朝青龍が引退に追い込まれ、引退を表明した。今年10月に断髪式を行うことになった。朝青龍には未練の残る引退であった。なにしろ体力的にまだまだ相撲がとれるし、本人もまだまだやる気充分だった。朝青龍が引退に追い込まれた直接の原因は、場所中に酒に酔い、暴行事件を起こしたことです。朝青龍の説明によれば、彼の個人マネージャーに暴行を振るったことになっているが、実際は朝青龍が飲んでいたお店の主人で鼻骨を折られるなど全治一ヶ月の重傷を負わされたというのだ。朝青龍はうそをついていたこになった。日本相撲協会は朝青龍を呼びつけ、引退を勧告した。引退を受け入れれば朝青龍には、高額な功労金や退職金が払われるが、引退を受け入れなければ、相撲界からは追放される。追放の場合は、一銭の金額も払われない。現時点では断髪式を行うのは決定しているが、引退相撲を行うかどうかは宙に浮いている状態です。横綱審議委員会は、引退横綱に引退相撲を取らせるかどうかの権限はありませんが、引退相撲の興行には反対を表明しています。
朝青龍は、これまでに「横綱の品格」を問われる行為を数々してきたからいまでは相撲界全体から嫌われているのだ。そこで皆さんにお聞きしたい。よく「横綱の品格」と言われますが、一体「横綱の品格」とは何でしょうか。どなたか「横綱の品格」を、具体的に且つ簡潔に説明できる人がいるでしょうか。日本人が「品格」というものを具体的に説明できないものを、外国人横綱に「品格」を理解させることは非常に無理なのではないでしょうか。朝青龍自身が『「横綱の品格」とよく言われるが、どういうものかよくわからない』と言ったとか報道されていますが、当然だと思います。日本人でさえ「横綱の品格」と言っても、それぞれの人たちが、かってに思い描くだけで、誰もこれが「横綱の品格」だと断定的に説明できないからです。その説明できない難しさは、その「品格」の中には、横綱は相撲に強いばかりでなく、人間として立派でなければならないというような日本の文化が含まれているからだと思います。
これから先10数年、日本人横綱は誕生しないどころか、この二、三年で横綱大関陣は、すべて外国人で占められそうな気配が濃厚です。そこで外国人力士に「横綱の品格」を理解させるために「品格」をマニュアル化、すなわち横綱としてのあるべき姿、あるいは横綱として守るべき規則、あるいは横綱としてしてはいけない行動などを列挙して書類にし、それを横綱誕生時に同意のサインをさせる必要があるのではないかと考えています。これが私の主張する「品格」のマニュアル化です。朝青龍の悪例をひきながら、あるいは文化的背景を説明しながら、いくつかの項目を挙げて「品格」のマニュアル化のいくつかの例を提示してみました。
1.横綱は他の力士のリーダーであり模範でなければならないという自覚を持つこと。
朝青龍は一人横綱になってから巡業先での稽古をよくサボルようになった。巡業は、相撲界全体の団体行動です。稽古をサボれば全力士にわかってしまいます。朝青龍にしてみれば稽古しなくても本場所で立派な成績を上げれば、文句ないだろうという考えがある。これでは他の力士へのしめしがつきません。力士たちもなんとなく稽古をサボるようになる。
そのせいもあるのでしょう、去年から巡業中は力士の稽古出席簿が作られたというのだ。
2.横綱が病気及びけがなどの治療のため巡業を欠席する場合、必ず診断証明書を相撲協会に提出すること。巡業を欠場している期間中は公の場所に出席しないこと。
巡業は、相撲協会にとって本場所に次ぐ重要な興業です。力士、行司、親方総勢330名
ほどの大所帯が参加しますし、横綱の土俵入りもあります。以前朝青龍は腰の治療と称して巡業に参加せずモンゴルに帰った。モンゴルでサッカー行事に参加し、自らサッカーのプレイをした。このことが相撲協会にばれた。どうやら腰の治療というのは朝青龍の仮病らしかった。このとき相撲協会は、朝青龍に二場所連続出場停止の処分を下しています。
3.横綱は、行司のくだした判定に、抗議の態度すらも示してはならない。
