最近、保守言論界の二人の巨匠の対談を興味深く読ませていただきました。本のタイトルは、『渡部昇一「対話」西尾幹二 日本及び日本人の課題』。二人の八つ章の対談はよく理解できました。私がこのブログで述べたいのは、渡部昇一氏が、この本の帯にも書いてあるように、言論界の巨匠と呼べるかどうかです。私の主張は、渡部氏は言論界の巨匠とは呼べないと思っています。何故か。彼は権力者に往々にして媚びるからです。このえんだんじのブログでも何回か渡部氏を書いて批判しています。初めて彼を取り上げて書いたのが平成23年(2011)11月19日、「渡部昇一先生への苦言」です。その全文を引用させてもらいます。
引用開始
「私は渡部先生の本、特に日本の近現代史関係の本では随分勉強させてもらいました。定年後私が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」という大作を出版できたのも先生を初め多くの方々の本のお陰でもあります。これまで私とは縁もゆかりもない鎌倉在住の読者で一高東大出の定年サラリーマンの方が、この本は絶対に英文化しなければいけないと言って、本人のライフワークのように英文翻訳に励んでくれました。彼のお陰で来年中には間違いなく英文出版ができるようになりました。しかし時間もかかりましたが、お金がかかりましたし、出版するにはまたお金がかかります。現在日本に194カ国が大使館、公使館を置いています。英文出版できたら、アメリカのルース駐日大使を筆頭に全大使、公使に郵送するつもりです。読んでもらえず、ゴミ箱行き覚悟で送りつけるつもりです。資金的余裕があれば先進国の有名図書館にも送りつけるつもりでいます。このようなことを計画している私には、渡部先生の行動に理解できない点があるのです。先生は、イギリスのオックスフォード大学に留学した英語学者、上智大学名誉教授、またドイツのミュンスター大学にも留学して1958年には同大学哲学博士、1994年には同大学名誉哲学博士になっています。要するに英語だけでなくドイツ語も強いのです。先生には日本近現代史ばかりでなく歴史その他の著書も非常に沢山出版していますし、また翻訳本の数も多い。その中には「英語論文の書き方ハンドブック」などというタイトルの翻訳本もあります。ところが私の知る限りでは先生には、日本の主張を得意の英語やあるいはドイツ語を駆使して海外向け文筆活動など一切ないのです。
松原久子氏(1935年生)は、ドイツのゲッティゲン大卒、評論家、15冊のドイツ語の本を書いています。ドイツペンクラブの会員。1989年にドイツ語の原題を日本語に訳すと「宇宙船日本」というタイトルの本をドイツ語で書き、ドイツのミュンヘンで出版した。大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人の誇りを根底から覆す本でした。この本が日本語に翻訳され「驕れる白人と闘うための日本近代史」というタイトルで2005年に文芸春秋社より出版された。私はその日本語訳を読んだのですが、実に小気味良い本だ。わずか230数頁の本だが、松永久子氏という日本女性の心意気がすごいではないですか。渡部先生、先生も日本の主張を沢山本に書いているではないですか。一冊ぐらい英語の本を書いてくださいよ。松原久子氏には、一つの逸話がある。彼女がドイツの全国テレビで毎週五カ国の代表が出演して行われる討論番組にレギュラーとして出演していた時です。その時のテーマは、「過去の克服―日本とドイツ」で相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は、捕虜虐待を、米国代表は、生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。彼女は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中に存在しないと反論し、英国代表には、彼らによる日本人捕虜虐待、米国代表には百以上の日本の都市無差別爆撃を指摘した。番組終了後彼女がテレビ局からケルン駅に出てハンブルグ行きの電車を待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてその女性は彼女の前に立ち「我々のテレビで我々の悪口言う者はこれだ。日本へ帰れ」というなり彼女の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」と言う。彼女は現在アメリカに住んでいます。日本ではあまり有名ではないが、実に頼もしい女性ではないですか。
