私の新著、「逆境に生きた日本人」(展転社)が今年3月に出版されて以来ちょうど半年経ちました。保守の人たちの読後感は、二つに分かれます。絶賛派とため息派、あるいは無視派と言ってもいいかもしれません。ため息派あるいは無視派とはどういう意味なのか説明する前に、まだ読んでいない方のためにこの本の要約をします。
この本は日本人の資質を探った本です。なぜ日本人の資質を探ったかというと、私は、大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を著した。最初からこの本のタイトルが決まっていたわけではありません。私が猛勉強して得た結果が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」でした。その結果をそのまま本のタイトルにしただけです。イデオロギーにとらわれず、偏見なく勉強すれば、自虐史観など生まれるわけがないし、また戦後50年以上自虐史観が跋扈するはずがないのです。
それがどうしていまだに自虐史観が主流を占めているのか、私にはまったく考えられない現象なのです。そこでなにか日本の民族性に問題があるのではないかと考え、日本民族の資質をさぐろうとしたのです。どういうふうに日本人の資質をさぐったかというと主に下記の三つの歴史的事件に対して日本人がどういう行動をとったかを調べたのです。
1. 戦後マッカーサーによる6年8ヶ月にわたる日本統治
2. 戦争中の日系米人の強制収容
3. ソ連による日本兵及び民間人60万人以上を強制労働収容所への強制収容
人間は危機に陥った時、その人間の本性が現れると言われます。この三つの歴史的事件は、外国人が日本人の生殺与奪の権を完全に握ってしまった。日本人は外国人のまな板の鯉になり、殺されようが、なにをされようが、外国人のなすがままの状態になってしまいました。その時日本人が取った行動は、まさに変節、裏切り、卑屈なまでの迎合等など、みるも無残な日本人の醜態でした。日本人の資質を探って得た結論は、「自虐史観とは日本民族の資質が生んだ歴史観である」
私は、この本のタイトルを「変節と裏切りの遺伝子・日本人」にしようとしましたが、出版社が大反対したのです。理由は、あまりネガティブな日本人を表すタイトルの本は売れない、本の内容がネガティブなのに、タイトルまでネガティブでは絶対売れない。しかし私は反対でした。「逆境に生きた日本人」ではありきたりのタイトルで売れない、私は無名だ、だから、ちょっとどきっとするタイトルの方が読者の目を引くと主張しました。
結局私は無名、出版社の言うことを聞かざるを得ませんでした。しかし保守論壇の第一人者である西尾幹二氏に出版前に読んでいただく機会を得、その上絶賛する推薦文をいただくことができたのは、非常に幸運でした。
この本の絶賛者には私のような年配者に多いい、ある元大学教授からは「保守のタブーへの挑戦本」と指摘してくれました。しかし日本人であることに非常に誇り持っている、特に若い読者(50代以下)、また日本人はすべておいて素晴らしい民族であると誇る国粋主義者、あるいは国粋主義者に近い人たちは、この本を読んで恐らく「うーん」と唸ってしまったのではないかと想像しています。これが最初に言った「ため息派」。そのうちに見たくない日本人の醜態の数々を見てしまった。否定したいけれど史実ですから著者には文句は言えない。なんとなく暗い気分になって無視したい気になってしまう。すなわち「ため息派」から「無視派」の成り行き的な移動です。
私は、日本人の醜態を無視したい保守派の読者に言いたいのです。現状の日本を見て下さい。現在私たち日本人は、外国人に生殺与奪の権を握られていません。言論、出版の自由はある、行動の自由もある。豊かな生活も享受しています。国民は自由に好き勝手な事ができるのです。そして一時失ってしまった日本人としての誇りを取り戻すには必要な時間も充分ありました。ところが現在は自虐史観が昂じて、うそを史実としてでっちあげ、めったやたらと祖国日本を足げにするのが大流行です。「従軍慰安婦」事件も沖縄の集団自決など好例でしょう。最近では、これは歴史上の問題ではありませんが、ネット上で悪評を呼んだ、毎日新聞英文版の変態セックス記事、例をあげた方がわかりやすいでしょう。
○日本人の母親は息子が勉強に集中できるようにフェラチオをする。
○女子高生は皆ノーパンノーブラ
○六本木の某レストランでは料理する前にその材料となる動物と獣姦する。
○日本で強姦犯罪発生率が低いのは、日本人女性がよろこんで強姦をうけいれるから。
まるで日本人は変態セックスが常識で毎日のように行われているような記事をオーストラリア人に5何年間も書き続けさせていたのです。わざわざ日本を貶める記事をこれでもか、これでもか書きまくっていたのです。さすがにあまりにも非常識と非難の声があがりました。毎日新聞はその記事は廃止しましたが、その担当部署の責任者は昇進させました。
