今度の日曜日、11月29日から話題のドラマ「坂の上の雲」が始まります。司馬遼太郎原作「坂の上の雲」のドラマ化です。司馬遼太郎と言えば、私の年代で、しかも男であれば、誰もが知っている作家であり、しかもほとんどの人が司馬遼太郎の本を少なくとも一冊ぐらい読んでいると思います。ちなみに私は司馬遼太郎の本は恐らく全冊読んでいるでしょう。私に言わせれば司馬遼太郎は、歴史小説家としては天才でしょう。とにかくどれも面白い。大江健三郎がノーベル文学賞を受賞したとき、司馬遼太郎は健在でしたから、司馬遼太郎こそノーベル文学賞に値するし、なぜ彼の本がどんどん英語に翻訳されないのか不思議に思っていました。
「坂の上の雲」は最初、産経新聞の新聞小説として誕生した。単行本全6巻が出版されたのが1969年、私が31歳の時です。以来これまでに一千五百万部売れたと言われています。現在では「坂の上の雲」ビジネスといわれ本屋では、「坂の上の雲」関係の本がずらりと並んでいるのはとうにご存知だと思います。ドラマ放映は大変な視聴率を示すと予想されています。そこでこの本の内容を簡単に説明しましょう。愛媛県松山市生まれの三人の男、正岡子規(俳人)、と秋山兄弟。兄の秋山好古(よしふる)は、日本騎兵の父と呼ばれ、最終階級は陸軍大将)、弟の秋山真之(さねゆき)は、日本海海戦の時、連合艦隊司令長官、東郷元帥付の作戦参謀、最終階級は、海軍中将)。彼ら三人は同世代。前半は三人の青春群像を描き、後半は日露戦争の詳細に描いて終わります。
このドラマは、今年から3年にわたって放送されます。3年にわたって放送と言っても一年中放映されるわけでなく、その年の後半だけです。今年は11月27日の日曜から12月27日の日曜日までの全5回、午後8時から9時半まで。来年の後半に全4回、再来年の後半に全4回。再来年の全4回のプログラムを見ると、第10回「旅順総攻撃」、第11回「二百三高地」、第12回「敵艦見ゆ」、第13回「日本海海戦」。まさに息をもつかせずに戦場シーンの連続でしょう。年をとって涙もろくなった私は、日本兵の苦戦や、大活躍に涙を流すことでしょう。ドラマの紹介はこのくらいにして、話の本番に入ります。話の本番とはなにか。司馬遼太郎の歴史観です。
司馬遼太郎の書く歴史小説がことごとくベストセラーになるくらいですから、まえに触れたように非常に著名な小説家です。それだけに彼の歴史観が読者に影響します。司馬史観とまで言われました。私にいわせれば司馬史観には功罪があります。それでは功罪の「功」のほうから説明しましょう。
私が30代の終わりぐらいまでは、自虐史観が全盛期だったと思います。本屋の歴史コーナーでは、大東亜戦争などという呼び名のついた本などほとんどありませんでした。ほとんどが太平洋戦争という呼び名一色でした。日清戦争や日露戦争まで侵略戦争と呼ばれていたのはこの頃ですよ。ところが司馬遼太郎は、この「坂の上の雲」で日清戦争についてこう書いています。
「日清戦争は、清国や朝鮮を領有しようとおこしたものでなく多分に受身であった」。そして日露戦争について司馬遼太郎は、徹底して日本の自衛戦争として描いているのだ。もともと日清戦争や日露戦争を侵略戦争と呼ぶには無理があります。そこえ天下の司馬遼太郎が「坂の上の雲」を書いたので、日清戦争や日露戦争まで侵略戦争と呼ぶ自虐史観論者を黙らせた功績はありました。今どきの自虐史観論者で、日清戦争や日露戦争まで侵略戦争と呼ぶ人がほとんどいなくなりました。「坂の上の雲」のベストセラー化かが大きく影響しているのです。
