私は個人的にこの本には因縁があります。半藤の「昭和史」は、昭和の初めから大東亜戦争敗戦で終わっています。従ってこの「昭和史」は大東亜戦争史です。この「昭和史」は、初版が2004年2月に出版されています。私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の初版が出版されたのが2004年7月です。
すなわちほぼ同じ時期に出版されたのです。だから多少因縁があるのだ。しかも両書の内容は、半藤の自虐史観と私の大東亜戦争肯定論だからです。
半藤一利は有名な作家、平凡社が出版し、本は全国の書店で売られています。私の初版は完全な自費出版、自分で書いて、自分で1000部の出版費用を出し、自分で都内及び神奈川県の大型書店に売り込みました。しかし私には全く予期せぬことが起こりました。
私の大作の初版1000部が1年以内で売り切れてしまったのです。すぐに2版目の1000部出版。一面識もない人が私に賛辞の投稿、初版三ヶ月目の10月には、生まれて初めての2時間の講演をするまでになったのです。
私の定年後の人生を変えた本になりました。2版目の1000部も売り切れ3版目の1000部を出版しました。私は有頂天になりました。ひょっとして全国的に広がるかもしれないと希望を抱いたのです。ところが2006年の3月出版社が突然破産。
「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は絶版になってしまったのです。私の夢と希望が打ち砕かれてしまいました。しかしその後西尾幹二氏の目にとまり絶賛されたのは、不幸中の幸いでした。在庫が400冊あまり、全量私が引き取りました。現在東京八重洲ブックセンターと神奈川県、有隣堂各店で在庫がきれるまでという条件で限定販売されています。
一方、半藤一利著、「昭和史」は売れています。初版から現在では13版になって、毎日文芸賞受賞して歴史書のベストセラーになっています。私としては私の本と出版時期が同じでまた自虐史観本だけにじつに癪に障る本です。そこで今回は、自虐史観本の共通の欠陥をあげてみました。
1.道徳論で戦争になることは絶対にありません。国益が必ずからむから戦争になるのです。そのため戦争になるには必ず相手国がいります。大東亜戦争の相手国は、数カ国にのぼりますが、特に米英中国の三カ国は重要です。この三カ国の動向は、因果関係となって日本の国内政治に反映されます。ところ自虐史観本は外国、特に敵国の動向をあまり語らず、日本国内の政治的、軍事的動向だけを語って日本批判を繰りかえす本がほとんどです。
2.大東亜戦争は、昭和16年に始まり昭和20年で終わっています。大東亜戦争へつきすすむ原因にもなった満州事変は、昭和6年に起きています。従って自虐史観の持ち主は、大東亜戦争を昭和史として語るのをほとんど常としています。その方が自虐史観を主張しやすいからです。
しかし大東亜戦争は、昭和史だけで語れるものではありません。大東亜戦争の終結を持って現在の私たちの生活にいたる現代史の始まりになるからです。大東亜戦争は、私たちの現代史の始まる総決算の戦争です。
そのため大東亜戦争の本質をさぐるには、幕末ペリーの来航によって結ばれた1854年日米和親条約から1941年の大東亜戦争勃発までの87年間の歴史を学ぶ必要があるのです。
自虐史観の持ち主の学者や評論家は、自分が大東亜戦争の本を書く時、87年間の歴史をひもとくことはほとんどしません。
3.半藤一利は、大東亜戦争の日本人死者、軍人民間人あわせて310万人としています。彼らは無駄死にで、これほど馬鹿げたアホな戦争はないと主張しています。そして大東亜戦争の意義など眼中にないのでしょう全く語っていません。
確かに日本軍の無謀な作戦で多くの軍人を無駄死にさせたケースもありました。しかし大東亜戦争そのものに意義がなかったなどと、とても同意することはできません。拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の終章は、「大東亜戦争の意義」について書いています。
4.半藤一利の「昭和史」などのような自虐史観本では、ほとんど絶対と言っていいほど語らないことがあります。それは国際経済情勢です。戦前の国際経済情勢がどうであったか、ここで少し詳しく書いてみましょう。
