(この記事の拡散を御願い申し上げます)
読者の皆様、明けましておめでとうございます。年頭のブログ記事として、私の尊敬する女性、伊藤玲子先生を紹介させていただきます。現在保守の政治家で伊藤先生の名前を知らない人はいないでしょう。もし保守の政治家で伊藤先生を知らない人がいたら、その政治家は、教育問題など全く眼中にない政治家と言って間違いない。また保守の政治家ばかりでなく、私のように「新しい歴史教科書をつくる会」の会員だったたり、時々デモにも参加したりして多少なりとも教育問題や政治問題に関心を示す人たちの間でも伊藤先生の名前はよく知られています。私は伊藤先生の名前ばかりでなく、女性としての生き様をもっともっと全国の老若男女に知ってほしいとの思いで筆をとりました。
先生は、現在84歳、18歳の時に結婚して以来62歳の時まで、今で言う完全な専業主婦、全く世間には知られていなかった女性でした。その先生が62歳の時に鎌倉市会議員に立候補し当選、以来4期連続当選、16年間市会議員の仕事を全うし78歳で引退。引退後も反日教組と政治活動でまさしく東奔西走しています。先生が市会議員に初当選した62歳のときから現在まで22年間の活躍を一言で表せば反日教組活動です。日教組は先生を天敵のごとく嫌っています。その22年間の活動の一端を紹介しましょう。
先生が62歳で市会議員に立候補した当時の鎌倉市は、革新市長の時代。先生はこの革新市長の杜撰な市政と孫から得られる日頃の日教組の教育方針に怒りを感じて市民運動に参加していました。だからと言って一介の専業主婦が市会議員に立候補しようなどとは夢にも考えていませんでした。平成元年1月8日に昭和天皇が崩御され、2月24日に「大喪の礼」が行われことが決まった。その時、湘南教組(日教組支部)は「ご家庭への皆様へ」をと題する通知を生徒の各家庭に配布した。先生はこの通知を小学校6年になる孫を通じて知った。その内容を見て先生は驚愕すると同時に怒りがこみあげ、そのことが先生をして市会議員に立候補するきっかけの一つになったのだ。その「ご家庭への皆様へ」の通知の全文を披露します。
ご家庭への皆様へ
昨年9月以降の自粛騒ぎ、そして天皇逝去と過剰なマスコミ報道、「大喪の礼」と弔意の強制。主権在民を忘れたかようなこの間の一連の動きに不安をおぼえた私たちは、分会で職場で、真剣に話し合いをすすめてきました。その結論の一つとして、ご家庭の皆様にも、私たちの考えるところを知ってもらおうということになりました。
憲法を守り、教育基本法を守り、民主教育を守る立場から、私たちは、弔旗掲揚、黙とうの強要は、さらに日の丸、君が代の強制は、国の行政権力の教育に対する不当な介入・支配と考え、これに断固反対しています。
先日、機会を見計らったかのように発表された学習指導要領改定案では、日の丸・君が代の指導が強制されています。現行では「望ましい」とされているものが、「指導すること」と強化され、指導しない場合には、処分もありうるとしています。まさに強制です。(日の丸・君が代は、法的には、国旗でも、国歌でもない。)
今回の改訂案でねらっているような、日の丸・君が代を強制し、国家に忠誠を誓わせようとするような忠君愛国的な教育は、民主主義的な教育とはあいいれず、教育現場から排除すべきと考えます。
このように考える私たちは、「大喪の礼」を国事行為として強行し、国民すべてに弔意を強制するような「大喪の礼」の休日化には、賛成することはできません。そこで私たちは、24日も平常通り出勤することにしました。もちろん、弔旗掲揚・黙とうの強要にも断固反対します。
以上のところをご家庭の皆様にもご一考いただければと願い、ここにお知らせした次第です。
1989年2月20日 湘南教組 鎌倉市立第二小学校分会
この通知の結果どうなったか。伊藤先生や市民が鎌倉市教育委員会に電話したところ鎌倉市教委は、大喪の礼の日は休みと公言、なんと大喪の日の前日に、鎌倉市教委は鎌倉市教育委員会の名の下に保護者各位あてに、次の「お知らせ」を配布した。
