今では、誰もが知っているオリンパス事件。オリンパスは、20年ほど前に財テクで1000億円を超えるという損失を出し、粉飾決算でその損失を最近まで隠し続け、その間に他社の買収、合併を繰り返し、買収時には、会社の持つ実体価値よりも高価格での買収を繰り返していた。その中にはイギリスの会社の買収も含まれ、仲介したケイマン諸島の会社には、常識では考えられない法外な手数料が払いこまれていた。こうした買収資金で損失の穴埋めをしてきたのだ。隠し続けた20年間、取締役会、監査役、監査法人によるチェック機能が働かず、ひとにぎりの経営陣の暴走を許すことになってしまったのだ。粉飾決算とは違法行為、すなわち犯罪行為なのですが、その犯罪行為が秘かに20年間も続けられていたという日本の会社の異常性です。1999年に東京地裁より破産宣告された山一證券の事件がまだ私たちの記憶に残っています。これも粉飾決が原因でした。そのちょっと前の1995年には、大和銀行ニューヨーク支店の不正巨額損失隠し事件があった。大和銀行上層部は、その不正巨額損失を大蔵省へ報告したが、アメリカ金融当局、FRB(米連邦準備制度理事会)に報告しなかった。しかしこの隠蔽工作がFRBに発覚、そのためかえってFRBは大和銀行ニューヨーク支店に厳しい処分を課した。当時米刑法犯の罰金として最高額と言われる3億4千万ドル(当時の円レートで約350億円)の罰金を払わされ、大和銀行はアメリカから追放された。これが現在のりそな銀行の始まりです。これらは大きな隠蔽事件だから目立ちますが、問題は、小さな隠蔽工作から大きな隠蔽工作まで隠し事は、日本の企業や役所の常套手段になっていることです。極端に言えば、組織のあるところ必ず隠し事ありと言っていいのではないでしょうか。「隠し事」というと語弊があるから皆「表沙汰にしない」という言葉を使うのです。都合の悪いことは表沙汰にしないで隠すことが、日本の社会に根付いた文化のような気がしてなりません。だから「臭い物にふたをする」という諺があるのではないでしょうか。諺はその国の文化の反映ではないでしょうか。英語には、この「臭い物にふた」に匹敵する言葉はありません。この「臭い物にふた」をしておいて日本人の得意中の得意技、「見て見ぬ振りをする」が重なるともうダメです。すなわちある組織が大事件を起こし、それを「臭い物にふた」をして何十年も見て見ぬふりをしていると、その事件が明るみに出た時には、その組織は末路を向かえてしまうのが当たり前のようになっています。
「見て見ぬ振りをする」もう一つの大きな経済事件と言えば、大王製紙、三代目の御曹司、井川意高前会長の100億円という大金のカジノでの浪費でしょう。御曹司は、「臭い物にふた」どころか白昼堂々と系列の会社にカジノ資金のための大金を電話一本で自分の講座に振り込めさせていたのだ。個人の会社ならともかく、株式市場に上場している会社です。大王製紙の監査役は、半分以上は外部からきた監査役だというのだ。それでもチェック機能が働かず、こういう男を王様のような振るまいをさせていた経営陣は一体何をしていたというのか。腹立たしいことこの上ない。オリンパスの場合、イギリス人のウッドフォード氏が社長になった時、どこから情報を得たのか知らないが、なにかきな臭さ(不透明な企業買収)を感じたのでしょう。「臭い物のふた」をこじ開けて菊川会長に質問した。彼は取締役会でも企業買収の不透明さを伝えた。彼は菊川会長から首を告げられ、取締役会は全員一致で彼を解任してしまった。そこで彼は告発、20年間隠され続けた不正事件が明るみにさらされる結果を招いて現在にいたっています。決算内容を調べる監査法人、経営を監視する立場の社外取締役、オリンパスの監査役、取締役会など全くチェック機能が働かず、それどころか損失隠しの手法は大手証券会社OBでオリンパスの社外取締役の助言の疑いがあるというのだ。社外取締役といったら会社のお目付け役でしょう。そのお目付け役が悪事をそそのかしていたというのだから驚きです。社長になったウッドフォード氏が、たまたま社外取締りの役を演じ、事件が明るみに出たということは皮肉以外のなにものでもない。こういう事件が起きると必ず日本の経済界ではいまだにコーポレートガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)の意味が全く理解されていないのが原因だとよく言われますが、もっと大きな根本的原因がります。
それは日本人の社会的正義感の欠如にある。犯罪は社会的正義感から言えば許されるものではありません。粉飾決算も談合も違法で犯罪です。経営陣も一般社員も、粉飾決算や談合は犯罪であることは百も承知です。なぜ繰り返すのでしょうか。粉飾決算や談合という犯罪行為だけではありません、企業による不道徳行為も目白押しです。最近でも典型的な不道徳行為がありました。九州電力やらせメール事件です。九州電力玄海原子力発電所の再稼動に理解を求める経済産業省の県民説明会が6月26日に開かれ、それがインターネット中継された。説明会が開かれる直前の九電の調査で「番組では再開慎重派の意見が主流になりそうだ」とわかると会社側は、賛成する意見の投稿を増やす必要があると判断し、九電や関係会社の社員らに運転再開を支持する文言の電子メールを投稿するよう指示していた。その結果原発再稼動賛成派が慎重派を数で上回った。