日本古来のスポーツ、例えば剣道、相撲、柔道、空手などは審判の判定は絶対です。選手など抗議などしてはならない雰囲気です。相撲の勝負の判定は行事の権限で、行事の判定に「まった」をかけるのが土俵下にいる審判員だけです。ある場所朝青龍は、勝負が非常にもつれ両力士土俵際でほとんど同時に倒れこんだ。行司の審判が相手方に軍配を挙げた瞬間、倒れていた朝青龍は土俵際に指を差し「相手が先に土俵を割ったではないかと」抗議するしぐさを示した。いわゆる見苦しいしぐさを示したのだ。行司の装束には腰に小刀がさしてある。行司が間違った判定をしたら切腹の意が込められているのだ。行司は、自分の軍配に命をかけろという意味です。力士の本業は、土俵上で相撲をとることであり、勝負判定は行司の仕事です。力士は行司の判定に不服な態度を示してはならないのだ。
4.横綱は、土俵上では正々堂々と戦わねばならぬ。
日本国民は、スポーツの世界では常に正々堂々と戦うことを好みます。この正々堂々と戦おうとする日本人の執着心は、外国人よりはるかに強い。私たち先人の示した一例を披露しましょう。1920年(大正9)テニスのウィンブルドン大会です。出場した日本人選手、清水善造は、当時世界ランキング4位の強豪です。清水は、前年のウィンブルドン大会の優勝者への挑戦者決定戦でアメリカのビル・チルデンと対戦した。対戦中チルデンがコート内で転倒した。清水は転倒したチルデンが起き上がって打ち返せるようにわざとゆっくりとした球を送ってやった。この時コートは一瞬静まり返ったが間もなく彼のスポーツマンシップに観衆から大きな歓声がわきあがった。試合は清水の敗戦に終わった。しかしこの清水のスポーツマンシップは語り草になった。私の年代以上の者は、戦前戦後間もなくまで学校の教科書に載っていたのでこの話をよく知っています。
現在ではこんなスポーツマンシップは見られなくなってしまった。今では勝つことがすべてになってしまったようだ。サッカーなどは審判の見ていないところでは上手に反則をするのが常識になっているのだ。すなわち正々堂々と戦わないのだ。しかし相撲の世界では、この正々堂々と戦う文化が残っていて勝つことがすべてではない。相撲の決まり手に「けたぐり」というのがある。奇襲戦法です。通常、平幕の力士が横綱、大関を相手に戦うような時とか、あるいは体重が極端に軽い力士が非常に重量の重い力士を相手に戦う場合に「けたぐり」を奇襲戦法として使うのが常識です。ところが、横綱ともあろう朝青龍が平幕相手に「けたぐり」を使って勝ったのを私はテレビでみたことが一度あります。その後朝青龍が「けたぐり」を使ったかどうか知りません。横綱が使うべき決まり手ではありません。
ところで清水、チルデン両選手の死後に後日談があります。1921年(大正10)デビスカップ決勝戦で清水は再度チルデンと試合した。清水は試合を有利に進め、彼がマッチポイントを握った。清水のサーブがエースとなってセンターラインをかすめた。敗れたと思ったチルデンが清水に握手を求めるためネットに駆け寄った。その時ネットジャッジは、清水のサーブの球がネットにふれたと判定した。その結果この一球で試合の流れは変わり結局清水は敗れた。しかし後年この時のネットジャッジだったC.N.フォーテスクは、アジア人にデ杯を渡したくなかったために球がネットに振れたと判定したと告白したのだ。1921年(大正10)の清水、チルデンのデ杯戦の三年後、1924年(大正13)にアメリカの徹底した人種差別政策、排日移民法が可決された。これが昭和天皇も主張する大東亜戦争勃発の原因の一つになったのだ。
5.横綱のガッツポーズは禁止。
横綱また力士は、自分がどんな印象的な勝ち方をしようと、また優勝を決定づけた勝ち方をしようと、誇らしげにガッツポーズをすべきではない。
これは日本特有の敗者への配慮、ないし気配りの手段なのだ。正々堂々と戦うことと敗者への配慮は、日本で生まれたスポーツの真髄なのだ。土俵上は、正々堂々と戦う相撲の勝ち負けを観衆に見せる場所であり、勝った力士が喜びを、負けた力士が無念さを観衆に見せ付ける場所ではありません。
6.横綱の「駄目押し」は特にダメです。