ドイツ文学者の西尾幹二氏は、1982年外務省主催で西ドイツの8都市をドイツ語で講演活動をしたことがあります。講演では、ドイツ人やヨーロッパ人を批判し、講演内容は西尾幹二氏特有の歯に衣を着せず挑発的ですらあった。外務省の役人はびっくりしたのではないだろうか。「西尾幹二の思想と行動(2)日本人の自画像」(扶桑社)。渡部先生には松原氏は西尾氏のような気概はない。第一ドイツ人を批判していたら、すなわち長くドイツに滞在しても松原氏のように日本の主張のためにドイツを激しく批判していたら、先生は、はたしてミュンスター大学で名誉哲学博士の称号などさずけられたであろうか。
2007年6月14日、日本の政治家や有識者数十人が「慰安婦強制連行の証拠がない」という長文の意見広告をワシントンポストに掲載した。有識者の中には、西尾幹二氏、櫻井よしこ氏、屋山太郎氏の名前が載っているが、渡部先生の名前はどういうわけか掲載されていません。私には、先生は一銭も得にならないことは絶対にしないという処世術をもちあわせているような気がしてなりません。
私たち一般庶民は、語学に達者な人は、日本のために役立ってくれるのではないかとつい考えがちなりますが、私の経験から言ってもそんな単純なものではありません。語学に達者な人は往々にして外国人、特に白人に媚びるのです。白人の何に媚びるかというと彼らの戦争史観(太平洋戦争史観)に媚びていわゆる自虐史観を主張するのです。この地球上に欧米人や日本人が存在しているかぎり戦争史観の争いは永遠に続きます。日本人が忘れても彼らは太平洋戦争史観を続けてくるのです。現在青森県の六ヶ所村では、日本がこっそり核兵器を開発するのではないかと欧米人が見張りをしているのです。太平洋戦争史観が続いている証拠の一つです。だから私たちは、絶対に大東亜戦争史観を主張し続けなければなりません。ところが外国語に達者な日本人は、往々にして欧米人に媚びるのだ。その方が海外では評判いいからです。それで大成功した代表的人物が、雅子妃殿下の父親、元外務官僚の小和田恒氏です。彼の自虐史観、「日本ハンディキャップ論」は有名です。皇太子妃殿下の父親の自虐史観論は、欧米人にとって非常に利用価値があります。そのお陰で現在彼は、国際司法裁判所所長です。
一方渡部先生は、日本の保守言論界の重鎮の一人としての名声を博していますから、海外で自虐史観を主張するなど絶対にないが、だからといって自分の大東亜戦争史観を海外に披露することも絶対にしない。私の知っているかぎり先生はそんなことはしない。その点に非常に物足りなさを感じるのは私だけではないでしょう。そんなことをしても先生の一銭の得にもならないと考えているのかもしれません。「従軍慰安婦」の意見広告にも参加しなかったのもそのためでしょう。
その渡部先生が、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になっています。一般庶民がバックの「つくる会」よりフジ産経グループがバックの育鵬社についた方が得するからです。私は渡部先生が育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になったからといって人それぞれの選択だから非難するつもりは毛頭ありませでした。しかし教科書採択戦が終わってみれば、育鵬社の歴史教科書の内容が、「つくる会」が2005年に扶桑社を使って中学生用の歴史教科書を作成し、文科省の検定に合格した「新しい歴史教科書」と酷似しているところが沢山あることがわかった。酷似とは、国語辞書を引けば「区別がつかないくらいよく似ていること」とあります。学校で使われる歴史教科書が、他の会社の教科書と酷似しているなんていうことがあっていいのでしょうか。そのことを最初に気付いたのは、「つくる会」で公民教科書作成に参加した小山常美先生です。ぜひ小山先生おブログを参照してみてください。
小山先生のブログ: 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書。
その他に、「つくる会」広島県の会員である主婦の方が、扶桑社と育鵬社の両教科書の比較だけでなく他の教科書を交えての比較をすると扶桑社と育鵬社の酷似性がさらに目立つと、暇を見つけてはその比較を行っています。ここではその二つの例をあげておきます。
A 聖武天皇について
1.扶桑社(つくる会)
奈良時代の律令国家の聖武天皇と大仏建立
聖武天皇は、国ごとに国分寺と尼寺を置き、日本のすみずみに仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、大仏の建立を命じた。(45頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
天平文化の、奈良の都に咲く仏教文化
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教を行きわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、金銅の巨大な仏像(大仏)をつくりました。(45頁)
3.帝国書院(17年検定)
中国にならった国づくりの、大仏造営
