前々回の私のブログ記事、「育鵬社歴史教科書支持派の皆様方へ」(3)は、今年6月25日に出版された雑誌「WiLL」8月号に藤岡信勝氏が書いている「つくる会を分裂させた中国人スパイ」を主題にして書いています。その時藤岡氏から翌月7月25日に出版される「WiLL」9月号に中国人スパイの第二弾を載せると聞いていましたので、いずれ八木氏と藤岡氏の論戦が「WiLL」誌上で始まるなと予想していました。ところが藤岡氏の話によると8月号の氏の論文について八木秀次氏から「WiLL」の編集長、花田氏に苦情の手紙が来たので、9月号に出す予定の論文が一月ほど延期されることになったということでした。7月11日に八木氏は、日本教育再生機構のホームペイジに「WiLL」編集長、花田氏あての苦情の手紙の概要を公開しています。その手紙の全文を公開しましょう。
引用開始
7月11日付で、ワック(株)月刊誌『WiLL』編集長・花田紀凱氏あてに送付した、八木秀次・日本教育再生機構理事長による抗議文のうち、以下、主要な論点の部分について、皆様にお知らせいたします。
平成24年7月11日
ワック株式会社 月刊誌『WiLL』
編集長 花田 紀凱 殿
一般財団法人日本教育再生機構
理事長 八木 秀次
(高崎経済大学教授)
『WiLL』誌8月号藤岡信勝論文掲載に対する抗議
花田編集長におかれては、平成18年の当機構発足時より代表委員にご就任いただき、私共の教育再生運動に深いご理解とご支援をいただいて参りましたことに心より感謝申し上げます。
ところで、先月下旬に発行された『WiLL』誌8月号の藤岡信勝氏論文は、事実無根の誹謗中傷であり、当方が「中国人」の謀略にひっかかったとする論旨には何一つ根拠がしめされていません。
(中略)
一、当該論文では、李春光と「つくる会分裂」を結びつける根拠はなんら示されておらず、また、李春光と私共の中国社会学院日本研究所訪問は全く無関係です。それにもかかわらず、論文タイトルを『つくる会』分裂を仕掛けた中国人スパイ」と決定した担当編集者の不見識には強く非難せざるをえません。
二、藤岡氏は、「スパイ」の工作目的がつくる会および教科書改善運動の分裂・弱体化にあったかのように書いていますが、昨年の採択では御承知の通り、育鵬社教科書が採択地域・採択数ともに飛躍的に伸ばしました。この事実だけでも、スパイによる工作などなかったか、万一あったと仮定しても、それに反する結果となり失敗に終わったことにあります。
(中略)
四、藤岡氏の主張とは正反対に、『正論』2006年3月号と4月号に掲載された私共と中国社会学院との論争では、中国側に「田中上奏文」が偽作であることを認めさせるなど、当時のつくる会理事会でもこうした掲載文の内容は高く評価されていました。(中略)中国側に論戦で負けたとする藤岡氏の言い分は、事実を歪曲した主観でしかなく、実際は、東京裁判史観や中国の公定史観の誤りを中国の国家機関に認めさせていたことは明らかです。
(先に正論編集部小島新一氏より「WiLL」誌に抗議があったと聞いたと書きましたがそういった事実はありませんでした。謹んで訂正し、お詫びいたします。)
(中略)
六、当該論文は、かって「つくる会」に所属した現職の市長を実名でだし、中国人スパイの謀略にひっかかったばかりか「つくる会」に所属した経歴を隠した経歴詐称を示唆しています。しかし、同氏は4年前の市長選に際し地元新聞のインタビュー等で「新しい歴史教科書をつくる会」に在籍したと言明しており、これはネットで簡単に検索できます。
(中略)
七、藤岡氏は、貴誌『WiLL』6月号においても、論文『南京大虐殺』を教科書に載せるな」を掲載されています。しかし、自らが代表執筆者となった自由社では、検定の結果、南京事件を全面肯定する記述となり、「南京大虐殺を教科書に載せるな」どころか何の疑問も持たない教科書になっています。これは否定説まで含ませるよう尽力して成功した育鵬社とは、正反対の結果となっています。
(中略)
九、当方は、育鵬社と自由社がそれぞれ特色を競い会うことで、教科書改善運動は大きく前進するものであり、こうした建設的な競合関係、長年、教科書運動に協賛していただいてきた数多の関係団体、有識者、一般支援者にとっての切なる要望であり、貴誌愛読者の大方の共通認識でもあると考えます。
十、教科書という同じ目標に向かっているはずの当事者同士が、互いに批判の応酬を行うことは、全国各地で教科書運動を多大な犠牲を払いながら支えていただいている多くの同氏の方々はもとより、育鵬社および自由社の教科書を採用していただいた教育関係者の皆さまの期待を裏切り、深く傷つけることになります。こうした周囲の期待に大きく反する藤岡論文の掲載には、強く抗議せざるをえません。
(下略)
引用終了
