世界主要100ヶ国、あるいは世界主要50ヶ国。いずれの場合でもその中に日本が含まれることは、日本国民誰もが思っています。ここで私が強く主張したいのは、主要100ヶ国、50ヶ国の中でも、日本の文明、文化が特異で異彩を放ち、外国の文明、文化とは全く違うことです。日本と類似の文明、文化を持つ国はありません。韓国、シナなど顔、形が似ているだけで儒教国家ですし、両国の文明、文化など日本とは全く違います。主要100ヶ国、50ヶ国にしても大半が一神教のキリスト教国とイスラム教国、それにシナ、韓国など儒教国などです。日本の文化と同じように異質で他国と共有しない文化を持つ国がありますが、せいぜいハイチとエチオピアぐらいでしょう。しかし両国は、世界主要100ヶ国にも50ヶ国にも入らないでしょう。従って日本と深い外交関係になることはほとんどないと思います。「文明の衝突」を書いたサミュエル・ハンチントンは、日本は最重要な孤立国と書いています。彼は日本について次のように書いています。
「日本の独特な文化を共有する国はなく、他国に移民した日本人はその国で重要な意味を持つほどの人口に達することもなく、また移民先の国の文化にも同化してしまう(たとえば日系アメリカ人)そうだ。日本の孤立度がさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教(キリスト教やイスラム教)やイデオロギー(自由主義や共産主義)をともなわないという事実からであり、そのような宗教やイデオロギーを持たないために、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化的な関係を築くことができないのである。」
このように世界の文明、文化は、日本の文明、文化と違いすぎるので次のような名言が出てきます。大分前に、確か竹村健一氏が言ったと言われる、「日本の常識は、世界の非常識」。竹村健一氏は、名言を吐くくせがありましたが、最近元気ないみたいで病気でもしているのでしょうか。私はこの言葉は名言中の名言だと思っています。それでは世界の非常識になっている日本の常識(文化)の特徴を数え書きしましょう。
1.すぐに謝る。
日本人の謝りには、外国人が理解できない謝りがあります。謝りの言葉の中に「ありがとう」という意味が込められている場合もある。相手が悪くないのに謝ってくれる場合もある。誰かに道を尋ねます、聞かれた人は、知らなくても悪くないのに「すいません」と謝ってくれます。自分では悪いとは思わないのだが、相手の立場や将来のことを考えて謝る場合もあります。日本政府の韓国への謝罪もこの範疇にはいるでしょう。歴史的に日本が韓国を支配したのは戦争の結果ではありません。国際社会が日本の韓国支配を承認したのです。必ずしも日本が悪いと言えないのだが、韓国とは身近な関係だし、両国の将来のことを考えたら謝った方が得策と考えたのでしょう。日本の謝り方は、いろいろなケースがあるので外国人に日本の謝りを理解させるのに非常にむずかしいと言うより、もはや無理なのです。
2.自分のミスや過ちは言い訳せずすぐに認める。
3.自己主張を強くしない。
4.すぐに反省する。特に相手の立場に立って反省する。
5.気配りをする。
6.過去のことは水にながす。
私はこの六つが日本文化の特徴であり日本の常識だと思っています。ところが世界ではこの常識が非常識なのです。列挙してみます。
1. めったなことで、あるいはほとんどと言っていいくらい謝りません。せいぜい『遺憾の意を表す』ぐらいでしょう。
2. 自分のミスや過ちはすぐに認めず、言い訳をしり、他人のせいにする。
3. 自己主張を強くする。
4. すぐに反省などしない。
5. 気配りしない。気配りと言う文化などないも同然だから、気配りなど理解できない。
6. 過去に徹底してこだわる。
これらが世界の常識なのです。大東亜戦争に対する日本政府の謝罪外交は、日本の常識で考えるから謝罪につながっていくのです。それでは同じ大東亜戦争を世界の常識で考えてみましょう。
1. めったなことで謝らない。
文字通り大東亜戦争は謝る必要は全くありません。世界の人類で一番戦争した民族は白人です。敗戦国が謝罪した例がありますか。ドイツはすべてナチスのせいにしています。
2. 自分のミスや過ちはすぐに認めず、言い訳をしたり、他人のせいにする。
大東亜戦争は日本だけが悪ですか。言い訳が沢山あります。他国のせいにもできます。
3. 自己主張を強くする。
大東亜戦争の言い訳は沢山あり、他国のせいにもできます。それらを強く主張しましょう。それも日本人のように一回言っておしまいでなく、外国人のように何度も執拗に繰り返しましょう。
4. すぐに反省などしない。
大東亜戦争など反省してはいけません。反省するなら日本国家のためになる自己中心的な反省です。例えば、二度と原爆など落とされないようにするにはどうしたらよいかと言うような反省です。間違っても日本人特異の相手の立場にたっての反省など絶対にしないこと。
5. 気配りをしない。
間違って気配りなどしないこと。うっかりすると相手国に誤解を与えるだけです。
6. 過去に徹底してこだわる。
