「暴力団」をあまり痛めつけないでください

このブログ記事は、日本の警察の方々への御願いの文章です。

日本の警察の皆様へ
皆様、日夜日本国民の安全、治安維持のために懸命に働いていただいていることを感謝申し上げます。さて一昔前、昭和39(1964)年に「暴力団全国一斉取締り」が始まりました。それ以来あなた方は、下部の組員が法を犯すたびに逮捕するだけではヤクザをつぶすことはできないと、組長、幹部などをなんでもいいから容疑を見つけて逮捕し組織を上からつぶす作戦に出たと言われています。この作戦が功を奏し多くの大小、あるいは名のあるヤクザの組織が解散に追い込まれました。したがって組員の数が大幅に減っていきました。私はこれに対して異議をとなえるつもりは毛頭ありません。

最近あなた方は、ヤクザ(暴力団)が行う野球賭博にまで厳しく追求しヤクザ(暴力団)の息の根を止めようとしているような気がしてなりません。野球賭博などは、賭けゴルフや賭けマージャンに毛が生えた程度の賭け事です。野球賭博で財産を失ったとか殺人事件が起きたなどと聞いたことがありません。もともとヤクザは、賭け事を収入源しています。野球賭博まで法の網にかけてヤクザ(暴力団)を壊滅させるつもりなのでしょうか。あなた方がご存知のように、現在日本ではものすごい勢いで支那人の数が増えています。不法滞在支那人の増加、支那人工作員、支那人マフィアなど、不法外国人分子が続々と増加し、外国人犯罪が急増している時代です。日本のヤクザ(暴力団)が警察によって息の根をとめられる寸前になってしまったら、日本のアウトローの世界は、支那人マフィアなど外国人犯罪組織によって完全に支配されてしまうのではないでしょうか。あなた方は、日本人暴力団を効率的に取り扱うことができますが、支那人マフィアなど外国人犯罪組織はそうはいきません。言葉の問題もあれば、文化の違いもありますから、ヤクザを扱うようなわけにはいかないと思います。私たち庶民も日本のアウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより日本人ヤクザに支配されている方が安全を感じるのが常識です。日本人には、日本人ヤクザの方がはるかに安心だという歴史的実証例を紹介しましょう。敗戦直後の日本社会の治安の話です。

あなた方警察官のほとんどが、敗戦直後の日本社会の治安がどうであったか知らないと思います。私でさえ、敗戦直後は小学1年生の子供ですから社会の治安のことなどなにもわかりません。後年大人になって先輩から当時のことを聞かされたり、本を読んだりして得た知識です。敗戦直後、戦前戦中あれほど強かった警察の権威が吹っ飛んでしまいました。日本軍隊は壊滅、アメリカ進駐軍から警察官の武器使用制限を受け、権威の失墜、戦死、戦傷などによる人手不足、警察官の敗戦ショック、警察官自身の生活がどうなるかわからないのに治安維持の仕事に身が入らないなどで、警察官の治安機能がガタガタになってしまったのです。その時にのさばりだしたのが当時日本に住む朝鮮人、台湾人、支那人や東南アジアの人たちです。彼らは自分たちのことを何と呼んだと思いますか、「戦勝国民」です。戦争で負けた日本民族を蔑み、自分たち自らを戦勝国民と称したのです。ところが日本を占領していたアメリカ進駐軍の最高司令官、マッカーサーは、彼らは戦勝国民でもなければ敗戦国民でもない「第三国人」だと呼んだのです。それ以来当時の日本人は、彼らを第三国人と呼んだのです。しかし現在この第三国人は、差別用語になっていてほとんど使われておりません。彼ら不法分子は、警察の治安能力低下に公然と挑戦してきた。格好の例が闇市です。敗戦後は、極端な食料不足と物資不足、当然のごとく闇市が生まれました。これは世界の常識です。闇市は露天商がのきを並べます。当然日本人露天商が多い。そこえ戦勝国民、すなわち第三国民の不法分子がやってきて法外なしょば代を要求。拒否すると暴力を振るわれたり、露天をこわされる。そこで警察に訴える。ところがその警察が全く役立たない。そこでヤクザに頼む。第三国人もヤクザも敗戦後生きるのに必死です。彼らは縄張りをかけて血で血を洗う熾烈な戦いを演じたのです。敗戦の翌年、昭和21(1946)年の2月に起きたある事件を紹介しましょう。神戸三宮駅東側の市有地を占拠した台湾人に対し、拳銃・日本刀・鳶口・手榴弾で武装した山口組は、神戸市のマーク入りの公用トラック2台で突入、建築中の建物を掛矢でぶち壊して、逆占拠した。まさに神戸市と山口組の共同作戦です。戦争中に無差別空爆を受けた日本の大、中都市は、ハイチ地震で首都が、がれきの山になっている姿がテレビで写りだされたがあれとほとんど同じようなものでした。誰か力のあるものが、瓦礫の山を少しとりのぞいて空き地をつくり、これは俺の土地だといったらそのままのケースになるのが多かった。朝鮮人の土地不法占拠も多かったという。この時警察など何も役にたたなかったのだ。いかに敗戦直後の治安が乱れていたかの典型的な例を二つ挙げましょう。

