聞きあきた「核兵器廃絶」

毎年8月になると、「核兵器廃絶」という言葉が氾濫します。別に8月だけに使われる言葉でなく1年中使われている言葉ですが、8月に集中します。その理由はいまさらここに書くまでもなく皆さんよくご存知のはずです。特に今年は、オバマ大統領が、訪問中のヨーロッパのどこかの国で、「核兵器廃絶」を訴えたというので、日本の左翼は、いまにも「核兵器廃絶」へむけての世界の流れができたといわんばかり大はしゃぎしています。しかし私のような年齢にとっては、「核兵器廃絶」などという言葉は、聞き飽きるほど聞かされた言葉で、いまではもううんざりするほどです。
終戦直前に原子爆弾が投下され、その後すぐに原爆より威力のある水素爆弾が作られるようになり、さらに水素爆弾より強力な爆弾、それらを総称して核兵器とよばれるようになりました。日本は世界で唯一の被爆国ですから、昭和29(1954)年に「原水爆禁止日本協議会」(原水協)が設立されたのは当然の勢いでしょう。原水爆禁止が、日本の悲願になったのです。以来50年間、私は原水爆禁止運動の推移を見てきました、私には被爆者、原水爆禁止運動に携わる人たち、そして日本国民全体が、真に核廃絶を望んでいるのかどうか疑わしくなってきたのです。
まず戦後米ソの核開発競争が激化し核実験が多く行われるようになりました。そのような状勢の時、日本共産党は、ソ連の核実験は平和目的のものであり、アメリカの核実験は戦争目的のためだと主張しだしたのです。この主張に頭に来たのは、現在の民社党の前身、社会党です。結局「原水爆禁止日本協議会」(原水協)から社会党の連中やその支持者が抜け出し「原水爆禁止日本国民会議」(原水禁)を組織したのです。そしていまだにこの二つの組織が存在しているのです。いかに馬鹿げたことをしていたか、皆さんお分かりだと思います。
(原水協)のホームペイジ見ると、昔はソ連の核実験は平和のため、アメリカの核実験は戦争のためと主張していましたなどとはこれぽっちも書いていません。要するに私は何を言いたいかというと、(原水協)、(原水禁)も被爆者もその他の全日本国民も、核兵器廃絶を口先だけの主張と毎年8月になると原爆慰霊祭を営むだけで、あとはほとんどなにもしていないことです。
私たち日本人は、毎年、夏に原爆慰霊祭を華々しく開き、核兵器廃絶を訴えて日本人自身を誤魔化しているのです。一つ断っておきますが、私は毎年原爆慰霊祭を行うことには反対ではありません、大賛成です。原爆犠牲者の慰霊の前で、冥福を祈り、核兵器廃絶を願い、二度と日本人が原爆の犠牲者にならないようにお祈りする。これも大切な行事です。ところが日本人は、この情緒的な儀礼式をあげるだけで終わってしまっているのです。原爆被害者は、「こんな苦しみは私たちだけでいい、次世代の人々には、味合わせたくない」とよく言います。
核兵器廃絶を訴えるだけでなく、日本国民が二度と原爆の被害をあわないようにするには、どうすればよいかとなぜ考えないのでしょうか。日本民族が二度と原爆被害にあわないようにするには、二つの方法しかありません。一つは、今度どこかの外国が日本本土に原爆を落としたら、その数倍の原爆を落とせるよう軍事力の強化、あるいは日本人全人口を分散してでも避難できる巨大な核シェルターの開発です。両方とも大変な困難を伴います。慰霊祭をやって核兵器廃絶を訴えている方が楽だから慰霊祭だけ行っているのではないでしょうか。
日本人が核兵器廃絶を訴えながら、本心は核兵器廃絶に無頓着である事を示す象徴的なことを二つ書きます。
1.南太平洋ムルロワ環礁でのフランスの核実験
平成7(1995)年フランスが南太平洋のムルロア環礁での核実験実行を発表しました。その時世界中から反対が出たが、フランスは核実験を強行した。この時オランダのアムステルダムに本拠を持つ世界三大環境団体の一つ、グリーンピースの活躍が目立った。日本の捕鯨調査船を邪魔するにくらしいグリーピースです。グリーンピースは総力をあげて抗議活動、抗議船四艘、高速ゴムーボート10数艘、グリーピース号搭載のヘリコプター、また各国からかけつけた百艘を超える「平和船団」。特にグリーピースは、フランスが示した禁止区域の海上の乗り入れ少しでも邪魔をして核実験をさせまいとフランス艦船とまるで鬼ごっこです。
