オリンピックが終わった。色々な涙をテレビ画面で見させてもらいました。その涙場面の中で敗退した日本柔道選手(男)が人目もはばからずボロボロ涙を流す姿、私には見ていて腹がたってきた。「なんだ、このざまは」。私は昨年の7月に「男の涙の落ちぶれぶり」というタイトルのブログ記事を書いた。今回もう一度再登場させました。
引用開始
「最近の若い男性を見ていて気づくのは、おそらく最低でも何百年と続いてきた我々日本男子の習性とは、あきらかに違うものがあるということです。それは何かと言えば今の若い男は、テレビなどを見ていると人前で平気で涙を流すことです。悲しいと言っては涙を流し、うれしいと言っては涙を流す、その涙も涙ぐむなどは、通り越してボロボロ涙をながすのさえ全く希ではなくなってきています。
5,6年前私は、自費出版で2冊目の本を出版しようとした時、出版直前でその出版社が倒産した。そのニュースを聞いた私は、翌日出版社の事務所が開く前に会社に押しかけた。その時すでに6,7人の人が会社に押しかけていた。その一人に20代の男性がいた。出版社が倒産して本が出版されないどころか、彼の支払った70万円がもどってこないと知った彼は、「俺、どうしよう」、「俺、どうしよう」と言いながら、ビルの廊下にへたり込んで恥も外聞もなくおいおい泣き出したのです。私はびっくりしてしまった。詳しく話しを聞けば、その70万円は借金ではない、自分がバイトで貯めたお金です。それでもおいおい、人目もはばからず堂々と泣く、私など見ていて、同情するどころか、その女々しさに腹が立って、「男のくせになんだ、そのざまは」と怒鳴りつけたいくらいだった。
我が女房は、NHK大河ドラマのファンでよく見ています。私もいっしょにつられて見ますが、今年のドラマはつまらなくて見ていません。二、三年前、直江兼続を主人公にする大河ドラマを見ていた我が女房が少し怒り気味に「あの当時の武士が、あんなに涙もろいはずがない」とけなしていたのを覚えています。私も同じように感じていました。なにしろ直江兼続演じる妻夫気聡がやたらと涙を流すのだ。恐らく脚本家が多分まだ若い女性なのかもしれません、年寄りの男性脚本家だったら、武士にめったのことで涙なんか流させるはずがありません。
私は現在の若い男性に言いたい、日本男子たるもの人前で涙など流さないものなのだ。その根底には、男たるものどんな時でも人前にうろたえた姿をさらしてはならないという掟みたいなものがあるのからです。私の年代とそれ以上の人たちの父親は、ほとんど全員明治生まれです。従って私たち男の子は、いつまでもめそめそ泣いていると、父親から「男のくせにいつまでもめそめそ泣くな」と一喝されるが当たり前でした。母親でさえそういうことを言っていた時代です。それでもくやしくて泣きたい場合は、トイレに入って声をたてずに悔し涙を流し、落ち着いてから涙をふき取りなんでもないような顔をしてトイレから出るのです。夜だったら布団の中で悔し涙を流し枕を濡らすのだ。私は小学校時代にいじめにあい、多勢に無勢でこてんぱんにやられ逃げるようにして家に帰り、母にさとられないように、すぐにトイレに駆け込み悔し涙をどっと流した思い出がある。このように私の年代以上の男は、小学生の頃から涙など人前で流さないのが男の強さの象徴みたいだったのだ。
それでは大人の男が泣くときはどうするのか、小説の表現を借りて説明しましょう。明治時代の作家、伊藤左千夫の有名な短編小説「野菊の墓」、何回か映画化されたといいます。その「野菊の墓」から例をとりました。主人公は故郷を離れ、上京し大学に通う大学生です。突然、故郷の母から「すぐ帰れ」の電報を受け取り、故郷に帰った。母から彼の幼友達でもあり恋人でもあった彼女の死を知らされた。彼女がいかに彼のことを愛していたか、彼女が病に臥しても彼に知らせなかったのも、もし知らせたら彼は、彼女を見舞いにくるだろう、それでは彼の勉強のじゃまになるという彼女の必死の願いで彼に知らせなかったこと、またその死に方があまりにも不憫で涙をさそうものであった。彼女に何もしてあげられなかった彼の悔恨等々で、彼は泣き崩れます。その描写を伊藤左千夫は、このように書いています。