この八木氏の苦情の手紙について私は反論することできますが、論文の書き手は、藤岡氏であって私ではないので反論することはやめておきます。しかしこの手紙から受ける印象は、八木氏は、月刊誌「WiLL」に反論を載せることができなかったし、また反論する意思もなかったこと、だからと言ってこのまま見過ごすわけにはいかず、何か苦情をつけねばならないこと。そこで編集長の花田氏に苦情の手紙を書いた。しかしこの苦情の手紙もあまりにも中略が多く、最後には(下略)までついていて肝心な事は読者に知らせない方法をとっているため、苦情の手紙としても役立たず中途半端なものなっています。要するに八木氏にとっては、藤岡氏の論文に対して無視するわけにもいかず、一応苦情はつけておいたということで自らを納得させたきわめて消極的な対処であったということです。先週の土曜、8月25日に「WiLL」10月号が発売されていますが、そこに藤岡氏の第二弾の論文「歴史教科書『検定』に関与した李春光(中国人スパイ)」が掲載されていますが、これに対して八木氏はどう対処するのか興味のあるところです。また同じように花田氏に苦情の手紙を書くのでしょうか。
八木氏がどう抗弁しようと、私に言わせれば八木氏には、絶対に答えようとしない不可解な点が二つあります。一つは、八木氏は平成17年12月16日に「つくる会」首脳部には極秘のうちに「つくる会」の会長というタイトルで「つくる会」事務局員5人を連れて観光旅行と称して支那へ行き中国社会科学院日本研究所の学者たちと歴史討論をした。なぜ極秘で支那へ行き、なぜ中国社会科学院の学者たちと会ったのか。二つ目は、八木氏は平成18年4月30日に「つくる会」副会長の役職で「つくる会」を脱会した。その後三ヶ月たらずの平成18年7月3日号の週刊誌「AERA」の中で自分達の歴史教科書の方針について「南京事件や慰安婦など論争的な問題にこだわるのではなく、もっと、歴史を対極的にみたものにしたい。朝日新聞に批判されるようなものにならないはずですよ」と言っています。「つくる会」と朝日新聞とでは歴史観については天敵どうしです。「従軍慰安婦」事件も「南京大虐殺」事件も朝日新聞がでっち上げたものです。いつのまにか八木氏は歴史観を変えている、すなわちこれまでの歴史観の変節です。いつ歴史観の変節が起きたのか。数字的に考えれば、4月30日に「つくる会」を退会しています。それから満三ヶ月にもならない同じ年の7月3日号の「AERA」の中で歴史観の変節を伝えていますから、この満3ヶ月にもならない期間と言うことができます。しかし、それは本当だろうかということになります。歴史観の違いがありながら八木氏はねこを被って「つくる会」に入会していたのではないか、あるいは入会中にスパイなどの接触などで歴史観を変えたのではないかという疑問符がつくのです。歴史観の変節を公にせず、「つくる会」の主導権をにぎろうとしたが失敗した。この二点について八木氏が読者に納得のゆく説明がつけられないかぎり、彼は支那のスパイと断定できなくとも支那のスパイに近いという疑いがはれることは絶対にありません。
ところで読者に御聞きしたいのですが、八木氏は現在、高崎経済大学教授です。法律が専門です。高崎経済大学など数ある地方大学の一つで、大学の名前も全国的に売れてもいません。その大学の教授です。地方大学の数多いる教授の一人に過ぎません。それでも保守知識人の学者として存在感があります。今後存在感が無くなるかもしれませんが、いままで確かに存在感がありました。なぜなのでしょうか。もちろん世渡り上手もあったでしょう。しかし最大の要因は、安倍元総理との関係の深さでしょう。八木氏は安倍氏が副官房長官時代から親しかったという。八木氏はそれを自慢にしていたということです。奥さんどうし親しい間柄だったかどうかわかりませんが奥さん同士の付き合いもあった。安倍政権誕生ならば八木氏が文部大臣になるかもしれないという情報さえもあったのだ。読者には安倍政権の期間を意識してもらうために書きますが安倍政権の誕生は、平成18年9月26日、終了は丁度一年後平成19年8月27日です。安倍政権が誕生すると、八木氏は文部大臣にはなれなかったものの、安倍氏のファイブ・ブレーンの一人になった。安倍氏のファイブ・ブレーンとは、八木氏の他に中西輝政(京都大学教授)、伊藤哲夫(日本政策センター所長)、島田洋一(福井県立大学教授)、西岡力(東京基督教大学教授)の合計五氏です。主に外交関係のブレーンだったでしょう。安倍政権誕生の翌月、10月22日に八木氏は日本教育再生機構を設立し、彼は理事長になった。待望の本格保守政権安倍内閣の誕生、その安倍内閣に直結するような感じさえする教育団体の誕生。ねこも杓子も保守知識人が参加した。設立パーティーには、沢山の知識人が集まったという。八木氏は、およそその半年前に「つくる会」から追放された形だが、この時、八木氏は、「ざまーみろ」と絶頂間を感じていたのではないだろうか。「つくる会」内部のごたごたがちょうど安倍内閣成立前後だったため八木氏側に時の利があった。多くの保守知識人が八木氏と仲良くしておいた方が得だと八木側についた。「つくる会」は防戦一方になってしまった感が強いのもむりもない。
