文化の使い分け その2

先週の「文化の使い分け」に引き続いて今回は、「謝罪」と「誠意」について書いてみました。
1.謝罪
例外もありますが、外国政府および外国政府高官は、一切謝罪しないものと解釈した方がよいと私は思っています。日本のマスコミでは、時々外国政府あるいは外国政府高官が謝罪などと報道しますが、文字通りに解釈することはできません。注意が必要です。例をあげましょう。平成10年(1998)にクリントン大統領とホワイトハウスの若い女性研修生との不倫関係の事件がりました。日本のマスコミは、「クリントン大統領謝罪」と伝えました。ところが英字新聞を読むと、クリントン大統領の発言に謝罪という言葉はありません、ただdeeply regret と言っているだけです。Regretには、英語の初歩の方でも辞書引けばわかりますが、謝罪という意味はありません。Regretの意味はあくまでも遺憾です。
Deeply regretは「深く遺憾に思う」です。それを日本のマスコミは、かってに謝罪と訳しているのです。クリントンは決して謝罪なんかしていません。彼と女性研修生との不倫を調べていくうちに、クリントンは彼女にホワイトハウスのどこかの一室で、露骨な表現を借りれば、彼の一物をしゃぶらせたことが判明しました。
なぜそんなことが判明したかというと、「大統領の精液がついた彼女の青いドレス」の存在が明らかになったからです。結局クリントンは血液を採取され、DNA鑑定を受けざるをえませんでした。その結果クリントンの黒が決定した。
その時クリントンは何と言ったか。彼は、オーラルセックスをしただけで、オーラルセックスは性交渉ではないと公言しています。日本の常識から考えれば、実にくだらない口実であり、聞く耳を疑う屁理屈です。
自分の落ち度であっても謝罪しないためにあらゆる口実を考えるという外国の文化に無頓着な日本のマスコミは、日本の文化をもとに考えて大統領は国民に謝罪して当然と平気で「謝罪」と報道してしまったのでしょう。クリントン大統領は、確かにオーラルセックスをするほど若い女性研修生と親しい間柄だった。しかしオーラルセックスは、性交渉ではない。従って不倫ではない。謝る必要もなければ、まして大統領職を辞任する必要ないというのがクリントン側の論理の組み立てです。大統領でさえこういう口実を平然と駆使できるのが外国の文化なのです。
クリントンは弾劾裁判にかけられましたが、反クリントン派は三分の二以上の票がとれずクリントン大統領は、解任をまぬがれました。私が不思議に思うのはアメリカの世論です。確かにクリントンに大統領辞任を求める声はありました。しかし圧倒的に辞任をもとめるほどの強さではありませんでした。一つの理由として考えられたのが、アメリカ経済が絶好調だったからです。経済が豊かであれば、大統領の道徳論は問題ならないというわけです。日本人の道徳感からいったら最低の大統領です。クリントンはアメリカ国民に謝罪せず、「深く遺憾に思う」だけで難局を乗り切ってしまいました。このクリントンのケースほど日本国民とアメリカ国民の道徳観念の文化の違いを表しているものはありません。
次のケースも興味ある一種の謝罪とも言えるものです。
平成12(2000)年という年にローマ法王ヨハネパウロ二世が教会史上初めて、教会の犯した過失を認めたことが全世界に報道されました。その過失とはカトリック教会が十一世紀前後イスラム世界に十字軍を送って改宗をせまり、殺戮を繰り返したこと、異教徒に対し宗教裁判と称して拷問と殺戮を繰り返したこと、そしてユダヤ教徒の迫害、とくにナチスのユダヤ人虐殺を黙認していたことなどを、法王は歴史上の過失を指摘して許しを乞うたのです。
誰に許しを乞うたと思いますか。法王は自分の神に許しを乞うたのです。アラブ人やユダヤ人に許しを乞うと賠償金を請求されかねません。そのため自分の神に許しを乞うて法的債務を逃れる実に用意周到な謝罪と言えます。私はいまうっかり用意周到な謝罪と言ってしまいましたが、謝罪ではなくあくまで「自分の神に許しを乞う」で「自分の神に謝罪」でないことにも留意してください。「許しを乞う」と「謝罪」とを区別しているのです。
クリントン大統領は、アフリカ諸国訪問時、奴隷貿易発祥の地、ゴレー島に訪れました。奴隷貿易について遺憾の意を表しただけで謝罪はしていません。イギリスのエリザベス女王は、インド独立記念日に合わせて50年ぶりにインドを訪問しました。その時かってイギリス軍がインド市民を多数虐殺した土地を訪問、彼女は犠牲者の墓に花輪をささげましたが、謝罪しませんでした。遺憾の意を表しただけです。
結論を申しますと、現職のクリントン大統領の個人的な不道徳行為に謝罪しなかったのは不届きであるが、その他の謝罪拒否ともとれる「遺憾の意」の表明は、当然のことだと思います。なぜなら100年以上の前の歴史的事件を現在の価値観で裁くのは、あまりにも行き過ぎだからです。大東亜戦争も、現在の価値観で裁かれるすじあいの戦争ではありません。
