まず初めに間違いのお詫びを申し上げるとともに訂正を御願いします。先週「戦うことは貴いことである」の中に「パンパン(従軍慰安婦)」とありますが、正しくは「パンパン(米軍人相手の慰安婦)」です。「従軍慰安婦」という言葉は戦後、朝日新聞がかってにつくりだした言葉で、戦前の国語辞書にはありません。私自身の著書に、「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」というタイトルの本がありながら、こういう間違いを犯すとは、「もうろく」したのかと自分自身に腹をたてています。
今週の本題に入ります。
私は海外出張を沢山したが、海外に住んだことはありません。従って日本で生まれ、育って、生活して70年あまり。成人してから50年間私は、ずっと日本の知識人の言動を見てきました。そこで日本の知識人の印象はと問われれば、日本の知識人には、本当にバカやアホが多くて腹立たしいくらいです。
日本で活躍されている外国人で、オランダ人のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏という人がいます。皆さんご存知かと思います。最近、彼はあまり日本で活躍していないようですが。彼は日本語を話すし、読むこともできます。書くこともできますが、ただ本を日本語で書くことはできません。平成元年に彼が書いた大作「日本・権力構造の謎」は世界12カ国に翻訳されたベストセラーなっています。
私はこのウォルフレン氏がきらいです。私は外国人が日本以外の国で東京裁判史観を披露したところで別に腹立ちはありません。しかし外国人が日本国内で東京裁判史観を主張しようものなら猛烈に腹が立ってきます。私の目や耳に入ってくるからです。ウォルフレン氏は、オランダ人です。私にいわせればオランダなどアメリカと同盟を結んでいたからこそ勝利国の仲間入りができたのです。それをウォルフレン氏は、堂堂と日本国内で東京裁判史観を披露するからきらいなのです。
オランダ軍など開戦早々日本軍にインドネシアから追い出されています。そのくせ日本敗戦になるやまたインドネシアに、オランダ軍を送り込み再植民地化しようとしたのです。
その時日本軍の中には敗戦で敵軍の捕虜になるよりインドネシア独立軍に参加してオランダ軍と戦うことに決めた日本兵の数およそ二千名もいるのです。その日本軍の支援もあってインドネシアはオランダから独立を勝ち取ったのです。
そのオランダがどうして大東亜戦争で正義面できるというのですか。だからウォルフレン氏がきらいなのです。その彼が平成7年に「日本の知識人へ」という本を出版しています。その本の冒頭で彼は、こう書いています。
「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである」
私と彼とでは、知識人とはどういう種類の人間を言うのかではだいたい一致しています。知識人とは、主に政治問題に対して国民や政府に適切な助言や忠告をしてくれる人のことです。私は日本の知識人にバカやアホが多いいというのに対して彼は知識人が少ないと主張しています。このニュアンスの違いは、彼の文章で理解できます。彼はこう書いています。
「知識人として当然果たすべき役割を果たす知識人がいないかわりに、日本には沢山の学者、ジャーナリスト、文化人がいて――それと知ってか知らずか――意図的な情報(プロパガンダ)をまきちらしている」
このように彼は、学者やジャーなリストなど知識人と考えていないのです。一方私は、皆さんもそうだと思うのですが、日本では一般的に学者やジャーナリストや文化人を知識人と通常解釈しています。だからそういう人たちの50年余りの言動を観察すると、日本人の知識人には、バカやアホが多いいと主張するのです。
それでは日本の知識人は、なぜバカやアホが多いいのか。知識人の仕事は簡単に言えば考えることです。彼らの考え方、すなわち思考方法に欠陥があるからです。その欠陥には四つあると思っています。その四つを箇条書きにして説明を加えましょう。
1.自分の見たい目で物事を見る。
戦前弾圧されていた共産主義が戦後復活しました。日本を統治するアメリカ占領軍も共産党を容認しました。敗戦の憂き目に会い、戦前の反動もあって共産主義思想がもてはやされました。アメリカ軍による7年あまりの占領期間中は、知識人の共産主義国ソ連への肩入れには遠慮がありました。しかし日本が独立し、米占領軍が日本を離れると、知識人の共産主義思想への妄信が強まり共産主義国の盟主、ソ連が彼らのユートピアになったのです。