1.「朝鮮進駐軍」
敗戦直後の日本社会の治安を乱した最悪の第三国人は、在日朝鮮人です。アメリカ進駐軍の名を借りて自らを「朝鮮進駐軍」と称し、朝鮮人3万人の集団であった。彼らは武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、武器使用制限を受けていた警察官や警察署を襲い、敗戦に打ちひしがれた日本人を襲い、略奪、強姦、暴行、殺人等をほしいままにした。GHQ(アメリカ進駐軍本部)の記録によると4千人以上の日本人が殺されているのだ。彼らの起こした最大の事件が、敗戦の翌年の12月20日の首相官邸襲撃事件です。1万人以上の朝鮮人が参加、日本の警察では全く手に負えず、アメリカ進駐軍が出動し鎮圧した。彼らの不法行為は許せないと義憤を感じたのは日本の一般庶民だけではなかった。ヤクザも同じだった。この「朝鮮進駐軍」が朝鮮戦争をさかいにして現在の朝鮮総連と民団になっていったのです。

2.山口組
敗戦後働き盛りであった山口組、組長田岡一雄は、「山口組三代目、田岡一雄自伝」全三巻を書いているが、その中で「警察の無力」というタイトルの下に書いた文章を少し長くなるが当時の実態を知るために全文を紹介しましよう。
引用開始
「昭和21年2月、神戸市生田署の岡正雄巡査部長が戦勝国民に拉致されて暴行殺害され、同年4月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。そればかりでない。警察の威信を根底から覆す不祥事さえもちあがった。すなわち彼ら3百余人が一団となって兵庫警察署を襲撃し、署長を初め幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠した。さらに彼らは水上警察署を急襲して拘留されていた同胞全員を釈放し、水上署の全監房は彼らの手によって開放されるという不祥事件にまで発展した。自分たちは戦勝国民だ、ということ盾に、彼らはやりたい放題のことをやり、その非道、無法は目にあまるものがあった。彼らの不遜な行動は市民のはげしい憎しみを集めた。それを嘲笑うように、彼らは神戸市の全警察署を襲撃する計画まですすめるに至ったのである。警察当局は顔色を失った。治安維持より警察そのものを守ることが急務であった。警察は、わたしに助っ人の依頼を申しいれてきたのである。
すなわち当時、湊川温泉内に設置されていた兵庫警察署の署長は本署襲撃に備えて、署員だけでこれを迎撃する力なしと判断し、国警本部長、警察幹部一同、神戸市長と鳩首、緊急会議を開いた結果、同署長は私に兵庫署警護の応援を求めてきたのである。
『どうやろ、田岡はん。力になってもらえんやろうか』
署長は額に脂汗をにじませていた。
私は敗戦国の警察の無力に憤りと嘆きを感じながら、その申し出を受けてたった。神戸の治安維持、市民の安全のため、みんな一丸となって彼らの暴力を排除せねばならなかったのだ。現在の佐々木組組長・佐々木道雄は当時の状況を『山口組時報』の連載手記『かくされた真実』の中で、およそこう回想している。