「『昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律』の制定にともない、2月24日(金)は休日となりますのでお知らせします」
皆さん、この日教組のやり方、考え方に怒りを感じませんか。この年の四月、先生はご主人の賛同と協力を受けて鎌倉市会議員に立候補し当選。以来引退するまで16年間日教組と戦いと市政改革に取り組んだ。特に日教組との戦いは、まさに四面楚歌、孤軍奮闘であった。何度も何度も学校現場に足を運び教育の実態を調査、学校現場の日教組支配に異議をとなえ教育正常化に取り組んだ。そのうちに先生の日教組との奮闘ぶりは、全国の心ある教師にも知られるようになった。そのお陰でこれまで主に鎌倉市近辺の市民だけの日教組の実態を告発する資料でしたが、全国各地から日教組の驚くべき悪行、破廉恥を暴露する資料が集まりだした。これらの資料を整理し、先生は平成6年から10年間、歴代内閣の各文部大臣に「日教組支配を断ち切らなければ日本の教育はよくならない」と学校現場の実態の資料を提出して訴えた。まさに各文部大臣への直訴と言っていい。しかしこの直訴は、すべて無視された。先生は自分が接触した各文部大臣の名前はローマ字のイニシャルだけしか公表しませんが、私が平成6年の村山内閣から歴代内閣文部大臣の名前をはっきり暴露します。
村山内閣: 与謝野馨、島村宣伸
橋本内閣: 奥田幹生、小杉隆、町村信孝
小渕内閣: 有馬朗人、中曽根弘文
森内閣: 大島理森
小泉内閣: 遠山敦子、河村建夫
上記各文部大臣は、すべて先生の直訴を無視した。平成12年の小渕内閣の時には、「教育改革国民会議」が編成され、そのメンバー26名の委員に、学校現場の実態と日教組問題に取り組んで欲しいとの要望書を提出したが、これも全く無視されてしまった。各文部大臣直訴以来10年目の平成16年9月第二次小泉内閣の改造内閣人事で中山成彬氏が文部大臣に任命された。この時も先生は、また無視されるだろうとの思いながらも中山大臣を訪問し、学校現場の実態の資料を提出した。それから4日後中山大臣から「もっと情報がほしいから大臣室に来てくれ」との電話があったのだ。これまで歴代の文部大臣に無視され続けて初めての現役の文部大臣から声がかかったのだ。この時先生は77歳であった。子供たちのために日教組と戦うのが自分の仕事と執念を燃やし続けた先生は、この時中山大臣に賭けるほかないとの思いであった。なにしろ翌年には鎌倉市議を引退する決心をしていたからなおさらその気持ちが強かったと思います。こうして中山文部大臣就任早々からしばらくの間、先生は鎌倉の自宅から2時間かけて東京の大臣室に通う日が続いた。
先生が中山大臣に力説したのは、「学校現場を見てほしい」、教育現場を見なければなにもわからないからだ。中山大臣はそれによく答えたと思う。ネットのウイキペディアによると大臣、政務官らが全国で400校にもおよぶ学校視察をしたという。その結果生まれたのが中山大臣の口から直に発せられた「ゆとり教育の見直し」です。中山成彬文部大臣は、自民党のこれまでの文部大臣の中ではっきりと反日教組方針をうちだした最初の大臣です。こうして教育改革への芽が吹きだし、それが次ぎの阿部内閣に引き継がれ、平成18年の教育基本法の改正につながっていった。平成20年9月麻生内閣が誕生、中山成彬氏は国土交通大臣に就任した。その就任直後に中山国交相は、当然のことを言ったのだが、それが失言になってしまった。「日本の教育のがんは日教組だと思っている」この発言に日教組、野党の民主党、マスコミが猛反発、中山氏は辞任に追い込まれた。私がいつも腹立たしく思っているのは、自民党には、党をあげて日教組と対決していく姿勢が全く見られないことです。この時自民党は中山大臣を援護しようともしなかったのだ。麻生内閣のあと現在の民主党政権になり教育改革が一頓挫してしまった。