ムルロア環礁に近いオーストラリアやニュージーランドのフランスへの反発も半端なものじゃありません。フランス航空機には、給油しない、フランスからの郵便は配達しないなどなど。常々核兵器廃絶を訴えている日本は、この時グリンピースのような行動をとって当然です。ところがこの時日本は、なにをしたか。タヒチに海外14カ国から国会議員や民間人が沢山集まってきました。この時日本は国会議員数名と民間人あわせて200名ぐらいがタヒチにやってきただけです。一番楽で安全な反対行動です。
この時日本国内では、大相撲パリ場所が開かれる予定でしたが、核実験に反対してキャンセルの声があがりましたが、契約はキャンセルするわけにかないと予定どおり実施。フランス製ワインや高級ブランド品の不買運動の話が持ち上がりましたが、その計画も立ち消え。結局国内で反対活動したのが、被爆者などが広島で抗議の座り込みストをしただけ。東京のフランス大使館への抗議デモもなし。オーストラリアやニュージーランドのように激しい反対の示威行動は全くなかった。
要するに日本国民は、核実験反対、核兵器廃絶など毎年夏になると特に声だかに叫ぶが、原爆慰霊祭と同じで年中行事みたいなもので、いざ反対行動を起こせというとなにも起こせないし、本心は起こすほどの関心もないのだ。私に言わせれば、この時のグリーピースの海上での抗議行動力はりっぱなものだ。これ以後核実験が、地上や海上できなくなり、地下核実験に移行せざるを得なくなったのもグリーンピースの抗議行動が大きく影響していると思います。その後陸上で秘密裏に核実験してきたのが中国です。
これは余談になりますが、私はこの時のグリンピースの行動に好印象をもったのでグリンピース日本が設立された時、会員になりました。しかしすぐに退会しました。日本の捕鯨調査船に反対したからです。スペインの闘牛に反対せず、日本の捕鯨調査船に反対するのは、彼らの文化を日本におしつけるのも同然だからです。彼らにはこういう傲慢なところがある。しかし彼らは決しておままごとをしているわけではない。彼らなりの主張と信条に基づいて行動しているのだ。だから迎える日本は、真剣勝負でいどまなきゃだめです。捕鯨調査船に自衛艦をはりつかせ、法律規定内の抗議なら堂々と認め、もし違法行為があれば即座に逮捕し、日本に連れ戻し、ブタ箱ぶち込み裁判にかけることです。いまの日本には官も民も気概のある人間が極端に少なすぎるのです。
2.核シェルター
核シェルターというのは、わかりやすく言えば、戦争中の防空壕を超ハイテック化したものと言えるかもしれません。核兵器が投下されるとものすごい量の放射能が地上に排出されます。もちろん人間は生きてゆけません。そこで放射能の侵入を一切ゆるさない分厚いコンクリートの部屋の中で生活できるようにしてあるシェルターのことです。数ヶ月間一歩も外に出ることなく生活できます。放射能は、日数が経つと放射能は自然目減りします、とくに雨に当たったりする目減りが激しいと言われています。外の放射能レベルがさがって生活できるようになるとシェルターから出て暮らすのです。
小泉元総理がフィンランド訪問時、ヘルシンキ市内の核シェルターを見学した。地価50メートル下にある司令室で24時間体制の危機管理を行っているのです。ヘルシンキ市内には、このような核シェルターが56箇所あり、合計80万人が避難生活できるというのです。核シェルター一基あたり1万4千強の人たちが生活できるということになります。スイスでは新築の家には必ず核シェルターを設置することが法律で義務づけられています。従って現在のスイスの人口700万あまりですが、全国民を収容してもあまりあるほどに核シェルターがスイス中に作られているのです。
この話を聞いて読者の皆さんは、不思議に思いませんか。日本は原爆2発投下されて30万人あまりが即死、その後の原爆による後遺症に悩まされ続けていまだに悲惨な目にあっているのです。二度と日本民族はあのような体験をさせてはいけない、これは日本民族の悲願なのではないですか。それには、先ほど触れましたように、こんど日本に原爆を投下しようものなら倍返しをしてやるほどの軍事力を強化し、優秀な核兵器を開発すべき努力する、と同時に核シェルターを日本中に建設し、いざとなれば一億2千万人全員核シェルターに非難させる、これが理想の核兵器対策でしょう。ところが日本は、そのどちらの政策も採用しようとしないのだ。
