自らの努力で美人に仕立てた女性(73歳)

私と同年代の男性でブログのタイトルに出ている73歳の女性の名前を知っているでしょうか?多分知らないのではないでしょうか。私もつい二、三カ月前までBSテレビで彼女へのインタビュー番組を見るまで全然知らなかった。女性、特に30代以降の女性は、彼女の名前を殆ど知っているでしょう。名前は佐伯チズ、日本のスキンケア界の代表的な美容アドバイザーです。彼女は、まだ大東亜戦争中の昭和18年に満州に生まれ現在73歳、私より5歳若い私と同年代です。無事満州から引き揚げ、15歳の時に見た映画で女優、オードリー・ヘップバーンを見て、「世の中にこんなに美しい女性がいるのか?」と美意識に目覚めたと言うのだ。何とか二重まぶたになりたく両手の指でまぶたを撫で続け、二重まぶたになることができた。ついでだが、戦後私の叔母は、年は20代前半だったが、やはり二重まぶたになりたくて、ひまさえあれば鏡の前でまぶたにヘアピンで線を描いていた。何年も一心不乱にやりつづけて見事な二重まぶたにしあげた。
女性というものは、生まれつきの容姿で美人、不美人は決まるが、しかし例え十人並でも本人の美意識に対する執念が美しくなるための行動を長続きさせることができ、美人に育てあげることができるのだ。私の叔母も佐伯チズもそうです。73歳の佐伯チズをテレビで見た時、私は彼女の顔、首まわり、手首など肌が直によく見える所をよく注意して見たが、実に若い、また容姿全体も眺めたが、背中がまっすぐ実に若々しいオーラをかもしだしているすばらしい女性、おばあさんという感じがまったくありません。

彼女の半生を追ってみると、24歳の時にプラネタリウム製造技術者と結婚。結婚後すぐにフランスの化粧品会社、ゲランに入社。昭和57年にクリスチャン・ディオールのインターナショナル トレーニング マネージャーに就任。昭和59年、彼女が41歳の時、夫が病死、子供はいず、以後独身を通す。彼女の化粧品業界の功績の一つは、ローションパックの先駆者でそのローションパックを広めたことでしょう。彼女の美容関係の著作もすごい。講談社15冊、大和書房13冊、計28冊。ほとんど美肌ケア、美肌ダイエット、美肌カウンセリング関係です。定年退職後の彼女の活躍もすばらしい。平成15年定年退職後、「アトリエ サエキ144」を主宰、エステティックサロン「サロン・ドール・マ・ポーテ」を開業、平成20年 佐伯式美肌塾「チャモロジースクール」を銀座にオープン。沢山のテレビ番組、CMに出演。
これだけの著作を出し、テレビに出れば、なにが何でも美しく、若々しくなければ宣伝にもなりません。自分自身を美しく見せる彼女の努力は大変なものだったでしょう。私の見たテレビインタビューの終わり頃、彼女が出かけるとき、いつも持ってゆくきれいな袋を見せ、その中から取り出したきれいな小箱を見せた。夫の死後の遺骨のいくつかが入っているのだ。その遺骨は取り出さなかったが、「これが夫の喉ちんこ、これが夫の体のどこの部分」とか説明していた。自宅の仏壇に全遺骨が置いてあり、私が死んだら私の遺骨と一緒に泥団子のようなものでいいから固めてどこかに埋めてほしい、絶対に別々にして埋めないでと親戚の者に言ってあるそうだ。本人が出かけて帰宅すると、その日何をしてきたのか、仏壇に向かって話しかけてあげるのだそうだ。できることなら、死んだ夫ともう一度結婚したいのよと語っていた。41歳で夫の死後、新しい伴侶に恵まれ再婚するのも素敵な話です。しかし佐伯チズのように夫の死後も再婚することなくたった一人の男を死ぬまで思い続けるというのは、まさに昭和生まれ、昭和育ちの女性には、日本の古き女性が持っていた美点のようなものを持っているのだと思っています。

私は今小説を書いています。数人の女性の生き様を書いた短編小説です。佐伯チズという女性を知って、その小説のタイトルを決めました。「戦後昭和の女性たち」です。全員昭和生まれ、昭和育ちの女性たちです。この女性たちの中には人生の土壇場で、日本の古き、良き女性の生き方を選ぶ女性がいるのです。ぜひ小説の完成を期待していてください。
私が何故小説を書いているか、気になるかたは、私のブログ「ベストセラー誕生作戦」4月16日をお読みください。

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