私に言わせれば、現在の日本国民は政治家も含め、こと政治見識に関しては、先進国の中では最低でしょう。政治的バカが多すぎます。この政治的バカの根本的要因は、国益や国家意識が完全に抜けおち個人感情で政治を考えているからです。この政治的バカさを詳細に書くと、一冊の本になるくらいですから、短くするため代表的な身近な問題を二つ選びました。
1.侵略戦争
田母神航空幕僚長が、自分の論文の中で日本は侵略国家でないと書いたため大騒ぎになり、退任させられたことは皆さんもう充分に知っているでしょう。日本が侵略国家でないことは、大東亜戦争は侵略戦争でないということです。すなわち自衛戦争です。戦後60年以上たっているのにいまだに侵略戦争だと主張する人が多いい。
田母神論文が問題になったのは、いわゆる村山談話の内容と根本的に食い違ったからです。村山談話とは、平成7年、終戦50年目という節目の時に発表した村山総理大臣談話のことです。村山談話の文章の問題点は、以下の通りです。
「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民の存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ちを無からしめんとするが故に、疑うべくもない歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表明いたします。また歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念をささげます」
ここで皆さんに質問があります。もし田母神氏や私の主張が間違っていて、大東亜戦争は実は日本の自衛戦争でなくて、侵略戦争が事実であったとしたら、この村山談話の発表は適切な処置だったと思いますか。
もし読者の中に適切な処置だったと思う人は、私ははっきり言いますが、村山と同じバカですよ。大東亜戦争が例え侵略戦争であったとしても、それがどうしたというのですか。外国に向かって謝罪しなければならないことですか。大東亜戦争勃発前の世界の歴史、人類の歴史は、侵略戦争のくりかえしでしょう。大東亜戦争は、数ある侵略戦争の一つにしかすぎません。
さらにもっと具体的に時代をあげれば、コロンブスがアメリカ大陸発見以来大東亜戦争勃発までの約500年間は、白人の有色人種国家侵略の戦争ばかりです。
欧米諸国が武力でアジア諸国を植民地にしました。その欧米諸国を日本が武力で追っ払ってどこが悪いのですか。中国大陸における日本軍の存在が、中国大陸が欧米諸国に完全に支配されるのを救ったのです。日本軍が中国に進出する前は、中国はヨーロッパ諸国の草狩場になっていたではないですか。
日本軍の存在がなかったら、今頃中国大陸は、少数民族が多いいから統一国家になるどころではなく、現在のアフリカ大陸のように貧しい小さな独立国が乱立しているでしょう。毛沢東は、日本軍の存在がなかったら中国は統一できなかったと公言しているではないですか。あのあつかましい中国人に向かってどうしてこういう反論ができないのですか。
60年前の侵略戦争を現在の価値観で裁いてどうするのですか。現在の時代は、大昔と違って時代の流れがものすごく速い。現在から60年前といったら、昔では二、三百年に匹敵するほど長さです。江戸時代の女性の人権が蹂躙されていたといって、現在の価値観で徳川幕府を裁いたり、非難する人がいたら、その人はバカでしょう。
侵略戦争、侵略戦争といいますけど、侵略戦争とはなにかという国際定義がありますか。なにを持って侵略戦争というのか国際定義などないのです。過去において自国が起こした戦争が侵略戦争だったと謝罪した国家の最高責任者がおりますか。誰もいません。村山が初めてです。だから村山は世界中から称賛をあびましたか。なにも称賛をあびていません。
なぜだと思いますか。それは村山が、日本の文化で、すなわち日本の常識で外交をおこなっているからです。日本の常識は世界の非常識。私のブログ、「文化の使い分け」を参照してください。村山談話が、日本人のような民族のいる国家向けだったら通じるかもしれませんが、世界には、日本民族と同じような文化的精神構造をもった民族はいないのです。
村山を初め自虐史観を主張する政治家、歴史家、知識人と私との大きな違いは何だと思われますか。国家意識があるかないかなのです。私には強烈な日本人意識がある、だから諸外国から日本への非難が集中すれば、「なんだと、このやろう」とばかりに本能的に日本弁護の論陣を張ります。だから私は「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を書いたのです。
ところが村山のような自虐史観者たちは、諸外国から日本への非難が集中したら、たちまちのうちに祖国日本をこれでもか、これでもかと足げにして外国に媚びるのだ。特に歴史に興味のない若い女性に聞きたい、日本人男子としてどっちを選びますか。
終戦後50年を記念して村山は、謝罪を国会決議しようとしたが、衆議院で過半数を得ず反対され、談話という姑息な手段を用いました。村山の個人感情で外交を行った村山の罪は大きすぎます。
2.憲法九条
日本国憲法は、「前文」と「第一章」から「第十一章」までで構成されています。有名な九条は、第二章の「戦争の放棄」に規定されています。ご存知九条は、三つのことを規定しています。
国際紛争を解決する手段として武力行使の放棄、陸海空軍その他の戦力を保持しない、国の交戦権を認めない、この三点です。