私たち日本人は、会社なり役所なり一つの組織に属すると、例え組織の中の歯車にすぎない一部の組織に属しても、その組織の和や利がコーポレートガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)より優先され、社会的正義など入り込む余地などないのだ。
だから粉飾決算や談合など犯罪とわかっていても何度でもくりかえされるのです。不道徳行為など数え切れないくらいでしょう。大王製紙の場合、創業者一族の言う事は、すべて命令だから従う、それが何十年間にわたる社内のしきたりなのだ。そのしきたりがコーポレートガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)より優先され、これもまた社会的正義が入り込む余地がない。だから平然と「臭い物」にふたをし、見て見ぬふりをする行為が延々と続けられるのだ。
粉飾決算など経営陣に正義感を発揮する人が一人でもいたら成功するわけがないのです。それがなぜできないのか。日本人は正義感に乏しいし、正義感を発揮できるほど精神的にタフでないからです。正義感発揮して自分だけいい子になろうとしていると同僚からねたまれたり、嫌われたりするのが恐いのです。それより粉飾決算を皆と一緒に見逃して、いずれ後でバレて罰せられても、多くの人と一緒に罰せられるから、皆と同じだという安心感に浸れるし、自分だけが悪かったのではないと自分に言い聞かせることができるからです。私はこれまで社会的正義とか正義感という言葉を使いました。
そこで日本人は、いかに正義感が乏しいかその例を挙げましょう。去年だったか一昨年だったかテレビで偶然九州の福岡だったか記憶はさだかではありませんが、成人式がふらちな若者に妨害されている場面を見た。二人の若者が式場の壇上でわめいていた。そこえ市役所の人でしょう、壇上にあがって二人の若者を説得しながら下へ降りるようそでを引っ張ったりして、三、四人がもみあうような感じになっていた。壇上にいる二人の若者は、なにも凶器を持っていないのだ。ただ壇上で傍若無人な振る舞いをしているだけです。成人式ですから会場には20歳の男女が沢山います。その半分は男性です。男だけでも50人以上、あるいは100人以上いたでしょう。私が怒りを感じるのは、血気盛んの20歳の男が沢山いるのに、凶器を持っていない傍若無人な振る舞いをする二人の男と市役所の人たちともつれあいの姿を黙って身動きせず眺めているだけなのです。なぜ数人の男たちがたちあがって壇上に上り傍若無人な振る舞いしている二人の若者を会場から追っ払おうとしないのか。正義感欠如もはなはだしい。こうした傍観的態度をとる若者が、日本では批判されることもないのだ。これがアメリカだったら、壇上で凶器ももたずただ傍若無人な振る舞いをする人だったら激しいブーイングを浴びせられ、それでも壇上から退去しなければ数人の若者によって会場から放り出されるでしょう。
恐らく日本全国の成人式会場での妨害騒ぎなど、集まった20歳の男たちがこぞって正義感を発揮すれば無事式はあげられるのだ。この程度の正義感さえ発揮できない男たちが会社に就職し、何年か、何十年が経ち会社の悪事に直面した時、正義感など発揮できるわけがない。正義感の欠如に加えてもう一つ大きな欠陥があります。それは私たち日本人の法意識の薄さ、法的関心の幼稚さ、要するに法的にあまりにもウブなのだ。経済のグローバリゼイションが言われてからもう久しい。その速度は増すばかりの時代に、日本人の法意識の薄さは致命傷になりかねない。いずれにしても1000億円を超える損失を20年間も隠し続けられたということは、「臭い物にふた」、「見て見ぬ振りをする」、「事なかれ主義」などの日本文化欠陥の複合汚染の結果であり、またその複合汚染に誰も立ち向かえなかった日本人経営陣の姿がある。そこえウッドフォード氏が登場し、オリンパスの過去の膿みを吐き出し、経営を正常にひきもどそうと主役を演じている。いずれにしてもまさに現在日本人の情けない姿がここにもありという感じです。つい最近そのウッドフォード氏は、取締役を辞任した。社長復帰を目指して彼は、株主総会での議決を争う委任状争奪戦を仕掛ける考えを明らかにしています。経済ニュースとしては面白い展開になってきました。
ところで私は皆さんに主張したい。現在TPP問題で沢山の人たちが口角泡を飛ばして論じ合っています。それはそれで大変結構なことです。大事な問題だからです。それと同時にオリンパスや大王製紙事件ももっと怒りをあげて論じあって当然ではないでしょうか。この両社は、あまりにも前近代的企業、株式会社として証券市場に上場している資格など一切ない。即刻証券市場から放り出されて当然だし、また私たち一般庶民はオリンパスのカメラは買わない、大王製紙のティッシュペーパーは買わない行動に出るなど怒りをぶつけて当然ではないでしょうか。こういう不埒な会社の存在にどうして私たちは、激しい怒りを示さないのでしょうか。だから大企業や役所の不祥事が絶えないのではないでしょうか。