「母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえて漸くこらえていた僕は、じぶんの蚊帳(かや)へ入り蒲団に倒れると、もうたまらなくて一度にこみあげてくる。口への手拭を噛(か)んで、涙を絞った」
この短い文章が、男の泣き方を端的に表しています。「母の手前兄夫婦の手前」で他人のいる前では男は泣かないもの、涙を流さないものだということ。「口へは手拭を噛んで」とは号泣するとどうしても嗚咽がもれる。明治時代の田舎の夜は、静寂そのものだったでしょう。その嗚咽のもれを誰かに聞き取られると自分が泣いているのがわかってしまう。そのために口の中で手拭を噛んで嗚咽をこらえるのです。そして涙だけはとめどもなく流すのだ。それが「涙を絞った」という表現になった。これによって男という者は、どんなに悲しくても人しれずこっそり泣くものだということがわかります。この文章のあとに続いて伊藤左千夫は、こう書いています。
「どれだけ涙が出たか、隣室から母から夜があけた様だよと声をかけられるまで、少しも止まず涙が出た」
この短い文章で隣室の母親は息子が泣き崩れていたのを知って心配していたこと、声をかけても悪いし、母も寝られなかったのだ。夜が明けてきたので「夜があけたようだよ」と声をかけ、息子は息子でその声で落ち着きをとりもどすきっかけなったことを連想させる名文ですね。
男が人前で涙を流すということは、女々しいと思われたのは、人前で涙を流すということは男のうろたえた姿を表すことなのだ。男たる者、どんない悲しい目に会おうが、辛い目に会おうが、うろたえてはならないのだ。この武士道にも似た精神が当時の男にどれほどしみついていたかを端的に表す例を示しましょう。
日清戦争終了から5年後の明治33年(1900)、清国で義和団事件が起きた。この義和団の騒乱にかこつけて清国政府は、支那に公使館を持つ国々に宣戦布告してきた。この時、清国に公使館を持っていたのが日本を含む欧米諸国11カ国、そのうちオランダ、ベルギー、スペインの三カ国は守備兵力を持たず、合計八カ国の守備兵力は、公使館員、学生、民間人いれて5百余名。イギリス公使館が一番広いのでここに各国の老人、子女、病人を集め、各国自国の公使館に籠城し、各国連携しながら戦うことになった。籠城戦は援軍が到着するまで約二ヶ月半続いた。この時大活躍して欧米軍の間で大評判をかち取ったのが会津藩出身の柴五郎中佐率いる日本軍の守備隊です。柴五郎中佐は、この時の大活躍で当時のローマ法王から指輪を貰っています。
籠城戦は結局成功に終わるのですが、日本軍の名声を高めたことが二つあります。戦後各国はそれぞれの支配地域で軍政を敷くのですが、外国軍は略奪をほしいままにするのですが、柴中佐率いる日本守備隊には一切の略奪がなかったこと。二つ目は日本兵の我慢強さです。戦場では負傷兵が出ます。当時は麻酔などありませんから外科手術など荒っぽいし激痛が伴います。片脚切断、片腕切断など麻酔なしでやります。この時欧米兵はでかい図体で大きな声をあげて泣き叫びます。しかし日本兵は違った。男たる者人前で涙を流してうろたえる姿をさらすなというのがしみついているし、その上日本軍人としての誇りがある。どんな大手術でも日本兵は、軍帽を口の中に入れそれを噛み締めて、低い声で「うーうー」といううめき声をだすことすら恥とばかりに懸命になって平静さを装うとするのだ。これを見たが外国人兵や看護婦役をしていた外人女性がびっくり仰天し、「日本兵はすごい」と評判なったというのだ。これが当時の日本兵の強さの要因の一つでもあったのだと思う。
