西尾幹二氏と水島聡氏の討論を聞いて

原発推進か脱原発かの二人の討論が今月半ばにチャンネル桜で放映された。私はその番組をユーチューブで見ました。私が軽蔑する保守知識人が原発問題について西尾氏と討論したところで私には全く興味わきません。ところが討論相手が原発推進を主張する水島聡となると話が違います。俄然興味がわいた。なぜなら水島氏は、すばらしい人間性の持ち主ですし、私が尊敬する保守知識人の一人だからです。水島氏が主催するデモには何回も参加してきました。その水島氏がなぜ西尾氏と意見があわないのか、この二人の討論は、私にとってちょっとした呼び物になった。結局同じ討論を三回も聞くはめになりました。なぜ三回も聞くことになったか。それは二人の考えの違いはどこから発するのか、すなわち違いの原点はどこからなのかとさぐるために三回聞くことになったのです。その結果、二人の意見の相違は。次の二つの認識の差によるのではないかと考えました。認識の差と言っても二人は、認識の差などと発言しているわけでなし、また二つに分けて話をしているわけでもありません。いろいろな点をおりまぜながら話をしているわけです。それを読者にあえて二つにわけて分かりやすく説明するのはむずかしいのですが、それを私の独断と偏見をまぜながら試みてみました。

1.日本の現状認識の差
この原発事故では危機管理のまずさばかり強調されていますが、いくら予防処置を講じても事故はおきることもあるわけです。一端事故がおきたら、その事故の対処能力も問われます。しかし、政府にも東電にもその事故対処能力が全くないのも露見した。放射能で汚染された建物屋内を動きまわる人工ロボットをアメリカから借りた。放射能を大量に含んだ汚染水を循環させながら汚染度を減らしていく循環施設もアメリカやフランスから借りた。この人工ロボットも水処理循環施設も日本が得意とする分野で世界でも非常に高い評価をうけている技術です。それらすらも外国から借りなければならなかったということは、東電は原発を建てた時から、事故など全く想定していなかったということです。この東電の能天気ぶりは恐ろしいほどです。この恐ろしいほどの能天気ぶりは、東電だけに限ったことでなく、現在の日本人特有のものです。日本国民そのものが危機管理意識などなにもないのです。今回の事故で原発というのは、一端事故をおこすといかに危険なプラントであることがわかった。そんな危険なプラントが、外国やテロリストから攻撃を受けやすい海岸沿いに日本の原発全基、54基が無防備状態で配置されているのです。韓国では原発プラントに機関砲が設置されているのだ。どこの原発所有国でも、原発の廃棄物など危険だからどこに埋めているか極秘です。ところが日本では青森県の六ヶ所村に原発から出る放射性廃棄物が金属容器に詰め込まれ野ざらしにされて、まるで毒物を公開しているも同然の姿をさらけだしているのだ。外国やテロリストが日本を降参させようと思ったら簡単です。核兵器など使う必要など全くない。海岸沿いにある原発を数基乗っ取り、ついでに六ヶ所村に手榴弾でも放り投げておけばそれで日本はおしまいです。そんなことは起こらないだろうと何もしないのが日本人。起きたら、その時想定外だったというのが日本人なのだ。それでも推進派は、原発を作れという。原発事故の影響を受けた福島県民の苦難にはすさまじいものがあります。それでも原子力安全委員会や安全保安院は、罰せられるどころか、給料さえ減給されることもないのだ。その連中や技術者、それにかかわる東大など原発学者、官僚達、政治家など事故を想定するどころか、国家意識が欠落し、国家観など無きにひとしい、だから国を守ろうとする強い意欲などなにもない。そんな連中にまた原発を作らせるわけにはいかないから、ここはいったん原発から手を引けと西尾氏は言う。それに対して水島氏は、エネルギー政策は、国家の重要な政策だからそう簡単に変えるべきでないし、変えられるものではない。日本だけ原発を作らない、作れないでは情けない国になってしまう。しかし作らせるには国家意識をきちんと持っている人に作ってもらわなくては困ると断言しています。この国家意識の重要さは二人とも一致しているから現状認識の差の歩み寄りは可能でしょう。しかし次に述べる技術革新の認識の差は、二人の間では非常に大きい。

