保守知識人は、大バカ者の集まりか?(2)

このブログの拡散、転載をよろしくお願いいたします。
(このブログのタイトルにある保守知識人とは、育鵬社、日本教育再生機構、日本会議に群がる名のある知識人のことである。)

八木秀次のスパイ疑惑と人間性
去年シナ政府は、「南京虐殺事件」をユネスコの文化遺産に登録した。シナ政府のこの登録は、長年の計画を立てての行動だったと思います。その計画の中には、日本の保守陣営の分断工作があったと私は想像しています。そう考えると、平成16年に「つくる会」の第三代会長になった八木秀次の独断行動が分断工作の先駆けであったことはまちがいない。と同時に八木は、フジサンケイグループの「つくる会」乗っ取り工作の主役を演じていた。私が「つくる会」の会員になって会費を払ったのが平成17年8月1日です。受領者名は、八木秀次会長になっています。その年の12月八木は、「つくる会」の執行部には極秘でシナに行き「中国社会科学院日本研究所」を訪れ将立峰所長らと「新しい歴史教科書」をめぐって意見交換したというのです。「つくる会」の会員になったばかりの私は、非常に驚いた。八木会長は、大バカじゃないのかと思ったと同時に私は、はげしい怒りを感じた。だってそうでしょう。近現代史に関してシナ政府の歴史観と「つくる会」の歴史観は、水と油の関係で決して交わることなどあり得ないのに、なぜ極秘に訪問したのかというのです。この問題を追及するには、八木は誰をともなって、どういうふうにしてシナを訪問したかということです。箇条書きします。
1.宮崎正治「つくる会」事務局長
宮崎は日本会議の出身で「つくる会」事務局長になって在職6年と長いのだが、仕事の能力としては「つくる会」執行部としては不満だった。西尾幹二「つくる会」名誉会長が日本会議の椛島有三事務総長に会いにゆき宮崎の件を相談したが、らちがあかず、その後椛島から返事もなかった。八木はこの宮崎を贔屓にしていたから、自然と八木と日本会議がくっつくことになった。日本会議のようなオカルト集団は、いざとなると国家の事より、仲間意識が大事になるのだ。
2.福原慎太郎「つくる会」事務局員
福原が八木と一緒にシナに行ったのではない。彼が八木のシナ行きをアレンジしたのだ。彼は元松下政経塾の塾生だった。松下政経塾の海外からのインターン生はシナ人が圧倒的に多い。その中の一人に李春光がいた。福原と李春光はお互い面識をもった。平成24年5月29日に読売新聞朝刊一面に在日中国大使館の一等書記官、李春光によるスパイ事件を報じた。外交官は、不逮捕特権を持っているから、出頭を拒否し、李春光は成田から帰国してしまった。李春光は、日本では「中国社会科学院日本研究所」の副主任を務めていた。
3.小島新一産経新聞記者
私が不思議に思うのはなぜ雑誌「正論」編集部記者、小島新一記者が八木に同行して一緒にシナに行ったかです。シナから帰国後の八木の行動を考えると、この時すでに八木と産経新聞は内密関係にあったのではないかと推測されます。

当時八木のシナ訪問には、再度強調しますが隠されていたことが三つあった。
1.シナ旅行は、「つくる会」の理事会に諮らず完全な隠密行動であったこと。
2.「つくる会」執行部で退任処分された宮崎事務局長をこっそりシナ旅行に同行させたこと。
3.中国社会科学院と歴史認識をめぐって会談したことなどしばらくのあいだ明らかにしなかったこと。

平成17年12月に八木はシナを訪問し、月内に帰国した。翌年、平成18年は、「つくる会」にとって激動の年であった。日付順にどんな事があったか見て見ると:

