アイヌ末裔二人のコメント (1)

私は、ネットのsocial clubの一つであるmixi(ミクシィー)の会員になっています。私のブログの記事すべてがミクシィーにも載せています。そのミクシィーの方にミクシィーの会員であるアイヌの末裔お二方からコメントをいただきました。皆様に興味があるのではないかと思いここにも載せてみました。
「えんだんじ」はミクシィーでの私のハンドルネームです。「しょたこたママ」さんと「mark bogat」さんは、
アイヌ末裔お二人のハンドルネームです。
しょたこたまま
はじめまして。
文字を持たなかった者達の末裔です。 ブログを拝読いたしました。 日本という国の中での争いと見ることもできるかと思いますが、 昔のアイヌにとっては和人もロシア人も中国人も皆シサム(隣人)であって、 自分たちが住んでいる土地が「日本という国」であるという概念もなかったかもしれませんね。
アイヌが和人に虐げられる前は、けっこう自由に豊かな生活を送っていたことが、 最近の研究で分かってきています。 よく左側の方々が「アイヌは自然と共生し、争いを好まない平和を愛する民族」などと、 美化したイメージで語られることが多いのですが、 実際はアイヌ同士の戦もあったし、ときには交易のために 蒙古と何10年にもわたって戦をしていたことも分かっています。 アイヌである私自身も、昔のアイヌの活動範囲の広さに驚かされました。
えんだんじ様は、アイヌが文字を学ばなかったことをご指摘なさっておられ、 私もそれが一因かも知れないとは思いますが、 アイヌの衰退は、多くのコタンがまとまって国を作ることをしなかったことと、 自由に貿易することを幕府や松前藩に禁じられたことが、大きな要因に思えます。
また江戸時代まで本州から女性が北海道に入ることが許されませんでした。 アイヌの男性は漁場で奴隷のように働かされ、女性は妾に。 梅毒などの病気で多くのアイヌが死にました。 シャクシャインの戦いや、クナシリ・メナシの戦いなどがありましたが、 武力で和人を圧倒しても、和睦を持ちかけられては謀殺されてきました。 アイヌは和人のしたたかさも学ぶべきだったかと思います。
・・・と言っても、昔のことは今さら変えられないので、 せめてこれからは北海道の和人とアイヌが、 お互い尊重しあっていける世の中になることを願って暮らしていこうと思っています。 長々とすみませんでした。
Mark Bogat
はじめまして。私は北海道アイヌ、ユーラップ人の末裔ですが、あまりに酷い説に放っておこうと思ったもののしょたこたママさんは心の良い立派な女性であって清い心から書いた事にオリパクするので、姉さまの書いた事に補って少しばかり書きます。
とかく北東アジアでは中華文明の影響を受け、文字を持つ事が文明を持つ事とされています。だからこそ漢民族だけでなく周辺の民族も独自の文字を持とうとしてきました。西夏文字や女真文字などがそれです。文字にコンプレックスを持つ蛮族がそれにこだわるのは勝手ですが、他民族にまでそれを押し付けるのはとても文明人とは言えません。必要がないから文字がなかった、必要ならその時に自分達に最も都合の良い物を取り入れて使えば良いだけです。友人が何かを手に入れ自慢し、持ってない人の事を馬鹿にするのと同様愚かな行為です。
