日米の歴史と文化を考える(3)

和の文化
西暦604年、日本最初の憲法、憲法17条が制定されました。その第一条の冒頭の文句はあまりにも有名です。その冒頭にはこう記されている。「和をもって貴しとなし」となっています。このあとにも文章は続くのですが、この冒頭の文句は、日本の「和」の文化を象徴するものとして非常に有名なので、あとの文章は知らなくても、この文句だけは覚えている人が圧倒的に多いいのではないでしょうか。それでは第一条全体の文章は、どう書かれているのか、現代文に訳されているものを見てみましょう。
第一条
「お互いの心がやわらいで協力することが尊いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが基本的態度でなければならない。ところが人にはそれぞれ党派心があって、大局を見通しているものは少ない。だから、主君や父に従わず、あるいは近隣の人々と争いを起こすようになる。しかしながら、人々が上も下も和らぎ、睦まじく話し合いができるなら、事柄はおのずから道理にかない、なにごとも成し遂げられないことはない。」

第十七条は、上記の第一条とも関連しているので全文を見て見ましょう。
「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに論議すべきである。小さな事柄はたいしたことはないから、必ずしも多くの人々と相談する必要はない。ただ、重要な事柄を議論するに当たっては、あるいはもしくは過失がありやしないかという疑いがある。だから多くの人々とともに論じ、是非をわきまえていくならば、その言葉が道理にかなうようになるのである。」
現在の日本社会でも7世紀初めに制定された憲法17条の1条と17条の理念、すなわち話し合い至上主義がまだ生きていることがわかります。話し合い至上主義は、民主主義のことだから、この時代に日本は民主主義だったのだと早合点してはいけません。故山本七平氏は面白い例を紹介しています。
宿題を忘れた生徒は教壇の前で裸にならなければいけないというルールを全員一致でつくって、第一回の適用で女の子が裸にされた。これはいいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。
悪いことに決まっているのですが、どこが悪いのでしょうか、ということで先生がたが話しあったのですが、先生がたはどこが悪いのかということがはっきり言うことができなかった。
話し合い至上主義は、話し合いで決めたことは、すべて正しいことになってしまうから、先生方はどこが悪いのか判らなくなってしまうのです。民主主義は、キリスト教をバックボーンにしてできあがっています。キリスト教によると人間は神様によって作られたことになっています。神様によって作られた人間なんだから基本的な人権はあるはずだと考えます。だからいくら全員一致で決めたことでも、基本的人権は侵してはならないというルールができてくるわけです。話し合い至上主義は、決して民主主義ではないということをわかっていただけるのではないでしょうか。
現在では外国でも、日本は「和」を大事にする国であるという認識は広まっていますが、その「和」を大事にすることが今からほぼ1400年前の日本最初の憲法、その第一条に記載されていることまで知っているのは極端に少ないでしょう。日本人は「和」の大切さを憲法の条文だけで終わらすことなく、数百年かけて日本人は、一人一人が「和」の大切さを無意識に感じ、また「和」を保つための行動が無意識のうちにとれるという世界でも貴重な、何回でも書きます、世界でも非常に貴重な「和」の文化を完成させたのです。
それでは日本人が和を保つために無意識のうちにとれるようになった行動とは、どんな行動をいうのでしょうか。自己主張を強くしないこと、対立を避けること、気配りをすること、すぐ謝ることなど色々考えられますが、そういうものをひっくるめて一言で言い表すならそれは、「自己犠牲」をはらうという行動だと思います。日本人は、集団の「和」を保つために一人ひとりが無意識のうちに「自己犠牲」を払っているのです。
自己犠牲と言っても武士の切腹のような大きな「自己犠牲」ではなく小さな「自己犠牲」です。日本人は集団の和を保つために一生のうちいくつもの小さな「自己犠牲」を無意識のうちに払っているのです。この無意識のうちにと言うのが文化の良さでもあり恐ろしさでもあるのです。
それではその小さな「自己犠牲」とは、無数にあると思うのですが、具体的に説明するために二つの例を挙げてみました。
一つの例は、日本人はすぐ謝ることです。自分が犯した罪に対して謝るのは当然としても、日常生活用語のようにすぐ「すいません」という言葉が出てきます。これは無意識のうちに相手に対して敵対関係にありませんよと、すこしでも相手の気持ちを楽にしてあげようとするためにはらう小さな「自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。
二つ目の例は私の友人の話です。彼の家の隣に80歳を過ぎたおばあさんが一人住んでいます。彼女は猫が好きですが、自分の家では飼っていません。おばあさんのご主人が数年前に亡くなってしばらくしてから、彼女は自分の家に近づく野良猫にえさをやり始めたのです。それからは彼女の家のまわりに3,4匹の野良猫がたむろするようになったのです。そのため友人の家の庭は、猫の糞の被害を時々受けるようになったのです。
