期待がしぼんでいく、橋下徹氏

私は橋下徹氏に期待し、その動向を見守ってきた。私は、石原慎太郎氏や橋下徹氏のような人物が好きなのです。石原氏や橋下氏には似ている点があることは皆さん同意するでしょう。それでは二人の共通点は何かと聞くと、皆さんは何おあげますか。私は、あの二人には人生の生き方に共通点があると思っています。人生の生き方の共通点とは何か。それは二人とも自分の信念をむき出しにして人生を生きてゆくこと、このような生き方は、他人とのあつれきが生まれやすい、しかしそれは承知のうで自分の信念をむきだしにしてひたむきに生きてゆくタイプです。実は私もこのタイプの人間です。自分の若い時は、私は、「あいつは、くせがる」とか「あいつは、あくが強い」とか「あいつは、個性が強い」とかいろいろ言われたものです。しかし私の場合は、極貧育ちで無学の上に馬の骨。こういう人間には、自分の信念をむき出しにしたタイプがけっこういます。その中でも抜きん出たのが人間ブルドーザーとかコンピューターつきブルドーザーとか言われた田中角栄でしょう。しかし橋下氏や石原氏はエリートです。エリートにはどちらかと言えば、おっとり構えた人が多いのにこの二人は特別です。

私に言わせると日本人には、この信念むき出しタイプの人間が少なすぎるのです。圧倒的に多いのが空気読みタイプです。空気の流れを読み、その流れに自分を合わせるタイプです。だから付和雷同が日本人の特徴なっているのがわかります。日本人の付和雷同は海外でも有名で、日本人をジョークのネタにするとき、この付和雷同性がよく使われます。戦後自虐史観が流行って今でも続いているのもそのせいでしょう。私の体験のよれば、信念むき出しタイプは、ほとんど間違いなく保守派です。不思議です。何故か?
私の考えによれば、信念むき出しタイプは、ある特定の思想、あるいは流行の思想より、あるいは時流などより自分の信念、あるいは自分の考えをまず優先するからです。石原氏も橋下氏も、自ら石原教や橋下教の教組になっているも同然なのだ。それで突っ走るほかありません。日本の左翼には、信念丸出しタイプはいません。ほとんど空気読みタイプです。特定の思想、流行の思想、時流に自分の身を寄せていくだけ、それをあたかも自分の信念のように思い込んでいるだけです。ひどいのになると祖国を足げにして特定の国に擦り寄っていくのだ。信念などないに等しい。

信念むき出しタイプは、外国人との交渉に強い。橋下、石原の両氏を見ていてそう思いませんか。石原氏など尖閣諸島を東京都が買うなどとわざわざアメリカで発表するのだ。日本の政治家がそんなことできるのは石原氏だけでしょう。いくら英語の使い手でも空気読みのタイプは、外国人との論争では使い物になりません。

信念丸出しタイプの欠陥は、誇り高いせいもあるのでしょうが傲慢になることです。二人をみればわかるでしょう。彼ら二人は傲慢です。私も傲慢だった。とくに若い時は、傲慢のためもあってけんか早かった。白人は誇りが高いせいか傲慢な人間が多い。日本人に圧倒的に多い空気読みは、戦前は誇り高いのが時勢であったが、戦後は誇り低いのが時勢になったために誇りが高くない、そのため卑屈さがやたら目に付く。戦争に負けた祖国や軍人をこれでもか、これでもかといたぶるのは卑屈以外のなにものでもありません。傲慢と卑屈、どちらかを選べと言ったら私は傲慢を選びます。卑屈は最低です。

橋下徹氏、現在43歳。それでいて子供が7人いる。子供が7人いるというだけで私は彼をたいした男だと思ってしまいます。私も子供三人育てました。一歳、三歳、五歳とゼロ歳から五歳までの間に三人もいるのだ。年齢差がつまっているので三人目が生まれた時は、一挙に二人増えたような感覚でした。私たち夫婦には母親がいたが、ある事情で夫婦の子育てに手を貸すことができなかった。事実上夫婦二人だけで、三人の子供を育てるのは、時間的にも経済的にも大変です。ところが橋下氏は43歳で7人も子供がいるのだ。いくら母親が手助けしてくれても大変です。それだけでも凄い男だと思っているのです。しかし最大の賛辞は、橋下夫人にささげねばならないでしょう。その橋下氏への私の期待は、最近ではどんどんしぼんでいきます。