戦後直後は、核兵器所有国は、米ソの二大国でした。それが時代を経るにつれて増えつづけ、今では英、仏、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の九カ国になりました。そのうちの三カ国、ソ連、中国、北朝鮮は、日本の近隣諸国です。日本中に核シェルターを備えるのは急務じゃないのですか。直接の被害者である被爆者は、こんな体験は私たちだけでいいと言いながら、次の世代の日本人にはそんな目にあわないように核シェルターを備えてやってくださいと政府に要求もしないのです。「原水協」や「原水禁」の人たちも、野党、与党も、そして日本国民も核シェルターを備えろと要求しないのです。専守防衛が日本の国是なら、核シェルターほど最適なものはないはずです。
今月、広島で被爆者代表が鳩山由紀夫を会いました。被爆者代表者は、鳩山に日本の国是である非核三原則、(持たず、作らず、持ち込まず)を法制化してくれるよう頼み込んでいました。法制化すれば、核攻撃を受けないだろうと思うこのお目出度さ、九条を固守すれば平和が続くと思う、お目出度さ共通のものがあります。私に言わせれば、比較三原則の法制化より一日も早い核シェルターの建設を要求する方が先決でしょう。
多分20年ぐらい前だったでしょう。その頃私はドイツの会社に勤めていました。その時ドイツ製の核シェルターを日本に売り込んだらどうか討議しました。ドイツ製の核シェルターは、個人住宅向けでした。新築の家を建てる時に地下に核シェルターを備え、その上に住宅を建てることでした。今でもそうだと思いますが、当時は日本で一戸建ての家を建てることは、サラリーマンにとって経済的に一生に一度の大仕事です。その時に坪あたりが家より高くつく核シェルターを備える経済的余裕はないだろうということで、ドイツ製の核シェルターの日本への売り込みをあきらめた経験があります。あの時日本には核シェルターのメーカーはなかったと思います。
それが20年後の現在、スイスでは全国民が核シェルターに避難できるほど実用化されていると聞くと、さすがに永世中立を国策としてきたスイス国民のすごさがわかりますね。現在、日本にはメーカーがあるのかネットで調べたらいくつかあるのです。安藤建設というのが、ネットでわが社の目標は、一億二千万人の日本人口全部を避難できる核シェルターを日本中に作ることだと宣伝しています。
何度も触れますが日本は被爆国、二度の原爆で30万二人以上が即死、生き残った者にはいまだに後遺症が続いています。日本は専守防衛が国策、まさに日本こそ核シェルターを開発し、世界に先駆けて実用化していて当然ではないでしょうか。そして日本全国民が避難できる核シェルターの実用化こそ、原爆で亡くなった人たちへのなによりの供養になるのではないでしょうか。原爆慰霊祭で冥福を祈り、核兵器廃絶を祈るだけより、どれだけ犠牲者たちへの供養になるかはかりしれないものがあります。皆さんそう思いませんか。
それがどうでしょう。左翼も保守も、与党も野党も、要するに日本国民全体が、核シェルターなどに興味を示さないのです。核兵器廃絶がいつ実現するか全く分からないし、北朝鮮の核の心配が現実味を帯びている今こそ、核シェルターを備えるのが先決問題ということも理解できないのだ。これをただ日本人の平和ボケと片付けられないものがあります。日本人の脳の思考経路に欠陥があるためなのでしょうか、それとも日本人の精神構造に欠陥があるためなのでしょうか、どなたかどうしてこういう現象が起きるのか説得性のある説明を私にしてくれませんか。
私の考えでは、日本人はどうも情緒的判断に基づいて情緒的な行動をとることは得意だが、論理的判断に基づいて論理的な行動をとることがからっきし苦手なのではないでしょうか。そのことが現在の日本の安全を脅かしていることがわからないのではないか。
追記:
明日から孫とともに一週間ばかり旅行しますので、コメントに即答できませんのでご了承のほど御願いいたします。来週日曜日のブログは掲載する予定にしています。

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