このように私の若い頃までは、大人の男は、めったなことでは人前で涙を流さないもの、だから男の流す涙にはそれなりの価値があったのだ。どういうふうに価値があったのか具体的に説明するのがむずかしいので例をあげましょう。私の20代の頃の話です。もう50年も前の話です。私の知人が私を含む数人の前で自慢げに話しをしてくれました。彼には愛を誓った恋人がいた。結婚するつもりだったらしい。ところが新しい恋人ができてしまったのだ。彼はどう別れ話をきりだすか悩んだ。前の恋人は特に気が強いし、別れ話でひと悶着はさけられそうもなかった。そこで彼が考えついたのが、別れ話のとき彼はわざと泣いて涙を流すことだった。彼は、私たちの前でその成功話をしたのだ。
どうやってわざと涙を流すことができたのだと聞くと、彼は、いかにも涙をこらえているように両手で顔を覆い、相手に気付かれないように人差し指と親指で目頭をできるだけ強く押すと涙が出たというのだ。私と同年代の女性は、現在と違って大人の男が、人前で涙を流すなどほとんど見たことないのだ。彼女は彼の涙を見て感激したというのだ。どういうふうに別れ話を切り出したのか知らないが、彼女は、彼の涙を見て、自分も涙をながしながら「あなたもつらいのね」と言ってくれたそうだ。「うそをつけ!」と言いたい。おおげさな自慢話だろう、しかし別れ話は成功したと言うのだ。
そのあと私は、自分で人差し指と親指で自分の目頭を押さえてみた。涙は出ませんでした。しかし強く押せば、押すほど、指を離した瞬間目元がさだまらず目をパチパチするような感じになるので、必死になって名演技をすれば涙をこらえているように見せるかもしれません。いずれ私も必要ならこの手を使おうと思っていたが使う機会がなかった。
女の涙は武器だと言われますが、我々の年代までの男の涙は、めったのことでは見られないだけに武器にもなり、価値もあった。それがどうですか現在の若者は、うれし涙も悲しい涙も悔し涙もすぐに出す。野球の甲子園では、予選で負けても泣きじゃくるのだ。日本男子が数世紀かけて築いてきた男の涙の文化を完全にぶちこわしてしまったのだ。一体この責任をどうしてくれるというのだ。ある台湾人の男性が、日本にきて日本人男性が平気でテレビの前で涙を流すのを見てびっくりしたと言っています。台湾人の男性も私の世代と同じよう人前ではめったに涙をながさないのだ。私には、現在の日本男子の若者のひ弱さは、すぐに人前で涙を流すことと非常に関係があるのではと思っています。若者の中にも日本人であることに誇りに思っている人もいるでしょう。その若者たちには、あなたがたの祖父や曽祖父のように、人前で涙など流してうろたえるような素振りを見せるなと言いたい。
若い女性に聞きたい、どんなにつらい事や悲しい事も、人前でうろたえた姿を見せまいとぐっと堪えて涙を流さず、隠れるようにして涙を流す男と、人前はばからず堂々と涙を流し泣きじゃくる男、どちらに魅力を感じるのでしょうか。」
引用終了
どうですか、この文章を読んで若い男性はどう感じるのでしょうか。このブログに書いてあるように私は小学校の低学年の頃から、母親には涙をみせず、トイレで泣いて、後はけろっとしてなにもなかったような振りをする、まさに子供ながらも日本男子の一人の男としての振る舞いができていたのです。ところが現在の若い男は、もう精神的に幼稚で弱すぎるのだ。なぜこんな日本人男子が沢山うまれたか。日教組のせいでしょう。日教組は伝統破壊者だからです。日本の男の涙の文化が、日本男子を強くしていた一つの柱だったのではないでしょうか。男の涙の文化の復活は、もうないのだろうか?