先生は平成17年、78歳で鎌倉市会議員を引退した。先生の日教組との戦いぶりが有名なので、先生の鎌倉市政の改革への取り組みを忘れてしまいがちになりますが、市政改革でもめざましい活躍をしています。例えば昭和63年当時、同じ神奈川県内の鎌倉市、茅ヶ崎市、大和市の三市は、人口規模がほとんど同じでした。ところが鎌倉市の職員数は他の二市に比べて500-600人も多かったのだ。従って先生が市議として当選した当時の鎌倉市は、全国約3300の自治体のうち、行政改革達成度が2600位だったが、先生
の厳しい改革断行を訴えつづけ市議在職16年かけて上位9番目にのしあがったのです。
市議引退後は、市議在職中にはなかなかできなかった全国をまわっての反日教組活動に専念した。また引退直後には、国家感、道徳感、日本民族の精神の継承を基本とした「建て直そう日本」女性塾を立ち上げた。女性市議を経験してわかったことだが、先生によると、国会議員にも地方議員にも女性議員の数は増えているが、その女性議員の大半が、左翼・フェミニストだ。彼女たちには、国家や家族を守る使命感がなく、それどころかむしろそういったものを壊そうとさえしているのだ。先生の言葉を借りれば、「フェミニストのバカな女たちに国を滅ぼされてはたまらない」、もっと保守の女性議員を増やさなければとの思いで設立したのがこの「建て直そう日本」女性塾なのです。この「建て直そう日本」女性塾は、真正保守の人材を掘り起こし、養成して地方議会に送る組織として活用され、全国に10箇所の支部を設立、既に3名の真性保守の女性地方議員を当選させています。来る4月の地方選挙には数名の立候補者を擁立する予定です。先生自身は女性塾の幹事長になり初代塾長に参議院の山谷えり子議員がなり、現在は衆議院の稲田朋美議員に交替しています。女性塾推薦の女性候補には、先生らしい信念による条件があります。その条件は、子育てが終わっていることです。家庭を顧みず政治運動ばかりやっているのは本末転倒、したがって候補者になるのはどうしても40代からそれ以降が中心ということになります。
平成21年10月、先生は講演のため初めて沖縄を訪問した。講演後先生は、「沖縄県平和祈念資料館」を訪れた。戦争末期の沖縄は、米軍の無差別空爆にあい沖縄県民と日本軍が郷土と祖国のために協力して戦った実情の説明、資料、展示品などが展示されている資料館であるはずだ。ところが実際に先生は拝観してこう書いています。「その時、私は驚きと悲しみと、表現しようのない怒りと申し訳ない思いに、このままでいいのか・・・やりきれない思いがこみあげてきた」と書いています。沖縄戦は、無差別空爆をしかけてきた米軍が悪いのに、その米軍を非難することは一切なく、すべて日本及び日本軍が悪いことに徹底しているのだ。日本をどこまで貶めれば気が済むのだと言わんばかりの資料館なのだ。資料館展示のハイライトとも言うべき第二展示室の「住民の見た沖縄戦『鉄の暴風』」というテーマでは、日本軍による「壕の追い出し」、「食糧強奪」、「スパイ容疑による住民虐殺」、「幼児や非戦闘員に対する死の強要」という日本軍非難のオンパレードだ。集団自決はあえて「強制集団死」という表現を使っている。「日本軍は沖縄住民をスパイ視して、拷問や虐殺をし、壕追い出しや住民の食糧強奪をし、戦闘の足手まといを理由に死を強要した。住民は逃げ場を失い米軍に保護収容される者がいたが、餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった」とパネルに書いてあるのだ。日本軍が極悪非道である一方で、米軍が“救い主”のようだ。このコーナーを見る限り、敵がアメリカ軍であるという認識はゼロに等しいと先生は書いています。