明白な史実もなければ根拠もないのに、祖国を足げにするのは、マスコミだけではありません。政治家個人も日本政府も同じことをしているのです。「従軍慰安婦」あれは嘘です。(詳細は拙著『原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本』参照)それにもかかわらず政府は、外国人が「私が慰安婦でした」と名乗りあげれば、検証することもなく一人二百万単位のお金だしているのです。
沖縄の軍命令による集団自決、これもうそです。しかし日本政府は、その嘘を認めているのです。どこの国の政府もそうですが、政府の重要な仕事には、国民の安全、国民の生活の向上、教育水準の向上などいろいろなものがありますが、しかし同時に国の名誉や誇りを守るのも政府の重要な仕事ではないでしょうか。
アメリカを見よ。アメリカ政府は、原爆投下正当化発言の繰り返しです。アメリカの正当化、あれはうそです。(詳細は拙著『原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本』参照)
アメリカ政府、議会、マスコミ、退役軍人会、国民こぞって、アメリカ国内にある正当化発言を否定するどんな史料をも認めようとせず、無視するのです。元大統領、アイゼハワーの発言さえ無視してしまいます。祖国アメリカの名誉や誇りを守るためにうそをついているのです。もしアメリカ政府が正当化しなかったら、アメリカは、ユダヤ人虐殺をしたドイツ人と同じことをしたことになり、大東亜戦争の勝利国面ができなくなるからです。
ドイツを見よ。ドイツ政府は、ユダヤ人虐殺は、ヒトラーを初めとするナチスがやったことでドイツ国民とは関係がない。しかし同じドイツ国民がやったことなので、ドイツ政府は被害者全員に補償金を払っています。しかしこれはまさに詭弁です。ヒトラーはクーデターや革命を起こして政権を握ったのではありません。選挙で選ばれて政権を握ったのです。だからドイツ国民全体に責任があるのです。しかしドイツの名誉と誇りをまもるためにあくまでも責任をヒトラーとナチスの責任で押し通しているのです。そのかわり被害者全員への個人補償ですから膨大な費用がかかっても払い続けています。
ひるがえって日本を見よ。自民党政府は、国の名誉と誇りを守ったことあったでしょうか。なにを持って侵略戦争というのか、国際的定義がありません。いまだかって日本以外の国で侵略戦争を行ったなど公言し、謝罪した国などないのです。それにもかかわらず、日本政府は、大東亜戦争は侵略戦争だった公言し、謝罪をした。一体これまでに何度謝罪したのでしょうか。卑屈なまで謝罪を繰り返しています。先にふれた「従軍慰安婦」事件、沖縄の軍命令による強制集団自決などすべてうそ。その嘘をマスコミが煽り、日本政府が追随する。また野党も日本を貶すことはあっても、日本の名誉や誇りを守ることに関して全く無頓着。そして多くの国民も一緒になって日本をこれでもか、これでもかと足げにすることに夢中になっているのです。
「逆境に生きた日本人」でみせた日本人の醜態は、決して過去だけの話でなく、現在でも日本人は醜態をさらけだしているのです。「逆境に生きた日本人」が見せた醜態は、まだ情状酌量の余地があります。なぜなら彼らは、外国人に生殺与奪の権を外国人に握られているため、生き抜くためにしかたなかったと考えられる面があるからです。ある元小学校校長先生が私に言ってくれました。「日本人は負け方を知らなかった。対外戦争初の大敗北ゆえ日本人は醜態をさらけだしてしまった」
私もその意見に賛成です。
しかし現在の日本人はちがいます。前にも触れましたように、言論、出版の自由を堪能し、国民は豊かでなんでも自由にできる行動ができるのです。それにも関わらず、自己主張を貫けず、史実的に不名誉なことなにもしていないのに祖国を足げにすることに夢中になっているのです。「逆境に生きた日本人」の醜態と現代日本人が見せ付けている醜態とどちらがたちが悪いか容易に理解できようというものです。
戦争中は愛する祖国を救うために死を覚悟して特攻隊に志願し、帰りの燃料を持たずに敵艦隊に突っ込んで敵に畏怖の念を与えた日本人が、現在では理由にならない理由で祖国を貶め、足げにしているのです。愛国心も他国民がまねのできない猛烈な愛国心を示したかと思うと、事情が変ればその愛国心が一夜にしてふっとび、他国民が信じられないほど祖国をも平然と足げにするのが日本人。状況次第でどうにでも変れるつかまえどころがないのが日本人なのではないでしょうか。それが長所にもなるのです。明治維新成功の要因の一つは、日本人の一夜にしてどうにでも変われる変わり身の早さです。
私は「逆境に生きた日本人」の内容のような本がいままでに出なかったのが不思議に思っていました。元大学教授が言ってくれた「保守のタブーへの挑戦」が的を射ているのかもしれません。私は定年サラリーマン、現在無名な著述家、社会的地位もなければ社会的名誉もありません、それだけに私が調べて得た日本民族の醜態を堂々と本にすることができたのかなと今では思っています。
保守の方でまだこの本を読んでいない方、ぜひ読んで率直な意見を聞かせてほしいと思います。