岩田温著、「逆説の政治哲学」を読んで

著者、岩田温氏は、若手保守知識人のホープだと言われています。1983年生まれというからまだ弱冠28歳。28歳にして政治哲学などという難しい題名の本を誰にでも読めるようにやさしく書くなど至難の業だと思うのですが、それをいとも簡単にやってのける。読者にあきがこないようにするためでしょう、全編29話の一話一話を頁数にして8頁前後、枚数にして4枚前後でまさに読者が知らず知らずのうち政治哲学の本を読み上げるように工夫し、それがみごとに成功しています。まさに逸材、よい意味で将来恐るべしを感じさせます。全書を通じて一ヶ所だけ、私の認識とは全く違うことを書いている箇所があった。だからと言ってこの本の価値が下がるわけではないのですが、最後まで読むと、佐藤優氏がこの本の「解説」を書いていてその中で、私の認識とは明らかに違う岩田氏の文章をそのままほとんどそっくり書いて礼賛しているではないか、これでは反論しないわけにはいかず、これから私の意見を披露しましょう。著者は、第2章、第3節 「ナショナリズムの光と闇」の「『派遣村』に何を見るか」のタイトルのもとにこう書いています。全文を紹介します。
引用開始
現在、日本には様々な問題が山積みしています。未曾有の大震災からの復興もさることながら、少子高齢化の問題、老人の孤独死の問題、派遣切りなどの若年層の雇用問題など、本当に多くの解決困難な問題を抱え、多くの国民が不安におののいています。
実はこうした問題に援助の手を差し伸べ、解決のために身を粉にすることこそ、現在求められているナショナリズムの形でもあります。必ずしも復古主義的でいさましいことを語るばかりがその発露ではありません。
つまり、同じ日本人が困難に陥っている。この現実を見つめず、結果として弱者の切捨てを進めていくのではなく、日本人の同胞意識を根底に置いた弱者救済を目指すナショナリズムの形があるべきです。
ボランティアといえば、どちらかといえば、政治的左派の占有物というイメージがぬぐえませんが、こうした場合における右・左の壁ほど無意味で有害なものはありません。
当たり前のはなしですが、ボランティアという概念が必ずしもナショナリズムとは対立的に捉えられるべきでなく、むしろ、そうしたナショナリズムに基づくボランティアが存在しないことの方が、不健全です。
例えば、「派遣村」が作られた際、政治的保守派の多くがこれに批判的でした。「偽善的である」、「自助努力させよ」、「社会主義的である」といった彼らの批判は、実に空疎な言葉でした。
これらの政治的保守派たちは、同じ日本人で苦しんでいるという現実から目を背けていたのではなかったでしょうか。彼らは貧困にあえぐ同胞のために何をしたのでしょうか。それとも、貧しき人々は日本人ではないとでも主張するのでしょうか。
同じ日本人が苦しんでいるとき、自分になにができるのだろうか。そう問いかけるのもナショナリズムに形なのです。
引用終了

私に言わせれば、「派遣村」に関してのこの文章は、全くいただけません。ところが佐藤優氏は、この文章を礼賛し、ほとんど全文を「解説」の中で繰り返し、さらにつけくわえてこう書いているのです。
「日本の伝統的考え方に翼賛がある。翼賛を『広辞苑』で引くと、<力をそえて(天子などを)助けること>と説明されている。国家からの強制に基づくのではなく、見返りを求めずに、自発的に失業者を救援する。「年越し派遣村」も翼賛事業の一つなのである。ボランティアを左派と考えること自体が現下保守派の知的貧困を示すことを岩田先生は明らかにしている」

「派遣村」に援助の手をさしのべないのは、保守派の知的貧困だというのです。こうまで佐藤氏に言われては、黙っているわけにはいきません。反論する前にほんの少し私の経歴を話しましょう。私は20歳前後の時、松下電器のバッテリー工場で臨時工として働いた経験があります。臨時工とは、現在でいうならば期間工でしょう。期間工は、契約期間内に首になることはあまりないでしょう。しかし臨時工はいつでも会社の都合で首を切られます。著者の岩田氏は現在28歳ですが、私が28歳の時は、6畳一間の安アパート他に部屋らしい部屋と言えばトイレだけです。共同トイレでなかったのがせめてもの救い。そこに親子四人で住み、そのうえ妻は身重だった。何を言いたいのかというと、私は一時的にせよ社会的弱者に身をおいたことがあるのです。多少なりともその体験をバックにして反論をしていきます。