竹島は日本の負け、だから韓国と共同管理にしたらどうかとか、靖国神社に参拝すると言っていたのが、最近では、支那、朝鮮に迷惑かけたから参拝には時期を見なければならないとか、「従軍慰安婦」事件はなかったことは確かだが、それでも「従軍慰安婦」だったと主張する慰安婦に直接会うつもりとか、その他外国人参政権の問題では、支那人に参政権を与えるつもりはないが、在日朝鮮人には与えたいと言う等、我々保守の間で物議をかもす発言が続いています。これは橋下氏に確固とした歴史観がないことであり、また彼自身が保守一点ばりでは、日本維新の会が票をとれないのではないかと疑心暗鬼にかられているからでしょう。

これらの問題発言より、私が橋下氏に失望したのは、王道を歩むつもりがないことがはっきりしたことです。橋下氏にとって王道とは、何か。大阪市長を四年間勤め市政を立派に改革して見せ、その後に立候補することです。彼の大阪府政の改革は、すばらしかった。5年前橋下氏が府知事に就任すると、すでにできあがっていた府の予算案をただちに半年の暫定予算に切り替え、その間に天下り法人を28も潰して半減し、職員給与を4~16%カット、退職金も5%カットした。職員組合との折衝は壮絶な闘争だった。一方で離婚率、学力テストなどの分野で大阪府がワースト5に入るのは、教育が悪いからだと談じた。教育基本条例を制定し、3回戒告を受けたものは分限免職になるという棍棒を容易した。(「WiLL」11月号)

これだけの業績をひっさげて大阪市長選に立候補したのだから当選して当たり前です。大阪市政も大阪府政なみに改革することは問題ないでしょう。そうすれば橋下氏の全国的な人気は確かなものになります。大阪市長を無事勤めて政界に打って出るには、五年かかります。今度の総選挙は一年足らずに来ます。新政権が四年続いたとしても五年後の総選挙になります。現在43歳の橋下氏は、48歳で政界進出になります。決して遅くはなく若いくらいです。この五年の間に大阪市の市政を切り盛りし、日本維新の会の党員を増やし、子分の政治家たちの人材開発を進め、彼らを引き連れての堂々と政界に進出です。国民から大歓迎を受けるでしょう。

これが私が彼に進める王道でした。だから私は、橋下徹よ、急ぐな、「急がばまわれ」だぞとブログに書こうとしていたら、今度の総選挙で沢山の候補者を立候補させることにし、「日本維新の会」の党首の橋本氏も幹事長の松井氏も立候補しないというのだ。これではまずい。日本維新の会の当選者がいないとか、当選しても一人と二人ならばそれでよいかもしれない。しかし数十人の当選者が出たらどうするのだ。大阪市長であり党首である橋下氏が当選者を管理することになる。これではまずい。これではヤクザの山口組と同じだ。山口組は関東地方、東京地方を制覇しようと自分の子分や、傘下の組を東京に派遣して、自分は大阪の本拠にいた。やくざ稼業だからこんな芸ができた。国政ではそんなことはできません。国会議員がいくら党首とはいえ大阪市長の采配を受けるというのは、世間が許しません。信念むき出しタイプは、世間がどうのこうのとかまわず突っ走るが、選挙で世間の悪評を突っ走るわけにはいきません。たかだか一市長が、国会議員たちを管理するというのは傲慢です。私が前に言ったように信念むき出しタイプは、傲慢になると書きましたが。この傲慢さは非常にまずい。

そこでとるのは次善の策です。私は最初は王道を歩むべきだったと言った。しかしもうもどることはできません。そして次善の策とは、大阪市政を放棄して立候補することです。立候補しない場合を考えると、日本維新の会の人気にかげりが出る、もう大分支持率が下がっているという。彼が選挙に出ないと、立候補者の士気が下がる。これは避けられません。しかし立候補すれば、日本維新の会が注目を集め人気が燃え上がる可能性もある。また立候補者にも精神的に元気が出て士気が大いにもりあがる。ここはもう彼が立候補しないと「日本維新の会」はジリ貧になるのではないかと私は懸念しています。

現在、橋下氏も大分批判されています。官僚、組合からの反発は生半可なものではありません。いくら橋下氏の期待度がさがっても、私は彼を応援してあげたい。無論彼のかかげる政策にもよりますが、根底では応援してあげたい気持ちが強い。しかし私が世間に主張したいのは、彼の批判もいいけど今の段階で彼の芽をつぶしてしまうのは、もったいない。私に言わせれば、橋下氏のように個性が強く、政治的にも振舞える人間がもっと、もっと沢山出てほしいということです。政界を見れば多くが、二世、三世ばかり。日本社会は金太郎あめのような人間が多すぎます。しかもほとんどが空気読みです。これだから日本人は、自分の国を自らの手で改革しにくくしているのです。日本全体が下り坂を転げ落ちるような状態の時には、橋下氏一人では物足りません。異能,異才をはなち、いい意味での一癖も二癖もありそうな個性の強い人間がぞくぞくとあらわれて停滞している日本社会を引っかきまわしてもらいたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です