現在の世界経済は暗い話ばかりです。しかしその暗いニュースでも別の味方をすれば実にすばらしいニュースになる話もあります。それは何か。アメリカの自動車メーカー、ビッグスリー、GM,フォード、クライスラーが倒産寸前だからです。(昨日アメリカ政府はGM、クライスラーへの一時つなぎ援助決定) なぜ彼らの倒産寸前が素晴らしいニュースかというと、日本の自動車メーカーが彼らを倒産寸前に追い込んだのも同然だからです。私は自動車に興味などなにもない男です。現在でさえ自動車免許を持っていません。それでも私は、ビッグスリー破産寸前のニュースはうれしいのです。
ましてや大手自動車メーカーで働いて定年を迎えた人たちは、愛国心ある人たちなら、ビッグスリー倒産寸前のニュースには、ほくそ笑んでいるにちがいないと思っています。そこで一時は日米自動車戦争とまで言われたその歴史でも、私の記憶とネット調べを基にして簡単に話してみましょう。
1950年、終戦5年後です。この時の日本の自動車生産台数たった3万台です。一方アメリカは500万台です。それがどうですか半世紀後、正確に言えば58年後、トヨタは世界一の自動車メーカーになりビッグスリーは倒産寸前。今から50年ほど前、私が20歳の頃です。その頃アメリカ製自動車は垂涎の的。日本製自動車でさえ持っていれば、ガールフレンドに「俺の車でドライブしないか」と誘ったら、現在、「俺の豪華ヨットでクルージングに出かけないか」と同じくらいの威力がありました。
日本の自動車メーカーは1960年代の半ば頃からアメリカ向けに輸出しはじめました。1970年代、特に73年のオイルショック以後、日本製自動車が大挙してアメリカに押し寄せました。その頃です、自動車の町デトロイトでは、アメリカの労働者が、彼らにとって癪の種であるトヨタの車をハンマーでぶっ叩いている写真が出ました。
1980年代日米貿易摩擦、あるいは日米貿易戦争と言われた時代、日本はコメの輸入自由化を求められました。農協などの支援の下日本政府は、コメ輸入反対を必死に主張していました。ある政治家だか官僚だか忘れましたが、おコメは日本の文化だといって輸入反対にしました。
その話を知った私のアメリカ人上司は、おコメが日本の文化なら、自動車はアメリカの文化だと声をあらげて言っていたのを覚えています。私はアメリカなどに文化はないと思っていましたが、言われてみれば、アメリカに文化があるとすればそれは確かに自動車だなと妙に感心したのも覚えています。自動車はアメリカ産業の花ですし、アメリカの象徴的な産業でした。
日本製自動車の輸出攻勢に悩まされたアメリカ政府は、ローカルコンテンツ法(Local
Contents Law)なるものを成立させた。ローカルコンテンツ法とは、車一台生産するのに2万という部品から成り立っていると言われています。その全部品のうち、もう忘れてしまいましたが、何パーセントとかはアメリカ製部品を使うことを法律で決められたのです。日本の自動車メーカーにとって脅威だったでしょう。品質を誇る日本製自動車が、アメリカ製部品を使って同品質を保てるか。契約どおり納期を守ってくれるのか。それも苦労のすえに乗り切るとさらにアメリカ製部品の使用率のアップを決められます。
その上さらに日本の自動車メーカーに難問を突きつけられたのは、日米の貿易摩擦を回避するために日本政府による日本製自動車の輸出規制です。自動車輸出規制が試行された1981年には、対米輸出は年間168万台と決められた。
ところがこの輸出規制が日本製自動車の人気度を再確認させることになったのです。アメリカ国内の自動車ディーラーは、競い合うように人気のある日本製自動車を注文、そのために日本製自動車にプレミアムが付くようになったのです。
いくら日本製自動車にプレミアムがついても、自動車輸出規制、アメリカ製部品使用率アップの現状を見ては、日本の自動車メーカーは、もう日本から完成車をアメリカ向けに自由に輸出するのは無理だ、アメリカで自分の車を作って売ろうという話になってきます。その先陣を切ったのがホンダでした。ホンダの決断は立派だったと思う。日本の工場で日本人労働者が車を作っているから品質の良い車を契約の納期に納めることができます。それをアメリカの工場でアメリカ人労働者を使って日本と同じ品質の車を作れるかどうか不安だったと思います。その時ホンダは作れるという自信があったのでしょう。
私に言わせれば日本の労働者は従順だが、アメリカの労働者はタフだし、組合にしたって日本の組合は会社単位の組合だが、アメリカは職能別組合と言って会社単位の組合でなく、旋盤工なら旋盤工同士が横のつながりを持つ組合です。不安のつきまとう工場進出でした。
