌いはありますが、一応理由を付していますので、「悪たれ」と決め付けるのも言い過ぎではないでしょうか。ネット上でこのように言い募ることであたら味方同志が敵対するのは無益と考えます。
池田俊二 より:
2016年9月12日 11:54 PM
勇馬さんへ
いま、雑事で、てんてこ舞ひしてゐますので、一二の疑問だけ書かせていただきます。今月末にはヒマになりますので、もし御意向に沿ふなら、そしてしかるべき場所を御指定いただけるなら、もう少しだけまとまつたことを申せると思ひます(ここでやることは、等々力さんの仰せのごとく、えんだんじさんに御迷惑でせう)。
「たとへ水増しであつても勢力が拡大し」--それでなにができるのでせうか。日本が変へられるのでせうか。私はさうは思ひません。「保守愛国の本物」なら期待できます。しかし水増し保守の大半はインチキだといふのが私の考へです。ワッショイワッショイならやれますが、「大同団結」など出来る筈がありません。
インチキの話ではありませんが、安倍談話を「さして問題にする必要なし」とする等々力さん(その場面が日録に収録されてゐるのを御覧になつたでせう)と私が一緒になつて、なにができるのでせうか。かういふ筋道を立てて考へる能力を欠いた人がうじゃうじゃゐるのが保守の現状でせう。
「『保守』が『極悪』ではなくなつて出版の看板にできるやうになつたこと自体、戦後日本社会の進歩ではないでせうか」--さう、ほんたうにお考へですか。私は全く違ひます。福田恆存は昭和55年にかう書いてゐます。
〔今は〕左翼的な「進歩的文化人」の言論の方が村八分にされかねない世の中になつた。 そして私は二十数年前と同様、厭な世の中だなと憮然としてゐる。(言論の虚しさ)
福田は永年敵とした連中の凋落を進歩ともザマー見ろとも言ひませんでした。私の思ひも同じです。風向きが変つたのを進歩と見るべきでせうか。前は悪い風向きで、それがいい風向きに
なつたのだから?とすれば、理論的に間違ひであるとは論証できません。ただ一つだけ思ひ出して下さい。保守を村八分にした連中と、進歩的文化人を村八分にする者たちと全く同じ表情、同じしやべり方、同じ身振りだとお気づきになりませんか。甚だしき場合、同一人が両方をやつてゐるのを見て、あれ、あいつこの間までは・・・と驚かれたことはなですか。そして、またなにかのはづみで、風向きが逆になるのではとお考へになつたことはないのですか。私は貴台のやうに楽観はできません。
(すみませんが、今週は多分、この欄を開く余裕はないと存じます)
(追伸)私は若い頃から転向なるものに興味を抱き、戦前の佐野学、鍋山貞親以下かなりの人たちについて研究といふほどではありませんが、調べたことがあります。
西尾先生と一晩、転向論をやつたことがあります。論壇で活躍してゐた七人が対象だつたと思ひます。先生はたしか、四人の転向を認めたと記憶します。私は六人を完全否定、一人だけは
よくしらないといふ理由で保留しました。しかく、西尾先生の方が遥かに寛容です。先日なくなつた永六輔がテレビに出ると、私はチャンネルを変へました。彼が六〇年安保騒動の際、ワッショイに加はつたことを、執念深く覚えてゐたからです。村上元三といふ時代劇作家が
ゐましたが、私は大好きでした。「安保(改定)に反対しなければ人間でないといふことはなからう。だから僕は反対しない」といふ彼のせりふを覚えてゐる、ただ、それだけのことです。かくのごとく、私は極めて狭量です。
等々力孝一 より:
2016年9月13日 12:32 PM
勇馬眞次郎様
いずれ、別の形であなたとじっくり意見交換の機会を持てれば幸いです。それはきっとできるように感じます。
私は、最初から「田母神vs水島」の対立を他人事の喧嘩とは見ていないものです。さりとて何もできずにいたところ、「つくる会」のメールで渡辺眞さんの呼びかけがあり、直ちにに応じたのです。そして畏敬するえんだんじさんも入会されると知り、喜んでコメント投稿した次第です。
