「安倍談話」騒動記

世間では「安倍談話」の賛否両論が話題になっています。「えんだんじさんは、どう思いますか」と聞いてくる人も、一人や二人でない、そこで急遽自分の意見をのべることにした。
本来は自分のブログ記事の更新は二週間ごとですが今回急遽一週間で記事更新することにしました。

安倍総理が戦後70年の談話を発表すると公表した時、私は「談話」の公表に賛成した。安倍氏が「村山談話」を否定するかもしれないと考えたからです。最初のころ「お詫び」の言葉を入れないなどと言っていたせいもあります。その後「談話発表」のための16人の有識者委員会が結成されたと聞いた時点では、私は安倍談話公表の反対の立場になった。なぜならこれで「村山談話」などの否定は望めなくなったからだ。大変重要な国内問題を16人の有識者を招いて彼らの意見を参考にして解決していく、これは良いことであって何も問題ありません。しかし「70年談話」は、単なる国内問題でなく歴史戦であって大きな外交問題でもあります。その大きな歴史戦のために16人の有識者を集めて総合意見をださせ、それを参考にして安倍総理が談話をだす。安倍談話が立派であるわけがない。歴史戦を戦うためには、次の三つの条件が絶対に必要です。
1.徹底して史実をもとにして戦う、すなわち論理的であること。
過去日本政府は、徹底した史実に基づいて論理的に反論したことがない。
2.ゆるぎない信念。
過去日本政府は、史実に基づいた反論してもゆるぎない信念がないから、その反論をひきさげた例もある。例えば「従軍慰安婦事件」、外務省は、クマラスマミ報告書を非常に史実的、論理的に反論し反クマラスマミ報告書を国連に提出したが、誰の命令かいまだにわからないが引きさげてしまったのだ。
一方韓国、シナは、勝手にうその史実をでっちあげ、それを何十年でも繰り返すゆるぎない
信念を持っている。
3.ゆるぎない愛国心
日本人同志でけんかする時は、愛国心はそれほど大きな問題ではない。しかし外国人と戦うときは、愛国心があるかどうか大きな問題です。

今月から私の私小説、「えんだんじ、戦後昭和に一匹狼」が発売されています。私は外資系会社5社渡り歩きました。その間に三度、私は首覚悟の大ゲンカを外国人とした。外国人との喧嘩処方もさきほどあげた三点と同じです。私などけんか相手が外国人だと、日本人相手以上に闘争心があふれるのだ。それでも2番目にあげた「ゆるぎない信念」と1番目にあげた「論理的」であることを忘れたことがない。しかし現在の日本は、「ゆるぎない愛国心と「論理的である」ことに非常な弱点があるのだ

まず愛国心。戦後義務教育では「愛国心」嫌われた。「愛国心を持て」と教育されるどころ「愛国心を捨てろ」と育てられたようなもの。だから現在の与党の政治家でも愛国心が薄い。野党議員、マスコミ、反日日本国民など愛国心が足りないどころか「憎国心」でいっぱいだ。戦前戦中の日本に有利な史料が出ても無視、うそまでついてもダメな国にしなきゃだめなのだ。まさに戦前戦中の日本は、なにがなんでも残酷無比な悪い国にしてしまわなければ気がすまないのだ。自国に「憎国心」を持つ世界でも奇怪な民族と言っていい。
次に「論理的」についてです。日本民族は、「論理的」であっても「論理的」でなくても問題にしません。例えば「南京事件」、現在日本の保守陣営では、「南京事件」がなかったということは常識になっています。ところが保守系の教科書出版会社、育鵬社は、公然と「南京事件」があったと公表しているのだ。渡部昇一氏は、先頭にたって「南京事件なかった」ことを主張してきた保守言論界の重鎮、その彼が育鵬社の歴史教科書の監修者になって中学校の歴史教科書(南京事件あった)を発行しているのだ。私は彼に聞きたい、「いったいどうやってシナと南京事件と言う歴史戦を戦っていくのか」」と。同時に育鵬社の歴史教科書支持派の多い知識人にも同じ事を聞きたい。一方育鵬社の競争相手、「新しい歴史教科書を作る会」の自由社も歴史教科書を出していますが。南京事件はなかったので南京事件については一切触れていません。なにしろ自由社の教科書は史実にもとづいた歴史教科書として有名ですから当然のことでしょう。今年は中学校教科書の採択戦の年、どの中学校がどの教科書を使うか決める年です。保守系の教科書で採用されたのは、育鵬社の歴史教科書だけ、自由社の歴史教科書は、私立の中学校ばかり数校、公立中学校全然なし。なぜか、どの教科書を使うのかを選ぶのは、日教組関連者を主体とした各市町村の教育委員会だからです。日教組は、いわずとしれた戦前戦中の日本は絶対悪者しなければ気の済まない「憎国者」のむれだからです。歴史教科書ですら史実に基づいて作るという論理から完全にずれてしまい、それでも平然としていられるのだ。

