人間一人一人に長所や短所があるように、民族にも長所や短所があります。長所短所は、紙一重というように、長所が短所になる場合もあるし短所が長所になる場合もあります。例えば、日本民族の特徴の一つとも言うべき「空気を読む」は、長所になる場合もあるし短所になる場合もあります。先週の「日本の知識人は、バカやアホが多いい」で知識人の欠陥である「現実を直視しない」は、日本国民の欠陥でもあります。欠陥は欠陥であって、短所のように長所になる場合は決してありません。日本民族は、「現実を直視しない」というよりむしろ「現実を直視できない」と言った方が適切ではないかと私は考えてしまいます。
すぐに例として浮かぶのが、数百人も北朝鮮に拉致されているにもかかわらず、スパイ防止法や国家反逆罪などがいまだに制定されていないことです。これすなわち現実を直視できないことではないでしょうか。
そこで今回は、私たちが無意識のうちに現実を直視せず、そのため遅れをとってしまったケースとこれまで「現実を直視せず」ほったらかしにしているため、今後の日本の致命傷になりかねないケース、この二つのケースを取り上げて説明してみました。
1.がん治療面での遅れ
昨年だか一昨年だったか、NHKテレビで「がん特集」の番組が数日連続して放送されました。その時テレビで、がん治療の面で日本はアメリカより遅れをとっている実態が示されました。がん治療で一番難しいのいは、抗がん剤を使いこなす技術です。患者の年齢、性別、病状、体質などで抗がん剤の使用方法が違ってきます。また複数の抗がん剤を混ぜ合わせて使用する場合はさらに難しくなります。この抗がん剤を使いこなす内科医のことを腫瘍内科医と呼んでいますが、この腫瘍内科医の数をアメリカと比較すると日本の腫瘍内科医の数が少ない。
アメリカの人口は、日本の倍以上ありますから日本の方が少なくて当然なのですが、人口比較を考慮に入れても日本の方がはるかに少ない。さらにがん患者を専門に扱う看護師の数になるとアメリカと比較して、日本の数は極端に少ないのです。NHKテレビではその原因を説明しませんでした。私はこの原因は、数十年前の日米のがん告知率の問題だと考えています。今でこそガンでも早期発見なら治るというのが常識になっていますから、「私はがんです」と平気で言っている人がざらにいます。
しかしいまから30―40年前は、ガンは不治の病、すなわち死の病でした。私の母は、いまから35,6年前、55歳で胃がんの手術をうけました。しかしこの時父の命令で母にはガン告知はしておりません。現在は早期発見だったら手術すれば直りますと医者はいえますが、当時は例え早期発見でも、直りますとは言えなかったのです。だからガン宣告は、すなわち遅かれ早かれ死を意味していました。この時日米で顕著に現れたのはがん告知率の差でした。
日本民族はやさしいし、情緒的です。自分の妻、両親、などの肉親に「あなたは、肺がんになっています。しかしなおす薬はない、だから余命は早くて半年後、あるいは長くて1年後です」と医者が言っていますなどとて言えません。私の母の場合は、胃に潰瘍ができているとごまかしました。かわいそうだとか不憫だとかという種々の私情がからんで現実を直視できないのです。
ところがアメリカ人は違いました。よっぽど前もって家族からの依頼がなければ、医者は平然と患者に告知し、病状をはっきり説明します。そうしないと後で法的に訴えられる恐れも当然あったでしょう。告知された患者は、動転して自殺した人もいるでしょう。この頃の日米の告知率の差は、もう忘れてしまいましたが、多分50パーセントぐらいの差があったのではないでしょうか。アメリカの告知率80パーセントぐらいだと日本の告知率30パーセントぐらい、アメリカの告知率が70パーセントだったら日本は20パーセントぐらいの感じじゃなかったでしょうか。
これだけの告知率に差があると仮定して、二人の30代前半の若い内科医、一人はアメリカ人医師がもう一人は日本人医師がそれぞれニューヨークの病院と東京の病院に勤務したことを想像してください
アメリカ人医師は、自分の患者にがん患者を発見すると、すぐに告知して抗がん剤を使えますから、抗がん剤を使いこなす技術と経験を積むことができます。いずれ一人前の腫瘍内科医になれるでしょう。すぐに告知できますからガン患者ばかり集めた入院病棟、すなわちガン病棟できます。従ってガン患者専門の看護師が育ちやすい環境ができあがります。
一方東京の病院に勤務している日本人内科医は、自分の患者にがん患者が出ても告知ができません。従って抗がん剤が自由に使えないのです。抗がん剤を使ったら副作用が大きいから患者に自分は、がんではないかと疑われるからです。したがって抗がん剤を自由自在に使えない、従ってなかなか腫瘍内科医になれる経験を積むことができません。がん告知されていませんから、患者はがん患者ばかり集まっている部屋に入院させることはできません。結局一般病棟ということになり、がん患者専門看護師が育つ環境にはめぐまれません。
告知率低さの弊害は、これだけではありません。がん治療を促進するためには、がん新薬がどんどん開発されなければなりません。その新薬開発には、患者の協力がかかせません。製薬会社は、新薬を開発するために臨床試験、すなわち人体実験をしなければなりません。肺がんの新薬だったら、肺がん患者の人体実験でくすりの有効性をたしかめなければなりません。そこで肺がん患者に実験の応募者を募ります。特に末期ガンの患者、治療がはかどらない患者などはわらをも掴む気持ち応募します。こうして実際のがん患者の人体実験をとうして新薬が開発されます。