ついに1982年ホンダのオハイオ工場が生産開始しました。ホンダの後を追いかけるように他の日本の自動車メーカー続々とアメリカに工場進出しました。その後を追うように部品メーカーもアメリカに工場進出が続きました。ちょうどその頃、クライスラーの名物男というより、アメリカ自動車業界の名物男、リー・アイアコッカがいました。アイアコッカは、フォードの社長でしたが、フォード二世との確執でフォードを追い出されるようにしてクライスラーの社長になった。その時クライスラーは、倒産寸前、政府から支援金を得ることに成功。その時彼は、給与1ドルで働くことを明言した。
現在のビッグスリーの経営者が、国の支援を得られれば給与1ドルにすると明言したのはアイアコッカのまねです。ちなみに現在倒産寸前といわれるフォード自動車、ムラーリー社長の2007年度の年収が2170万ドル、1ドル100円だと21億7千万円の年収です。いったいトヨタの社長の年収はいくらか聞いてみたくなります。
国の支援を得たアイアコッカは、見事クライスラーを建て直し復活させた。一躍彼は、アメリカ産業界の人気者になり、民主党の大統領候補にとおよびがかかるくらいでした。彼の伝記はベストセラーになりました。
ホンダがオハイオ工場で生産開始の頃が、アイアコッカの絶頂期でした。私は彼の伝記を読みました。その中で彼は、日本の自動車メーカーがアメリカに工場進出してきたことを意識して、こう書いてあったことを覚えています。「日本製の車などアメリカ大陸から叩き出してやる」。
そのアイアコッカもクラスラー再建後は、独裁者的になりすぎ、クライスラーを追われるようにして退社しています。
アメリカに工場進出した日本の自動車メーカーは、ビッグスリーが作った車より、より顧客の満足度の高い車を作り出しているのです。日本の自動車メーカーのアメリカ進出が大成功しているのです。日本の自動車メーカーの経営努力はたいしたものです。アメリカの工場でアメリカの労働者を使っても、日本で作った車と同じ品質を持つ車を作ることに成功したのです。
自動車生産方法においてアメリカと日本メーカーとの違いは、いくつかあるのですが、その違いの最も象徴的な違いは、自動車部品の内製率です。一台の車は2万以上の部品から
成り立っていると言われています。その2万以上の部品の70パーセントをアメリカのメーカーは、自社内で製作しているのに対し日本のメーカーはわずか30パーセントを自社内で製作しているだけです。残りの70パーセントは外注です。
その結果どうなるかと言うと、アメリカの部品は、内部取引のためにマンネリ化し、価格、品質などの競争原理が働かない。一方日本の部品は、外部取引に成る為に競争原理が働くことになります。どちらに好結果が出るか一目瞭然です。
日本の自動車メーカーは、アメリカに工場進出しても、アメリカの文化を尊重するが、自動車の生産方法は徹底的に日本と同じにしたのが功を奏したのです。私は日本の自動車メーカーの半世紀にわたる努力を素直に評価するものです。自動車の国アメリカに敵前上陸して成功し、あのビッグスリーを破産の憂き目にあわしているのです。
そしてつい最近は、トヨタはGMを追い越して世界一の自動車メーカーになり、ビッグスリーは破産寸前です。それに対してもうアメリカ政府もアメリカの自動車メーカーも、日本の自動車メーカーに苦情などつけられなくなってしまった。しかし来年のアメリカ政府は、オバマ民主党政権だけにビッグスリー救済策のために日本の自動車メーカーに対して差別的政策を打ち出てくるのではないかと私は心配しています。
私のような年寄りには、GMの巨大さ、存在感の大きさは、身にしみています。GMイコールアメリカ政府のような感じでした。かってはGMに良いことはアメリカ国家にとっても良いことだと豪語されていた時代もあったのだ。日本の自動車メーカーをとっくに定年した退職者は、私以上に身にしみて感じているはずです。私のような年寄りには、大東亜戦争の敵討ちしたような気分で、痛快きわまりない。我々が敗戦後から立ち直ったように、ビッグスリーは、どう立ち直ってくるのか、それともアメリカ政府の資金援助もむなしく業界から消えてしまうのかじっくり見させていただこうではありませんか。
ビッグスリーが破産寸前に追いかまれたのを、大東亜戦争の敵討ちしたように喜んでいる老人がいることを誰かアメリカのメディアに伝えてくれませんか。
なぜ私はこのようにアメリカ人の心をさかなでするような記事を書くか。私は、外国人なみに執念深いのです。だから大東亜戦争に非常にこだわります。勝利国であるアメリカは、自分たちは正義で、日本は悪と決め付けているから余計にこだわるのです。外交観、防衛観に関して私は親米主義者です。しかし歴史観に対しては徹底して反米主義者です。この記事を読んで少しこじつけのような気がするという人がいるでしょう。その人は日本の文化で考えているからです。
中国にしても韓国にしてもアメリカにしても、政府みずから平然としてこじつけたことを言ってきます。私たちは、文化の使い分けをしなければいけません。そこで来週は「文化の使いわけ」というタイトルで記事をかきますからぜひ読んでみてください。