そこで皆さんに今度のテレビドラマで注視してもらいたいのは、NHKが果たして司馬遼太郎が主張しているように日露戦争を日本の自衛戦争とはっきり主張するかどうか注視してもらいたいものです。なにしろNHKは、歴史関係番組では、特に近現代史については史実の捏造、歪曲を平然と行う前科者、それも前科一犯どころか何回も前科歴のある常習犯です。この番組で日露戦争を侵略戦争と描いたらNHKを許すわけにはいきません。
それで司馬史観の功罪の罪とは何かと言えば、自虐史観ですよ。司馬の言葉でよくひきあいに出されるのが「日清・日露戦争までがよかったが、それ以降日本は駄目になった。日本は昭和に入ってまるで魔法にかかったようにおかしくなった。昭和以降は陸軍が悪玉であり海軍が善玉である」。
司馬は日本人の誰もが認めるすばらしい歴史小説家だけに、彼の歴史観の影響力は非常に大きいものがあります。防衛大学の五百旗頭(イオキベ)校長も司馬史観の典型的な後継者です。私はどうかと言えば、私は司馬史観の影響は受けませんでした。私が若い時から大東亜戦争の歴史に詳しかったからではありません。ごく常識的に判断していたからです。常識的判断とはなにか、対外戦争するには、相手国が必要です。勝った国がすべて正しく、負けた国がすべて悪いなどという戦争があるわけがない。皆さんそう思いませんか。この常識的な考え方から詳細に歴史を勉強していけば、真の歴史観を取得できるのです。皆さんそう思いませんか。なまじ先入観をもって物事を勉強してみても、歴史観だけでなくすべて本質を掴み取ることはできないのではないでしょうか。
私は司馬の自虐史観の影響を受けなかったが、反論ができませんでした。大東亜戦争のこと詳しく知らなかったからです。今は反論できます。だから「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を書けたわけです。これからちょっと反論してみましょう。
日露戦争では日本はやっとのおもいで勝ちました。辛勝とはこのことでしょう。国際社会すなわち欧米社会は、日本を一人前の国として扱い初めました。日本はロシアに勝ったとはいえ、軍事、経済、工業などあらゆる面において欧米諸国より劣っていました。もっと国力をつけるのが日本国民の望みでした。そのためにのしあがってこようとする日本は、欧米社会の邪魔者以外の何者でもありませんでした。大東亜戦争までに日本が、外交面、経済面などで欧米諸国に翻弄されつづけたと言っても過言ではありません。自虐史観論者は、日露戦争後の日本を含めた世界の動きを勉強しようとせず、ただ日本国内の動きだけ、すなわちコップの中の嵐だけを追っかけて日本批判をくりかえしているにすぎないのです。
コップの外の嵐が日本にどれだけの影響を与えたかなど眼中にないのだ。
あの天才とも言える司馬遼太郎がなぜ、「日清・日露戦争までは良かったが,それ以降は日本は駄目になった」などと言って昭和の歴史を単純化して自虐史観を展開するのか全く、私には理解できません。司馬遼太郎が歴史の先生なら、彼の自虐史観も理解できます。歴史の先生は、恩師が自虐史観の持ち主であれば、自虐史観を変更することができません。先生の仕事場がなくなってしまうからです。最近加藤陽子なる東大教授の歴史学者がたまにNHKに登場しますが、東大で歴史を学んだら自虐史観論者にならなければ、もう彼女の就職先もなければ、社会的栄達の道も開けません。