池田さんとは、互いに悪たれを言い合い議論する間柄です。むしろ、悪たれのない池田さんに魅力は感じません。池田さんのコメントの後半部分は、「悪たれ」の体裁であっても(悪たれだからこそ?)有意義な内容だと思います。
前半部分、私に対する非難は、池田さんの立場として了解しますが、どこまで行っても私とは平行線で一致することはあり得ません。しかし、それで良い、それでなお友人である、と私は考えております。
このたびの池田さんの発言の仕方は、私にとって迷惑かつ遺憾なものありますが、勇馬さんとの意見交換の機会が生まれるしたら、それもまたよしとすべきかも知れません。
勇馬眞次郎 より:
2016年9月13日 1:07 PM
池田様
ご多用のところコメントを有難うございました。以下お手すきのときに。私も今ほかの事に専念し始めましたので今後来年7月まで十分時間をとれない可能性がありますが一度お目にかかり教えを乞いたいと思っています。
なにやら以前交わしたテルケルのブリュッセル氏との議論の蒸し返しになってきましたが、政治思想(理論)と政治運動(実践)の二つの立場の違いから議論が噛み合わなくなっています。理論家は当然理論の「筋道を立てて考へる能力」に長けた方々ですのでその一貫性や精緻さを追及しますから「狭量」が寧ろ正しいのですが、実践家は当然現実、現場の有効性を重んじ、理論の整合には臨機に妥協し清濁併せ呑みます。私はいずれの資格もありませんが一人の投票権者として現実的に考えますので後者に近くなります。
一介の退職サラリーマンで長く日本を離れていましたので日本の言論界や論壇の風向きは殆ど無知で近年池田様やネットの情報に依拠する程度、且ついずれの政治組織にも属していませんが、日本の現状を変えたい、いつまでも負け犬の振舞ひしか出来ない腐った腑拔けの國を当たり前の國としたいという志を保守の皆様と共有しています。政治の素人ですが、庶民の常識として、日本を変えるのは政治力であり、政治を決めるのは数を頼む勢力であることを知っています。
別の保守系ブログのやり取りで、「我國に於いて言論は所詮虚しいと、福田恆存・松原正兩先生も嘆息」と教えられましたので、松原正の「文學と政治主義(政治主義の成れの果て)」の触りを読んでみました。森鴎外の「津下四郎左衞門」が引用され、横井小楠の首を取つた津下四郎左衞門の倅の話が続き、「東京裁判史觀からの脱卻だのと、高々政治が解決し得る、或は解決すべき問題ばかりを論ひ、「徳義」の一事はこれを等閑に附して怪しまない。」と述べておられます。
私も言論の虚しさを思いますが、東京裁判史觀からの脱卻は政治が解決しなければならず、政治は有権者の意識を変えることでしか変えられず、「ネット言論による我が國民の啓蒙」が有効、というのが持論ですが、上記二つの立場を結びつけるのがその趣旨です。くどくなりますが繰り返させてください。
西尾インターネット日録やこのブログなど今やあちこちに上質のブログが立ちあがりフェイスブック、ツイッターなどのSNSで連帯することが可能な時代ですので、これらが広く拡散すれば強ち「所詮虚しい言論」ではなくなってくるのではないでしょうか。前回の都知事選で田母神氏は60万票を獲得し、今回の小池氏当選もネットが後押しした模様です。本格的な啓蒙は民間では出来ませんが、情報や知識をネット社会が即座に共有することが出来る環境が整った今、例えば、フーバーの対ルーズベルト批判(太平洋戦争は米国が仕組んだ)やマッカーサーの議会証言(Their purpose in going to war was largely dictated by security.)だけでも広く日本国民に知り渡れば(或は、えんだんじ氏のご著書の普及)、外務省の負け犬自虐外交の非が明確になり政府の対米、対中政策も変わらざるを得なくなります。