彼らは冷静な目で共産主義やソ連を見ようとせず、自分が見たい目で判断しました。要するに共産主義という悪女に魅せられてしまったといえます。その結果ほとんどの知識人が反米親ソになってしまいました。一般に私たちは、自分の見たい目で物事を見がちです。もう何年も前から中国が崩壊すると予言していた知識人がいます。しかし未だ崩壊していません。あまりにも自分の見たい目で中国を眺めていたせいでしょう。
2.現実直視ができない。
共産主義という悪女に魅せられた知識人を一方的には非難できないでしょう。なぜなら当時、共産主義に魅せられたのは、世界的な傾向だったからです。しかし日本の知識人は、ソ連の実態、すなわちソ連の現実を見ることができたのです。ソ連の実態とは、終戦間際ソ連は、日ソ中立条約に違反して、終戦直前の8月6日、日本に宣戦布告し満州に攻め込んできました。8月15日に日本は降伏し、武器を放棄しましたがソ連軍は攻撃を続け、日本軍軍人と日本人民間人あわせて60万人以上を捕虜にし、ほぼ全員をシベリアその他の強制労働収容所に放り込みました。さらにソ連軍は、北方四島を略奪しました。
戦後になっても何十万という抑留者は、日本に帰国できず、強制労働収容所に押し込められたまま厳寒のなか飢えと重労働で5万から7万の死者を出しています。最後に日本に帰国できた抑留者は、戦後12年間も強制労働収容所で働かされていたのです。北方四島は略奪されたままいまだに返還もされません。こういう現実がありながらソ連をユートピアのように崇めたのです。自分の見たい目でながめ現実を無視すると狂気になるとはこのことです。
戦後数年たつとさらにソ連国内の実態がわかってきました。ソ連には全く自由がないということです。出版、報道、言論の自由がない、信仰の自由がない、私企業を営む自由もない、農家がどの野菜を植え、どのくらいの収穫を上げるかの自由がない、海外旅行の自由がない、ほとんどあらゆる自由がないのです。日本の知識人は、国内でありあまる自由を満喫しながら全く自由がないソ連にあこがれたのです。どれほど彼らをバカ、アホよばわりしてもたりないくらいです。
だからこんなジョークが生まれたのもむりもない。ソ連は貧しく全く自由がないからソ連からの亡命者が後をたちません。そこでモスクワ飛行場でのジョーク。
入国管理局の職員が局長に向かって、
職員 「局長、我が国に亡命したいという人があらわれました」
局長 「我が国に亡命したいって、めずらしいねぇ、ほんとかよ、一体どこの国の人だ?」
職員 「アフリカのエチオピアです」
局長 「エチオピアか、我が国より貧しいからな、可愛そうに、亡命を許してやれ」
しばらくすると、また先ほどと同じ職員が現れて
職員 「局長、また我が国に亡命したいという人が現れました」
局長 「またアフリカか?」
職員 「いえ、違います。今度は日本人です」
局長 「え、なに、日本人? あんなに経済的に発展して、なんでも自由にできるのに、我が国に亡命? そいつはきっと精神病にちがいない。精神病院にいれとけ」
このようにバカでアホな知識人が出版、教育、法曹界などを牛耳ったのですから日本がおかしな国になるのは無理わない。今から30、40年ぐらい前でしたら、私の著書、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のようなタイトルの本などどこの出版社も出版を断ったでしょう。
3.時流、時勢、権力、権威に極端に弱い
昭和35(1960)年代は、日米安保条約改定騒動のあった時代です。日米安保条約改定は、簡単に言えば日米軍事同盟の強化です。ソ連や中国が日米軍事同盟強化に反対するのは当然です。しかしその四年前、昭和31年のソ連の共産党大会では、ソ連人民一千万以上が殺されたというスターリンの粛清が暴露されました。さらに同じ年にスターリンを批判したソ連政府は、武力で鎮圧したハンガリー動乱がありました。
それにもかかわれず反米親ソである知識人は、日本のためというより、ソ連や中国のために日米安保条約反対を叫んだのです。日本の知識人は、現在でもその傾向が非常に強いのですが、日本政府の権力や権威をごきぶりのようにきらいますが、外国、特に共産主義国の権力や権威に平然とひざまづきます。
