80歳を迎える私に、人生と何かと問われれば、文句なしに「人生とは戦いである」、それも強調して、「人生とは一にも二にも戦いである。」と力説します。私が生まれた年は、昭和13年、大東亜戦争で日本が敗戦で終結した時は、小学一年生だった。川崎にあった我が家は、空爆で焼失。親父は重病で働けず、我が家は極貧状態だった。大学にも行けず、高卒で社会に出た。以来人生は戦いそのものだった。現在は戦後70年も過ぎて日本も経済的に豊かになって何年も経つ。そのせいか、「人生は戦いである。」等という言葉をめったに聞くことがない。まるで日常語になっていないみたいです。私は三人の子供にも、しょっちゅう事あるごとに、「人生とは戦いだぞ」と言ってきた。現在三人の孫娘がいるが、一番上は今年二十歳だ。だから会う度に何かと「人生とは戦い」だと言っていることが多いい。
子供から大人になって社会人として過ごす間、すなわち長い人生の間にいくつかの試練がある。いじめ、自殺、過労死、お金、仕事など色々です。これらに関する事柄が世間の話題になったり、大事件になったりすると、テレビ、新聞、雑誌などで解決策などが語られることが多いい。
しかしその語られる解決策の中に、私が述べる、子供の時から、「人生とは戦いである。」、「人生とは、一にも二にも戦いである。」等と言って言い聞かせろ、などと言った人は誰もいません。本を読んでもそんなこと言ったり、書いたり人は誰もいませんでした。
皆さんにお聞きしたい。「人生とは戦いである。」とはそんなに野蛮な言葉ですか。この言葉を子供の時から、徹底して叩きこんでおけば、無意識のうちに自立心が生まれ、何かと言えば、他人に頼ろうとする心が生まれにくい。「戦い」と言えば、何も戦争やスポーツを意味するだけではありません。心にも戦う気持ちを持つことが大事なのです。
これから先、どんな悲劇的な事があろうとも、心には、「人生とは戦いである」としっかり根付かせておくことが一番大事なのです。
私は子供たちに自慢します、『親父は定年になっても、働き口を探しもせず、執筆生活をおくれるのも、「人生とは戦いである」を実践して懸命に働いてきたからだ。』
もっとも再就職を希望しても高給で雇ってくれるとこはどこもなかったが。私は離婚して三人の子供を女房に残して、15年間独身生活をおくった。しかしその間子供の生活費を毎月必ず送金していた。愛した女性と別れた時は、男の価値の見せ時だ。毎日子供たちと一緒に生活し、その子供が自殺してうろたえているような父親に聞く、「あなたは、男として迫力のある生活を送ってきましたか?」子供は父親の言動をよく見ているのだ。こどもだからと言ってあなどってはいけません。一生懸命になって働いて、必死になって努力している男の姿をみせつけるのだ。
私の意見では、娘がぐれるのは母親の責任、息子がぐれるのは父親の責任、両方ぐれるのは、両親の責任。だから子供は両親が育てるべきなのだ。一人親の責任は、それだけ大変大きいのだ。現在の日本人は、精神的に物凄くひ弱になっています。いわゆる日本人の精神面での民度の劣化は凄まじいものがあります。若夫婦の皆さん、子供達には、ぜひ「人生とは戦いである。」と常日頃伝えおいてください。現在は収入格差の時代、例え「AI」の時代になっても人生との戦いに挑む気持ちは一番重要なのだ。