現在、大きな社会問題の一つに日本が、ほとんど世界一位の自殺大国になっていることです。平成10年に初めて自殺者年間3万人を超え、以来11年連続年間自殺者が3万人を超えています。平成19年の世界保健機構(WHO)の資料によると人口10万人につき何人自殺するかの自殺表を見ると、1位リトアニア(44.7)、2位ベラルーシ(35.7)、3位ロシア(34.3)、4位カザフスタン、5位ハンガリー、6位ガイアナ、7位スロベニア、8位ラトビア、9位日本(24、0)という順番です。
上位8位の国々を見ると、5位のハンガリーと6位の南米の島国、ガイアナを除くと全部旧ソ連領だったところです。ハンガリーはソ連の衛星国でした。これらの国々は、ソ連が平成3年に解体し、共産主義から急遽資本主義体制に移行し、社会情勢、経済情勢の激変があったところです。自殺率が高くなったことが充分理解できます。2位ベラルーシは、現在ヨーロッパで唯一つ独裁国家です。6位のガイアナは、人口75万の南米の小国です。実質的に日本は世界一の自殺大国です。
そしてこれは実質的ではなく、間違いなく先進国の中で、また民主主義国の中で日本は自殺率一位です。そして自殺の原因はいままでは病気が一位で生活苦が二位でした。それが逆転して一位が生活苦、二位が病気になっています。日本は世界の経済大国二位です。国民所得は最近下がったとは言え、日本より貧乏な国は数えられないほど沢山あります。
インドネシア、フィリピン、ブラジルなど後進国の人たちは、日本に不法滞在してまでも働きに来たいのです。ところがその人たちの祖国の方が日本より自殺率が低いのです。一体これはどういうわけなのでしょうか。日本はそれほど暮らしにくい国なのでしょうか。
ちなみに経済大国第一位のアメリカの自殺率を見ますと、世界の43位、人口十万人につき
11.0人。日本の自殺率の半分以下。現在日本のホームレス、25,300人、アメリカは75万人。世界有数の経済格差の国と言われ、それでいて日本人はアメリカ人の自殺者の倍以上も自殺しているのです。
さらに深刻に考えさせられる数字があります。自殺者3万人をこえた平成10年から平成19年までの10年間の自衛隊の自殺者総数846人。毎年85人ほど自殺しているのです。自衛隊員だから生活苦はほとんどなし、大病も若いから例外的にかかるだけ。846人全員うつ病になったのでしょうか。自衛隊が死ぬほどいやだったら辞めればすむ話ではないですか。全く理解に苦しむ、驚くべき数字です。防衛省はいまやっきで自殺対策に没頭しています。
日本の自殺者数のもう一つの特徴は、男の自殺者が女性の自殺者の倍以上だということです。
なぜ最近の日本に自殺者が多いのか。人によっては日本には切腹の歴史があるから、日本に自殺が多いのは日本の文化の一つだと主張する人がいます。全く関係ないとは言いきれませんが、自殺の大きな原因の一つには考えられないでしょう。切腹には、名誉のためとか自分の主君を諌めるためとか、高尚なものが伴います。
三島由紀夫は、国家や国民を諌めるために切腹をした。最近の自殺にはこんな高尚性はありません。私に言わせれば自殺者は人生の敗残者です。ただ自殺にも同情すべきところもあります。病気による自殺です。うつ病、年をとって不治の大病を患うとかは同情に値しますが、働ける五体満足な体を持ちながらの自殺は、まさに人生の敗残者です。そこで私なりになぜ最近自殺者が多くなったかその理由を述べてみます。
1.日本男子が精神的にひ弱になった。
これが一番大きな原因ではないでしょうか。戦前は徴兵制があったし、強力な軍事力があった。男の子は、日本男子として、大和魂のある男として精神的にも肉体的にたくましくなければならないという思想の基に育てられ、鍛えられた。戦後は、軍隊は無くなり、徴兵制もなくなり、男の子をたくましく育てなければという教育は無くなってしまった。
しかし終戦直後は、多くの子供が貧乏でき鍛えられた。私などまわり皆貧乏の中で特に極貧状態で育った。年中栄養失調ぎみだったせいか私は、まさにガリガリにやせていた。中学校の時に初めてバナナを食べたが、此の世にこんなにうまいものがあるのかという強烈な印象があります。
中学校は横須賀市立でした。一組50名から55名。中学卒業時は、貧乏人の子弟が多かったせいか半分が就職組みで、半分が高校進学組みでした。進学組みの中には私のように公立の高校に入れなかったら、就職という就職組みが数人いた。だから最終的には就職組の方が多かったと思います。幸い私は公立の高校に入れた。