2.技術革新の認識の差
水島氏は、技術の欠陥、あるいは欠陥により起こる事故に対しては、技術の進歩、すなわち技術革新によってさらに良い物を作っていく。これが人間の性であり、DNAであり、宿命であるのだ。だから今回の事故を教訓にして謙虚に学びより良い物を作っていけばいいのだ。これに対し西尾氏は、原発は一度事故を起こすと人間社会に恐るべき悲惨さをもたらす。そういう物は技術とは言えないとまで断言している。そこまで言い切れるかどうか私も疑問だが、西尾氏は、さらに「私は技術の進歩に幻想を抱いていません」と言う、この言葉を二、三回口にしています。この言葉は大事なので私なりの解釈をして説明しましょう。皆さんに一つ質問があります。技術革新は、人間と共存できると思いますか?皆さんの多くが、とくに技術者は、そんな当たり前なこと聞くなと言う人もいるでしょう。当然だと思います。いままで人間は、技術革新からどれほどの恩恵を受けてきたか測り知れないからです。しかし、私はもう人間は、物によっては技術革新と共存できない時代に入りつつあるのではないか、あるいはもうすでに入っているのではないかという考えを抱いています。それを分かりやすく説明できる分野があります。それは医学の世界です。私が30代や40代の頃、日本に百歳以上の人間は、両手の指で数えられたのではないでしょうか。それが2000年、私が50代に入った時には、日本には、100歳以上の人間が3、078人、それが平成21年にはなんと40、399人です。19年間に100歳以上の人間が10倍に増えているのです。日本ではこれから100歳以上の人間がドンドン増えていくでしょう。日本で最初の心臓移植がたしか札幌で行われた時、大変な大騒ぎだった。いまでは臓器移植など日常茶飯事になりつつあります。そのため臓器移植で悪事を企む連中が出てきた。人工臓器の実用化がどんどん進んでいます。細胞の老化を防ぐ薬の開発も行っているという。人間の平均寿命がどんどん長くなるでしょう。
その時人間社会は、人間の無限とも言うべき平均寿命の長さに耐えられるのでしょうか。
世界人口の急増、食糧不足、年金不足、医療費の急増、無限に伸びていく平均寿命に耐えられないと思います。かりに古来から人類の夢である不老長寿の薬を開発しても、もう人間社会はそんなもの到底受け入れらません。私の予想では、いずれ人間は百歳以上生きられなくなるのではないでしょうか。百歳になったら、例え癌のような病気をしても治療は許されず、百歳前に癌にかかって治療中でも百歳になったら治療はストップ。これでは姥捨て山の法令による公認です。こういう時代が来るのは何百年も先の話でしょうか。医学分野は、平和産業です。その平和産業ですら技術革新が進みすぎると人間社会の脅威になるという証明です。西尾氏の「私は技術の進歩に幻想を抱いていない」ということを私はこう解釈しています。

私は水島氏に対して原発推進していくうえで日本外交が先進国から受けている外交上のしばりに対しえどう対処するのかの意見を聞きたかったし、また一番知りたかった点でもあります。番組はおよそ一時間ぐらいだったので時間が来てしまい水島氏の意見を聞かずに終わってしまい誠に残念というほかありません。なぜなら日本が先進国から受ける外交的しばりに対して原発推進論者からの明快な反論を聞いたことがないからです。日本が受ける外交的縛りは非常に重要です。月刊誌「Will」8月号の西尾氏の論文の一部を前回のブログで紹介しました。外務省初代の環境問題担当官で現在エネルギー戦略研究会会長の金子熊夫氏の「日本の核、アジアの核」(朝日新聞社、1997年)でこう断言しているのです。
「要するに、日本の原子力開発は、過去40年間と同じく現在、将来とも、米、英、仏、加、豪の五カ国、わけても米、加、豪の三カ国に「生殺与奪」の権利を握られているのであり、これら諸国の核不拡散政策を無視して、自分勝手な振る舞いはできないような仕組みになっているのである」。