聖武天皇の時代、全国で伝染病が流行し、飢饉が起こりました。世の中の不安が増すと、古くからの神にかわって、仏教を信仰する人々が増えました。聖武天皇とその后は、仏教の力で国を守り、不安を取り除こうと考え、行基らの協力で都に大仏を本尊とする東大寺をたて、地方は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせました。(37頁)
4.清水書院(23年検定)
平城京の建設と仏教、仏教の役割
奈良時代のなかごろ、仏教を深く信仰していた聖武天皇と光明皇后は、仏の力で国家を守ろうとして、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、都には総国分寺として東大寺を建てた。(37頁)
B 尊皇攘夷運動について
1.扶桑社(つくる会)
単元「46尊王攘夷運動の展開」の、尊王攘夷運動
幕府が通商条約に調印したことに対し、朝廷の意向を無視し外国に屈服したものであるとの批判がわき上がった。それは、朝廷を盛り立てる尊王と、外国を打ち払うべしとする攘夷の要求が結びついた、尊皇攘夷運動に発展していった。(138頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
幕府が外国との条約を結んだことに対し、朝廷の意向に逆らって外国に屈服したものであるとの批判がわきおこりました。やがてこうした批判は、天皇を敬い朝廷をもり立てようとする尊王思想と、外国を打ち払おうとする攘夷論が結びついた尊王攘夷運動へと発展していきました。(146頁)
3.帝国書院(平成17年検定)
ペリー来航から開国への、尊皇攘夷の考え
開国と前後して、幕府の弱い外交姿勢に反対する大名や武士、公家の間には、天皇を尊ぶ尊王論と、外国人を追い払うという攘夷論が出てきました。本来別々の考え方が結びついて、尊王攘夷の運動となり、下級武士や有力な農民にも支持された。(143頁)
さらに酷似例を知りたい方は、彼女のブログを参照してください。
ブログ名: セレブな奥様は今日もつらつら考える。
渡部先生は、育鵬社が出版した歴史教科書が、「つくる会」が2005年に扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」と酷似しているところがたくさんあることを知っているのでしょうか。かりに知らなかったとしても、「知らなかった」ですまされる問題ではありませんよ。育鵬社が出版した歴史教科書には、監修者は、渡部先生の他に5人おります。伊藤隆(東大名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、田中英道(東北大名誉教授)、岡崎久彦(元駐在タイ大使)、八木秀次(高崎経済大教授)の諸氏です。保守言論界でも著名な方々ばかりです。その中でもネイムバリュウーといい存在感は、渡部先生が抜群です。「つくる会」が扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」の内容の80パーセント以上は、「つくる会」の著作権だと言われているのです。いいですか、渡部先生、「つくる会」から出版される教科書は、日本全国に散らばる愛国心に燃え、憂国心をいだく一般庶民の浄財で出版されているのです。教科書を執筆する先生たちは無給です。そこには私利私欲名誉欲が入り込む隙間すらないのです。本来なら保守論壇全体が一つになって「つくる会」を支援してあたりまえなのです。それがなぜできないか。渡部先生みたいにいい年をしてすでに功成り名遂げた人、あるいは少しばかり著名になった知識人が私利私欲に走るからです。私利私欲に走っても自分達の力で立派な歴史教科書を作成してくれれば話はべつです。ところがどうですか、育鵬社、歴史教科書の監修者6人(渡部、伊藤、渡辺、岡崎、田中、八木の諸氏)は自分たち自らの手で歴史教科書を作らず、「つくる会」が扶桑社で出版した「新しい歴史教科書」を真似て作成したのだ。渡部先生他5人は、例え著作権侵害にあたらないと法的に判断されたとしても、「つくる会」が作った教科書をまねて作成した教科書というレッテル終始はりつくことになるでしょう。要するにたとえ法的に許されても道徳的に許されないことをしているのです。彼ら6人は、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を白昼堂々とやっているのだ。著名人だから許されるのでしょうか?バックにフジ産経グループがついているから許されるのでしょうか。「恥を知れ!」と言いたい。私の彼らに対する怒りは尋常ではありません。彼らは、自分たちが作った教科書が「つくる会」の「新しい歴史教科書」にあまりにも似ているので、うしろめたさも多少あったのでしょう。そこで「つくる会」との違いを鮮明にさせようとして漢字にルビをつけることをしたのだ。すなわち韓国の歴史上人物や地名、支那の歴史上人物や地名などに朝鮮語、あるいは支那語のルビをつけたことです。例えば、「蒋介石」という人物がいます。「蒋介石」という漢字の上に「しょうかいせき」というルビをふり、漢字の下に「チャンチェシー」とルビをつけたことです。