昔は記憶する事で事足りたし、どうしても必要な場合個人的な記号を木に刻んでいたましたが、それが現在ではアイヌも文字を使っているだけです。今は過渡的にカナ文字を使う者もいますが、将来的にはアイヌ語用に整えられたラテン文字に移行するでしょう。それは和人の文字が不合理で遅れているからと私は言いません。
単にアイヌ語の言語体系に合っているからです(尤も仮名文字も日本語の表記としては著しく欠陥があります。例えば「する」という動詞は国文学ではさ変活用の動詞として特殊なものとされますがsという子音が語根と考えれば規則動詞でありローマ字的なものを使えば和語の学習上とても便利でしょう)。
さて日本民族はこの場合「和人」の事と思いますが、新しい文明に対する進取の気風に富みアイヌが劣る由書かれていますが、事実はその逆です。アイヌと和人が物質文明の上で差を広げたのは江戸時代の中期以降です。それまでアイヌも和人も生活に大して違いはありません。
アイヌに城郭や寺院などのようなものが無いと言われるかもしれませんが、必要がなかったので同じものがなかっただけで、例えば城郭については独自のチャシ建築様式があり、例えば幕末北方警備に来た武士が、浜益などで何故和風の築城をせずアイヌの様式で陣屋を設営したかを考えれば、場所場所に風土環境に適した文明、文化があり、和人でさえも北海道で生きる場合は土着のものに従うのが理に適っているからです。
江戸時代これを唱え北辺で活躍した幕府の役人の最上徳内はアイヌの着る物を着、食べる者を食したそうですが、この聡明な和人をアイヌはレキカムィ(髭の神)と呼び尊敬しました。これに対してアイヌを馬鹿にし、あくまでも和風にこだわった秋田藩士達など敵と戦うどころか寒さのために凍死し壊滅しています。
何も私はアイヌ文明の素晴らしさを自画自賛したい訳ではありませんし、アイヌの歴史が半万年などと誰かさんのように歴史を捏造しようとしている訳ではありません。その時代や場所、しかるべき理由によって文明と文化があるだけだと言いたいだけです。
アイヌについては江戸時代中期に戦国時代となり、国家統一は和人の介入により失敗しました。しかし国家が存在しなかった訳ではなく、小国は幾つかありました。大陸との貿易で開けていた石狩川筋はハウカセという大将の元、シャクシャインの戦いには中立を宣言、次いで松前藩に対しても独立を宣言しています。その後和人による不当な占拠は今尚続いておりますが、石狩のアイヌが如何に警戒され不当な扱いの中に殺されても、独立の志は今日まで受継がれています。
それはさておきアイヌ存立の柱である貿易の自由を奪われ、あまつさえ使い殺しの奴隷として酷使される内に文明は破壊され、わずかに狩猟採集をして生き延びる有様になったのを怠慢というなら、甘んじてその事葉を受け入れましょう。
しかしいつか歴史上立場が変わった時、その発言は自分に返ってくるでしょう。第二次大戦後、アイヌは朝鮮人のように三国人とならなかったのですが、その様な文明人の礼儀正しさに唾をかけるなら、和人は所詮最新の器機を持っただけの土人と言えましょう。
それはさておき、文明の優劣で貴方が抱くアイヌ像は観光のため和人の幻想と妄想が作り出した土人としてのアイヌだと思います。当時生き残っていたアイヌの中、観光に従事していたものは本当にごく一部です。わが家系も誰一人そんな見世物になった事はありません。その他大勢のアイヌはどうしていたのでしょうか?