(1)日本は貿易で生きていかなければならない国です。幕末日本は欧米諸国と不平等条約を結ばされました。不平等条約の一つが関税自主権の喪失です。欧米諸国から色々な物資が日本に輸出されてきますが、輸入する日本は、その輸入税をいくらにするか自分で決めることができないのです。
輸入税は日本の国庫に直結します。ただ同然で輸入しているわけですから、どんなに輸入が増えても日本の国庫が潤うことはありません。日本はなんとか不平等条約を改正しようと涙ぐましい努力しています。後世、非難の的になる鹿鳴館も涙ぐましい努力の一つです。
(2)その不平等条約が撤廃されたのが明治44年です。日露戦争が終わったのが明治38年です。日露戦争勝利の6年後のことです。不平等条約を結ばされてから撤廃までほぼ50年かかっています。日露戦争に勝ったから欧米諸国は、日本を一人前の国と認めてくれたのです。
これで戦争に負けていたらいつ不平等条約が撤廃になったか想像がつきません。こうして日本は大正時代から、輸出入という国際経済、欧米諸国主体の国際経済活動の仲間入りができたわけです。
(3)ここで皆さんに前置きとして知ってもらいたいことがあります。大東亜戦争終結8年後の1948年にGATT(ガット)(関税及び貿易に関する一般協定)が国際間で締結されました。それが現在のWTO(世界貿易機関)に繋がっています。1948年にガットができたというのも大東亜戦争の意義の一つです。
なぜなら戦前には、国際間の貿易に関する取り決めなどなにもなかったのです。
例えば時計を輸入しても輸入国は、自分かってにまちまちの輸入関税をかけていたのです。そういうような無秩序とも言える国際経済の中で日本は、欧米先進国の追いつこうとする当時たった一つの発展途上国でした。当時日本は、最近の中国と同じように低賃金を武器に輸出攻勢をかけていました。
(4)当然欧米諸国にとって日本製品は脅威の的です。当然のごとく日本製品差別が始まりました。大東亜戦争は、人種戦争とも言われ、人種差別はよく語られますが、日本製品差別はあまり語られません。どのようにして日本製品差別をしたかというと日本製品だけに高関税をかけるのです。
当時発展途上国が数カ国あれば日本は共同で欧米先進国に対抗できたでしょう。しかしながら戦前の日本はたった一国の発展途上国だった。それだけに日本の孤独な戦いが強いられたわけです。
(5)日本は東南アジア諸国に輸出しようとします。東南アジア諸国はほとんど欧米の植民地です。植民地の宗主国は、安い日本製品には高関税をかけて、高いヨーロッパ製品を植民地国に買わせようとするのです。こういう日本製品差別が極端にあからさまになったのが、1929年の世界恐慌からです。
(6)1929年のニューヨークの株式市場の大暴落をかわきり世界恐慌が始まりました。この時アメリカは、なにをしたか。アメリカは自国の企業や農民を守るために1000品目にもわたる製品に高関税障壁を設けました。ペリー提督が日本に開国を迫った時、自由貿易を提唱しました。
そのアメリカが自由貿易を捨て外国品を締め出すために高関税をかけ、そのくせカナダやラテンアメリカには、高関税を適用しませんでした。これをブロック経済化といいます。現在の日本もアメリカは日本の重要な輸出先ですが、当時もアメリカは日本で一番重要な輸出先でした。アメリカのこの高関税適用で、日本のアメリカ向け輸出が激減しました。
(7)ブロック経済化に連鎖反応が出ました。1932年カナダのオタワでイギリス帝国経済会議が開かれました。参加国はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、アイルランド、インド、南ローデシアでした。これ等のイギリス連邦とアジアやアフリカにあるイギリスの植民地は、一つの経済圏を作り、域内同士の商品に対して無税ないし低い関税にし、日本製のような外国商品には高関税をかけることにしたのです。
フランスもアフリカや中近東に植民地を持ち、アジアにもラオス、カンボディア、ベトナムなどの植民地があります。フランスもブロック経済圏を確立したのです。それでなくてさえ日本製品は安いがために差別されていたのに、このように世界がブロック経済化してしまっては、日本は、ほとんど輸出できません、生きていくためには日本どうしたらいいのでしょうか。
現在の日本経済は、強力です。欧米諸国がいくら日本経済の存在がねたましくても、日本経済を潰すことはできません。日本をつぶしたら世界恐慌になるからです。しかし戦前の日本経済は、発展途上国、日本経済を潰してもなんの影響もありません。