しかし高校では、授業料以外にお金かかる行事はすべて不参加。クラブ活動、修学旅行など。だから学校内外で親しく付き合う友達もいなかった。実に暗い高校生活だった。高卒後は家にお金をいれるために働いた。以来波乱万丈の生活だった。私には、貧乏育ち特有の激しいハングリー精神があった。「負けてたまるか!」、「今にみていろ!」、この二つの言葉が心底根付いているのだ。
こんな話を書くと自分を自慢しているのかと言われた時があります。最近亡くなった私より五つ上の遠藤実氏。彼は国民栄誉賞を獲得した演歌の作曲家でした。彼が言うには、子供のころ彼の村には電気がなくランプ生活だった。厳しい寒さでも暖がとれず、手がかじかんでギターが弾けない。彼は自分の手に自分の小便かけて暖をとってギターを弾いたと話しています。私の年代の人間は、皆大なり小なり貧しさに鍛えられているのだ。
しかし今の若者は、完全に違います。経済的に発展したお陰で全く苦労せずに育てられ、学校では、子供たちを逞しく育てる考えなど全くない。そどころか徹底して過保護に育てられるのだ。男女の区別なく育てるのが最良という教育だから、男の持つ特有のたくましさが骨抜きにされてしまったのだ。だから現在の若者は、妻子を残してさっさと自殺するのだ。我々の時代までは、男は妻子のため頑張るのが常識だ。
過保護に育てられたまま実社会に飛び込むものだから、実社会の厳しさにまともに接すると、もうどう対応していいのかわからないのだ。精神的に全くひ弱な若者になってしまったのです。
2.日本民族の習性が裏目に出る。
日本人は集団行動や集団生活を好みます。私の年代のサラリーマンは、年功序列、終身雇用の下で働いてきました。だから多くの定年サラリーマンは大学を出て、大きな会社に入ると定年まで30年以上、40年ぐらい働きます。すなわち会社が自分の人生みたいになっていました。
日本人は、一匹オオカミ的に暮らすより、一つの組織に依存してそこで長く働くことを好む民族なのです。そして皆と同じような生活をしていると安心感を得ることができるのです。私の年代では、私みたいに一匹オオカミ的に五社の外資系会社渡り歩くなどは、非常に稀有な存在です。
この年功序列と終身雇用は、日本民族の習性に非常に適した雇用形態でした。ところがいわゆるグローバル競争に勝ち抜くためには、この雇用形態を維持できなくなったのです。年功序列と終身雇用は、ほとんど廃止され、成果主義、実力主義が導入され、若いうちから給料の格差がつく時代になりました。企業間だけの競争だけではなく労働者個人、個人の競争が激しくなったのです。
いやでも他人との差が目につくようになったのです。皆と同じであるということが安心感を得るもとである日本民族にとって、若いうちから大きく差がでるのは耐えられないのではないでしょうか。それでなくても生まれてから何一つ苦労もなく育ち、学校では過保護に育てられ、そのまま厳しい実社会に放り込まれているのです。自殺のような落伍者が出ても不思議ではありません。
嘆かわしいのは、自殺者増加を減らす対策が、同情ばかりで経済対策に集中していて、困難に負けない精神的にたくましい子供をどのように育て上げるかの発想が全く考えられていないことです。
各家庭に経済格差が広がって、大学で学びたくても、大学へ行けない子が多くなったと進学できない子に同情が集まっているのだ。大学に行けないからといってそれがどうしたというのですか。大学出た人間にもバカやアホは多いいのだ。高卒の私が言うのだから間違いありません。第一現在は、私の時代と違って大学へゆく男女は、わんさといるのです。ところが大学卒業者の学力低下は目を覆うばかりです。
現在は時代の変化が特に早い、競争も激しい、不況でもグローバルな競争が続くのです。だからいかに精神的にタフな子に育てるかは、勉強と同じように重要なのです。自殺数の多さと同時にもう一つ失望させる数字があります。
「もし戦争が起こったら国のために戦うか?」世界36か国の調査結果。「はい」と答えた日本人は、15.6パーセントで36か国中最低の数字です。韓国人74.4%、中国人89.9%、アメリカ人63.3%。
まさに日本人男子の無気力さ象徴する数字だ。無気力も自殺の原因にもなる。自衛隊では毎年85人の自殺者が出るのです。一体なんのために自衛隊に入ったのだ。戦場経験もないくせに、五体満足で働ける体を持ちながら、親兄弟を残し、あるいは妻子をのこして自殺する隊員は、自衛隊に入る前、すなわち国民の税金を使う前にさっさと自殺しろと言いたい。最近の日本人の自殺は社会への甘えもあるのではないのか。
現在の日本、あらゆる面において日本没落の道をたどっているかと思うと、私の腹の中は、煮え返るようです。