そして現在六ヶ所村にはIAEA検査官が常駐して監視しているのだ。何故か?六ヶ所村には、日本全国の原発から金属容器に積み込まれた使用済み燃料が次々を運びこまれているからです。この使用済み燃料を再処理すると毒性の高いプルトニウムが抽出される。その抽出されたプルトニウムが日本にはすでに45トンもあるのだ。8キロあれば原発一個作れるので約五千発程度の原発の材料が貯蔵されているのだ。アメリカは、日本は絶対に65トン以上のプルトニウムを持ってはならぬと主張している。六ヶ所村に検査官が常駐しているだけでなく全国の原発にも年に一、二度IAEAの検査官が入る。もちろんIAEAの検査官が日本の原発に検査にくるのは、規則に基づいてくるからだ。しかし核兵器所有国には検査官は行かないのだ。日本は北朝鮮なみに扱われているのです。いいですか、日本はこれまでに国際機関にいろいろ加盟し、国際社会のために貢献してきた。国連、IMF、世銀など重要な国際機関での貢献度が非常に高い。それにもかかわらず、日本にはプルトニウムがあるからと言って検察官が常駐して核兵器に転用しないか監視しているのです。韓国もIAEAが滞在して検査をしているというかもしれない。しかし日本の国際社会に対する貢献度は、韓国など問題ではありません。少なくとも日本は、核所有国と同じ待遇扱いも受けてもいいはずだ。このことが不満で日本がIAEAを脱退したらどうなるか、ウランなどの原料を供給しなぞといわれたら原発産業はお手上げそんなことはできやしない。まさに西尾氏が「Will」8月号の論文で言っている「IAEAの代表者が日本人であることは、黒人のなかから黒人の働く農場の監督が選ばれるのと同じようなことである」はまさに名言です。

私が原発で一番懸念するのは、最後に残る猛毒の廃棄物(プルトニウム)の存在です。世界のどこのメーカーもこのプルトニウムをどう扱っていいのかわからないのだ。結局金属容器に入れて地中に埋めているのでしょう。アメリカや支那のように草木もはえない沙漠を持つ大国は断然有利です。日本のように狭い国土で、例え人が住んでいなくても草木の生えないような場所はほとんどない。仮に地中に埋めても地震の多い日本では地中に埋めたらなお危険になるような気がします。プルトニウムのような危険な廃棄物を入れる金属容器には、世界基準というもなはなく、おそらく各国独自の判断で決めているのでしょう。そうなると余計に、日本の金属容器の仕様が心配になります。過去に低放射能廃棄物を保管した金属容器が腐食して放射能もれを越していたことが何度もあったたからです。現在日本にある45トンのプルトニウムを保管している金属容器の材質は、何か、その肉厚は何ミリなのか、およその耐用年数は、全国の原発から運びこまれている使用済み燃料という核のゴミが入れられている金属容器の材質、肉厚、耐用年数などなにも国民に知らされてもいない。日本の原子力安全保安院も、日本原子力安全委員会も全く信用できないから、金属容器の材質、肉厚などすべてアメリカと同じにしてくれと言いたい。このように原発には、必ずプルトニウムという猛毒が残存します。それにもかかわらず現在原発建設中や原発計画中の国がどんどん増えている状態です。そんな時に日本が原発から手を引いてどうするのかという原発推進者の声がある。しかしそれでも原発と手を切ったドイツは、私は偉いと思う。勿論ドイツは電力不足になれば、フランスから買える、しかし同時に原発事故がフランスで起きれば、その影響をドイツはまともに受けることになります。ドイツだけ原発と手をきっても原発の脅威から開放されるわけではないのです。それにも関わらずあえて原発から手をひいたのは、原発以外のエベルギー関連技術では世界一になってやろうという意志があるからこその脱原発政策ではないのでしょうか。日本は小さい国、そのうえ地震がむちゃくちゃに多い国です。そんな島国に大量のプルトニウムを抱えてどうするのですか。原発以外でエネルギーを生み出す機器プラントに関しては世界一のものを開発することに全力を尽す。これ以外に他の方法はないのではないでしょうか。

