「譲位」は憲法違反

保守の人達の間では有名人のように知られている村田春樹氏が今年の4月に展転社から本を出版した。タイトルは「今さら聞けない皇室のこと」1300円+税。この本で特に重要なのは、今上天皇の譲位問題です。この本の頁数は、全部で177頁です。その頁数の半分ぐらいを「第四章 御譲位に思う」を書いています。春田氏は、元「楯の会」会員です。元「楯の会」会員と言えば、一般の日本人以上に皇室を敬っています。その春田氏が今上天皇の譲位は、政府がすでに決めたことで覆すことはできないが、譲位は憲法違反だと主張しています。私は今上天皇の譲位が決定した時、なぜ今上天皇は譲位したいのだろうかと不思議に思っていました。何故なら今上天皇の父上、昭和天皇は、あの敗戦に終わった大東亜戦争終結の時でさえ譲位も退位もしていません。死ぬまで天皇であり続けました。大日本帝国憲法も現行憲法も天皇は議会の協賛を得なければ、立法を行えないのである。平成29年の通常国会で特別措置法として譲位が正式に決定した。その最初のきっかけが7月13日午後7時のNHKの「譲位の御意向」というリーク速報です。たまたまこの時安倍首相外遊出発の前夜。この速報は宮内庁や官邸の頭越し報道させているのだ。その後平成28年8月8日宮内庁からNHKテレビから象徴としてのお勤めについての天皇陛下のお言葉が放映された。皆さんに思い出していただくためにお言葉の全文を披露します。

『戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80歳を超え、体力の面などから様々な制約をおぼえることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や勤めにつき、思いを致すようになりました。本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を超え、幸いにも健康であると申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を、感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行ってきたほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうかと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果し得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることには変わりありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状況に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重いもがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後葬儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関する諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下、天皇の国政に関する機能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。』

このお言葉は、今上天皇のお気持ちの表明という形式を取られていますが、実質的には日本政府に対する命令書と解釈されている方が、多いが、私もそのように解釈しています。著者の村田春樹氏は、これは誰か別の人間が書かせたものと解釈し、文章の幾つかを取り上げて説明しています。その例をいくつか挙げると、
1.「私が個人として、これまでに考えてきたことを・・・」。
 陛下がご自分を個人と言うことはあり得ない。陛下は24時間365日天皇であり、8時間勤務の労働者でもなく、いわんや個人や公人でもない。半神の御存在である。

2.「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日にいたっています。」
いきいきとした社会に内在し、などという言い回しは変である。また、陛下は政治家でもなく、芸能人でもないので、「人々の期待に応える」必要などまったくない。陛下の御存在は、言うまでもなく「国民の総意」にも期待にも関係はない。天孫降臨の際天照大神の三大神勅に立脚しているのである。

3.「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」。
全身全霊をもって果たしてこられたことは、心ある国民は皆わかっている。それをわざわざビデオでおっしゃる必要はない。最晩年の昭和天皇や桂宮宣仁親王、古くは大正天皇を想起していただければわかることである。

4.「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場の求められる務めをはたせぬまま、、、、、」。
それでは大正天皇晩年の5年間、摂政を務められた東宮殿下(昭和天皇)の治世を否定することになるのではないか。お言葉から1年経っても「なぜ摂政ではだめだったのだろうか。」という問いに答えられる国民は誰一人いない。

5.「これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な、影響が及ぶことが懸念されます。」
社会はまったく停滞しないし、暮らしになんの影響もない。政治も経済も影響を受けなかったことは昭和63年に証明済みである。この年、日経平均株価は4万円になんなんとしていた。自粛ムードが起きかけたが、自粛を自粛しようとし、皆平成に坦々と日常生活を送りつつ、御平癒を祈っており、そして覚悟したのである。