―――山口組組員は勇躍団結し兵庫署の整備と署員の人命を保護するため、兵庫警察署に昼夜をわかたずたてこもるとともに、同署の受け持ち区域の神戸新開地に山口組自警団を結成、「花月劇場」をその事務所にした。兵庫署内部の警備について、彼ら戦勝国民に襲撃された場合、全署員は重要書類を持ってただちに裏口より避難し、あとは山口組員がこの迎撃にあたり同署の屋上から数本のドラム缶に重油いっぱい詰め、これを落下させるとともにさらに手榴弾三箱、約40個を投下、かれらを大量に殺傷させ、相手がひるむすきに山口組抜刀隊による決死隊が日本刀や拳銃を持って殴りこむという、戦闘作戦計画が警察幹部との間でなされたのである。
いま思えば心寒い国際問題であるが、所詮、みずからの手では治安維持は不可能であり、毒をもって毒を制するという市及び警察当局の考えであったろう。そこで警察幹部署員は組員各位に清酒を振舞ったうえで、相手を殺傷した場合は、その罪を問わず、裁判所の裏口より釈放することを確約。捕虜にだけはならないよう注意し、殺傷したときは奨励金、ならびに見舞金を与えることを申しのべ、大いに山口組組員の士気を鼓舞したのだった。
こうして一同、部署についたが、結局、兵庫署に対する襲撃は行われなかった。これは山口組の気力にくっしたのか、はたまた彼らのうち一部知識人の警告によるものであろうか。兵庫署襲撃事件は未然に防がれ、治安当局のメンツはかろうじて保たれたにである――と。

現在では到底考えられぬことであるが、当時それほど警察は戦勝国民に対して無力だったのだ。その例は昭和21年7月に東京・新橋で起こった松田組との抗争、渋谷署襲撃事件、浜松事件がある。そして、熱海事件と全国に広がり、神戸もまたその例に漏れなかった。われわれが率先して治安を守らねばならぬ時代だったのだ」引用終了

警察の皆さん、これが敗戦直後の治安状態なのです。現在80歳以上の元警察官がいたら、当時の治安状態を聴いて見るのも参考になるでしょう。ヤクザが敗戦直後の日本の治安を警察と一緒になって守ったことは事実なのです。昭和34(1959)年、山口組組長、田岡は神戸水上署の一日署長を勤めてさえいるのだ。このことは山口組がどれだけ治安維持に貢献してきたかの証明でしょう。それが7年後の昭和41(1966)年、まだ田岡が生存し健在でいるというのに警察は、「山口組壊滅作戦」を発動した。兵庫県警の文書「山口組壊滅史」の中にはつぎのような文章が載っていると言います。
「第三国人の集団に対する日本人暴力団の闘争が『大和魂の発露』『男の中の男』として一部市民から英雄視され、心からの拍手をあびた」
「この一部暴力団に対する一部市民の歓呼が、戦後20数年を経た今日にあっても、『戦後のわしらの命がけの働きを忘れたのか、市民のためにつくしたわしらの苦労を忘れるな』と彼らに叫ばせる」
兵庫県の警察の方にはぜひこの本を読んでみてください。このように敗戦直後、ヤクザは日本の治安活動に大変貢献したのです。

それをあなたたがは、1960年代頃からヤクザと呼ばずに「暴力団」と呼んでまるでごきぶりあつかいにした。日本のアウトローの世界には、町奴、博徒、ヤクザなど呼ばれてきたが、その呼び名の中には、侠客道とか任侠道という臭いがあるのです。「暴力団」という呼び名には、社会のくずという意味しかない。「山口組三代目田岡一雄自伝」の最後に田岡の妻、フミ子が短い手記を書いていますが、その中でフミ子は「侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられている」と嘆いているが、私は彼女に同情します。私は元ヤクザの出でもなければ、身内にもヤクザはいません。それでも「暴力団」という言葉使いはやめてヤクザにもどしてもらいたいと思います。あなたがたは勝手にヤクザを「暴力団」など言っていますが、敗戦直後あなたがたは、なんと呼ばれていたのか、知っているのですか。私は子供心にもあなたが何と呼ばれていたか覚えています。あなたがたは、「ポリ公」と呼ばれていたのです。ポリは(police)のポリです。公は猿公(えてこう)の公、忠犬ハチ公の公です。「ポリ公」、すなわちあなたがたは、動物呼ばわり同然だったのです。私は、この言葉が全国的に使われていたかどうか知りません。しかし敗戦直後私が住んでいた米軍海軍基地の町、横須賀では使われていたのです。