最後に私は提案というほどの目新しい提案ではないが一つ提案があります。原発推進にしろ脱原発にしろ、現状の日本を変えなければもうどうにもならないほど日本は政治的にも経済的にもジリ貧状態に陥っています。独立を回復してもうかれこれ70年近く。その間日本はアメリカの属国、あるいは保護国同然。そのため政治家も外交官などの官僚も経済人も彼らの意見、政策はすべて無意識のうちに、簡単に言えばアメリカの属国としての立場でしか物を考えることしかできなくなっているのだ。情けないことに奴隷根性に浸りきりになっているのだ。なぜ日本の原発の「生殺与奪」の権利を米、英、仏、加、豪に握られねばならなかったのか。なぜ日本の原発が核所有国並みに扱われなかったか、日本の原発は北朝鮮並に扱われているのだ。それでも北朝鮮は、気に食わなければIAEAの検査官を強制的に自国から追放してさえいるのだ。ところが日本は,IAEAの長官に日本人がなったのを喜んでいるのだ。実はそれほど喜ぶべきことではなかったということがこの原発騒ぎでわかったくらいです。原発推進者には、この日本の原発産業の隷属状態をどう対処していくのか提案して推進論を展開してもらいたいと思います。このように現在、日本は、何回も繰り返すが、あらゆる面、特に政治、経済面においてアメリカの属国としての立場から物が考えることしかできなくなってしまっているのだ。この現状を早急に変えなければ日本は、いつまでもジリ貧状態が続き浮かばれません。この日本の現状を変えるには、何が今必要だと皆さんは、考えますか。それは憲法改正ですよ。現在一番、なにがなんでも急がれるのが憲法改正です。憲法を改正することによって政治家も国民もこれまでとは一新した新しい独立国としてのスタートを自覚させることができるのではないでしょうか。そこで水島氏に御願いがあります。現在、東京を中心とした大都市から我々のような一般大衆にデモを呼びかけ大動員できる人は、現在のところ水島氏だけです。それで私の御願いは、「草莽掘起」ののぼりもいいが、ここは現状の日本をとにかく変えなくてはどうにも発展がない。そこでのぼりは「日本を変える」にしてもらい「憲法改正」要求のデモをどんどんやってほしいと思います。私は、何回かデモに参加していますが、確か「憲法改正」のデモをしたことがないのでないか。またあまり目立たないが、日本のために一生懸命頑張っている小さな保守の団体もぜひ「憲法改正」のデモをしてもらいたいです。原発推進、脱原発と口角泡を飛ばして論ずるより、とにかく一日も早く日本の現状を変える意味で「憲法改正」が緊急に急がれる最重要課題だと思うのです。

最後に、保守派の原発推進者に一言言いたい。原発推進者のほとんどの人が一度は口にする「人一人死んだわけではない」。この言葉は実に不適切な言葉です。原発推進者のほとんどが、福島の原発事故は、人災で放射能の恐怖が必要以上に宣伝されていると主張しています。そのため放射能などそれほど恐くない、低レベルなら健康によいのだという専門家に意見に飛びつきやすい、一方脱原発論者は、放射能の脅威を主張する専門家の意見にとびつきやすい。私は昨日国会で参考人として呼ばれた東大教授、児玉龍彦氏の意見に飛びつきました。広島原爆の29.6個分の放射能が飛び散っているという。その放射能の恐ろしさを強調し、得に子供への対策を強調し、政府の無策振りを舌鋒鋭く批判していました。しかしその放射能が恐いか恐くないかは、10年後あるいは20年後にしかわからないのです。しかし現実に原発近くの住民は、非常に悲惨な状態に押し込まれているのは事実です。それにも関わらず、「人一人死んだわけではない」とは何事ですか。福島の被害者を全く軽視した言葉です。私が原発被害者の一人だったらそんな言葉を吐く人間に憎悪を感じますね。とにかくこの言葉は道徳的にも不適切ですし、また左翼に利用されるだけです。左翼は、「あの連中は、福島の惨状を目のあたりにしているのに、人一人死んだわけではないと平然としている」と言うでしょう。原発推進が正しいのか、脱原発が正しいのかこれも長い年月たたないとわかりません。しかしいまのところ原発推進者の意見は、私を納得させるものではありません。しかしこれからも推進者の意見には耳は傾けます。しかし「人一人死んだわけではない」と言う言葉は、もう絶対に使うべき言葉ではありません。皆さんそう思いませんか。