友人は、おばあさんに文句を言って、野良猫にエサをあげるのをやめさせたいのですが、彼女は一人住まいになって寂しい思いをしているのだろうと同情を感じるし、また彼女のご主人が生存していたころから隣組同士の関係が良好なので、あえて文句を言ってお互い気まずい関係になるのもいやだしということで我慢しながら猫の糞をかたずけています。この程度の糞ならがまんできると友人は自分で決めているのです。この友人の行為は、対人関係のきまずさを避けるための自己犠牲と言っていいのではないでしょうか。ところが友人は自己犠牲などとおおげさに考えずほとんど無意識に行っているのです。このように日本人は、一人ひとりが色々な時に、色々な場所で対人関係では、気まずい思いをせず「和」を保てるように無意識に自己犠牲を払ってきたのではないでしょうか。
「和」を保つために無意識のうちに小さな「自己犠牲」を行うことが、日本社会独特の「居心地の良さ」を生んでいるのだと思います。国連や世界銀行などに勤める外国人は、定年退職すると多くの外国人はそのまま勤務地ないし勤務地が所在する国に住み続ける人が多いいと言われていますが、日本人の定年退職者の多くが日本に帰国するとも言われています。いくら外国に住み慣れてもやはり日本に帰りたくなるのは、和の文化によるこの「居心地の良さ」が原因だと思います。
日本が「自己犠牲」なら日本以外のほとんどの外国は「自己主張」です。この自己主張に対する日本人の考え方を語っている古い文献があります。それは、万葉集の歌集の中にあります。
「葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は、神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする」
葦(あし)とはイネ科の植物で、瑞穂(みずほ)というのはみずみずしいイネの穂のことです。葦原の瑞穂の国と言うのは日本のことです。要するに稲作という言葉が同時に日本という国の意味になっているのです。数十年前、おコメの輸入自由化が日米間の貿易摩擦になりました。日本政府は、おコメの輸入自由化に必死に抵抗しました。その時ある政治家だか役人だかが「おコメは日本の文化だ」と言っていました。
たしかに万葉の時代から日本は「瑞穂の国」と言われていたことを考えれば、おコメは日本の文化と言えます。この歌の作者は、日本は神の国だから言挙げしない国だが自分はするぞと言っているのです。「言挙げ」とは、ことばに出していいたてること、すなわち自己主張のことです。
自分が自己主張するのをわざわざ歌に詠むくらいですから、万葉の時代から日本では自己主張が嫌われていた一つの証拠でしょう。
宗教の自己主張は、その宗教の教義、経典のことです。ところが日本の神道には、教義、経典などなにもありません。だから万葉集に、日本は神の国だから自己主張しない国などと詠まれた一つの理由でしょう。こじつけと言われればそれまでです。
キリスト教の教義、経典は、旧約聖書と新約聖書です。旧約聖書の創世記のところでゴッドはこう命令を下しています。
「子孫を増やし、大地を子孫で満たせ、そして大地を征服せよ。すべての魚、鳥そして大地に這うあらゆる動物を支配せよ」
どうですかゴッドのこの強烈な自己主張。現在はアメリカ・インディアン、アイヌ、アボリジニなど少数民族の権利、主張、文化などに光があてられています。かりに彼らの神だとか仏だとか彼らの信じる対象物が、キリスト教のゴッドのように強烈な自己主張を残していたら彼らは少数民族になりはてていただろうかと考えてしまいます。
万葉の時代から自己主張が嫌われていた日本では、どうしても自己主張したいときはどうしていたのでしょうか。その時は言いたいことを遠まわしにほのめかしたり、におわせたり、暗示したりしてきました。こういう自己主張の仕方を一千年以上経験してきた日本人は、相手の気持ちを「察する能力」がまるで五感の一部のようにたけて以心伝心となっていったのです。以心伝心は一夜の人間関係ではできません。ただ同一民族だから以心伝心ができると思ったら大間違いです。それなりの年数が必要だと思います。
アメリカ人は、非常に自己主張の強い民族です。そのためアメリカ人は、相手の気持ちを「察する能力」が日本人よりも劣るのです。自己主張の強さは我がままに通ずるものがあるからです。
サンフランシスコ州立大のディーン・バーランド教授は、アメリカに訪れていた作家の司馬遼太郎にこう語っています。
「相手の心を察する感覚は、日本人において強く、アメリカ人においては弱いのです。アメリカ人の場合、自己を表現するということを、母親や学校から徹底的に教えられます。まず第一に、自己を表現しなさい。第二は、自己が正しいと思っていることをやりなさい。そして自己表現はアーティキュレイト(明瞭)に、クリア(明晰)にやりなさい。また、相手に訴えるときはパーフェクト(完璧)にやりなさいということを教えつづけます。そのため、相手の心を察する感覚が弱くなっているのです。」
日本とはまるで逆ですね。日本人の親なら、自分の子供に「相手の気持ちを考えなさい」と小言を言うのは一度や二度でないでしょう。バーランド教授の話を聞いているとアメリカでは、子供に向かって「相手の気持ちを少しは考えろ」などと言うことは全くないみたいです。
相手の気持ちを「察する能力」にたける「和」の文化には大きな弱点があります。それは思い切った改革が必要なとき、なかなか改革ができないことです。改革は敵対関係が生まれ、不安が生じます。しかし敵対関係を避ける「和」の文化は、それが苦手です。
自己主張が強いと対立関係が生じやすいのでアメリカ人は、対立関係になれています。従って対立関係から生じる禍根はそれほど強くのこらないと思います。
日本人は対立関係に慣れていないから、ちょっとした対立でも禍根として強く残るものですから、改革が必要とわかっていても、なかなかできず、外圧に頼って改革するというなさけないはめになってしまいます。