6.この「譲位」という比較的短いお言葉のなかに、「象徴」という言葉が「なんと8回」も登場するのです。そこで著者の春田氏は、なぜこの「象徴」と言う言葉を強調せねばならないのか、このお言葉を話す今上天皇陛下とは別人(書き手)の政治的意図が含まれているのではないかと推察しています。私もこの春田氏の考え方に全面的に同調します。この辺の作者の説明を詳しく読むと、来年以降の上皇が一体何をなされるのであろうか、非常に興味がわいてきます。

譲位後の国民の心配:
天皇の活動、特に以下の国事行為には内閣の助言と承認を必要。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散することなどその他の国事行為やその他の公式行事。
ところが上皇になると、国事行為・公的行為は一切なされず、私的行為だけになる。ということは、内閣は天皇への助言承認という監督権を上皇に対しては有しないことになる。
その結果来年以降の上皇の行動の中で次の三つの不安が私の頭にも浮かびます。
一.韓国への謝罪旅行
春田氏によれば、平成29年12月14日号の週刊新潮の記事、同じ年の12月30日の読売新聞の一面トップ記事、二つとも今上陛下は韓国訪問したいとの意志。さらに陛下がサイパン島訪問時に韓国平和記念塔の拝礼されたこと、桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫であったことに、二回の公式の場で言及されています。続いてこの9月の私的旅行で埼玉県の高麗神社参拝は韓国では「退位前の和解のメッセージである」と報道しています。

二.ひょっとして上皇は、キリスト教に帰依して洗礼を受けるのではないか。
天皇陛下は、中学校一年の時、GHQの命令でクエーカー教徒のヴァイニング夫人を家庭教師につけてもらっています。英語の先生としてではなく、家庭教師として5年間努めています。それだけにヴァイニング夫人の影響を強く受けています。毎年の全国戦没者追悼式には、いつも「反省」、「反省」、「反省」のお言葉です。勇敢に戦ってくれた兵士への感謝の言葉は、一切なし、靖国神社への参拝もなし。昔をたどれば、上皇でも仏門に入って法皇と呼ばれた人もいた、白河法皇、鳥羽法皇、後白河法皇など有名です。万一キリスト教に帰依したら何と呼ばれるのでしょうか。

三.現在の天皇陛下在位中の靖国参拝は完全に夢と消えたのか?
私はひょっとして、万が一にも靖国神社に参拝してくれるのではないかと淡い夢みたいなものを持っていましたが、その夢も完全に消えたのでしょうか?しかし来年4月30日の御譲位の日まで7カ月あります。天皇陛下、日本のために戦って死んでくれた兵士たちのためにも靖国神社に参拝していただけませんでしょうか。私はわらをも掴むような気持で祈っております。

現在日本の保守陣営の方は、私のように天皇家を敬う人々ばかりでしょう。私が天皇家を敬うとは、現職の今上天皇を直接批判することは絶対しないことです。私は10年間ブログ書いてきているが、今回春田氏の本を読んで初めて今上天皇を多少とも批判するブログを書きました。今回紹介した春田氏の本は「今更聞けない皇室のこと」と何となく柔らかいタイトルになっているが、一番大事なのは譲位の問題です。それをタイトルにつけなかったのは今上天皇を批判するタイトルを避けたのは春田氏の皇室に対する深い愛情だと思っています。このように皇室に対する敬愛だけでなく、神様のように、まるで宗教的存在のように思っている方も沢山います。上皇の存在は、現代日本人にとって初めての経験なので、上皇の言動が我々日本人の心に動揺を与えるケースも充分考えられます。例えばより左翼的発言や行動などで左翼や狂(共)産党等を喜ばすこともあるかもしれません。これからの上皇の発言、行動を注意深く見守っていかねばならいでしょう。
このブログの読者の皆さんには、ぜひ村田氏の「今さら聞けない皇室のこと」(展転社)を読んでみてください。この本では「譲位」以外にも皇室について色々なことが書かれています。私は、必ずしも村田氏の意見に全面的に賛成しているわけではありません。しかしこの「譲位」については全面的に春田氏と同意見です。この本は一読の価値のある本です。

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