「駄目押し」とは勝負がついて自分が勝っているにもかかわらず、相手力士をまだ勝負がついていないと言わんばかりに押したり突いたりすること。勝負がついているだけに相手力士は力をぬいているから一突きで吹っ飛んだり、崩れたりします。朝青龍は、この「駄目押し」が実に多かった、見ていて実に見苦しいのだ。横綱の名が泣きます。例外的に夢中のあまり行司の軍配に気がつかず「駄目押し」になる時もあります。土俵下の審判員は、自然な相撲の流れの中の「駄目押し」なのか、あるいは醜い「駄目押し」なのか区別がつくはずなのです。相撲協会は、この醜い「駄目押し」にはもっと厳しい態度で朝青龍を罰すべきだったと思う。
7.横綱の暴力行為の禁止。
最初に触れたように朝青龍は、場所中に酒に酔い、暴力をふるい一般の人に重い怪我を負わせ引退に追い込まれた。力士の拳は、手刀と言われるほどの凶器なのだ。
以上七項目をあげましたが、その他にも麻薬の問題、あるいは横綱の土俵入りのような横綱としての仕来りや習慣などがあるでしょう。そういう項目を全部網羅して、項目によってはその背景を説明し、最後に下記のような項目を挿入しておくのです。
「横綱としてどういう行動をとればよいのか分からない時には、親方と相談して決める。親方も分からない時には、相撲協会と相談して決める」
最近では、朝青龍は、モンゴルの外務大臣らと一緒に北朝鮮を訪問しています。しかし朝青龍は、まだ断髪式が終わっていません、引退相撲も行われるかもしれません。まだ身分は日本相撲協会の一員ではないのか。北朝鮮には拉致問題が未解決、いわば日本の敵国です。朝青龍は自由に北朝鮮を訪問できる立場にいるのでしょうか。引退横綱と日本相撲協会との関係は、いつの時点で終了するのか取り決めておかなければいけないのではないでしょうか。
大相撲のような伝統あるスポーツに西洋式の契約概念を持ち込むのは、私はあまり好みませんが,「横綱の品格」としての書類を作成し、横綱に承諾のサインをさせることによって公式に横綱の誕生とすることが最良の策だと思うのです。その理由は、
1. 外国人横綱がこれからも長い間続く。
2.「横綱の品格」を口で説明するより書類にしてサインで承諾させる方が重みがある。
3. 横綱誕生時においてすでに「横綱の品格」を意識させる効果がある。
4. 日本相撲協会への外国人や引退横綱の不平不満を防ぐのに役立つ。
朝青龍が引退に追い込まれた時、母国、モンゴルでは、朝青龍が日本人横綱の最多優勝記録を破りそうだから引退に追い込んだと報道された。朝青龍の父親もそのような発言していました。父親が日本に来た時は、そんなこと一言も言っていません。父親のそのような発言で、朝青龍の高額な功労金や退職金がフイになるのを恐れたのだ。断髪式も済み、功労金や退職金を手にしたら、朝青龍は必ず相撲協会への不満を口にするでしょう。
5. 先にも触れましたが、いずれ横綱大関陣は、全部外人で占められる可能性が非常に強
い。そんな時、外人横綱大関陣がこぞって日本相撲協会になにか要求や提案(例えば日本語を強制するなとか)を出す可能性は否定できない。その時に慌てないように、項目の中には横綱の参加を防ぐような条項、例えば「相撲協会の慣習には必ず従う」などを挿入しておくべきだと考えています。
皆さんは、私のこの考えにどう思われるでしょうか。
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9 comments »
terag3 より:
2010年5月9日 9:00 AM
大相撲の品格のマニュアル化に大賛成です。理由は、えんだんじさんが言われるように横綱・大関陣に外国人力士が今後もますます増えてくることが予測されるからです。それに加えて日本国内でもますます外国人労働者や移民が増えるという政策がとられていますので、こういう問題を放置すれば日本の伝統文化もなし崩しになってしまう可能性も高いからです。書類にして署名させることは、あの戦艦「ミズーリ号」上における調印式のような絶対的な重みがあります。そして外国人には分かりにくい日本人の精神文化である頂上を極めた者たちの「品格」の内容とは、どのようなものか文字によって確認させることができるからです。