最近まで私は、育鵬社から中学生用の歴史教科書が出版されることを歓迎していました。保守系の歴史教科書がもう一つの選択肢として登場することは良いことだと考えたからです。ところがどうですか、その教科書の実態は?渡部先生、あなたがたは自分の手で作った教科書と主張できるのですか。扶桑社の歴史教科書との多くの酷似性は、単なる偶然ですか。私は、今度の教科書採択戦でつくづく分かったことがあります。それは日本全国に散らばる「つくる会」の会員たちは、心から日本の教育の実情を憂い、少しでも日本を良くしたいと思い、自らお金を出し、行動する。そこには私利私欲名誉欲とは完全に無縁です。ところ多くの著名な知識人の行動はどうですか。フジ産経グループという資本力をバックにした会社が、歴史教科書を出版すると言ったら、彼らは私利私欲名誉欲をむき出しにして育鵬社詣でをしているようなものだ。教科書製作に直接関わらない著名知識人でさえ、教科書も読みもしないうちから育鵬社支持者も出る始末です。「つくる会」の自由社より「育鵬社」支持した方が自分自身の得になると考えるからです。私は読者に言いたい。育鵬社の教科書問題では、著名保守知識人の人間性を見極める最良の機会であるということです。
最後に渡部先生にお願いがあります。渡部先生、「つくる会」の教科書の真似事をするよう国内向けの仕事は、ほどほどにして、先生は英語学者なのだから、得意の英語を駆使して、先生の大東亜戦争史観を英語の論文、あるいは英語での投稿、あるいは講演、あるいは英文の本でも出版して世界に向けて日本の主張していただけませんか。私には、先生で思いだすことがあります。まだチャンネル桜が有料放送であった時代、先生はテレビ上で現在の日本人で今一番欠けているのは、「日本人としての気概だ」と言っていました。先生、先生こそ「日本人の気概」を示してください。死ぬ前に一度でいいから先生の大東亜戦争史観を英語で世界に向けて吠えていただけませんでしょうか。」
引用終了
このブログの5年後の平成28年(2016)1月16日「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(1)」、同じ年の1月30日には「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(2)」、翌月2月21日には「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(3)」と三回書いています。三回分を全文引用すると長くなりますので要点を列挙します。
1. ここで言う保守知識人とは、育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などに群がる知識人。日本教育再生機構のメンバーを見ますと、石井浩一郎、小田村四郎、伊藤哲夫、田中英道、中西輝政、屋山太郎、渡部昇一、三浦朱門。石井昌浩、新田均、渡辺利夫、高橋史郎,等々、大物メンバーばかりです。
2. 平成23年7月2日、名古屋で行われた歴史、公民教科書討論会で、育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏は、今回育鵬社から初めて出版する歴史教科書には、「南京事件は、確かにありました。日本軍によって中国軍人、民間人に多数の死傷者が出ました。これは事実です。ただ犠牲者の数などの実態については様々な見解があり。今でも論争が続いている。これが育鵬社の南京事件についての記述です。」と公言した。この石井氏の同じ発言は東京でも公開されたが、これに反する反発は、私の記憶では保守言論界からは何もなかった。但し、育鵬社の歴史教科書を支持し、その市販本に自分の写真を載せている櫻井よしこ氏は、平成19年に文芸春秋社から『日本よ、「歴史力」を磨け』を出版し、その二章「南京大虐殺」の嘘、で南京大虐殺の研究者、北村稔氏と「南京大虐殺」は嘘と対談しています。
3. 平成17年、八木秀次氏が「つくる会」会長のとき、「つくる会」の執行部には極秘で中国を訪れ、「中国社会科学院日本研究所」を訪問し歴史問題を話し合っている。八木氏の帰国後、彼らは日本にやってきてまた話し合っている。この時、私の憶測では「南京虐殺」問題を話し合ったのではないかと考えています。
4. 平成27年、中国が「南京虐殺事件」をユネスコに登録、同じ年の11月28日、東京で「南京虐殺の歴史捏造を正す国民会議」を開いた。あの「南京虐殺事件」は、「あった」と書いている育鵬社の歴史教科書の監修者、渡部昇一氏が議長に選ばれ挨拶しているのだ。彼はまさに偽善者と呼んでよいのではないか?