2月27日: 八木会長は、会長職を解任されたが理事として残った。その頃から八木は自分の派閥作りに乗り出していた。八木の派閥のメンバーは、新田均皇學館大教授、内田智弁護士、勝岡寛次明星大学職員、松浦光修皇學館大學助教授、宮崎正治事務局長。彼らの大半が日本会議系です。
3月28日: 八木は副会長に復帰。この頃産経新聞は、私が調べただけでも2月28日、3月1日、3月9日、3月28日、3月29日に「つくる会」系の記事を書いていますが、すべてが八木贔屓、八木援護の記事です。その頃、自分の派閥をつくった八木は、「つくる会」の古参、西尾名誉会長、藤岡副会長らの蹴落としに懸命だった。それらが露骨であり、沢山の怪メールを使った実に汚いやり方だった。サラリーマンだったらもう同じ業界では働けなかったでしょう。学者だから知識人面できるのでしょう。「つくる会」の全会員が彼をウジ虫の如く嫌うのもそのいやしい人間性だ。
4月30日: 八木副会長と八木派閥全員が「つくる会」退会。すぐに、産経新聞は教科書取材班を解散。以後「つくる会」の記事を数年書かなくなった。
5月27日:八木に招待された将立峰、中国社会科学院、日本研究所長及び研究者グループが訪日、扶桑社社内で日中討論会が開かれた。どんな具体的な話をされたか不明。
6月21日:「つくる会」は「十年かけて育てた『新しい歴史教科書』を絶やさないで下さい」と題したアピール(訴えの文)を公表した。その冒頭の一説を引用します。
引用開始
「去る2月26日、扶桑社は、「新しい歴史教科書をつくる会」が提起した教科書を扶桑社が引き受けて発行するという従来の枠組みを解消すると文書で通告してきました。扶桑社の思いもかけぬ一方的な通告は、十年にわたって培ってきたつくる会との協力関係を無視し、信義を踏みにじるものです。さらに、困難のなかで『新しい歴史教科書』を採用して下さった各地の教育関係者や、現にこの教科書で学んでいる全国の子供たちに対し、教科書会社としての社会的責任を放棄する行為でもあります。
では、扶桑社は、教科書事業から撤退するのかと言えば、そうではありませんでした。親会社のフジテレビが三億円を出資して「育鵬社」という名称の教科書専門会社を扶桑社の子会社としてつくり、扶桑社の片桐松樹が社長を兼任し、そこから別の教科書を発行するというのです。
「つくる会」は昨年一月に西尾幹二名誉会長が退任し、他方で四月に八木秀次氏ら一部の理事が辞任しました。しかし、それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません。ところが、扶桑社はつくる会には内紛が絶えないから手を引くといいながら、おかしなことに育鵬社から発行する教科書の編集顧問に辞任した八木氏が就任し、歴史教科書の編集の中心に同じく辞任した元理事があたるというのです。つくる会が排除され、会を去った人々が教科書を書く。こういうことを日本語だ「乗っ取り」というのではないでしょうか。フジテレビ会長の日枝氏は、「初代以来の代表執筆者の書いた部分はどんなに金がかかっても書き直す」と発言しました。この動きを見ると、フジテレビと扶桑社が「紛争」を引き起こしている当事者であるといってよいほどです。
引用終了

現在産経新聞は、われわれ保守の人たちにとって良い報道してくれる新聞だと認識しているでしょう、しかしこの時期の産経新聞は、シナのスパイと言われる八木を使って「つくる会」を潰そうとしたり、乗っ取ろうとしたことも事実です。その意味でその当時の産経新聞の罪は重い。その最高責任者は、育鵬社生みの親、フジテレビの会長日枝氏である。ここまで書いてきたこのブログの文章は、私の著書、『保守知識人を断罪す。「つくる会」苦闘の歴史』(平成25年、総和社、1500円+税)の要約です。出版した当時、自費出版のせいかあまり注目されなかったが、現在は事情が変わりまし。シナ政府が「南京虐殺事件」をユネスコに登録したからです。この本を読めば、なぜ保守陣営に南京虐殺事件を肯定した知識人が出たかよくわかります。皆さん、是非読んでみてください。値段は1500円+税のところを200円値引きし1300円税なし、郵送料なしで販売します。えんだんじのブログのお問い合わせコーナーを使うなり、直に私にメイルで注文してください。私が郵送します。