それにまた相撲部屋の親方たちも「品格」については弟子たちに厳しく指導していないのではないかと思えるからです。この際、相撲協会が「品格」についてマニュアルを作成して力士を教育することと併せて横綱昇進時にはその書類に署名させて自覚を促すような制度改革を実施すべきだと思います。
それにしても正々堂々と戦わねばならぬの項目の中に、テニスのウインブルドン大会において、清水善造(善を造るというこの名前も良いですね)対アメリカのビル・チルドンとの試合中のエピソードが当時の学校の教科書に載っていたというのは私も知りませんでしたが、この話は何となくどこかで聞いたか読んだかした記憶はあります。
良くご存じでしたね、感心しました。
猪 より:
2010年5月9日 10:50 AM
何事もそうですね。品格は「分」を弁える事から第一歩が始まると思います。相撲では幕下の「分」・十両の「分」・関取の「分」・三役の「分」・大関の「分」・横綱の「分」が其々精進し「格」を上げて行く中で心身とも指導を受け培われて行くものでしょう。
柔道でも最近は「分」を弁えない人が増えて来ました。少年時代には柔道の「道」を説かれますが段が上がるにつけ「傲慢」とでも言いたい様な「分」を弁えない所作が増え、相手を思いやることも無いガッツポーズなど加納治五郎師範が見られたら涙される様な現状には日本柔道落ちたりと。
チルデン・清水戦は学校でも教わりました。眼を輝かして聞いていたものです、矢張り昔の偉人・スポーツマンのさわやかな話は子供の時代に聞かせる事が必要です。自然に人間としての「品格」を物語から、偉人伝から貰え子供の時の記憶・教訓は三つ子百まで忘れるものでなく、大人になればそれが「種」と成り「分」に合った「品格」を自然に醸し出すのではないでしょうか。
スポーツに限らずどの分野でも「分」を弁えない事が「品格」を保てるわけがない事を知る人が少なく成ったのは残念な事、マニュアルで「品格」を作れるものでもなく子供時代の教育の大事な事を痛切に感じる毎日です。子供・青年・大人地代と人間としての順序が判らず「分」に応じた生活をしてきていない人が首相に成ると・・・良い見本です。
猪 より:
2010年5月9日 10:52 AM
訂正・最後の「大人地代」は「大人時代」でした。読み返すと慌て者の性格が丸出し・・・
terag3 より:
2010年5月9日 12:51 PM
猪 様
コメントを拝見しました。やはりチルデン・清水戦を学校で教えられたとか、私の記憶では小学校3年までは満州で育ち終戦後4年生を飛ばして5年生から福岡県で学びましたがその話を覚えて居りません。どこで抜けたのでしょうか?
それにしても小学生の時代に偉人の話を聞かせるのは大事なことですね。
しかし特に外国人には日本のことが何も分からないので、えんだんじさんが仰るように「品格」について徹底的に話して、文字で書いたものを読ませて署名させるぐらいでないと体に染み込まないだろうと思われます。それにしても朝青龍はひど過ぎました。親方の教育がなっていなかったのでしょう。
えんだんじ より:
2010年5月10日 7:24 AM
terag3さん
賛成していただいてありがとうございます。
現在力士の教育は、ほとんど親方に任されているような状態です。
大関ぐらいまではそれで良いかもしれませんが、横綱にはもっと日本相撲協会がもっと関わるべきだと思います。それが「品格」のマニュアル化のアイデアです。
えんだんじ より:
2010年5月10日 7:40 AM
猪さん
「分を弁える」、なつかしい言葉ですねぇ。本当に久しぶりに聞く言葉でなつかしさを覚えます。今ではほとんど死語に近く、若い人に通じないでしょう。
「品格」を説明するよりもっと難しい言葉ですね。なんだか日本語には、感覚的に説明することが難しい言葉が多いような気がします。
猪 より:
2010年5月10日 10:28 AM
Terag3さんへ