Mark Bogat
(続き)
面白いのは明治大正の頃の一般のアイヌ達が行ったクマ送りの写真を見ると、成る程伝統的な装束の老人もいますが、男達はシルクハットに洋服を着込み、見物の和人は着物に下駄という、今日の目から見ると明らかに和人の方が未開人のものです。狩の写真にしてもアイヌはハンティング帽に洋服を着込み銃を片手にヨーロッパの貴族を思わせる颯爽とした姿で、対する和人の貧相な事といったら奴隷のようではありませんか。明治期、アイヌ達の中でも教育のある者はいち早く西洋風を取り入れ、男はシルクハットに洋服、女はエレガントなドレスを着こなし町を歩きました。
挨拶の際にもヨーロッパ式です。ところが和人はそれが気に入りません。アイヌは和人より劣っていなければならぬというのが奴らの思考です。誰より優れたアイヌを嫌ったのは役人で、アイヌの新風俗の禁止を求めた嘆願が当時の官報に残っております。
日本がアイヌを保護しなければロシアに占領されていたという勝手な説もありますが、当時アイヌ白人説があり、彼らのアイヌに向ける目は黄色人種に向けられるものとは違っていました。歴史にもしは禁物ですが、アイヌが白人に同胞として迎えられていれば、今の我々はもっと良い暮らしができていたと信じます。私も汚い人モドキの血が混じらず、容貌で苦労する事もなかったでしょう。本当に、血の分離機があれば良いと幾度思った事か!話が逸れましたが、私の祖父は写真すら珍しい時代、見よう見まねでその技術を習得しました。
また自動車を見るのも稀な時代その運転を志し、また子供の時実際に目にしたリンドバーグの飛行から飛行機の操縦を夢見、アイヌ語、日本語の他ロシア語も話し、96で死ぬまで常に新しいものを厭わず、器具を使いこなし思想や社会情勢を理解しました。そんな祖父が大好きだったので私もアイヌとして生きている訳ですが、アイヌの中にはこういう人が数多くいます。知られてないのはそんな情報和人が欲しがらないので流通していないだけです。
一方和人の方ではこんな人は本当に稀です。和人ばかりこんなに沢山いるのに私も1、2名しか知りません。これをもってしても、貴方の古臭い考えを読んでも、和人が進取の気風に富むなどとは到底言えません。気分を悪くなされたなら、和風に一応意味なく謝っておきます。けれど事実は事実ですので致し方ありません。
ともあれこんな至らぬ和人の自惚れも、今後栄え行くアイヌ民族の反面教師として役立てたいと思います。どこの民族でも事実に目を背け歴史を捏造するするようになってはお仕舞いですね。勉強になりました。心より イヤィラィケレー(有難うございます)!
えんだんじ
しょたこたママさん、Mark Bogatさん
コメントありがとうございます。私には貴重なコメントでした。私が初めてアイヌの方に会ったのは、もう何年も前の北海道のみやげ物店でした。ましてアイヌの方のご意見を聞くことは今までになかったことなので余計に貴重でした。
アメリカインディアンが白人と出合った時が17世紀の初めです。インディアンの白人に対する武力抵抗が終わりを告げたのは19世紀後半です。白人とインディアン接触後わずか280年たらずでインディアンは、完全に僻地に押し込まれ民族の末路を迎えたのです。弓矢と鉄砲の文明度の違いが、両民族の闘争の結末に決定的な影響をあたえました。
日本民族とアイヌ民族が最初に出会ったとき、おそらく千年以上も前でしょう。両民族とも文字を使用していない時期に遭遇しているはずです。この時日本民族とアイヌ民族との間に文明の差はほとんどなかったのではないでしょうか。
時代を経るにつれて文明の発達度がちがい、日本民族有利になりました。また両者の間に戦争もありました。しかし現在にいたるまでの長期間に日本民族に同化させられたり、あるいはアイヌ民族の中に日本民族との同化を求めたり、あるいはアイヌ民族の独自性を保つアイヌ民族もいました。日本民族の中にアイヌの血が混じっている人も沢山いるでしょう。
私は日本民族とアイヌ民族の接触の長さを考えると、現在のアイヌ民族の状態は、日本民族の武力によって民族の末路をたどったと言うより、自然淘汰の道をたどったのではないかと考えております。御ふた方にとって不満だと思いますが、私は今のところこのように考えております。歴史的に新しい発見でもあれば、変わるかもしれませんが。