東北大震災が起き、その悲劇、災害の大きさを知った日本国民は、左翼も保守も中間派もない全国から義援金、ボランテイァ、あるいは物資の援助などを震災地に提供した。これを見ればボランティアがなにも左翼の専売特許でもなんでもないことがわかるでしょう。ボランティアを左翼の専売特許のように書いている岩田氏や佐藤氏の気持ちが全くわかりません。なぜ全国から多くの国民が援助を提供したのでしょうか。それは東北大震災が、誰もが認める大惨事であり大悲劇だからです。一方、「派遣村」は、誰もが認める大悲劇だったのでしょうか。大悲劇どころかこんな悲劇は、世間にはいくらでもあります。派遣社員などという気楽な生き方を選んだ若者にも原因の一端はあるのです。リーマンショックで悲しい目にあったのは派遣社員だけではないのです。だからこそ左翼からの支援しか集まらなかったのではないでしょうか。左翼は、困った者はどんな理由にせよ誰でも国費で助ける、そのためには防衛費などけずってもかまわない連中だからです。「派遣村」騒ぎで考えなければならない点は、三つあると思います。

1派遣社員は自ら望んで派遣社員になった。
派遣社員が出現する前に全盛になった言葉があった。フリーターです。一つの会社に長く勤めて束縛されるより、自由に働きたい時間に、働きたい場所で働き、生活できるだけのお金をかせいだらあとは自分の趣味や、やりたいことに没頭する生活スタイルが若者に流行った。私の次女もこのフリーターにはまった。あちこちの工場を転々としながらなにをやっていたかと言えば、アクション映画のスタントマンならぬ、女スタントマンになりたいとどこかのプロダクションに入って学んでいた。こんな生活しながら親からの援助がなくても生活できたのも日本経済が全盛期で、仕事はいくらでもあったからでしょう。そのフリーターの後に流行った言葉が派遣社員です。「派遣村」騒ぎのころの読売新聞にこういう投書があった。
「かって勤務した工業高校には、バブルで好景気のころ、フリーターを希望する生徒が多くいました。担任が不景気になるとまず失職することを忠告しますが、なかなか聞いてもらえませんでした。会社に縛られる正規雇用など真っ平というのが、当時の特に若い人の風潮としてありました。今解雇される人の中にはかってフリーターを希望した人もいると思います。・・・・マスコミはそのことに触れていないと感じます。今後の教訓として、身勝手に進路を選択した人の安直さにも触れてもらいたいと思います」
この派遣社員にも二種類います。正社員を目指して就職活動したが、成功せずやむを得ず派遣社員になった。もう一種類は、フリーター気分で派遣社員なった人たちだ。派遣村で話題になったのは、この人たちなのだ。この人達は、「豊かでなくても気ままに暮らしたい」、「仕事より自分の生活を大事にしたい」、「仕事がおもしろくなければ辞めればいい」などと労働意欲がうすのいだ。だから本人の生活設計もいいかげんです。30代も半ば過ぎなのに、派遣先の寮を追い出されたら、アパート借りる金もない、生活するお金も充分でない。一夜にしてテント暮らしになり炊き出しを受ける。一体いままで何をしてきたのかと言いたい。

私は自分が臨時工になるまで、経済的に恵まれない人間は、努力する人間ばかりだと思いこんでいた。ところが臨時工になってみると驚いたことに臨時工を脱出しようと努力する人より、何等努力もせず遊んで暮らしている若者の方が圧倒的に多いのだ。彼らには彼らなりの共通の認識があるのだ。自分がこんな恵まれない環境でめぐまれない仕事をしているのは、社会が悪い、国が悪い、資本家が労働者を搾取するからだなどすべて他人のせいにし、自分たちはその犠牲者だというのだ。だから私が、若いネットフレンドに自分が落ちぶれた生活をしているとき、社会が悪い、国が悪いなどと他人のせいにしたらもうあなたの成長はない。自分の努力が足りないからこんなみじめな生活をしているのだと自分のせいにしろと忠告しています。ルポ・ライターの横田由美子氏は、雑誌「明日への選択」でこう書いています。
「最近、『おれは派遣切りされた』と主張する若者と話していて、腑に落ないことがよくある。彼らの言い分はこうだ。景気が悪いのも、職を得られないのも、定住できないのも、政治の責任だ。カネがないから恋人も結婚もできない。少子化が進むのも当然だ。一連の派遣きりに関する報道に影響されたのか、自分たちは何も悪くないのだから、救ってもらって当然というような論理を展開する」
こういう不埒な発言をする若者に国はせっせと生活保護を提供しているのだ。ナンセンスというほかありません。ほとんど企業が「派遣」契約を結ぶ際に「派遣先の都合によって契約期間内で一方的に打ち切ることがありうる」と記載されているという。それに基づいてある企業が契約期間中にもかかわらず派遣契約を打ち切ったら、世間から強い非難が出た。そのためほとんどが契約期間内の派遣切りはなかった。私は「派遣切り」問題で非難したいのは企業より労働組合です。企業は少なくとも契約どおりのことをしたのだ。

