ピョンチャンオリンピックでは、随分テレビ番組を見た。冬のスポーツでも色々なスポーツがあるものだと感心してしまいます。現在の10代、20代の人たちは冬のスポーツだけでなく、色々種々雑多なスポーツを楽しむことが出来て実に幸せだ。健康体の人たちだけでなく、何十年と患う人たちから車イスの人まで楽しむことができるのだ。今年の夏、80歳を迎える年代の俺たちにくらべると、同じ10代、20代でも天国と地獄の差がる。特に俺など極貧育ちだから、現代の子供たちと俺の子供時代との差は、天国と地獄の差以上、めちゃくちゃな開きじゃないかなと思う。
俺など両親と一緒にどこかに食べに行ったことは一回もありません、どこかに一緒に遊びに行ったこともありません。お正月にお年玉をもらったことなど一回もないままにおとなになってしまった。俺は長男で妹二人、男ひとりだからいつもお袋の手伝い。親父は重病の結核で入院、俺が手伝わなければ一家全滅というのを子供心に無意識に持っていた。自宅から7,80メーター先に井戸があり、井戸からつるべ落としで水をくみ上げ、二つのバケツに水を入れる、いわゆる水汲み仕事、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、ガスなし、自宅のトイレの汲み取り、自宅の小さな庭に穴を掘り便を埋める。親父は少しでも生活の足しにモルモットを育て、ジュウシマツを飼っていた。面倒なのはモルモットが大きいのでえさを食べる。その餌をかまでとるために山へ入るのだ。その山のごく近くにわざわざ住んでいたのは敗戦(大東亜戦争)のためであった。
俺は神奈川県の川崎市に昭和13年の時に生まれ、昭和16年の時大東亜戦争が起こった。俺が5,6歳のころ日本本土への空爆が度々あった。川崎は重工業地帯でいずれ大空爆にあうのは時間の問題と考え、俺一人を親父の実家、富山に疎開させ、両親と妹の3人は親父の勤務する日本鋼管系列の会社が草津にあったので、そこえ疎開した。予想どおり川崎は大変な空爆を受け、我が家は焼き尽くされてしまった。戦後親父の勤め先は川崎の日本鋼管だったので通勤範囲内の横須賀市の追浜の山の上に引っ越した。横須賀は山の多いい町だ。山の上、またその山の上にいけば家賃が安い、親父は肺結核にかかっていて入院しそうだったから、家賃の安い山の上、我が家を含めて5.6件でその上はまわりがすべて山だった。モルモット用の餌の野草なら山ほどある山上だった。俺は追浜の浦郷小学校に小学一年の三学期に転向した。浦郷小学校は古い学校で明治16年に創立され今年で創立135年という古さです。引っ越して、親父は重病の肺結核ですぐに入院、当時どこでも貧乏だったが俺の家の家族は、大貧乏所帯だった。日曜日は、朝遅く起きねばならなかった。朝食を抜いて一日二食の時もあったからだ。俺が小学校3年か4年の時だった、担任の先生が飯田先生といって女性の先生の時だった。その頃学校では秋になると学芸会があった。各組が演芸をやったり、歌を歌ったりなどして芸を競い合う学芸会があった。その時飯田先生は、俺の組で「白雪姫」を演じることを決めたのだ。その時飯田先生は、俺を白雪姫の王子役をやらせたのだ。どうして王子役に選ばれたのかさっぱりわからなかった。何しろ勉強はできない方だったからだ。俺の女房は、「あなたは子供のころからイケメンだったのよ」と言ってくれるが、俺には子供のころの写真など空爆で焼失一枚もないのだ。
いずれにしても俺は「白雪姫」の王子様役をやった。王子様の被る帽子は、硬いボール紙を緑色に塗り、着るマントは大きい風呂敷を着たことだけは覚えています。他のことは全然覚えていません。主役やる白雪姫は、時田早苗(ときたさなえ)と言った女の子で、お転婆な女の子だったということは覚えています。これ以外何も思い出さないのです。俺はその後浦郷小学校で彼女に会ったこともないし、俺は中卒後間際に藤沢に引っ越すのですがそれまでに一度も会った覚えはありません。
学芸会出演の時には、俺の両親は着ていません。父は結核の重症患者で入院中、母は病院に看護に行っていたからです。時田早苗さんの両親が見にきていたかどうかわかりあません。
俺が今もって不思議に思うのはたったこれだけの思い出だけでよく時田早苗さんというフ
ルネイムを70年間も忘れる事もなく覚えていたものだと感心しています。
ピョンチャンオリンピックのテレビ番組を見ていたとき、俺には若い時夢中になってしたことは何もなかったことを改めて思いだし、思い出に残ることはなんだったかと考えたとき、学芸会で白雪姫の王子役をやったのを思いだし、白雪姫役の時田早苗さんの名前がすぐ出たのだ。これには自分でビックリした。飯田先生という女性と時田早苗さんしか思いだせなかったのだ。飯田先生はともかく、時田早苗さんというフルネームがなぜか覚えていてすぐに口に出たのだろうか。他の学友たちの名前は一切出てこなかったのだ。なぜか彼女の容姿や顔つきを全く思い出せないのに、なぜフルネームだけ覚えていたんだろう、こうして「訪ね人」を利用して探してみようと思ったのだ。
『尋ね人』
「時田早苗さん、あなたは、横須賀市追浜の浦郷小学校3,4年の時、女性の担任の飯田先生のもとで学芸会の時、「白雪姫」の主人公白雪姫を演じませんでしたか?私は白雪姫の王子役を演じた鈴木敏明と申します。私は飯田先生以外の生徒の名前は誰一人思いだせないのですが、時田早苗さんの名前は何故かほぼ70年間覚えていたのです。時田さんが健康であったら、ぜひ私と会ってもらいませんか。白雪姫と王子が70年ぶりに再会というニュースが盛り上がるかもしれませんよ。お互い70年間の人生の営みを話し合いませんか?
もし興味がありましたら、ぜひこの「えんだんじのブログ」に応答してください。あるいは、メイルで私あてに返事をお送りください。私のメイルアドレスは、tosi-suzuki@d03.itscom.net, あるいは私は横浜に住んでいますので自宅の電話番号は、045-903-6348にご連絡ください。もし読者で時田早苗さんの居所をご承知の方がおりましたら、私あてに連絡してください。よろしくお願いします。」
テレビでオリンピックを見ている最中に、ふと思い出したので、このようなブログを公表してみました。もしこれで時田早苗さんと会えるようでしたら、俺はオリンピックで金メダルを取ったのと同じようなことですね。