フェースブックを見る限り、一般庶民の中には尖閣に何故日本政府が公務員を派遣し灯台や船溜まりを作らないのか、領海侵犯船を拿捕しないのか、という批判が増えていますが、多数は(これほど明確な)中国の侵略実態、北朝鮮核弾頭ミサイルの深刻な脅威を(報道規制のためでしょうか)いまだに知りません。彼らが「知り」さえすれば世論が変わるのではないでしょうか。識字率の高い日本人大衆が無知から解放されれば蒙昧でなくなり、世論が変われば民主主義の国柄では政策も「腑抜け」ではいられなくなります。真珠湾攻撃隊総指揮官だった淵田美津雄は戦後、「無知が無理解と憎悪を生み戦争を引き起こした」と述べました。国民の知識と理解が進めば政府の「負け犬」の振舞が許されなくなると思います。
ただ以上の議論は一平民の知り得る知識、情報が正しいことが前提であり、幕末明治に生きた横井のような当局者の掴んでいた情報を知らない草莽が、あるいは「蒙昧なる多數が、攘夷を叫んで排外主義に安直に醉拂つてゐる時に、尊皇開國の本音を言ふのは下策である」と、現下の外務省や政府当局者が考えている可能性はあります。しかし幕末とちがい今日の情報社会では一般庶民が接する情報は大筋では当局者のそれと左程違わないのではないでしょうか。
保守愛国の本物だけでなく、たとへ付和雷同であっても、自主憲法や軍備強化、反革命、愛国にワッショイワッショイと賛成する者であれば、純粋理論からはインチキとみえる者でも、政治勢力として一つにまとまることができ、日本が変へられると思います。否、そうしなければ何時までも、いくら真正保守の理論が高踏・純粋・一貫しても、孤高を保っていては、日本は変わらないと以前申し上げました。政治勢力の結集や大同団結は何時の時代でもこの程度のものだったのではないでしょうか。日本の一有権者として安倍総理批判、「日本の心」支持の立場を採りますが、日本の心の候補者が当選の可能性なきときは是々非々で自民党に止むなく投票します。三島由紀夫の「反革命宣言(昭和43年)」を読み返しましたが100%賛同します。主敵は左翼革命勢力であることに平成の今も変わらないどころかその脅威は強まっています。
保守』が『極悪』ではなくなつて出版の看板にできるやうになつたおかげで私などの素人の多くが一般書店で西尾先生の貴重な論文を読むことが出来るようになりました。偽モノも混じっているでしょうが、保守系雑誌が無かった時代に比べれば進歩ではないでせうか。
蛇足ですが、永六輔だけでなく瀬戸内晴美、加藤周一、山田洋次、朝日新聞などに学生時代は有難がって接しましたが今では鼻持ちならないと思っています。私も転向組なのかもしれません。村上元三、子母澤寛、永井荷風、中勘助はいまでも時折随筆をひもときます。
勇馬眞次郎 より:
2016年9月13日 6:23 PM
等々力様
意見交換の機会を作って頂ければ光栄に存じます。今月から他事に専念し始めましたので当分十分時間をとれない可能性がありますがお目にかかり教えを乞いたいと思います。また池田様とのご関係を知らず見当外れな意見を述べたことを御詫びします。
池田俊二 より:
2016年9月14日 6:38 PM
等々力 様
悪たれこそ小生の本領とお認めいただき恐縮致しました。平行線と承知してゐながら、ついむきになるーー毎度のことで、これまたお見通しでせう。今後とも御厚誼のほど願ひ上げます。
勇馬 様
「二つの立場の違ひから議論がかみ合はなくなつてゐます」との仰せに完全に同感です。
「本物だけでなく、たとへ付和雷同であつても・・・」との御意見にも賛成です。と申すよりも、大いに我が意を得ました。それは、自分では十分心得てゐるつもりなのに、ここでの私の
コメントでは忘れてしまつてゐますね。お言葉にハッとした次第です。
つい数日前、坦々塾有志で、柏崎原発を見学しましたが、その感想の一部をここに引用させて