戦後70年経た現在、日本社会では、自己主張は容認されたと言っていいでしょう。もっとも我がままを自己主張と勘違いされている部分も多いです。時と場合によっては、自己主張は歓迎されます。その反面相手の気持ちを「察する能力」が落ちてきてきたことは否定できません。そのため気の利かない、気配りのできない若者が増えていることも事実です。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、私のような年寄りには複雑な気持ちです。
私が「喜んでいいのか」という意味は、外交交渉では「相手の気持ちを察する能力」とか「気配り」とか「気を利かす」などは、百害あって一利なしだと思うからです。
歴史の話をする時には、“もし”なになにだったらと、“もし”を使うのがは禁物と言われていますが、あえてつかって“もし”「和の文化」だけだったら、日本人は人の気持ちを“察する”能力にたけて人が良いだけで、対立することを苦手とする弱い民族になっていたのではないでしょうか。そのため日本は欧米の植民地になっていたと思います。それを救ったのは、日本の歴史において、シナや韓国や他のアジア諸国にみられない武士というものが登場し、そして武士としての人間形成と行動規範である武士道を生んだことだと思います。極限すれば武士道が日本の植民地化を救ったのです。

このブログをもって「えんだんじのブログ」の8年目が終わります。来月からは9年目に入ります。今後もご愛読のほどお願いいたします

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