文字は文明発達の基礎で大変重要なものです。文字を持たない民族で文明的に発展した民族はありません。持つ必要がなかったから持たなかったというのは、強がりにすぎません。アイヌ民族が住む同じ日本列島で文字を持たなかった日本民族が文字を使用し始め、文明が発展している現実を見て、なぜアイヌ民族は、自分で文字を作ろうとしなかったのでしょうか。私が主張したアイヌ民族の祖先の怠慢の意見は変わることはありません。
御二方に時間があれば、私のブログの中にある「涙の道」(The Trail of tears)をぜひ読んでください。アメリカインディアンには、それこそ沢山の部族がありました。その中でたった一つチェロキー族だけは、アメリカ文明にならって独自のチェロキー文字を作ったのです。聖書をチェロキー文字に翻訳し、チェロキーフェニックスという新聞を出版し、議会を持ち、大統領制を採用したのです。短期間に人口およそ2万人の小国家。チェロキーネイションが誕生しました。
しかしアメリカ政府は、このチェロキー国家の存在を許しませんでした。自分たち独自の文字を使いだしたチェロキー小国家の発展に脅威を感じたのでしょう。アメリカ政府は、チェロキー族が住む場所から1300キロ先の僻地に押し込めたのです。1300キロ先に着くまでの行程は苛酷をきわめ、2万人のうち無事到着したのがわずか4千名ほどでした。
御二方には、さらにブログの中にある「アメリカの建国神話」を読んでほしいいと思います。なぜアメリカインディアンの話を読むことをすすめるかというと、人種間の争いでも白人とアメリカインディアン、アイヌ民族と日本民族とでは争いの質が違うからです。
白人とインディアンとでは、完全に異民族間の争いです。この二つの民族の間に共通性などなにもありません。それだけに支配者、白人のインディアンに対する扱いは残酷、苛烈です。
アイヌ民族と日本民族との人種間の争いは、完全な異民族どうしの争いより、似た者どうしの争いです。同じ日本列島に1000年以上住み、同じ黄色人種、宗教も似たような自然崇拝に祖先崇拝。要するに両民族には共通点があるのです。それだけに支配者側の日本民族は、アイヌ民族に対して白人のインディアンに対する扱いほど残酷、苛烈ではなかったと思っています。
その証拠として明治政府が北海道開発の一環としてアイヌ民族の同化政策があげられます。社会には現実としてアイヌ差別はあったでしょう。しかし日本政府そのものは出来るだけ差別しない意向が強かったからこそ同化政策をとったのではないでしょうか。白人にはアメリカインディアンは徹底した差別の対象ですからインディアンの同化政策などの考えも浮かばないでしょう
わずか2万名ほどの人口を持つチェロキー族でさえ独自の文字を作りだしたにもかかわらず、アイヌ民族は、全く文字を作ろうともしませんでした。何度もいいますがアイヌの祖先の怠慢です。なぜこの怠慢を力説するかといいますと、本当はここから先もブログに書きたかったのですが、あまり長くなるようなので書くのをやめたのです。そこでここら先は書きたかったことを書きます。
人間の歴史において民族全体で間違いを起こしたり、民族全体で怠慢になることがあります。ドイツ民族全体で、ユダヤ虐殺の間違いを起こしました。アイヌ民族全体で、すぐ近くに文字を使用する日本民族が存在するのに文字の使用を怠りました。民族全体で間違いを起こすより、民族全体で怠慢になることの方が恐いのです。間違いは簡単に言えば、謝ればすむことです。しかし怠慢はその民族の命取りになりかねないからです
日本民族には、現在完全に怠慢になっている問題があります。国の安全保障の問題です。中国は核兵器所有、尖閣諸島は中国の領土と主張、日本領海内で石油の盗掘。ロシアも核兵器所有、いまだに北方四島を返還せず、自由気ままに日本漁船や船員を拿捕し、罰金を請求。北朝鮮も核兵器所有、大勢の日本人を拉致。韓国は竹島を略奪し、韓国の領土だと主張。
日本の近隣諸国がこれほど危険な国々なのに、日本は、武力放棄、戦争放棄の現行憲法も変えることもなく、自国の安全をアメリカにまかせ、いざとなればアメリカが守ってくれるという自分勝手な希望的観測にひたり、自分自身で日本を守る気概など全然なしの状態です。日本人は完全に民族全体で、自国の安全保障に全く怠慢に陥っているのです。こんなことをしているといずれ日本民族は、現在のチベットやウイグルのように衰退の道をたどるのではないかと危惧しております。

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