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14 comments »

terag3 より:
2011年7月31日 10:31 AM
またまた有意義な話題を提供して頂き有難うございました。

脱原発か、原発推進かという問題それぞれに深く考えた末の結論で有ると思います。私は当初、原発の安全神話が崩壊した現在の状況と現状の原発を維持する限り付き纏う使用済み核燃料廃棄物の処理問題を考えた時、脱原発で行かねばならないと思っていました。

ところが一方の原発推進論者の意見を聞いているうちに、やっぱり原発から一切手を引くと言うのは科学の進歩に目をつぶることになると言うことで、それもどうかという考え方に変化してきました。

水島氏の言う「日本だけ原発を作らない、作れないでは情けない国になってしまう」という意見に同感するものです。

私は毎日この「えんだんじのブログ」と「ねずきちのひとりごと」そして「戦勝国は日本だった」のブログをチェックしています。いずれもその管理者は日本国の将来を真に憂い憲法改正こそ、日本再生の最大の決め手であると言う認識で一致していると思っています。

「戦勝国は日本だった」のブログでは「西尾幹二氏の反原発安全保障論は片手落ちである。海水ウラン回収と核燃料サイクル(もんじゅ)の早期実現、これが実現すれば我が国は、エネルギーを自給出来ることになる」と書かれていました。

しかし、えんだんじさんが仰るように、このたびの原発事故で推進論者の言う「人一人死んだわけではない」という言葉は、確かに道徳的にも不適格ですね。私はそれよりも、日本の学者が低線量率放射線に関する新しい論文を発表して認められているのに、そしてまたその学者が福島原発の正門まで出掛けて測定してこの程度なら安全だと言っている。それにまたアメリカのラッキー博士も全く同じことを発表しているにも関わらず日本の学者や政府はこれを一切認めようとしないことに腹が立っています。

私は広島、長崎の原爆の経緯と日本の学者とラッキー博士の論文の中身を読んでから放射能の恐怖は現状では一切無くなりました。

いずれにしてもこの問題は日本人全体がもっと冷静になって良く考えるべきだと痛感しています。

tano より:
2011年7月31日 10:47 AM
こんにちは。自分もこの対談を見ました。
誠に素晴らしい分析で理解を深める事が出来ました。有難うございます。西尾氏とえんだんじさんのご意見に賛同します。
原発推進論者はよく交通事故のリスクと比較しますが、原子力は今回の事故を見ても責任の所在も事故対応も予防策(テロや人災含め)も明確ではなく、また廃棄物のリスクを未来に積み続けている点で、他の技術とは根本的に異なると認識すべきと思います。

terag3 より:
2011年7月31日 5:18 PM
さきほど私は原発推進に傾いてきたと書きましたが、やれば出来るはずだと思っているのです。

このたびの事故は全くの人災であることは疑いの余地有りません。えんだんじさんも仰るように東電と原子力保安院は日本の技術力を過信し過ぎて安全神話まで生みだしたのです。

ところが実態は政府も東電も事故対処能力が全く無いことが露見しました。たとえば人口ロボットにしろ、放射能汚染水の水処理循環施設にしろ外国から借りて来たなどという事態です。
おまけにテロ対策も何も無く、危険な廃棄物の保管場所さえ能天気な無防備状態とは何たることか!これではいくら日本の技術力を持ってしてもどうにもならないまさに人災です。

政府は原発推進政策を取るのであればもっともっと技術開発や研究を進めて世界に冠たる安全な原発を開発して売りこんでいくべきだと思うのです。危険だからと言って安易に脱原発に切り替えるのは日本にとって大きな禍根を残すことになりかねないと思っています。
そのためには原発推進論者はもっと一般庶民が納得できるような言論を展開すべきだと思っています。