だから私が最初書いたように安倍さんが「談話」発表した時には、すぐに反応して賛意を表したが、16人もの有識者を集めて意見をきくことが分かった時、私は安倍談話に反対したのです。どこかあいまいで「安倍談話」は保守好みのものにならないだろうということを予想できたからです。それなのに保守陣営からは、安倍談話を出すなと言う意見がほとんどなかったのはなぜでしょうか。私が最初安倍談話を期待したように、期待し続けたのでしょうか。私にはわかりません。
もう一つわからない点があります。世界史的に大変有意義だった日露戦争の日本の勝利、今では日本勝利の記念の式典なし、大東亜戦争の敗戦は、そんなに記念すべき敗戦でしょうか、戦没者慰霊は当然でやってもかまいませが、しかし敗戦後50年、60年、70年と節目節目の年に日本の総理は談話を出さなければならないような記念すべき敗戦でしょうか。世界の敗戦国でそんなことしている国があるのでしょうか。こんなことも安倍談話を出すというので保守陣営は談話の中身に期待しすぎて安倍総理が談話を出さない選択肢も大いにあり得ることも忘れてしまったのでしょうか。
最終的に安倍談話が発表された。その内容について保守派は、賛否両派に別れて論戦を繰り返してきた。談話の内容を見て、私はだから談話発表は反対だと言ったろと表明したくなった。私は賛否両派の沢山のコメントを読んだわけではないが、賛成派の論点のいくつかは、日米同盟は現在日本にとって極めて重要だから、安倍談話以上の内容を言わせたら日米関係が危うくなる。現在安倍さん以外に首相になってもらいたい人材がいない、従って安倍談話を支えてあげなければいけない、安倍談話が多くの国民の支持をうけ安倍内閣支持率が上がってきた。朝日新聞が反対している、国民は自虐史観をそれとなく支持しているのだ等々、こういったことなどで安倍談話支持派が多いのではないかと思う。この考え方は、全く筋が外れた日本人特異の情緒的な面が全面に出ている、少しも論理的でない。
首相の70年談話といえば歴史戦が主要な論点です。だから安倍総理の歴史観が間違っていないか、あるいは誤解をあたえる懸念がないかを考えるべきなのだ。
過去日本政府は、歴史戦では史実を披露して論理的に戦ってこなかった。最初から落としどころを探り、金銭や謝罪でその場の一時的解決で満足してきたのが現在大きな弊害になっているのがお分かりでしょう。安倍支持派の皆さん、お願いです。安倍談話の記事をもう一度見直して、あなたがたの歴史観と違いはないのかどうか、他のほかのことは考えず、安倍氏の文章だけをチェックしていただけませんか。東京裁判史観が否定してありますか。今の段階で安倍氏はとても否定できないこともわかります。だったら談話など出さなければいいのではありませんか。