司馬遼太郎がまだ駆け出しの作家だとしても、彼の自虐史観は理解できます。戦後ずっと自虐史観が主流であり時流でもあったからその流れに乗るのが賢明だからです。しかし、司馬遼太郎は歴史学者でもなければ駆け出しの作家でもない、途方もない超有名な国民的作家です。例え彼が駆け出しの頃、自虐史観論を主張していたとしても、これだけ国民的作家になれば主張の変更さえも自由にできるわけでしょう。自虐史観論者のまま死んでしまいました。国民的な大作家だけに、彼の死後も自虐史観論の影響はいまだに強く残っています。
最初に触れましたように「坂の上の雲」の特徴は、日露戦争は日本の自衛戦争と描いておりますから、NHKにどう描かれるか大変興味があると書きましたが、もう一つ興味があるのは、乃木将軍、すなわち乃木希典(まれすけ)大将の人物像です。乃木将軍の略歴を紹介しましょう。乃木希典は西南戦争に参加しています。乃木の率いる部隊が退却戦のとき軍旗を薩摩軍に奪われてしまいます。軍旗を敵に奪われることは大変な不名誉なことです。乃木は[軍旗は天皇陛下から賜ったもの、詫びなければならない]と切腹を命じられることを欲しましたが、同僚や上官の必死のとりなしで切腹にいたりませんでした。
日露戦争では乃木は、旅順要塞攻撃を担当する第三軍司令官として活躍します。最終的には旅順要塞攻撃に成功して名を馳せるのですが、あまりにも日本兵の人的損害が大きかった。彼自身も二人の息子が戦死しています。乃木はあまりにも多い犠牲者の責任をとって明治天皇に直訴し切腹を命じられる事をのぞみます。しかし明治天皇は、「自分が死ぬまで死ぬことはまかりならぬ」と言って切腹厳禁を命じます。さらに明治天皇は、乃木に向かって自分の子どもだと思って、当時子どもだった昭和天皇を育ててくれと昭和天皇の家庭教師に、乃木を学習院の院長に命じています。後年昭和天皇は、自分にとって一番尊敬する人物は、乃木将軍だったと言っています。明治天皇が亡くなられた時、乃木は殉死しています。乃木は自分の妻の死の介添えし、自分は切腹しました。遺書には明治天皇に対する殉死であり、また西南戦争の時に軍旗を奪われたお詫びでもあると書いてありました。日本海海戦時の東郷元帥の名は、海外でも有名で、フィンランドでは、トーゴーというブランドのビールが現在でも売られていますが、乃木将軍も海外でもけっこう有名でトルコでは、自分の生まれた息子の名前にノギとなづけるのが一時流行ったそうです・
この乃木将軍を司馬遼太郎は、「坂の上の雲」で乃木将軍とその下で働く参謀長、伊地知幸介をボロクソにけなしています。この本ではいくつかの戦場の戦況場面が書かれていますが、旅順要塞攻撃はこの本の最大のクライマックスでしょう。コンクリートでためた難攻不落の要塞を乃木と伊地知参謀長は、肉弾攻撃をしかけ、最初の総攻撃失敗にもかかわらず、何度も何度もバカの一つ覚えのように肉弾攻撃を繰り返し、ついに6万人もの死傷者(戦死1万5千人、負傷者4万5千人)を出したのだ。司馬遼太郎は、この乃木を徹底して無能呼ばわり、あまりにも手厳しく無能呼ばわりをくりかえすので、乃木家や伊地知家ゆかりの人たちは頭にきたのではないでしょうか。
私はこの本「坂の上の雲」を持っていますが、見ると初版本です。私が31歳の時に読んでいるのです。その頃の私は歴史の知識などあまりなかったので、この話(乃木の無能ぶり)を完全に信じこんでいました。また司馬遼太郎の筆の運びが上手だからおもわず手にあせを握りなら夢中で読み、信じこんで、「なんと愚かな司令官、なんと馬鹿な参謀長」と興奮していたと思います。
乃木がこの本であまりにも無能呼ばわりされたので、その後司馬遼太郎に対する反論が出ています。反論のいくつかを上げてみますと:
1.日露戦争には欧米諸国から多くの観戦武官が戦場に派遣されています。もし乃木が司