えんだんじ より:
2011年8月1日 9:42 AM
tanoさん

猛毒プルトニウムの問題は、原発推進者は、あまり触れたがりませんね。プルトニウムが人類が存在する限り地球上で増えつづけます。どうにか処置したくても、人間の常として廃棄物にお金をかけることができません。電力代があがってしまうからです。太陽に寿命があるように地球にも寿命があります。人間は科学の発達で地球の寿命を短くすることになると予想しています。

えんだんじ より:
2011年8月1日 9:52 AM
terag3さん

脱原発と言っても、既存の原発を直ちに無くせと言っているのではなく、新規の原発のことですからまだ時間は充分吟味する時間があります。しかし憲法改正は、緊急の課題です。憲法改正なければ日本の復活はありません。原発推進か脱原発かなどと討論しているくらいだったら一日も早い憲法改正が先なのです。

怒太 より:
2011年8月1日 2:18 PM
私も無知なんですが、2割程度は原子力に頼ってるのが原状の中で、原発を廃止して電力供給は大丈夫なんでしょうか。

自然エネルギーに変えられるならそれに越したことはないでしょうが、
今回のカンとソンが推進してるのは完全にソンの金儲けとしか考られません。

私が脱原発で危惧するところは、軍事力の面です。
核は持てないまでも、原子力船艦等々それの話もなくなると思うんです。

えんだんじ より:
2011年8月2日 9:47 AM
怒太

保守の原発反対者は、既存の原発容認派です。新規の原発に反対なだけです。だから何もしなくても当分の間は大丈夫でしょう。新規の原発になると地元の大反対で建設は事実上無理だと思います。他の代替エネルギーを考えなければなりません。
カンとソンの関係は、全く同感です。私の携帯もうじき契約きれますが、もう絶対ソフトバンクは止めです。
脱原発でも既存の原発もありますし、それに日本はプルトニウム45トン持っています。広島タイプの原発八千個分に相当するそうです。軍事の面で心配ないと思います。

奥様 より:
2011年8月2日 11:30 AM
>えんだんじさま
このエントリーには関係ないのですが、アマゾンの書評?に「逆境に生きた日本人」について書きました。「つくる会」のような変節しない、筋を通した会の存在意義を強く感じました。
============
この著者の本は三冊目。

鈴木氏の本はどの本も常に大量の資料を駆使され、論理を整理して前に突き進む書き方である。そして、時折読者に問いかける聞き方が率直で、読んでいるこちら側に感想を突きつけてくる。

日本人は変節する民族であり、自分がそうであるから、変節する人には寛大で、筋を通す人には厳しいと著者は断ずる。その傾向は良いときには、明治維新の血を余り流さないところに現われ、悪い傾向は戦後、急に反戦平和主義者になった部分などに現われているという。

シベリア抑留の折り、ソ連が過酷な生活を強いたことは本当だが、日本人が民主化と称して同じ日本人をつるし上げて行ったことなど、日本人の欠点をきちんと検証している。今の日本を結局支えているのは、筋を通す断固たる意志を持った一握りの、この著者のような人間ではないかと、読後私は思った。長いものには巻かれる日本人の特徴を私も持っている。自分の国につばをかけることだけはしたくない。

えんだんじ より:
2011年8月2日 6:25 PM
奥様さん

過分な称賛ありがとうございます。本当にうれしいかぎりです。ありがとうございました。

えんだんじ より:
2011年8月6日 9:52 AM
川久保さん

お久しぶりです。保守の脱原発派には、現存の原発まで止めろという人はいないでしょう。本日の産経によると、全部で54基の原発のうち故障中を含めて39基が運転停止、現在残り15基だけしか運転していないのです。それでいて此の夏場の電力需要なんとか賄っています。まだ電力に余力がある証明でしょう。