「安倍談話百点満点だ」という渡部昇一氏は、「村山談話はおろか、東京裁判史観も乗り越えた安倍総理の、そして日本の大勝利である」と語っているが、彼は言外の意味を自分の都合のいいように解釈しているだけです。有識者委員会が結論を出した時、中西輝政氏は、「こんな結論」受け付けられないと言って退会すればいいものを、中西氏はそんな気概はなかった。渡部昇一氏は、安倍総理にこんど有識者委員会をつくる時には、ぜひ私を呼び入れてくださいと大声で叫んでいるようなものです。保守左翼に関わらず、日本の知識人は、政府主催の有識者委員あるは諮問委員会の委員になりたくてしょうがないのだ。だから政府は、断られたためしがない。彼らにとって大変名誉なことなのだ。日本の知識人には政府から独立して対等の立場で意見に言える人が極端に少ない。5本の指にも達しないのでは?
私のような年寄だと知っていると思いますが、オランダ人のカレル・ヴァン・ウォルフレンという評論家がいた。現在年取ったのか病気しているのか、最近言論活動してないみたいだ。私は彼がきらいなのだが名言を吐いている。その名言とは、
「日本では、知識人が一番必要なときに知識人らしく振る舞う知識人が誠に少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに日本国民一般にとっては悲しむべきことである。」(「日本の知識人へ」窓社 1995年)。

安倍総理の側近に、「談話」があいまいなものなら、「談談」をしない決断もありますよと忠告できる人いたのかどうかはさだかではない。私は安倍談話反対派だが、なにも安陪内閣をつぶせなどとは発言しません。だから賛成派と反対派なかよくできるのではないかと思います。今大事なのは、安保法安通過後は、私がブログで述べた「スパイ防止法」、「国籍法改正」は非常に大事な法案ではないでしょうか。保守の皆さんご協力お願いします。

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2 comments »

terag3 より:
2015年9月5日 4:37 PM
えんだんじさん

安倍談話については私も、えんだんじさんと全く同じ考え方でしたが、談話の内容を見て中韓露を除いて、アメリカを含む諸外国には好評でした。それに国内でも談話の内容は良かったとする評価が多数を占め内閣支持率も向上していますから成功だったと言えるでしょう。

本来なら、村山談話、河野談話などは、バッサリと切り捨てて欲しかったのですが、現段階ではそこまでの荒療治をするには時期尚早だと思っています。

それからもうひとつ、昭和20年8月15日は敗戦の日です。何故自分の国が負けた日を敗戦記念日として奉るのか、終戦記念日と言うなら分かりますが、それは昭和27年(1952年)4月28日のサンフランシスコ平和条約が締結した日であり、その日が日本と連合国との戦争状態が終結した日であり、日本が世界の一員として認められた日なのですから、この日を、終戦記念日として祝うということなら分かります。

またもうひとつの、日露戦争の勝利記念日に就いて、確かにやっていませんね! しかしながら記念艦「三笠」保存会では毎年5月27日には記念イベントが行われています。今年は「日本海海戦110周年記念行事」として5月16日には、横須賀劇場で応募者約5千名の中から、1,300名が抽選で選ばれ、海上自衛隊東京音楽隊の歌姫、三宅由佳莉3等海曹の独唱ほか、東京音楽隊の2部に亘る演奏が行われ、皆さんご堪能のご様子でした。

そして5月27日には、記念艦「三笠」艦上において、各種の記念イベントが行われました。
      ↓
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/2015_event/celemony_of_soj_2015.pdf

これなどは、日本の国家行事にするべきでしょうね。中共の「抗日戦争勝利記念式典」などを指をくわえて黙って眺めている訳にはいきませんよ!

えんだんじ より:
2015年9月6日 1:33 PM
terag3さん

それにしても三笠の記念講演、マスコミは、報道しませんね。憎しみがわいてきます。

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