戦前、戦中は政府や軍部の弾圧を恐れて知識人が一致団結して反政府行動に出る勇気など持ち合わせていなかったのが、戦後独立を回復して政府権力が弱まり、何でも言える世の中になって初めて一致団結して反政府行動に出たのです。大学の先生たちも、安保改定を叫ばないと学内で取り残される恐れを感じたのでしょう、先生たちほとんど全員が反対派になった。また大学生の政治組織、全学連も馬鹿騒ぎの活躍をした。名著「ローマ人の物語」を書いた塩野名七生氏は、この時学習院大生、「あの時はなにがなんだかわからず夢中になってデモに参加していた」と語っています。
安保改定阻止国民会議が結成された。その幹事団体は、社会党、労働組合、学生など計十三団体。連日数十万人のデモが国会周辺にあつまった。一番多い時で三十万人の集まったのです。しかし政府は、国会内で安保改定を強行採決。その代わり政府は、安保改定で大混乱を巻き起こしたという理由で、当時の岸首相が退陣させ、国会を解散して総選挙にうってでたのです。その選挙結果は、自民党政府の圧勝、解散前より議席数の数を増やしているのです。
当時の政治学者、蝋山政道氏は、安保改定騒動を一大国民運動と書いていますが、バカを言ってはいけません。一大国民運動だったらどうして総選挙で自民党が大勝できたのでしょうか。蝋山政道はさらに、安保騒動が岸首相の退陣だけで終わって、なんも成果も上がらなかった理由の一つに国民の無関心、特に外交問題の無関心をあげています。こうまでいわれると私も国民の一人として冗談言っちゃいけないよといいたくなります。安保改定反対なら、その代案を出すべきでしょう。その代案もださずにただ反対、ただ反対を叫ぶ人たちに誰がついていくものですか。
知識人はソ連の実態を無視したばかりではありません、当時のソ連に対する日本国民の感情を無視したのです。当時の国民感情とは、日本は敗戦したためにアメリカ占領軍の統治を受けたが、「アメリカ占領軍でよかった、あれがソ連軍の統治だったら大変だった」という感情です。
まだ生存しておられる哲学者の鶴見俊介氏は、自分が安保騒動で活躍したせいか、いまだにあの安保改定騒動を評価しているそうだが、バカやアホもいい加減にしろと言いたい。安保改定騒動時の総選挙の結果は、国民の良識、常識が知識人の妄想、盲動を阻止した歴史的瞬間です。
知識人があれほど崇め奉っていたソ連は、平成三年に崩壊してしまいました。日本の知識人にバカやアホが多いいことをこれほど証明するものはないでしょう。
3.論理的にものを考えることができない。
1.自分の見たい目で物事を眺める。2.現実を直視しない。3.時流、時勢、権威、権力に弱い。いままで説明してきたこの三つは、物事を論理的に考えさせなくしてしまう効力があります。したがって論理的に考えることができず、すべて情緒的に考えてしまうことになります。
昭和35年の安保改定後も、昭和42年には、中国で文化大革命。この時一千万人以上の中国国民が毛沢東によって殺されました。朝日新聞を初め日本の知識人は、これを礼賛するという醜態を演じています。昭和43年には、チェコ事件。チェコ共産党政権が言論の自由を認めたら、ソ連が武力介入しチェコ政府要員をソ連に連行。昭和54年には、ソ連軍アフガニスタンに侵攻、この時、日本を含む西側陣営は、モスクワオリンピックの参加を辞退しています。そして平成3年にソ連解体。
日本の知識人は、ソ連解体までソ連の行動にはすべて非難なし、あるのは日本とアメリカへの非難だけ。今では笑い話になってしまいますが、米ソ両国は、一時的に核兵器開発競争に血眼になりました。そのため両国は、核実験を繰り返しました。その時日本の知識人は、アメリカの核実験は、戦争目的でソ連の核実験は平和目的だと言う者まで出ました。原水協(原水爆禁止日本協議会の略)は世界中の原水爆実験禁止を訴えていたものが、ソ連の実験は容認しようとする一派が出て分裂してしまいました。バカやアホ相手に物事を論理的に考えろといってもはじまりません。
これら常軌を逸した知識人が、我が国にどれだけ悪影響をあたえたかはかりしれないものがあります。ソ連解体後一部の知識人は目を醒ましました。しかしまだなお多くの知識人が悪夢から覚めず、こんど中国などに肩入れして日本批判にあけくれているのが現状です。