私のこの著に対する書評を頂いております。平成17年から6年間「つくる会」の茨城県支部長しておられた川又和敏氏です。文章の中途から引用になります。
引用開始
「さて、ご著書ですが、遅読の私としては異例の速さで読み終わりました。私が会員になったのは平成11年ですから早い方ではありません。平成17年から6年間茨城県支部長として、一般会員の方よりは少し多く、つくる会との関わりはありました。特に混乱期に地方支部としては唯一茨城県支部が、東京2支部の呼びかけに応じ、混乱解決に微力を尽くしたことが印象に残っています。
そんなわけでどの頁も興味深く、一読巻を措く能わずで読みました。そして、先ず思ったことは、よくぞ調べ、よくぞ書いたり、ということです。鈴木さんの資料活用能力の凄さは、「逆境に生きた日本人」でつとに承知していましたが、改めて感嘆久しくした次第です。

つくる会の歴史は、16年という決して長いものではありませんが、波乱万丈、複雑怪奇、分かり難い部分が多々あります。それを快刀乱麻、整然と分かり易く説く筆力は、将に驚嘆に値します。その内容に、私自身大いに教えられました。鈴木さんの話かけるような文は、親しみやすく、説得力に富んでいます。それでいて、歯に衣着せぬ大胆な指摘は、痛快であり、はっとして目を覚まされることも一再ではありません。執筆の動機が義憤によるというのも鈴木さんらしく、何と自費を投じての出版と聞いて驚き、大きな感動を受けました。鈴木さんの侠気(おとこぎ)を強く感じました。
いわゆる一社体制と称した育鵬社との合併話に、「狂気」とう強い表現で、断固反対の論を書かれている部分などは、全く同感であり、興奮が甦る思いでした。つくる会を潰そうとする国内外の敵の姿を、明確に指摘していることも、会員にとっては大切なことで、採択戦への構えになります。つくる会の歴史の大きな山場八木秀次一派による乗っ取り騒動。これは今に尾を引く重大な関頭でした。しかし、意外に真実を知らない会員が多く、これを詳細に述べられたことも有難いことです。
最後に、安倍総理との直接対話。稀有な機会を逃さずせまった鈴木さんの態度に、手に汗握る思いでした。この本に芯として通っている、つくる会をつぶしてならないという愛国心、つくる会存亡に対する危機感、つくる会にたいする愛情に打たれます。つくる会こそは保守の最後の砦であるという明確な認識を、この本によって、会員皆が持たなければなりません。そしてこの本はそれを十全に果たすだけの力を備えていると信じます。絞まりのないことを書き恥かしい限りですが、一言申し述べて、お礼の言葉といたします。本当に有難う御座いました。平成25年6月19日 川又和敏」
引用終了

「つくる会」は、存亡の危機にあります。シナ政府は、去年「南京虐殺事件」をユネスコに遺産登録した。返ってそのことが保守の「つくる会」の存在を見直させたのだ。シナ政府と堂々と戦える保守団体は、「つくる会」しかないのだ。他の保守団体は、脛に傷を持つ団体が多い。「つくる会」は、戦後の歴史教科書史上、初めて「通州事件」を教科書に載せたが、今度は「通州事件」を世界遺産に登録しようとしているのだ。果たしてどこの保守団体が協力してくれるのか見てみようではないか。最後にもう一度くりかえします、拙著『保守知識人を断罪す「つくる会」苦闘の歴史』をぜひ読んでみてください。
次回のブログは、「保守知識人は、大バカ者の集まりか?」(3)を書きます。

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