5. 日本会議常任理事、伊藤哲夫氏は、保守系月刊誌「明日への選択」を出版している。私はその購読者の一人です。育鵬社が歴史教科書、公民教科書出版ビジネスに参入発表したとたん、育鵬社支持者になり、その宣伝記事がよく出るようになった。これに反し「つくる会」の記事が一切でなかった。私は頭にきて購読者をやめた。
6. この伊藤哲夫氏、中西輝政氏、西岡力氏、島田洋一氏、八木秀次氏の五人は、安倍氏のフアイブ ブレーンと呼ばれていた。現在でも呼ばれているのかどうかわかりません。
平成28年(2016)の1月に「保守知識人は、大バカ者の集まりか。」(1)、(2)、(3)を公開後の8カ月後の9月24日に、私はブログで「戦争を知らない国民のため日中歴史認識」を公開しています。安倍政権下、平成22年(2010)1月に「日中歴史共同研究」第一期報告書」が発表された。この報告書に基づいて日本の左翼学者、都留文科大学教授、1999年より南京大学虐殺研究センター客員教授、笠原十九司が書いた本です。本のタイトルは長たらしく、正式には「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」(日中歴史共同研究<近現代史>を読む)。勉誠出版が、平成22年(2010)12月31日に出版。
何故私がこの本を読んだのかと言えば、大作だから「南京大虐殺」事件を否定する日本側研究者の論文に対する反論が書かれていると思ったからです。ところが実際何も書かれていなかった。
いいですか、読者の皆さん、日本国内には亜細亜大学教授の東中野修道氏を初め、田中正明、鈴木明、冨沢繁信、阿羅健一、北村稔諸氏など南京事件研究者として有名です。ところが、文科省が日中歴史共同研究のために選んだ代表者、北岡伸一氏およびその他の8学者、日本歴史学会、日教組等など、その他私が主張する大バカ者の集まりである保守知識人の団体、すなわち育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などは、上記の南京事件学者の論文など歯牙にもかけず、一切無視なのだ。このため日本政府、日本歴史学会、朝日新聞含む多くの左翼メディア、左翼学者、また育鵬社、日本教育再生機構、日本会議等の保守陣営などが認めた「日中共同研究」を日本保守言論界一致して反論もできなかった。
ところが、平成27年(2012)月刊誌「WiLL」5月では、以下の四氏、西尾幹二(つくる会、初代会長)、福地惇(つくる会、副会長)、福井雄三(東京国際大学教授)、柏原竜一(情報史研究家)が『虐殺を認めた「日中共同研究」徹底批判』のタイトルのもとに17頁にわたって徹底的な対談批判を行っています。育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などはこんな記事はかけません。「つくる会」がいかに正常な歴史教科書を出版しているかの証明です。「つくる会」が分裂して育鵬社が誕生した時、育鵬社側が歴史教科書出版前の段階で「南京虐殺事件はあった」と公言したにもかかわらず、「つくる会」の会員でないが、多くの支援者達が育鵬社側に参加していきました。なぜだと思いますか。現在保守活動を続けている人たちの多くは定年退職者です。一般的に言って日本の定年退職者は個性がない。すなわち自分自身はどう考えているのかという、すなわち自分自身の確たる考えがない。ところが育鵬社が誕生すると、日本教育再生機構、日本会議、教科書改善の会には有名知識人がぞろぞろいる。そのため多くの保守の人たちが育鵬社支持者になったのだ。その結果日中両国で始めていた日中歴史共同研究では、「日本側は虐殺死の被害者数はわからないが、南京虐殺事件はあった」と無意識のうちに認めたのだ。これはあくまでも日本政府最大の失敗作、でも日本の全保守勢力が一体となって、「南京虐殺事件はなかった」、「数々の南京虐殺否定者の論文の学術的価値を多数決をもとに一切無視してもよいのか」と声をあげれば、多少とも風向きが変わったかもしれないのだ。私は何を言いたいのかといえば、現在60歳以上の定年退職者の数は非常に多いい。人生百年を迎え、これから定年退職者数は益々増える。それだけ選挙投票数が多くなる。定年退職者が知識人の意見に左右されず、日本国家のために何が良いのかを自分自身で判断するようになれば、昔のように民度の高い日本民族にもどれるのだ。そうすれば「南京虐殺事件は、中国人の犠牲者数は、わからないが虐殺事件は日本が起こした」などとは絶対に言いません。我々定年退職者は、現在の若者と違って民度の高い民族なのだ。昔貧乏でも、食料不足でも児童虐待や虐待死はなかったし、子供の自殺者などが出なかった、また「ずる休み」はあったけど、「不登校」などと言う言葉もなかった昔の健全な社会を日本に引き戻しましょう。定年退職者よ、これからももっと頑張りましょう。