阿部内閣誕生時、憲法改正問題がいよいよ具体的に成ろうかという時、いわゆる護憲派は、憲法改正反対、特に憲法九条改正は絶対阻止の構えで「九条の会」までが設立しました。この護憲派といわれる政治家や知識人が、これまた政治的バカなのです。
現在日本には、陸海空に匹敵する自衛隊という戦力を保持しています。海外派兵まで行っています。これは憲法九条の「陸海空その他の戦力を保持しない」とあきらかに矛盾しています。時代の変化によって憲法の内容と現実との間に整合性がなくなれば、現実に合わせるべく憲法を改正するのが世界の常識です。護憲派という大バカ派は、これが全く理解できないし、理解しようともしないのです。
なぜ日本の安全を丸裸にするような危険な九条が規定されたか。その理由は、憲法の「前文」にあると私は見ています。その「前文」の条文とは、このように書かれています。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」 これは大事なことなのでもう一回同じことを書きます。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」
このように「決意」したからこそ九条の武力行使放棄、軍事力の不所持、国の交戦権の放棄の条文が生まれた素因なのです。ところがこの「決意」が現在では非常に危険で不安要因になっているのです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の諸国民とは世界各国の国民です。
しかし日本の安全にとって一番気がかり動向は、世界各国国民の中でも近隣諸国民の動向です。この「諸国民」を具体的に日本の近隣諸国の民族をあげると、条文はこうなります。
「平和を愛する中国民族、ロシア民族と朝鮮民族の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」となります。現在、常識ある日本人なら、この条文は危険極まりないと判断し、ふざけたことをぬかすなと怒るでしょう。だからこそ憲法改正や憲法廃棄を主張しているのです。
中国、ロシア、北朝鮮は核兵器を所有し、ロシアは北方四島を略奪したまま、中国は尖閣諸島を中国の領土と主張し、日本の領海で石油盗掘。北朝鮮は日本人を拉致。韓国は竹島を韓国領土と主張して占拠したまま。日本の安全に取って近隣諸国のこの4カ国が一番危険な存在です。
再度主張しますが、この憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」という考えほど危険な思想はありません。現実に日本の安全を近隣諸国が脅かしているではないですか。
護憲派は、我々保守派と論争しても勝ち目はありません。護憲派は、世界の現実、日本の現実、とりわけ日本の近隣諸国の危険性を全く無視、ただ理想につっぱしるだけだからです。そのため彼らから出てくる最終発言が、
「私たちは、とにかく戦争はしたくない、だから外国が日本を侵略するなら、さっさと降参し彼らの命令どおりに従います」。
このような開き直りのような意見を言われると、私たちはどうしていいか全く困ってしまいます。ちょうどバカを相手にしたとき、私たちは、どう相手に発言していいのか、どのように行動をすればよいか、わからないと同じです。外国に侵略されるとはどういう意味なのかわからない、現実に中国に侵略されたチベット民族やウイグル民族がどんな扱いを受けているのか見ようともしない。
平和主義者づらして祖国がどうなってもかまわない。こういうバカの数が少なければ問題ないのですが、けっこう数が多いい。特に平成16年に出来た「九条の会」の講演時の動員力は大きく、また全国各地に各分野の「九条の会」が設立されています。例えば、「九条の会・医療者の会」、「映画人九条の会」、「九条科学者の会」、「九条美術の会」、「スポーツ九条の会」等等、こういう各分野の「九条の会」が全国で約5000(五百ではありません)もあるのです。
かって社会党はソ連から資金援助を受けていました。この「九条の会」が中国や韓国から資金援助を受けていないことを願うばかりだ。私たち保守派は、憲法九条さえあれば平和が守れるという大変な数の大バカと同じ日本列島で共存しているのです。彼らは日本の安全にとって脅威以外のなにものでもない、むしろ危険な存在です。
「九条の会」の指導者たちには、ご存知大江健三郎、井上ひさし、鶴見俊輔、梅原猛などなどがいます。彼らは、もういい年寄りだ。それにもかかわらず中学生並みのナイーブな精神構造の持ち主で、憲法九条さえあれば平和になれると思っているバカ丸出しの老害地知識人の集まりです。
彼らは国民を惑わす根源です。「バカにつける薬なし」、「バカは死ななきゃ治らない」。日本のために一日も早く死んでもらいたい。
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9 comments »
屋根の上のミケ より:
2009年2月22日 10:45 AM
本日の貴ブログのご意見に、拍手喝采、快哉を叫びたい思いです。ミケ
えんだんじ より:
2009年2月22日 2:49 PM
屋根の上のミケ様
コメントありがとうございます。
このように絶賛していただけると、心強い同志がいると
心強い思いがいたします。
これからもがんばります。よろしく御願いいたします。
陽山 より:
2009年2月22日 5:22 PM