なぜあなたがたは、「ポリ公」などと軽蔑されたのか。それは敗戦直後の治安維持にあまり役立たなかったからではないですか。戦前戦中、あなたがたは、大変権威がありました。大変権威があったということは、ある意味ではあなたがたは必要以上にえばっていたということです。ところが敗戦なったとたん、あなたがたは、頼るところが無くなってしまったのです。それまでは警察の手に負えない事件は、軍隊に頼めばよかった。ところがあの強い日本軍隊が壊滅してしまった。どんな事件でもあなたがたの手で解決しなければならなくなりました。結局あなたがたはうろたえて、あれほどえばっていた警察官が醜態を国民にさらけ出してしまったということです。ところがヤクザは、もともと後ろ盾などありません、極端に言えば悪いことしながら自力で生きていかなければなりません。敗戦という大ショック時には、ヤクザの方が精神的にタフだったのです。しかしこれはもう60年以上の前の話、この辺で打ち切り最初に戻ります。

現在、外国人犯罪が急増しています。都会ばかりでなく地方にも外国人犯罪が広がっています。自衛隊と同じようにあなたがたも大変な人手不足。こんな時にヤクザ(暴力団)の野球賭博などに目くじらを立ててどうするのですか。相撲の名古屋場所に暴力団が見学しないように数人の警官さえ配置しています。違法なことしていないヤクザが相撲を見に来て悪いのですか、野球場に野球見学に来て悪いのですか。私が主張したいのは、凶悪な、あるいは悪質な犯罪であれば、ヤクザを取り締まるのは当然です。しかし野球賭博を追うなら外国人犯罪の方に力を入れてください。野球賭博まで追い詰めてヤクザを窮地に追い込まない方が、現在の日本を見つめ、将来の日本のことを考えると、得策だと主張したいのです。最初にも触れましたが日本のアウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより、ヤクザに支配されていた方が、我々国民も安心に思えるし、あなたがたにとっても仕事がやりやすいはずだからです。ヤクザを肥やす必要はないが、壊滅寸前に追い込んではまずいのです。これからの日本を考えると、状勢によっては警察がヤクザを利用することもありえます。これは決して恥じではありません。アメリカのFBIもアメリカ軍もマフィアを利用しているケースはいくつもあります。それにしても暴力団という名前はよくありません。暴力団員では、任侠、侠客の臭いすら完全に無くなっていることでしょう。ヤクザという言葉を使ってやってください。昔のヤクザにはいいところがあったと彼らに悟らせるのも一つの方法ではないでしょうか。あなたがたの敵は、もうヤクザではありません。恐ろしい敵は支那人マフィアなど外国人犯罪組織です。外国人犯罪組織がはびこらないように徹底して戦うことです。時にはヤクザを利用してでもです。そのことが我々庶民の安全にもつながるのです。

追記: この記事の転載を歓迎します。警察関係者とヤクザ関係者には特に読んでもらいたいです。

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9 comments »

terag3 より:
2010年7月25日 10:41 AM
「暴力団をあまり痛めつけないで下さい」というタイトルに吃驚しました。しかし最後まで読んでその趣旨がよく分かりました。終戦時10歳、11歳の時満州から福岡県に引き上げてきて小学校5年に編入しましたので当時のことはよく覚えていますが「ポリ公」懐かしい言葉ですね。
それにしても現在は任侠道の「やくざ」も一緒くたに「暴力団」と呼ばれますから可哀そうなものです。賭博は悪いことですが野球賭博などは「花札」「賭けマージャン」などと同じでお遊びのようなものでしょう。ただお相撲さんたちはお金持ちですから何百万、何千万とか高額な賭け金になるのでしょうが相撲界も伝統的に大昔からやくざとのお付き合いは、お互いに持ちつ持たれつ続いてきたものであり、そのような情勢を一切認めず「暴力団」と決めつけて杓子定規に取り締まるのは如何なものかという気がしています。それよりも話は飛躍しますが死刑囚に執行命令を出せないような法務大臣がいることの方が異常です。この世の中何かがおかしい、どこかでボタンを掛け違えているではないでしょうか?