満州からですか、大変な経験をされたのですね、私の叔父も終戦時は満州第545部隊第6中隊長として満州製鉄企業警備についていたようですが、終戦でもソ連軍と交渉武器放棄せず満軍・朝鮮人・国府軍・八路軍からの警備でこれらを40キロ以内に入れてはいけないと警備についていたようです。満人・朝鮮人は満州製鉄社宅に侵入略奪をされたと軍隊歴に書き残しています。そのご強制連行でタシケントで作業に駆り出されて帰国は23年7月でした。
当時の学校教育も地方・教員にもより異なって居たのでしょう。教科書を黒塗りするのも私たちの所ではいい加減で上級生の私たちがこの文は良い、と言うと先生は放って置け、消したい者は消せ、こんな程度でした。
縁故疎開で学力も落ちていましたので中学の入学試験の方が心配でしたが、今年から無試験で新制中学に全員入れると聞き驚きながらも、入ってみると最上級生、下級生も居ない中学とは名ばかり木造のバラックを大きくしたような校舎で冬は寒い、夏は熱い、他の小学校から来た連中と縄張り争い、授業より野球の練習の方が楽でした。
中途半端な年代と思いますが、戦前・戦後の良い処悪い処を判断する「材料」の多くを自分の体験を通じて得ることが出来たものと自分では思う様にしています。民主党政権の子供手当・高校無償化なんて話を聞くと人間の成長の為の「芽」を政治がワザワザ摘んでしまう様な気持になるのは、矢張り体験のなせる事なのでしょうね。
terag3 より:
2010年5月10日 6:29 PM
猪さんの叔父上も満州でご苦労されたようですね、私も引揚途中の新京(長春)市街の銀行宿舎で中共軍と八路軍の市街戦に巻き込まれ家の中に銃弾は飛び込んでくる、裏庭で手榴弾が炸裂する、夜はそれらの兵隊が家屋に侵入して来て女どもは強姦される、銃撃戦が終わって市街に出てみるといたるところに兵隊の死体がごろごろころがっているという、それは大変な目に逢いました。
しかし猪さんの仰る通りそれら戦前、戦中、戦後の体験を通じて勉強したことにより自虐史観に影響されず善悪の判断が出来るようになったのだと思います。ところで「分」を弁えるというのは日本人の最高の資質ではないでしょうか?現代社会はそれが無くなってしまったのです。ましてや外国人には見当もつかないことでしょう。
本日も横須賀劇場前の大通りで10時ごろから歩道に大勢の女性たちが青いビニルシートを敷いて座り込んでいました。14時半ごろ用事が終わってまたその前を通ると150メートル以上にわたって4~500名以上の女性群が群がっていて何事かと思いきや1台の黒塗りワゴン車がその前を通過している最中で、ぎゃ~っという大歓声が湧きあがりそのそばに居たスタッフの腕章を巻いた男に「これは何の騒ぎか?」と聞くと「韓国人のスターが来たところです」というのです。
40代後半から60代前半の年代の女性たちですが恥も外聞も無く、みっともないという自覚も全くない人種たちだと呆れた次第です。あさましい日本人になり下がったものです。
猪 より:
2010年5月11日 10:34 AM
terag3さんへ
焼夷弾・機銃掃射の経験は有りますが、戦場の様な場面には突き当たる事は有りませんので内地は恵まれていました、それでも死臭と焼け跡の臭いは未だに忘れることは無く、それが外地で空手だと大変だったでしょう。
韓流スターと言う人でしょうが、家内が美容室に行くと婦人雑誌には掲載されているので、店主に聞くと好きなお客さんにも多いそうです。殆どが三色旗関係の偉いさんで民団や学会では声が掛るんだそうですよ・・・歌手でもおっかけの人達は三色旗関係が多くNHKでも大量に当選させペンライトで応援する風景が見られます。
娘や姪・孫代は興味が無い様です。近所の若いお嫁さんも普通の主婦もそうでもないのでは無いと思いますが、同じ日本人ですから恥ずかしいですよね。
昔は「宝塚」のスターが若い人たちはキャーと騒いで居たのを現地で眼にした事が在りましたが、最近は婆さんですから敵いません。精神年齢も低下しているのでしょう、心せねばと考えています。
「あさましい」現在の政治家にも当てはまりますね、本人たちはこの単語を知らないから平気で居られるのです。