先週のブログで『聞きあきた「核兵器廃絶」』というタイトルで書きましたが、今回の言葉「戦後日本の平和の尊さ」あるいは「平和の尊さ」もこの8月になると頻繁に聞かされる言葉です。私はこの言葉にも聞き飽きたと同時に非常な怒りを感じるのです。戦後の日本についてNHKやマスコミがあまりにも頻繁に「戦後日本の平和の尊さ」という言葉を使用するので、一般国民は無意識のうちにこの言葉に洗脳され、被爆者や戦争犠牲者でさえ軽々しく「戦後日本の平和の尊さ」という言葉を平気で使用するのです。戦後の日本は現在まで、「平和の尊さ」などと力説されるほど平和なのでしょうか。
敗戦直後から6年10ヶ月の間、日本はアメリカ占領軍に支配されていました。日本史上初めての異民族による日本列島完全支配です。まさに日本民族にとって暗黒の時代ではないのですか。その上北方四島はソ連によって略奪され、そのソ連は、戦後60万人の日本兵および民間人を強制抑留し、強制労働を強いた。戦後何年経っても日本人抑留者全員をなかなか帰国させず、そのため大変な数の犠牲者が出ました。北方四島にいたっては、略奪されたまま現在にいたっている状態です。
昭和27(1952)年4月に日本は、独立を回復するのですが、その直前の1月18日、韓国の李承晩(リショウバン)大統領は、竹島を略奪するため突然、日本海に国際法無視の李承晩(リショウバン)ラインと呼ばれる線引きしたのです。分かり易く言えば日本海に線を引いて、線のこっち方は韓国の領海、線の向こう方は日本の領海と主張したのです。竹島は韓国領海内になったのです。いままで公海だった場所ですから多くの日本漁民が漁をしていた場所が韓国の領海に突然になってしまったのです。韓国は実力行使に出ました。李承晩ライン以内に入ってくる日本漁船を拿捕、日本漁民を強制抑留し、逃げる日本漁船には銃撃を浴びせ日本漁民を殺した。アメリカ占領軍に支配されている日本はなすすべがありません。4月に日本が独立を回復しても、弱小国日本は、アメリカに頼らざるを得ません。日米両国が韓国政府に抗議するのですが、李承晩大統領は、頑として応じません。
李承晩大統領の頑固さに業を煮やしたアメリカは、昭和40(1965)年、佐世保駐在のアメリカ海軍司令官、グリッチ少将が李承晩大統領と会見、その結果李承晩は遺憾の意を表し、抑留者を釈放。その年に日韓漁業協定が成立。李承晩ラインの廃止が決定。竹島は日本に戻らずそのまま。李承晩ラインが存在していたこの13年間に韓国軍によって拿捕された日本漁船:328艘、日本漁民抑留者:3929人、日本漁民死者:44人。
さらに日本人抑留者の返還と引き換えに日本の刑務所に収監されていた在日韓国人犯罪者、472人を刑務所から放免し、在留特別許可書を与えたのです。屈辱的協定書の成立です。ついでに言っておきますが、この李承晩ラインのことを韓国は、なんと呼んでいたか知っていますか。「平和ライン」と呼んでいたのです。落ち目になった日本を完全になめきった態度です。日本が独立を回復する直前3ヶ月前に竹島が韓国に奪われたのに、なぜ当時の吉田首相は、独立回復と同時にアメリカ製憲法を廃棄、軍隊の復活をしなかったのか吉田首相の罪は重い。竹島が韓国に占領されているにもかかわらず、日韓親善に励む日本人よ、あなたがたはこの事実を知っているのですか。
日韓の間で竹島問題が浮上する度に、なぜ日本のマスコミは、こういう背景を国民に繰り返し伝えないのか。政治家の中にはこういう事実があったことさえ知らない人が多いのではないか。若い人に聞いてもらいたいことがあります。日本のマスコミや反日日本人知識人は、日本人が外国人に悲惨な目に会わされた事実が沢山ありながら、絶対に国民に伝えようとしないのだ。そして日本人が外国人にした悪行は、針小棒大に伝え、あるいは捏造までして日本人を貶めているのです。
これは日本人としてではなく、人間としてじつに卑劣な行為を平然としている憎むべき人間です。こうしてまた北方四島だけでなく、竹島まで失う羽目になったのです。その他にも昭和25(1950)年以降ソ連が崩壊した平成3(1991)年までにソ連が日本漁船に銃撃したケースが40件、最近では平成18(2006)年には、ロシア海軍の銃撃で日本漁船員が殺されてさえいるのだ。これで日本は、「戦後日本の平和の尊さ」などを実感できる国なのでしようか?