mm より:
2010年7月25日 2:43 PM
認識が少しばかり古くはないでしょうか?

「アウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより日本人ヤクザに支配されている方が安全を感じるのが常識です。」

表面上暴力団員の4割は在日韓国朝鮮人とされていまが、すでに実権は日本人の手にはないようです。山口組ももはや日本人のものでは無くなったと山口組を追い出された後藤組長が書いてます。名だたる組織の実権はすでに在日の手に落ちています。先だって官報に広告された稲川会の最高権力者も在日です。暴力団=外国人犯罪組織が実情なのではないでしょうか。

えんだんじ より:
2010年7月25日 3:28 PM
terag3さん

「ポリ公」という言葉は、九州でも使われていましたか。すると全国的に使われてていたんですね。治安維持に全く役立たずということが全国的に認識されていた証明ですね。

terag3 より:
2010年7月25日 3:57 PM
暴力団と旧来の任侠道を重んじるやくざの世界・・・それらの知識はまったくありませんが、mmさんの情報が正しいならばそれが問題ですね。現在の暴力団というカテゴリーには真正やくざはいなくなってしまったのでしょうか?どなたかその辺の事情に詳しいお方の解説をお願いしたいものです。

えんだんじ より:
2010年7月25日 4:03 PM
mmさん

コメントありがとうございます。
私も現在の日本のヤクザに在日韓国朝鮮人が存在していることは知っています。私が聴いているのは2,3割は在日韓国朝鮮人ヤクザだそうです。
山口組に関しては、宮崎学著「ヤクザと日本」にはこう書いてあります。
「闇市をめぐって実力対決しているときでも、それぞれがそれぞれの仲間のために闘っているものとして、心が通い合っている面があった。だからこそ、
1948年(昭和23年)4月に朝鮮人学校閉鎖命令に端を発する「阪神教育闘争」のなかで、占領軍兵庫県軍政部が非常事態宣言を発令して在日朝鮮人を弾圧した時、山口組は朝鮮人戦闘分子を匿い逃がしてやったのである。いま、山口組幹部の少なからぬ部分を在日コリアンが占めているのも、理由のないことではないのだ。(244頁)

在日韓国朝鮮人ヤクザが例え4割占めていたとしても、日本が彼らの縄張りであることはまちがいありません。そこえ支那人マフィアが日本列島に上陸すれば(すでに上陸しているでしょう)、おもしろいわけがありません。
それこそお互い戦いあい、あるいはゆずりあいをしていくでしょう。私の一番恐れるのは日本のアウトローの世界が支那人マフィアに完全に押さえ込まれることです。

猪 より:
2010年7月25日 4:54 PM
必要悪の「やくざ」の時代は終わりました。当時の映画などをご覧になって居ればお判りでしょうが、港・建設・闇市に関するやくざ映画を描くのは「日本人やくざ」が第三国人暴漢を退治する。これが方程式の様な映画の「やくざ」でしたが、戦時中陸海軍で活躍して居た「戦中やくざ」が亡くなる、引退した後は、ドンドン大学出の経済やくざや在日やくざが進出、政官財のおこぼれを頂く、弁護士を抱える、そして組織内の人事も在日韓国人組長が実権を握り始めてからの「やくざ道」など無くなりました。

政治家に擦寄る、宗教家に食いこむ、パチンコ屋に縋る、警察上部との癒着は厳然として残っているので上級「やくざ」が
暴力沙汰に走る事も無く、現代の「やくざ」に言わせれば「素人さん」の方が恐ろしい事をやる。と呆れているのが現在の状況でしょう。もう「やくざ」より六本木辺りはアフリカ・アメリカ・諸外国入り乱れて、まともな日本人は夜の独り歩きは危険だと警察官が言う時代になっています。