馬遼太郎が悪態をつくほど無能な作戦をくりかえしていいたら、当然ニュースや話題、あるいは観戦武官の間で嘲笑の対象になってもおかしくありません。
2.要塞を攻撃する場合、通常先に砲弾を雨あられとぶちこみ要塞の外部あるいは内部を混乱させてその後肉弾攻撃しかけるのですが、日本軍の砲弾不足のため砲弾攻撃の効果があがらなかった。砲弾や弾薬不足は貧乏小国、日本の象徴のようなもので、大東亜戦争でも兵器不足で泣かされた。
3.要塞攻撃というものは戦闘の性質上、攻撃側に多大な犠牲を強いるものです。日露戦争からおよそ10年後に第一次大戦が始まります。ベルダンの戦い(ドイツ軍によるフランスのベルダン要塞の攻撃)、これもベルダン要塞という一ヶ所だけの戦場です。そこでおよそ10ヶ月間の攻防戦になんと独仏両軍あわせて75万人もの死傷者をだしているのだ。従って乃木がとった作戦が無謀とも言いきれないのだ。
4.司馬遼太郎が、旅順要塞攻撃にあたって引用した参考文献は、「機密日露戦史」(これは戦前陸軍大学で教材として使われた)だ。この資料に彼の独自の想像や脚色を加えたため史実と異なる物語になっていると言われています。
司馬は、自虐史観の持ち主で「海軍は良かったが陸軍は悪かった」などと言っていた男だ。陸軍の暴走、精神主義を批判するために誇張して書いたような気がするのは私だけでしょうか。この旅順要塞攻撃をNHKがどう描くか非常に見ものです。小説に忠実に描くか、あるいは小説以上に悪意をこめて乃木の作戦を描き、陸軍の悪を印象づけるかのどちらかでしょう。
前にも触れましたように歴史番組におけるNHKの史実の捏造、歪曲は、常習犯です。この小説には、日本軍の残虐行為など語られていませんが、ひょっとしてNHKの事だから演出するかもしれません。日露戦争の戦場は、すべて満州地方です。日露戦争が始まると、満州民族は、負けると予想されていた日本軍が勝つことを心底祈っていた。なぜか、日本軍が負けると満州地方はロシアのものになり、ロシア兵による略奪、強姦、暴力等々で、満州が地獄のようになるからです。昭和に入って満州地方は、日本によって満州国が建設され、すぐに経済発展していきます。日露戦争勝利後の日本軍や日本政府への信頼が、根底にあったからこそ満州国は建国するやいなや発展していったのです。この時アメリカは、満州国建国には猛反対で満州国を承認しませんでした。現在アフガニスタンに手を焼くアメリカよ、満州国建国の歴史を学べといいたい。
若い人たちでまだ「坂の上の雲」を読んでいない人は、ぜひ読んでほしいと思います。私は日本国民必読の本だと思います。また読んでいて実に面白い。この本をNHKがどう描くか比較するのも面白いと思います。最後に産経新聞の片隅に出ていたちいさな記事を紹介します。
「NHKスペシャルドラマ『坂のうえの雲』の主題歌を、英国のソプラノ歌手で『世界の歌姫』と呼ばれるサラ・ブライトマンさんが歌うことが21日、NHKで発表された。タイトルは『STAND ALONE』で小山薫堂さんが作詞、久石譲さんが作曲した。ドラマは司馬遼太郎原作で、11月29日から放送される」
なぜ高いお金を出してでも世界的な外国人ソプラノ歌手に歌わせるのか、日本人歌手でもいいだろう、なぜ曲の題名が「STAND ALONE」などという英語の題名なのか、日本語の題名を使ったらどうなのか。まさか曲の詩まで英語じゃないでしょうね、それとも英単語が随所に入っているのですかなどと、ドラマを見る前からNHKに文句をいいたい。NHKよ、ドラマは、小説を忠実に描けよ、いつものように史実を勝手に捏造したり、歪曲するなよ。