2.労働組合
私は臨時工を経験したので労働組合がきらいです。労働組合は、働く者の仲間と称しているが、実際はいつでも首にできる労働者を配下のおき自分は会社が倒産でもしないかぎり身分の安泰が保証されているのに満足しているのだ。組合幹部にいたっては会社の仕事はしないから利潤を上げることなど考える必要がない、組合員から集めた金勘定と使い道を考えるだけが仕事で、数年たつと組合をバックに政治家に立候補する。まさに労働貴族と言っても言いすぎではない。今回の「派遣切り」の社員のほとんどが自動車関連や電機関連の会社でした。自動車労組や電機労組は、「派遣切り」の社員のために何か援助してあげたのでしょうか。政党や政治家に献金する一部のお金でも「派遣切り」社員に提供してもいいはずです。影響力ある個人や団体には組合員のお金を使えても、派遣社員のような労働者には一銭も使わないのが労組みです。労組み自身が派遣社員を見下しているのです。左翼のボランティア、野党議員、マスコミは、労働組合は彼ら仲間だから労組みを非難しようとはしない。彼らは共同で「派遣切り」を政治問題化したのだ。

3.政治問題化
政治問題化すると福島瑞穂のような野党の政治家ばかりでなく政権与党の自民党の政治家までが「派遣村」までかけつけ派遣社員の太鼓持ちになった。そうなると自民党政府も黙っているわけにもいかず、とうとう麻生首相が、平成20年12月19日、東京・渋谷のハローワーク渋谷を訪問した。職探しにきていた24歳の若者と短い会話を交わした。麻生総理の「どんな職つきたいのか。なにかありませんか?じゃ探すほうも難しい。どういう仕事をしたいかという目的を持って探さないと」との質問に、若者は「六本木とかオシャレナ場所で働きたいと」答えた。それに対して麻生総理は、「オシャレナ仕事は給料安いからな。だいたい格好悪い仕事の方が給料はいいからな」とアドバイスした。この二人の短い会話、皆さんはどう感じられますか。若者の「六本木とかオシャレナ場所で働きたい」などは失業者として生活苦の実感がわかない言葉と思いませんか。それに答える総理の返事はまともですよ。ところが後に首相になったルーピー鳩山は、記者会見で、「誠に的外れだ」と批判。
「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている。しっかりやれよ、と言葉かければ、彼らもやる気が出る」とたしなめているのだ。
後に厚生大臣になった長妻議員などは、「今、まさに職がないと言うときに目的を持てとは的外れもいいところだ。目的意識を持てというのはそのまま麻生首相にお返ししたい」と語っている。平成20年12月20日の朝日新聞の記事、「麻生首相は19日、東京・渋谷の「ハローワーク渋谷」を視察し、休職に訪れた24歳の男性に「何がやりたいか目的意識をはっきりだすようにしないと、就職というのは難しい」と声かけた。男性は派遣社員として働いた自動車工場の契約がうちきられ、職探しに東京にきたという。(後略)
鳩山も長妻も朝日新聞も、職探しの若者が「六本木とかオシャレナ場所で働きたい」という言葉を完全に無視しているのだ。三者は反政権活動の一環として「派遣村」騒ぎを利用しているにすぎないのだ。