法律で警察権力を弱体化させた、軍人の誇りなど何処に行っても無い、今の日本は大混乱が有れば手がつけられない状況に有るのでは無いかと、心細い事を言う警察幹部もいます。
現代のやくざの正業は「金融」・「建設」・「博打」・「産廃」・「老人介護」・「興業」あらゆる面で「正業」の形が整っていますから、昔の任侠「やくざ」とは人種も構造も違う「異」なる「やくざ」業になって居ります。

朝鮮系の「やくざ」がパチンコに飽き足らず、産廃分野に出てくる、今は知りませんが「環境事業団」と言う特殊法人を使い、日本の資金で最終処分地の山を買う。小企業の産廃業者などは「環境事業団」などの枠が無いので、中小企業から脱皮出来ない様な事も方々で起こっていたようです。昔厚木基地の近辺で廃材焼却の煙が厚木基地に入るのが問題になりましたが、そこも建築許可が出ない場所でしたが営業して居たのは「官」が黙認していた。当然「政治」が関与して居るんでしょう。

地方に行けば宗教団体の政治力は強力です。警察権力を一番嫌がるのも、やくざより宗教団体の方を嫌がるのが現在の世の中では無いでしょうか、宗教団体は「やくざ」を手足のごとく動かせる資金力が有りますのでこれからも、やっかいな存在として、日本の荒廃に絡んでくるでしょう。
兎に角現在は国家観のない政治家が「人権」の一言で右往左往、日本人と外国人の区別を「差別」と言い変える堂々たる?日本の政治家が居るのですから、日本人一人ひとりが自分を守る手立てが必要な時代が来るのではと・・・中井公安委員長の言動が現在の日本の姿です。

えんだんじ より:
2010年7月25日 7:54 PM
猪さん

猪さんの言われる通りだと思います。私も現在のヤクザに昔のヤクザの気質を全く期待しておりません。ただ現実の問題として、現在ヤクザの世界を支配している在日韓国朝鮮人にしてもインテリヤクザにしても彼らの縄張りは、日本国内です。そこえ支那人マフィアが日本に進出して彼らの縄張りを侵食すれば、例え彼らに国家意識がなくても縄張りを守るために闘わざるを得ないでしょう。
私が主張するのは、支那人マフィアと張り合うアウトローの組織が必要であるということと、日本国内のアウトローの組織が警察の力によって支那人マフィアとわたりあえない弱い存在にならないということの二つです。

猪 より:
2010年7月26日 10:11 AM
アウトローの排除は矢張り「公権力」がやるべきでしょうね、警察権力を「特高警察」に見立てて戦後は「権力」と見て治安維持より「権力が怖い」と考えた左翼人が考えだした「すり替え」、戦時中の「特高」は共産主義者には恐ろしい存在でしょうが普通の人間には何の影響も有りませんでした。
悪い事をするから目を付けられる、何時に時代でも有り得る事でとくに戦時になればスパイが怖いのですから、監視は当たり前の事、もうシナ人は新宿の暴力団より上でしょう。隠れては居ますが暴力団員が青竜刀でメッタ切りにされ事件以降は双方で手打ちも有ったと思います。後は日本の警察権力が「公的」にやるより方法はないのではと考えていますが、そこまでの勇気が政治家には無いのでしょうか・・・早く普通の国になるべきですね。

えんだんじ より:
2010年7月26日 8:31 PM
猪さん

<アウトローの排除は矢張り「公権力」がやるべきでしょうね。

全く同感です。ヤクザの手を借りるのはあくまでも例外的ケースです。
しかし日本の警察は頼りになるのかな。北京オリンピック聖火リレーの時の長野の暴動をテレビで見ていました。現在は日本政府もお役所も日本人に冷たく外国人にあたたかいのだ。日本で生まれ日本で育った純粋日本人にもかかわらず、日本本土で冷たくあつかわれるとは日本史始まって以来でしょう。

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