2.誠意
前回私は日本外交の障害になる日本の文化(常識)を6つあげました。ここでもう一つ重要な文化(常識)を示します。それは「誠意」です。この「誠意」という言葉も日本人がよく使う好きな言葉の一つでしょう。皆さんは無意識のうちに「こちらが誠心誠意をつくせば、相手は必ず理解してくれる。例え万が一理解されなくとも、こちらの意図を少しは察してくれるのではないか」という気分というか考えというか、そういうものを感じているのではと私は思うのです。「至誠天に通ず」という言葉まであります。ましてや自分の誠心誠意が悪用されるなんていうことをあまり考えないのではないでしょうか。
このため日本外交は、この誠心誠意外交をやり、裏切られたり、悪用されたりすることがよくあります。大東亜戦争前の中国に対する幣原外相の「軟弱外交」は有名です。幣原の軟弱外交と言いますが、幣原は、中国に対して誠意をつくしているのですが、その誠意がことごとく破られていたのです。「従軍慰安婦」事件も日本の誠心誠意外交が完全に韓国に悪用されてしまいました。ODAによる中国への莫大な援助、これも日本政府自ら、戦争で中国に迷惑をかけたからの思いが強いゆえの誠意の支援です。その支援が裏目に出ています。
政治家や役所の高官が海外に行く時、「誠心誠意を持って話し合ってくる」とよく言います。私はそれだけでなんとなく日本側の譲歩を感じ取ってしまいます。日本代表は、多少とも譲歩することによって誠意を示そうとするのではないかと、決して「誠意を持って話し合ってくる」という発言には、「なにがなんでも相手の譲歩を引き出す意気込み」には見えません。私は外交とは、誠意を示すことではなく、日本側が誠意を示していると相手側に思わせるのが重要だと思っています。
話しは変わりますが、或る日本人が日本に生まれ、日本で育ち、日本の大学に入って歴史学を学び、異文化体験など何一つ経験することもなく、また異文化について学ぶこともなく歴史の先生になります。その先生が、大東亜戦争についての著書を書いたとしましょう。その先生は、大東亜戦争前後日本はいかにおろかな外交を展開してきたか全くわからないから書くこともできません。
外交官試験に合格して外交官になっても、選挙に当選して政治家になっても、異文化体験などなにもないと日本の文化だけで外交してしまうのです。この弊害は非常に大きなものがあります。この私の主張は、私が無名なので説得力がありません。そこで著名な二人の発言を例にあげます。
落合信彦氏は、彼の著書、「常識を捨てろ」の中でこのように言っています。「外交官試験合格者を外交官に育てるのもいい。しかし海外ビジネスの修羅場を体験した人たちを中途採用して外交官にしろ。外交官試験に合格しただけの外交官など外国人とまともにけんかもできやしない」
私も全く同感です。何故落合信彦氏がこういうことを発言できるかというと、彼は作家になる前オイルビジネスの最前線で外国人と商売をしていたビジネスマンだったからです。
あのすばらしい大作、「ローマ人の物語」を書いた塩野七生氏。彼女は、二、三年前の産経新聞でこう言っています。「日本の政治家は、純情すぎる。もっと悪(わる)にならなければだめです。」
彼女は、日本外交の幼稚さを指摘しているのです。彼女は、イタリアに十年以上住み、イタリア語の史料を読みあさって本を書いています。彼女の異文化体験も異文化学習もたっぷりです。だからこそ彼女は、あのように表現できるのです。
福田前首相は、平成7(2007)年9月自民党総裁選出馬記者会見で「お友達の嫌がることあなたはしますか。しないでしょう。国と国との関係も同じ。相手の嫌がることをあえてする必要はまったくない」と述べた。新聞記者から「お友達外交だ」と冷やかされました。
まさに塩野七生氏が言う「日本の政治家は、純情すぎる」の典型的な例でしょう。福田は個人間の関係と国家間の関係とは全く違うという外交の基礎さえ理解できないのだ。アメリカ政府の首脳や中国政府の首脳が、福田のこの発言を聞いて、あまりのうぶさにあいた口がふさがらないのではないでしょうか。
日本の政治家の二世、三世は、なんの苦労することもなくボンボンで育ち、また日本の平和な文化にたっぷりひたって育って政治家になります。国内の仕事はできても外交に関しては塩野氏の言うように純情すぎて外交交渉では使い物にならないケースがほとんどです。そのため年来私が主張している「うぶでバカでお人好し」外交が続けられているのです。外交官や政治家が、「うぶでバカでお人好し」外交から脱皮するためには、文化の使い分けをしなさい、すなわち日本の文化をかなぐり捨てて外交交渉をすることなのです。日本の文化が外交交渉の障害になってしまうことをもっと国民の間で周知されること必要です。

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