ところが告知率が低いと実際はガン患者が多いいのですけど、自分がガンと認識していないから人体実験の応募者が少なくなってしまいます。だから昔の抗がん剤は、輸入物がほとんどでした。現在でも輸入ものの抗がん剤の方が多いいのではないでしょうか。
私の母は、その後大腸がん、喉頭がんなど患って死にましたが。最後まで母にはガンを告知しませんでした。母はすでに自分はガンであることを察知していたかもしれません。しかし家族はなにも言わないから自分も知らないふりをするというきわめて日本的なあいまいさで病のかたをつけたような気がしてなりません。つらいけれども現実を直視して、対策をとり、母を含めて家族全員でガンにむきあっていくのが大切のような気がします。
がん患者は、他の病を併発せず、単にがんだけで死ぬ場合は、最後の息を引き取るまで意識があるといいます。告知率の高かったアメリカは、早くから末期ガンの患者を沢山かかえていましたから、末期ガン患者が平穏に安らかな死をむかえられるようホスピスという施設がアメリカから先に実現したことは当然のような気がします。
2.日本国憲法
戦後アメリカ占領軍が作った日本国憲法が施行されていらい62年たちました。また日本が独立を回復してから57年たちました。独立回復以来アメリカ占領軍が作った憲法が、廃棄されるどころか一つも改正されることもなく、100パーセントそのまま今でも使われているのは、世界の珍事の一つでしょう。
現行憲法の原文は英文ですよ、それだけでも誇りの高い私などは不愉快になります。とっくの昔に現行憲法を廃棄すべきだったと考えています。仮に一歩も百歩も譲って現行憲法を使うにしても当然改正すべきだったのです。皆さん、現実を直視してくださいよ。現在の近隣諸国の状況を直視してください。
北朝鮮は、200人以上とも400人以上とも言われる日本人を拉致し、日本列島の上空を核実験場にし、韓国は竹島を日本から略奪し、ミサイルを持っています。中国はミサイルも核兵器も所有、尖閣諸島の領有権を主張、日本の領海から石油を盗掘、ロシアは北方四島を日本から略奪、ミサイルも核兵器も所有、こういう現状の下に日本国憲法は日本に丸腰を要求しているのです。現在の日本は自衛隊がありますから、日本自体丸腰ではありません。しかし憲法で丸腰を明示しているため、自衛隊は「専守防衛」になっているのです。攻撃は最大の防御と言います。「専守防衛」で戦争に勝てますか。現実を直視してくださいよ。
このような近隣状勢であるにもかかわらず、国民が現行憲法「廃棄」あるいは「改正」で大騒ぎにならないのが不思議でならないのです。やはり日本民族は、「現実を直視できない」民族と考えるしかありません。
戦前の憲法は、「大日本帝国憲法」すなわち明治憲法を使っていました。この憲法にも致命的欠陥がありました。明治憲法には、首相の規定がないのです。改正すべきところを「不磨の大典」と呼ばれ改正すらできずに日本は、破局を迎えてしまいました。今度の憲法も致命的な欠陥がありながら、「不磨の大典」にしてしまったらこのまままた日本は破局に向かってしまう恐れがあるのが感じとれないのですか。
民主主義国家では、憲法は数年に最低一度ぐらいは手入れをします。人間のすることに完全はないし、時代が変われば憲法の内容とずれが出るのも当然だからです。アメリカ占領軍は、日本の憲法を作りましたが、ドイツの憲法も作っています。そのドイツは憲法の改正51回、徴兵制度まで導入されました。51回も改正すればドイツ人が作った憲法も同然。日本は改正まったくなし。日本人は憲法と実社会とではとっくにずれが出てきているのに改正もせず、平然としていられるのは、法事国家の国民と言えるのでしょうか。
明治憲法は明治政府が作りました。日本最初の首相になった伊藤博文が、プロイセンの憲法を下地にしてつくったも同然です。現行憲法はアメリカ占領軍がつくりました。いまだかって日本国民は、自分たちが作った憲法はないのです。この際現行憲法を廃棄して我々国民の手で新憲法を作ろうではありませんか。
憲法廃棄ないし憲法改正に反対する方々、「理想は大事だが、現実はもっと大事なのです」このぐらいのことわからないのですか。わからなければ、バカは死ななきゃ治らないといいますから、早く死んでください。あなたがたほど日本にとって危険な存在はありません。
私が最初に触れましたように日本人は「現実を直視しない」ではなくて「現実を直視できない」民族のような気がしてなりません。現実を直視して自分に都合が悪いと、「見て見ぬふり」をするのです。日光、東照宮の三匹の猿の彫刻。目に手をあて、口に手をあて、耳に手をあて、見まい、言うまい、聞くまいの猿の彫刻は、現実直視を嫌う日本民族を象徴するような彫刻ではないでしょうか。
どなたか私の主張を論破してください、いや、日本民族は現実を直視できますよ、これこれこういう事例がありますよと説明してくれればこれほどうれしいことはありません。いずれにしても、憲法が時代に合わなくなってからもう何十年も経っています。そのため日本外交がとれる政策の足かせになっています。
このまま改正もなにもしないでぐずぐずしていると、いずれ日本は混乱状態で改正しなければならなくなります。改正反対派の皆さん、どうぞ現実を直視してください。