マフィアとヤクザの違い

えんだんじのブログは、今年の10月で10年目を迎えます。今から5年前の2012年1月11日に「マフィアの話」としてブログを書いています。A4の紙、13枚で書き上げていますが、自分で言うのもなんだが、これがなかなかの上出来で、どこかの映画雑誌で載せたいくらいです。「マフィアの話」は、以下の四項目から書かれています。
一。ゴッドファーザー
二。マフィアの歴史
三。マフィア映画に登場する人物像
(1)アルフォンソ・カポネ
(2)ラッキー・ルチアーノ
(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
(4)ジョセフ・バラキ
(5)サム・ジアンカーナ
(6)トウキョウ・ジョー
四。マフィアとヤクザの違い

三。マフィア映画に登場する人物の6番目に登場するトウキョウ・ジョーを知っている人は、まさにマフィア映画ファンと言えるでしょう。トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。父親は日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。帰国後キリスト教の牧師になり、アメリカに渡る。ケンはアメリカで生まれ、14歳の時父とけんか、家を飛び出した。大東亜戦争中は、日本人強制収容所で軍人にならず、博打稼業に精を出す。其の後マフィアに入るが、イタリア系でないので幹部になれるどころか裏切りの疑いをかけられた。二人の殺し屋からケンの後頭部に三発の銃弾を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起きた。彼は生還した、しかも健康体で。彼は銃を使わない復讐作戦にでて成功した。彼は病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死んだ。死後彼の人生は、日本人映画監督、小栗健一氏によってドキュメンタリー映画が製作された。詳細に興味あるかたは、ぜひえんだんじのブログ、「マフィアの話」、2012年1月11日を参照ください。
四。マフィアとヤクザの違い
ここでは、トウキョウ・ジョーの話とは違い、この文章の全文を引用します。
引用開始
「ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の言う暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石鹸箱」と「さようならお父さんの石鹸箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中である時彼女は両親と父のボディーガードと四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのように話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネに触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的がちがう。」
確かに田岡が「組織の目的が違う」ともいえたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業をもたせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建屋山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板を掲げるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザの組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密の組織のベールに包まれています。私はこの公然性が侠客の生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりして組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフィアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまう。殺人が多くなるのも当然でしょう。
山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領をつくった。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一。内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一。外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一。長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一。世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一。先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日頃家庭をうとんじている者ほど、なにかことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるように」と組員をさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったと言う。私はマフィアの人たちに言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年の刑を受けた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられていることです」
私は彼女の気持ちが理解できます。
そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員と付き合って何故いけないのですか。
鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府には怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団員と芸人が付き合って何が悪いのだ。
テレビで大討論しなければならない大問題か。現在の暴力団組織など少しも怖くない。暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに怖い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。」
引用終了

現状の山口組の状態を知ったら墓場にいる田岡親分は激怒するでしょう。私がなぜ「四。マフィアとヤクザの違い」の全文を引用したかと言うと、次の二つのことに留意したいからです。
1.終戦直後、日本の警察は、拳銃の使用を禁止されていた。そういう時にのさばったのが勝利国国民づらした第三国人(当時日本国民は、そう呼うでいた)すなわち、在日朝鮮人、シナ人、台湾人、その他アジア人だ。どういう場所でのさばったかというと、特に生きていくために日本人庶民が利用する、闇市、露天商街だ。拳銃を持たない警察が役立たないのはどの国でも同じだ。のさばる第三国人を相手に全国の日本人ヤクザが熾烈な戦いをいどんだのだ。だから市民からヤクザが歓迎されたのだ。その一つの証拠が昭和34年山口組の田岡組長が神戸水上署の一日署長を務めた。終戦直後、警察に変わって日本人のために戦ったのは、神戸の山口組だけではない、横浜の藤木組、横須賀の小泉組など全国にわたる大都市ヤクザだ。現在、戦後70数年、今やヤクザはなくなり、暴力団になってしまった。人気映画「男はつらいよ」の寅さんこと、車寅次郎(くるまとらじろう)の生業はテキ屋。映画では「俺がヤクザ稼業なため、いつも妹に迷惑かけている」なんて言うセリフをはいているが、今じゃテキ屋も法律では暴力団です。寅さんは、侠客気分満々だが、いずれヤクザや侠客という言葉なくなり、死語になってしまうのではないでしょうか。

2.「私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。」と私は主張していますが、皆さん。本当にそうだと思いませんか。私が例としてあげているのが、鈴木宗男元議員だ。私のブログ、「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口きくな」(2016年12月3日)を参照してください。以前の北方領土交渉を利用して私服を肥し有罪判決を受け刑務所暮らしをした鈴木宗男は、最近の安倍首相の北方領土交渉問題で、マスコミ、すなわち新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌などから注目を浴びているのだ。マスコミは、宗男の有罪、実刑、刑務所暮らしなど眼中にないのだ。2017年4月30日の産経新聞の朝刊で次の記事がある。
引用開始
「鈴木氏が公民権回復、国政への復帰に意欲、北方領土解決訴え
汚職事件で実刑判決を受けた政治団体「新党大地」の鈴木宗男代表の公民権が29日、回復された。鈴木氏は同日、札幌市で開いたパーティーで「選挙がいつあるか分からないが、その時期が来たら最善の判断をしたい」と次期衆議院選での国政復帰に意欲を示した。
鈴木氏は「私にやり残したことがある。北方領土問題の解決だ」と訴えた。安倍晋三首相と定期的に会談し、対露外交で助言を行っている鈴木氏は「首相から北海道は自民党にとって厳しい。鈴木先生にかかっている。よろしくお願いします」と言われていると記者団に明らかにし、首相との連携を強調した。鈴木氏は衆院議員だった平成22年に受託収賄罪などで懲役2年の実刑判決が確定。失職、収監され、23年12月に仮釈放された。刑期満了から5年間は選挙に立候補できなかったが、29日公民権を回復した。」
引用終了

産経新聞は、安倍首相をひいきにさえすれば、宗男のように紙屑みたい、くずな元議員でも公民権回復を喜ぶような記事を書いてくれるのだ。まるで出所祝いだ。これでは日本の国会議員の質がいつまでたっても上がらないのもむりはない。
もう一度書きます。興味と時間があれば、私の5年前のブログ、「マフィアの話」(2012年1月11日)を読んでみてください。

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