さあ徹底して過去にこだわりましょう。過去にこだわればこだわるほど、日本の主張にすごみが出るというものです。」
どうせ過去にこだわるなら、ずっと時代をさかのぼりましょう。1492年コロンブスがアメリカ大陸に到着してからおよそ500年間、欧米人はアフリカ大陸、アメリカ大陸、中南米、アジアで何をしてきたのでしょうか。白人欧米人による有色人種の支配です。武力で徹底的に支配し搾取して、自分たちの国の繁栄を計ってきたのです。平和な島国日本も江戸時代には欧米人の都合で武力による不当な要求を飲まされました。気がついてみれば、隣のシナは、欧米人の草刈り場になっていました。そういう白人優位の世界を一挙に覆すきっかけになったのが大東亜戦争なのです。第一次大戦後、パリの平和会議で日本は「人種差別撤廃案」を提案して、賛成票が反対票を上回りましたが否決されてしまいました。それが今や世界の常識になっている「人類平等」という考えも大東亜戦争がきっかけになっているのです。戦後白人の植民地だった国々が続々と独立国になりました。これも大東亜戦争がきっかけになっているのです。どうですか、皆さん、世界の常識で考えると大東亜戦争など謝罪する必要などまったくない戦争なのです。
だからこの文化の使い分けを教育現場で教えるようにしなければいけないのでないかと言うのが私の意見なのです。皆さん、上に上げた日本の常識、世界の常識をもう一度よく見てください。日本の常識は、日本文化の特徴である「和の文化」の根源をなすものであり、世界の常識は、一神教文化の根源である「敵対」あるいは「対決」でしょう。要するに世界の常識は野蛮な文明、文化が根底にあるのです。義務教育で英語を強制的に学ばせながら、文化について何も学ばせないのは文科省の失態です。日本の常識が世界の常識になるくらいなら、世界の平和もあり得ますが、世界の非常識なのです。このためこと対外戦争や外交問題に関しては国益のために日本の常識を捨てて世界の常識に従う、すなわち文化の使い分けを国民の常識にしてしまわなければだめなのです。
文化の使い分けをすれば誰が総理大臣になっても村山元総理大臣が犯した失策(戦後50年目の節目の国会での謝罪決議)をせずに済むし、従軍慰安婦に関する河野発言もなくなるのです。外交問題を日本の文化だけで片付けるから、「うぶで、バカでのお人よし外交」と私にののしられることになるのです。
国会での謝罪決議後、村山総理はシンガポールを訪問した。華僑ゲリラが葬ってある墓地で、日本の歴代の総理大臣がまだ一度も行ってもない墓地を、村山はわざわざその墓地まで出かけ謝罪したのです。挙句の果てにマレーシアのマハティール首相から、もうこれ以上謝る必要ないと忠告される始末でした。過去を水に流して謝罪すれば、外国人にほめられるし、日本のためになると思っているのです。まさに「うぶでバカでのお人よし外交」そのものです。誰か、このブログ、村山や河野に見せていただけませんか。
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1 Comment »
terag3 より:
2014年11月22日 5:05 PM
えんだんじさん
まったく、仰るとおりです。日本国は「敵対」「対決」「異教徒は、○ろせ」という一神教では無くて、万物すべてに神が宿ると言う多神教であり、祖先神、自然神への崇拝を中心とする古来の民間信仰が外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論化された「神道」(広辞苑第六版)を、崇敬していますから、異教徒でも差別せずに受け入れる懐の深い民族なのです。
したがって日本人には、えんだんじさんが仰るように、六つの特徴を持った日本文化の常識があるのですが外国人には全く通じないのです。
私は、持論として「世界に一神教が存在する限り、戦争は無くならず世界平和は訪れないだろう」と確信しています。そしてその一神教は何千年、何万年経過しても無くなることは無いだろうということも確信しているのです。自虐史観に染まりきった反日日本人たちは憲法9条があるから、平和が守られているのだなどと戯言をほざいていますが、世界全体をもっと良く勉強し直して欲しいものです。
えんだんじさんが、>義務教育で英語を強制的に学ばせながら、文化について何も学ばせないのは文科省の失態です・・・・と仰いましたが、そのほかに、大東亜戦争のことも軍部が暴走した。軍人が日本を戦争の道に引きずり込んだ。日本軍は残虐非道なことをした。云々などなど、このように学校の先生から教われば子供たちは日本人に生まれてきたことが恥ずかしくなり、祖国愛など生まれようもありません。従いまして軍部の悪事だけを強調せずに、軍人たちが祖国日本のために、いかに勇敢に戦ったか、アジアの国々の人々のためにいかに貢献したかの美談も同時に教えるべきなのです。
それは、朝日新聞などの、マスメディアにも言えることで、一方の意見ばかりでなく、反対意見も公平に報道すべきだと言うことと同じことなのです。戦争を美化するなの一点張りでは、日本は何時まで経っても悪者にされたままになってしまいます。GHQの洗脳から、もういい加減に覚醒して下さいと言いたいです。