安倍政権の話が出たついでに、皆さんには保守陣営待望の安倍政権が誕生したころを思いだしてください。前任者の小泉政権では、小泉氏は毎年決まった日取りではないが靖国神社を参拝しています。そのため支那政権と小泉政権との関係が冷え込んでいました。安倍氏の政治信条から言って、小泉さんの例を踏襲して、安倍氏は、毎年靖国神社を参拝すると言って当然です。しかし安倍氏は、靖国神社を参拝するとも、しないとも言わない政策をとった。なぜか?安倍氏は支那を訪問するつもりだったからではないでしょうか。こんな姑息な手段をとらせたのは、八木氏等の仕業のような気がしてなりません。歴代の自民党政権の首相は、参勤交代といわれたように、ほとんどがまず最初にアメリカに行って大統領に会う。これが公式行事のようなものだった。ところが安倍首相は、どこを最初に訪問しましたか。最初に訪問したのは支那です。アメリカは最後の訪問でした。支那と小泉政権の関係が冷え込んでいて、そこえ安倍総理が靖国神社を参拝するとも、しないとも言わずに日本側から関係改善を促すような媚びた支那訪問ですから、支那側は喜んだ。安倍総理を文字道理、熱烈歓迎でした。この支那訪問に八木氏や李春光が関っていたのではないかと私は推測しています。現在安倍政権復活がどうのこうのと言われていますが、安倍政権復活なら、安倍氏は、また八木氏を自分のブレーンとして使うか。私はそれは絶対にないと思っています。私は今春、偶然の機会で安倍氏を会い、短い時間でしたが教科書問題について話をしました。安倍氏は、教科書問題における自分の対処の仕方に後悔していた感じでした。その対談内容の詳細を「つくる会」には報告しておりますが、私は自分のブログには書いて公表することを控えました。
八木氏が花田編集長に苦情の手紙を書いた「WiLL」8月号の藤岡氏の論文、その同じ「WiLL」8月号のトップ記事が中西輝政氏の書いた「戦後最大の諜報案件 李春光」という記事があります。頁数にして16頁の長い論文です。中西氏も前に触れましたように安倍内閣のファイブ・ブレーンの一人です。中西氏は、安倍氏の支那訪問に李春光や八木氏がからんでいたのを知っていたのではないか。中西氏は、インテリジェンスの専門家でもあります。それだけに日本国内における支那のスパイ網のある程度の浸透ぶりを予想していたが、その浸透ぶりが想像以上だったのではないか。だからといって安倍内閣の内幕を書くわけにはいきません。そこで「戦後最大の」のと言うような重大な意味を持たせる言葉を使って「戦後最大の諜報案件 李春光」と書いて読者への警告としたのではないでしょうか。私の考え過ぎでしょうか。
私は皆さんに強調したいのは、ご存知のように日本はスパイ天国だと言われているのです。スパイ防止法もないからスパイのやりたい放題です。スパイがまず狙うのは、相手国のマスコミを支配することです。日本のマスコミは、完全にスパイ網にはまっています。例えば日本の保守がどんなデモをしても決して新聞、テレビには報道されません。左翼のデモや韓国、支那の日本へのデモは必ず放映、報道されます。マスコミは完全に反日になっています。「つくる会」も支那のスパイ網にかかる寸前だったのです。八木氏は支那のスパイと断定できる証拠はありません。しかしスパイくさい、八木氏自身も自分のスパイくささを払拭したくてもできないのです。中国社会科学院と交流があります。支那の学者は外国に行くと外交官やスパイに変身すると言われているくらいです。なぜ日本の教科書を作るために中国社会科学院と交流しなければいけないのでしょうか。私は育鵬社教科書支持派の皆さんに訴えたい。去年の採択戦が終わってしばらくの間は、私も育鵬社とは共存共栄ができると思っていました。しかし今は違います。育鵬社は似非保守です、保守ではありません。盗作問題、スパイ問題、南京虐殺容認などどれも容認できません。もう育鵬社は、危険です。日本国家のために潰さなければなりません。連日韓流ドラマを放映続け、一般視聴者からのデも攻勢を受けるフジテレビが育鵬社の親会社とはふざけすぎです。皆様は私の意見を聞くだけでなく、藤岡氏の論文を読み、育鵬社の人たちの主張も聞いてください。そしてあなたがたがどこの団体に、あるいはどこのグループに所属しているかどうかで判断するのではなく、自分の頭で育鵬社の教科書がいいのか、「つくる会」の教科書がいいのか冷静に判断していただきたいと思っております。なぜこんなことを書くかというと、日本最大の保守団体と言われる日本会議の首脳部は、昨年の採択戦では育鵬社を支持したからです。その理由を書くと長くなりますから、ここではやめておきます。いずれ書くことになるでしょう。
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