いただきます。「付和雷同」組に意を用ゐる必要を言ひ、さらに60年当時を少し回顧しました。いま、時間がないので、両方に触れたものとして寄稿します。
以前から考へてゐたことーー①我が國にとつて必須不可缺の大事なもので、全力をもつて推進しなければならない。②それを妨碍するのが正義と心得て、ふやけた顏でワッショイワッショイを繰り返す連中(泉田知事も含む)をどう扱ふかにもつと意を用ゐるべきだーーが基本的には間違つてゐなかつたと確信しました。
60年安保騷動の時から、ワッショイワッショイを見つづけ、その生態研究がライフワークのつもりできましたが、未だ分らないことがあります。ひとつ明かなのは、低能といへども、ことの成否を決めうるほどの力を持つ場合があることです。ですから、彼らを嗤つて無視することはよくありません。
しかし、彼らに理を説いても、效き目のないことが多いのではないでせうか。60年騷動當時、それまで友であつた者たちが、ワッショイに加はるといふので、「新しく條約を結ぶのではないよ。今まであつた條約を改定するのだよ、だから、新舊の條約を較べないと、贊否は決められないではないか。舊には、期限がなかつた。つまり日本が止めたいと思つても、アメさんがうんと言はない限り、永久に續くのだ。新の方には、一應10年ーーそれが長過ぎるといふ議論はあるにせよーーといふ期限がついてゐる。安保はいらないといふ立場からしても、一歩前進ではないか」などと言つても、てんで通じませんでした。條約を讀んだことのある者など、ゐませんでした。彼らには時の風向きがすべてなのですね。全員が同じ表情・同じ反應でした。
私には先が讀めず、こんな連中が永遠にのさばるのかと鬱々としてゐました。福田恆存が「やがて雲散霧消する烏合の衆」と呼んだ時もすぐには信じられませんでした。しかし福田先生の預言はピタリで、新安保が成立すると忽ち、騷ぎは收り、デモに明け暮れた學生たちも、なにもなかつたやうな顔をして、世の中に出て行きました。のちに、私が交つた郵政省の高官たちもほとんどがその類ひでした。彼らと附合ふ際、昔日のワッショイをからかふのは面白いことでしたが、①なぜあれに加はつたか②それが現在にどうつながるのか、について納得のいく話はつひに聞けませんでした。彼等自身にもよく分つてゐないやうでした。
原子力發電も、正統な啓蒙活動の他に、烏合の衆が雪崩を打つて寄つてくるやうな策を工夫することが必要なのではないでせうか。數は力なのですから。
松原正先生とは懐しいお名前です。福田恆存の一番弟子を以て自任せられ、西尾幹二先生を目の敵にされてゐましたね。
西尾先生もそのことを承知してをられ、何度か話題にされたことがあります。今から10年ばかり前、現代文化会議が松原先生の講演会を催し、私は招待されました。事前に西尾先生に申し上げ、松原先生のことを改めてお訊きしました。
講演の内容は忘れましたが、一か所「西尾幹二は中西輝政、--、--(3人の名が出ましたが、あとの二人は忘れました)などをやつつけてゐる。そりゃ、理論的には西尾の方が正しいよ。しかし、あんな連中をやつつけてなんになる!」といふ部分ははつきりと覚えゐます。懇親会の席で、私が「先生は日本におけるファシズムとおつしゃいましたが、そんなものはなかつたのではないでせうか」とお訊ねしたら、しばらく考へたあと、「なかつたね」とあつさり認めて下さつたことも記憶してゐます。以前に軽い脳梗塞とかを患はれたとかで、そのせゐか、言葉がやや滑らかでない感じでしたが、愛嬌のある先生でした。
翌日西尾先生に電話で詳細に報告したところ、「なんだ、まだそんなに(西尾先生のことを)気にしてゐるのか」とおつしやいました。松原先生が論壇で干され、「月曜評論」くらゐしか執筆の場がなくなつた事情は存じません。
支離滅裂なことを並べて申し訳ありません。
えんだんじ様
私が貴論から逸脱したために御迷惑をおかけしました。謹んでお詫びします。