確かにリーマンショックの大きさが今度の「派遣村」の悲劇のきっかけでしょう。しかしそれと同時に若者たちの安易な労働意識が悲劇を大きくした面もあったのです。ところが左翼やマスコミはそのことを指摘せず、すべて企業のせいにし、政府に緊急の対策を要求してきたのです。その結果として生活保護を受ける人が急増した。私は、現在の就職難時代でも健康で働ける体を持った20代、30代の若者には生活保護などだす必要は全くないと考えています。それより、若者既婚者の援助を増やす。そうすれば早婚をうながすし、子供の数が増える可能性が高いからです。著者の岩田氏や佐藤優氏は、左翼のボランティアなどと言って賞賛していますが、左翼のボランティアには、いつも不純さがある。政治活動や政治宣伝がボランティアの陰にかくされているからです。「従軍慰安婦」事件の左翼のボランテイア活動をみればわかります。世の中には、いくつもの困難を乗り越えて一生懸命生き抜いている人たちが沢山います。一所懸命生き抜くゆえに人を頼らないから影が薄い。一方、衆を頼んで声だかに叫ぶとマスコミや左翼が飛びついてくれる。ボランティアをすることがすべて良いわけではないのです。甘えを増長させる場合もあるのです。

以上私は「派遣村」についての岩田氏や佐藤氏との認識の違いを述べてきましたが、最初に触れましたようにそれだからと言ってこの本の価値を下げるものではありません。まさに一読に値する本です。今後の岩田氏の活躍を期待しております。

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4 comments »

terag3 より:
2011年8月14日 3:04 PM
う~ん、そうですか!
この本の全体を読んだ訳ではなく、えんだんじさんの引用の部分だけを読んだ直観としてですが、これでは全く駄目だと思いました。何でこのような考え方がまともなのか私にはどうしても理解できません。
もっとも佐藤優氏に関しても思想的に私とは一線を画す御仁ですから彼が評論しても私には心に何も響きません。

えんだんじさんの主張、1、2、3すべてに同意します。そもそもの始まりが若者の快楽主義、組織に縛られたくない自分の自由に生きていきたいという戦後民主主義教育の成果で発生した、新人類の生き方が現在の「派遣村」になってきているという認識をマスコミも政治家たちも、そういう若者を育てた日教組の教師たちも全く持ってはいないでしょう。

第一、競争してはいけないとか皆で手をつないでゴールを目指すとか、一時はゆとり教育が正しいことのように捉えられていたのですから多くの若者たちがそのような気分になるのもやむを得ないでしょう。
社会の貧困、政治の貧困などなど、そのすべては教育の貧困から始まっているものと私は確信しています。
まあともかく、その本を読んでみることにしますが私は、ニーチェ以外の哲学者にはあまり興味や関心が無いので果たしてどのように心に響くものやら・・・・・

えんだんじ より:
2011年8月15日 7:41 PM
terag3さん

私もどうしてこの二人がこういう考え方するのかわかりません。特に著者の岩田氏の場合、ここのとこだけがおかしいのです。
なにか勘違いしているのではないかとそんな気がしてなりません。

りんごあめ より:
2011年8月26日 2:48 PM
えんだんじさんのご意見に私も全面的に賛成です。

現在は、
本当に困っている人を助けるのではなく、
助けられるのを当然だと思い、得をしようとしているものを
真面目な日本人が助けさせられているといった感じだと思います。

憲法の基本的人権という発想も良くないのではないかと思ってしまいます。
人は生まれながらにして・・・
誰もが生まれた瞬間から最低限の生活の保障や人権を守ってもらえるとしていますが
そして、それを公教育の場では、とても強調して教え込まれますが、
本当は努力して得られたものだとしたほうがいいのではと思います。
基本的人権は、先人が試行錯誤して我々にその道筋をつけてくれたからだとか・・・
とにかく基本的人権を与えられていることに感謝するべきだとした方が
筋が通っていると思うのです。

私のまわりにも母子加算が民主党で復活されると
離婚して、新たな裕福な恋人と付き合いながら籍を入れず、
国からはもらうだけもらうと言っている人がいましたが
(しかも日本人ではないようで・・・国ってあなたの国じゃないでしょう?と思うと悲しくなりましたが)
何か違うと思います。

親が生活保護を受けていると子どもも親に倣うように生活保護を受けるらしいのですが
えんだんじさんご紹介のこういう知識人のミスリードも社会的に大きな損失を与えると思います。

えんだんじ より:
2011年8月26日 7:49 PM
りんごあめさん

私もりんごあめさんの考え方に賛成です。

<助けられるのを当然だと思い、得をしようとしているものを
 真面目な日本人が助けさせられているといった感じだと思います。

全く同感です。
 
<基本的人権は、先人が試行錯誤して我々にその道筋をつけてくれたからだとか・・・
とにかく基本的人権を与えられていることに感謝するべきだとした方が
筋が通っていると思うのです。

これも全く同感です。
現在は、努力するよりも先に屁理屈が出て来るような状態で、まさに異常ですよ。

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