金さんからミサイルを数発、わが国土に頂かないと、『九条の会』の7面々は目が覚めないでしょう。なにせ、9条でミサイルに対抗出来ると思っていらっしゃるから。
という事は、戦争には2通りあって、わが国が攻めてゆく場合と、外国が攻めてくる場合とがあることが、バカには分からない。わが国が攻めて行かなければ、1000年の平和が続くと思っているのだろう。
たつや より:
2009年2月23日 5:51 AM
東京裁判史観は、以下の手続きを踏みます。
(1)日本は侵略した。
(2)侵略は悪である。
(3)故に、日本は悪である。
(4)こうして、精神的優位に立って「日本人」を支配する。金品その他を巻き上げるのが現実的だが、何よりも、軍事力を持たせないのが肝要。
だから、「侵略の定義」などはやぶ蛇。それを避けるには、日本にのみ「侵略」を使い、他国には進出・進行・侵攻などの、別な用語を使う手もある。「中韓朝露米英その他の侵略はどうなのか」は、さらにやぶ蛇。戦争は相手があってのことなので、「相手の国の日本への対応はどうなのか?日本を挑発してないのか?」の視点は、もっとやぶ蛇。
とにかく「九条」をおだてて、強力な軍事力を持たせないことだ。そうすれば、日本をいつまでもこちらの都合が好いように支配することができる。
テキの本音は、まあ、こんなところかと・・・。
たつや より:
2009年2月23日 6:09 AM
>日本国憲法」は、前文第二段で「日本国民は、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べ、「平和を愛する諸国民」とされる連合国に安全保障を委任する政策を採用している。すなわち、平和主義である。
そして、第九条②では、この政策を具体化して自衛戦力と交戦権を放棄している。
しかし、果たして連合国は「平和を愛する諸国民」であっただろうか。そうだとしても、果たして彼らの「公正と信義に信頼して」日本の安全保障を考えることは可能であろうか。
答えは、明らかに否である。もしも、日本が国際社会に安全をゆだねる策をとることが可能であれば、「日本国憲法」前文とほとんど変わらないGHQ案前文をつくった米国などの連合国は、なぜ、同じ策をとらないのか。
そもそも、歴史的に、自らの力で自分の国を守らない国家は、強国の保護国になるか滅亡するか、いずれかの憂き目に遭ってきた。彼らは、その点を明確に認識していたからこそ、同じ策を取らないのである。
と考えてくれば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、何を意味するのか。そもそも、国の安全と外交を他国任せにする国家のことを保護国という。上のように国の安全を他国に依頼すれば、他国に外交権も掣肘されるであろう。それゆえ、「日本国憲法」は、独立国であることをやめ、連合国の保護国になりますと宣言し
ているのである。
それでは、なぜ、武装を放棄して連合国の保護国にならねばならないのか。
これは、「日本国憲法」の世界では、人類性善説と日本人性悪説によって根拠づけられている。
国際社会に自国の安全を任せるとは、「日本国憲法」は度はずれた人類性善説に立っているものである。
ただし、人類の中に日本人は入っていない。「日本国憲法」の世界では、日本人以外の人類は、とりわけ連合国の人々は性善なる人々であるから、軍隊を持ち自前で防衛することが許されるし、また日本を侵略したりしない。
これに対して、日本人は、過去に侵略戦争を引き起こした性悪なる存在であるから、武装が許されない存在なのである。
えんだんじ より:
2009年2月23日 9:16 AM
たつや様
コメントありがとうございます。
いずれにしても勝利国の詭弁。その詭弁に反論せず嬉々として従う日本人のバカさかげんに腹がたちます。
えんだんじ より:
2009年2月23日 9:24 AM
陽山様
コメントありがとうございます。
金さんにミサイルぶちこんでもらっても日本人は目がさめないのではと心配しています。
拉致被害が明白になってもスパイ防止法がなくて平気でいられる日本人です。
日本人の政治的バカさかげんは、度を越しています。
北の熊 より:
2009年2月24日 11:16 PM
結論から言うと欧米やシナは日本を恐れているということです。
昭和天皇崩御、大喪の礼、あのとき国民全体が喪に服しました。欧米とくに米国はあれほど戦後、すり替え教育をしてきたのに日本人の本質は変わっていないと驚愕したそうです。
我々はもう一度栄光の歴史を取り戻さなければなりません。
世界を見渡しても日本人の民度に匹敵する民族はそうそういません。
敗戦はしましたが世界の歴史を換えさせました。
我が民族にはそうした力があります。
今、足りないものは国力に見合った正式な軍備です。
戦争準備ではなく、やはり力の上の平和なのです。
平和は与えられるものではなく力で取りにいくものです。
このあたりの価値観がおかしくなっています。
平和を求める諸外国などは嘘八百です。
領土問題、拉致問題、これらは相手に文句を言わせない強力な軍事力がないから好き勝手にされるのです。
軍需産業の推進は失業問題を解決、雇用を創出し、ひいては年金問題をも解決させます。
歴史の見直しも必要です。
戦争の賠償をしたのはわが国ぐらいなものです。
そろそろ新生日本帝国の誕生といきたいものです。
えんだんじ より:
2009年2月25日 7:43 AM
北の熊様
コメントありがとうございます。
全く同意同感です。新生日本帝国の誕生、夢のようですが、しかし夢にむかってあきらめずにお互い努力していきましょう。