もう日本男子の文化は、完全になくなった。(2)

前週の土曜日、10月14日、えんだんじのブログ、「もう日本男子の文化は、完全になくなった。」を発表した。そのブログでは、私が今から9年前の2008年9月13日にえんだんじのブログに出した「男の涙」の再引用でした。最後にその時もらった二人の読者のコメントとえんだんじの返事も出すつもりでしたが、ブログが長くなってしまうので省略しました。今回はその二人のコメントとえんだんじの返事の引用です。
引用開始
猪さんのコメント
「私も祖父の「命令」が~「男の子は人生で3回だけ涙を流してもよい、苦しい時ほど笑え」~が人生訓。
泣けない事はホントにつらいと思った事も有りました。祖父の「葬儀」の時には「吐くほど」納屋の裏で泣きました。棺桶に入れる花を納屋の裏に挿して祖父が帰って来てくれるのを待った程です。
中学生が「死」の意味を理解しないわけでは無いのですが、泣けたのですね。三回のうち一回、思い切り泣いて仕舞ったと言う事実が、素晴らしい映画で泣きたい想いが有っても、同期の友人の死を目にしても、残り二回で人生が終わる感じがする為に泣けないのです。
人が聞けば馬鹿な話で悲しければ泣けば良い。現在の若い人には笑われるでしょうが、子供たちも「冷たい」お父さんと考えていた感じは有りましたが、今は祖父の言葉を未だに心に持っている人間である事を家内も含めて理解し「頑固おやじ」と嘲笑?される事も無く成りました。
困った事は子供たちには、「人を裏切るな!」と教えてから彼等・彼女の友人の情報が殆ど入らなくなり、友人の判断は自分で先入観なく見る。加えて子供たちの態度から情報を得る事に成って仕舞い彼らの学生時代には困ったものです。
現在は映画を見ても涙が出そうに成るのは年のせいでしょうか?約束が有るので「頭」が痛くなるほど我慢する事がたびたび有ります。家内には「お父さんの神話」も何年もつだろうと?子供達に言ったらしいと、「秘密」を明かしてくれましたが悪口では無いので許しています。矢張り年が言わすのでしょうね。
後二回の涙?何時出るのでしょう?年をとるにつき重荷にも感じているのですが、長年の約束事「自分」が死ぬ時は涙は出せませんので一回で終わって欲しいと最近は考えています。「うつ」は闘争心が無く成ると起こるでしょう。
酷い教科書が手に入りました。えんだんじさんが「書いたら」の一言がものすごいプレッシャ―高校時代の追試験を受ける感じです。」

えんだんじから猪さんへ
「年をとると涙もろくなるのは、涙腺のしまりが年をとるとゆるくなると言うか、しまりがなくなるせいだと医学的に証明されていると私は聞いています。だから私は、いまは無理しません。映画など見て泣きたい場面があれば、平気で涙を流します。私の一言が随分プレッシャーを与えたようで失礼しました。」
引用終了

引用開始
たつやさんのコメント
「野菊の墓」で政夫が民子の死去を知らされたのは,寄宿舎住まいだった旧制中学の時だったと思います。
なんでも「毛唐のまね」をすればよいという価値観のしからしむる流れでしょうか。
「男泣きになく」も死語になったようです。「兼続」は「女子供」受けを狙った訳ですが,
今や「国民総『女子供』化」ですね。
えんだんじからたつやさんへ
「たつや様
そうでしたか。旧制中学生でしたか。失礼しました。
確かに「男泣きになく」など死後になってしまいましたねぇ。
一億総女子供化には同意です。
引用終了
上記の猪さんは、元軍人でこの時期、自宅で療養中で、外出しても2,3時間が限度で自宅に戻らなければならない状態だった。しかしえんだんじさんの出版記念パーティーの時は、必ず俺を招待してくれ、俺は車イス使ってでも行くからと言っていたのだ。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のお蔭で、沢山の元軍人ファンがいた。多くの彼らが私に投書してくれた。彼らのほとんどがこの本を絶賛してくれた。「よくぞ、この本を書いてくれた。」と言ってくれたのだ。しかしほとんどが、私が書いた「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」も「戦後昭和の女性たち」もどれもさしあげるまでもなく亡くなっていた。残念、無念、なんのお礼もできず、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくださって本当にありがとうございました。皆様方の上記本に関する投書は全部大事にとってありますので、いずれ時期を見て公表したいと思っています。

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