昭和33(1958)年、終戦前後のどさくさにソ連軍によって強制抑留され、強制労働を強いられた60万人の最後の抑留者、472人が最後の引き揚げ船、白山丸で帰国しました。極寒の中の重労働、乏しい食事で、60万人のうち5万人から7万人が極寒の地で死んだと言われています。ソ連から抑留者が何年か、何ヶ月かの間隔をおいてソ連から帰国していましたが、この472人が最後の帰国者になったのです。彼らは戦後12年間も抑留され、強制労働させられ続けた、それでも帰国できただけが不幸中の幸いになってしまったのです。
最後の抑留者が戦後も12年間抑留されたということは、戦後12年間の間にシベリアやその他の極寒の地で死んだ日本人抑留者が5万人から7万にも出たということです。しかも死亡者の身元がわかっているのが、わずか2千数百名、残りは身元がわからずにシベリアの凍土の中に埋もれているのだ。これでも「戦後日本の平和の尊さ」なのでしょうか。
李承晩ラインの問題解決後、わずか12年後の昭和52(1977)年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのだ。現在政府認定の拉致被害者17人、その他に北朝鮮に拉致されたと思われる人が200人を超えています。それに対して日本政府はなにもできない。現在では日本の上空は、北朝鮮のミサイル実験場になってしまった。さらに日本はまた日本の領土である島を失いかけているのだ。中国が領有権を主張する尖閣諸島です。今では日本の島なのに、日本人の釣り人でさえ尖閣諸島に自由に上陸さえできないのだ。これで「戦後日本の平和の尊さ」などとよくぬけぬけと言えるものです。
日本の領土である数々の島が外国に占領され、その上尖閣諸島を失いかけている、拉致問題は未解決、北朝鮮の核実験など、戦後日本が平和だった時期は一度もありません。戦争がなかっただけです。その戦争がなかったのは、日本が自分の領土を奪い返す武力がなかったからです。日本の領土の一寸たりとも外国に占領されず、自分の国は自分で守れる軍隊があって、初めて平和な国と言えるのではないのですか。
なにがなんでも絶対に戦争すべきでないと主張する人に聞きたい、平和を維持するために、竹島みたいに例え日本の領土である島を取られても戦争すべきではないのですか。韓国は、今度は対馬を狙っています。中国は尖閣諸島を狙っています。戦争さえなければいいと、次々と日本の島が奪われていってもかまわない、同じ日本民族が何人犠牲になろうとも、自分自身でなければ、それを平和と呼ぶのですか。
竹島がどういう事情の下に失っていったかこれで分かった人もいると思います。私には実行していることがあります。韓国が竹島を占領している限り、私はいくらウォンが安くても韓国へは旅行に行きません、韓国映画も韓国製テレビドラマも見ません、韓国料理も食べません、韓国製品も買いません。日韓親善などもってのほかです。このことは以前のブログにも書いております。皆さんもぜひ私のしている事をまねしてほしいのです。日本人一人一人の心意気を見せようではありませんか。
自分の国の領土である島を占領している国と、友好親善関係を結ぼうとしている民族など日本以外にどこもいません。日本人として屈辱を感じないのですか。あまりにも卑屈すぎます。