この「沖縄県平和祈念資料館」は、小中高校生の修学旅行の定番になっています。この十年間で見学者4百万人に達したと言います。子どもたちがこの資料館を見てどう思うだろうか、郷土愛や、日本人としての誇りも、愛国心も生まれやしない。どうしてこのような極度に偏向に満ちた反日資料館が放置されていたのか、また何故、誰も正そうとはしなかったのか。多くの知識人が沖縄に行き、「沖縄県平和祈念資料館」を訪れ、その反日資料館に怒りをぶつけるが、これまで誰も検証しようとはしなかったのだ。怒りを感じた伊藤先生は、「それなら私がやってやる」と昨年は何度も沖縄に訪れ、沖縄県平和祈念資料館を丸ごと検証し、そのでたらめさや歪曲、捏造ぶりを暴露した『「沖縄県平和祈念資料館」の真実』という本を昨年11月に展転社から出版した。そして11月末に「建て直そう日本」女性塾創立5周年記念とこの本の出版記念を兼ねたパーティーが都内のホテルで開かれた。先生のスピーチは、何度か聞いていますがお義理にも弁舌さわやかな名スピーチとは言えませんが、反面それだけに誇張やはったりがなく正直で胸を打つものがあります。その記念パーティーでのスピーチでは私の心を掴む名言を吐いた。84歳の年齢ともなれば、普通なら「私は、死ぬまで日教組をつぶす努力を続けるつもりです」と言うのが常識的でしょう。ところが先生は、「私は日教組をつぶすまで死にません」と断言したのです。この言葉に私は燃えた。先生のこの激しい闘争心あふれる言葉は、私にも通じるものがあるからです。私のネットでのハンドルネームはご存知「えんだんじ」です。「えんだんじ」を漢字で書くと「炎男爺」です。すなわち私は現在72歳の爺さんだが、心は青年のように燃える男なのだと言う意味なのです。こういう男が84歳の伊藤先生が、「日教組を潰すまで私は死にません」という強烈な意思を示す言葉を聞いたのです。なんとしてでも先生を支援し続けなければいけないという思いが我が心の奥深くからわきあがるものがあった。どうぞ皆さんも伊藤先生への熱いご支援をぜひ御願いします。
皆さんの熱いご支援の印として先生の新著、『「沖縄県平和祈念資料館」その真実』をお買い上げしていただけませんでしょうか。本の定価は、1500円。ラーメン二杯分の値段です、外でラーメン食べたつもりで買っていただけませんでしょうか。出版社の展転社は、小さい出版社なのでどこの本屋の店頭にも置いてあるとは言えませんが、日本中の本屋で展転社といえば注文できます。また直接、展転社に電話で注文してもかまいません。展転社の電話番号:03-3815-0721
私の気持ちとしては、極端に言えば、忙しかったら本を読まなくても構いません。だけど先生のためにもぜひこの本を買ってほしいのです。この本をベストセラーにして先生の努力に少しでも花を咲かせようではありませんか。そのことが自虐史観の日教組への打撃にもなり、また沖縄県の左翼バカにも大きな打撃をあたえることになるからです。
昨年は、外国人参政権の問題や尖閣諸島問題などで、我々一般国民の思いをデモなどを通じて世間に訴えることができました。大東亜戦争史観に関しても、歴史史実を歪曲、捏造し、日本にとって有利な材料は徹底して無視、これでもかこれでもかと日本と日本国民を貶める歴史観を、もうここらで一掃しようではありませんか。そのためにもこの本、『「沖縄県平和祈念間」その真実』を買ってほしいのです。わずか1500円の散財です。本屋やに行くなり、あるいは電話で注文してください。この本がベストセラーになれば、「新しい歴史教科書を作る会」の歴史教科書の販売にも大変な力になります。要するにこの本が売れれば伊藤先生にとっても日本国家にとってもハッピーなのだ。私は人に頭を下げるのを極端にきらう男だが、今回だけは、男、えんだじ、何度でも、何度でも、何度でも頭を下げます。ぜひこの本のお買い上げのほど、よろしく、よろしく、よろしく御願い申し上げます。
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