いくら原発推進者ががんばっても、現実の問題としてもう新規の原発は、今後最低でも10年ー15年は、建設できないでしょう。地元の猛烈な反対にあうこと確実だからです。
この10-15年間は、まだ現有の原発とその他の電力プラントで電力需要はまかなえそうなので、この間に代替エネルギー開発、天然ガスの電力プラントなどの効率化など
世界一にすべく日本国民の総力を挙げることが必要ではないでしょうか。

いずれ福島原発は、石棺で覆われることになるでしょう。いやでも国民の目にとまります。電力業者も必然的に原発から手をひいて行くのではないでしょうか。

りんごあめ より:
2011年8月8日 12:57 PM
この問題は本当に難しくて
しばらく考えても私の能力の限界を超えているとしか・・・

代替エネルギーの天然ガスでも原子力あるなしで
価格交渉はまるで違ってくるでしょうし
自然エネルギーが安定した主力エネルギーに例えなる可能性があっても
その前に日本は産業空洞化で息絶えるのではないかと心配したり・・・

また、大きな賭けに出たものの、結局、
エネルギーが農業や水産業のように
天候などに左右されるままで
それ以上のことが出来なかったら
とか・・・

一方で原子力発電そのものが想定外であり
人が扱える範囲を超えているという意見にも
うなずいてしまう・・

廃棄物の問題は大きく
世界が原子力を手放す道筋を
日本が付けるべきだとそうも思う・・・

が、一方で
日本が完全撤退した後
いい加減な大国が後先考えず
脱落新幹線並みの原発を乱立させたら、
手を引いた日本は放射能汚染に対処できるのだろうか?
とも・・・

原子力を本当に人間の手のうちに
自由に処理できるようにすることは
本当に無理なのだろうか?
出来るのならば、その方が世界情勢からして
むしろ安全なのでは?
とも・・・

しかし、いったん事故が起こったら
日本が最も大切にしている水や海、山の資源が
ことごとくやられてしまう・・・

本当に自分の中で分裂が起こっているのです。

今の私は
この分岐点で本当に愛国心を持った真の日本人首相が
現れ、導いてくれることを望むばかりです。
それがどのような結果になろうとも悔いがないくらい
力強く・・・

憲法改正は絶対条件ですね。

えんだんじ より:
2011年8月9日 8:10 AM
りんごあめさん

原発問題は、非常にむずかしい問題ですね。現在日本にある原発は54基。そのうち福島の故障中のぐくめて39基が運転中止。現在わずか15基しか稼動していません。
それでも既存のガス電発などを稼動させると、なんとかこの夏をのりきれそうなのだから、停止中の原発を安全に運転するようにすれば、いますぐ新しい原発などつくる必要はありません。
仮に新原発を建設しようにも、地元の大反対で建設などできるわけがありません。最低でも10年間は新原発のけんせつなど絶対にむりです。その間に原発に代わるエネルギー
生産に全力を尽くし、また既存のガス電発の効率(いまでも世界最高水準ですが)をさらにたかめるために全力をつくす以外に方法はないと思うのですが。

ソードフィッシュ より:
2011年8月9日 7:36 PM
えんだんじさん、こんにちは。
ブログでコメントするのは久しぶりになってしまいました。

えんだんじさんもご存知のように小生は仙台市在住です。仙台の放射線量は福島の各市町村ほど高くはないもののそれなりの緊張感を持って生活しています。
原子力発電の賛否に関しては、ひとりひとりが考えていただければと思いますが、現在まで進められてきた過疎地等への原発建設はやめていただきたいと思います。もし、今後も必要であると考える方がいらっしゃるならば、是非、ご近所に原子力発電所を誘致する運動をしていただければと思います。東京電力管内でしたら京浜工業地帯あたりに数機建設しておけばいいでしょう。
恩恵を享受した結果生じるリスクは自分たちで受け止めるのが成熟した人間の務めかと思います。
原発推進の方々に是非考えていただきたく。

えんだんじ より:
2011年8月10日 4:47 PM
ソードフイッシュさん

ソードフイッシュさん、言われてみれえばそのとおりですよ。
原発推進者にはその観点からの発言が全然ありませんでしたからね。
いい点をついていると思います。

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