日本経済を潰した方が、競争相手がいなくなって白人の繁栄が謳歌されて好都合です。それだけに露骨に日本製品を差別したのです。
(8)世界のブロック経済化で日本の輸出がほとんど不可能になれば、生きていくために日本国民の目が余計に満州に向かうのは当然のことです。大東亜戦争勃発後半年間の快進撃で、東南アジアから白人を追っ払い戦中戦後に独立国が続々と誕生しました。独立国誕生が、戦後の日本経済発展に大変寄与することになったのです。
戦前、植民地国では安い日本製品がやってきても宗主国の命令で高関税をかけ、高いヨーロッパ製品を買わされていました。独立国になったため、宗主国に気兼ねせず自由に安い日本製品を買うことができるのです。戦後、日本製品が東南アジアにどっと輸出できたのも独立国誕生のお陰なのです。
戦争で同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、戦後の日本経済が急速に発展できたでしょうか。輸出しようにもまた高関税をかけられるだけです。開戦半年間で欧米人を東南アジアから追っ払ったことが、どれだけ大東亜戦争を意義あるものにしたかはかりしれないものがあります。
半藤一利の著書は、このような国際経済情勢について一言も語っていません。最後にもう一つ自虐史観本ではとりあげないものを紹介します。
5.日本に有利な史実は絶対といっていいほど取り上げず、無視することです。いくつかの史実無視の中で代表的なものが、マッカーサー発言の無視です。マッカーさー元帥は、日本占領軍最高司令官退任後帰国します。帰国後、アメリカ議会の軍事外交合同委員会で「日本の戦争は、自衛戦争だった」と公式発言をしています。彼は、大東亜戦争当時、敵軍の最高司令官でした。その彼の発言ですから非常に重みがはるはずです。
彼は英語でどう表現したのか、これは重要ですからぜひ憶えてください。
Their purpose, their とは日本人のことです。「Their purpose, therefore, in going toWar was largely dictated by security。」
マッカーサーは大東亜戦争で指揮をとり、戦後は朝鮮戦争で指揮をとりました。その体験から彼は日本の戦争は自衛戦争であったと判断したのだ。半藤一利よ、日本は自衛のために戦ったのだ。馬鹿げた戦争したわけではないし、兵士は無駄死にではないのです。同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、あるいは戦争せずにアメリカの主張を全面的に受け入れたら、その後の世界や日本は戦争前よりよくなったとでも主張するのですか。
歴史に興味ない人、歴史を知らない人が、自虐史観を主張しても私は怒りを感じません。彼らはそのように教え込まれているからです。しかし半藤一利のように歴史を知っている知識人や、歴史家が自虐史観を主張すると私は猛烈な怒りを感じるのです。自虐史観は、日本民族の侮辱以外のなにものでもないからです。
最後に私の大作のこぼれ話を二つ披露しましょう。私の大作は、400字づめ原稿用紙で1100枚です。ちなみに「源氏物語」は、400字づめの原稿用紙で2300枚と言われています。私の著書のちょうど2倍の厚さになります。「源氏物語」が大変な大作であることがわかります。
私の筆記用具は、パソコン、紫式部は筆。暑い夏をふくめて一年中十二単の着物を着て座って原稿を書いたにしても、彼女の足の座りだこは、大変大きなものではなかったかと想像してしまいます。
私の本の定価は、1500円。大作のわりには低く設定してあります。1500円という安いこの本が、アマゾンでは現在29,000円という値がついています。その理由はわかりませんが、私は著者の特権で、かってに本の内容がすばらしいからだと解釈しています。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は、日本民族必読の本と私は自負しています。
幸いまだ在庫が少しあります。マイミクの皆さんの中でぜひ読んでみたいと思われる方がおりましたら、住所を教えていただければ贈呈させていただきます。但し最後まで読んでいただくということで御願いします。送料も私負担で送ります。もうすでにマイミクさんの何人かに贈呈しています。