幸運!軽脳梗塞入院記

1月18日(金)朝起きた時、右足にどことなく違和感をおぼえた。夜中に右足にこむら返り二度あり、それを防ぐため右足を二度ほど思いっきり伸ばした。そのためだろうと思い両足のひざを屈伸運動をした。なんとなく正常に戻ったような気がした。朝食の時、牛乳カップを電子レンジで沸かした。そのカップを右手で取り上げようとしたとき、いつもと違って随分重たいのでびっくりして、右手に力を入れて持った。左手で持ってみるとすこしも重たくない。再び右手で持つと最初より軽く感じたがやはり重たく感じる。それを繰り返していくと右手も左手も同じような重さになったのでそれほど気にせずに過ごした。お昼に昼食をとりに外出した。歩いて見ると、どうもなんとなく右足がぎこちない。午後から整形外科医に行くことにした。その整形外科医は、久しぶりだったので受付でちょっと書いてくださいと言われ問診票を渡された。この時はびっくりした。まず自分の名前「鈴木敏明」を書こうとしたら、全く自分の名前が書けないのだ。幼児が書くような字さえ書けないのだ。無理に書いても読めそうにもない。医者が言うには、右足に違和感があり、右手の指に多少の麻痺というと腰からきているとは絶対に考えられません。首か頭かどちらかだ。首はここで調べられるから調べましょう。首に異常はなく、これは頭が原因です。この病院から500メートル先に個人の脳神経外科病院がある、そこでMRIをとってもらった方がいいというので、その病院でMRIをとった。

先生は、これは「脳梗塞です。病院を紹介するから、すぐ入院してください。」そんなに急に入院しなければダメですか」と言うと、先生は、「脳梗塞とわかったらすぐ入院は、世界の常識ですよ。あなたが入院したくないと主張するのであれば無理に入院は進めません。しかし明日は土曜日です。月曜日まで何もしなかったら、症状が進むかもしれないし、あるいは症状が進まないかもしれません。はっきり言えない現状です。私の紹介する病院に入院するかどうかは、あなたしだいです。私は入院を勧めますよ。」
私は、先生の勧めに従って入院することにした。紹介状と診断書をもらいタクシーで千円代でゆける横浜新都心脳神経外科病院に行った。病室で診断を受け、点滴を受けながら入院室に案内されたとき、それまでびっこをひいていなかったのに、その時には、右ひざの下から足をすこし無意識に引きずっていた。それにしてもよく我が家の近くの個人の脳神経外科病院があったものだ。私も前からその個人病院の存在を知っていましたが、まさか自分がかかるとは思ってもいませんでした。実を言うと私の母は。がんを四つ患いすべて手術しましたが、最後はがんの痛みに苦しみぬいて71歳で死んだ。私も二人の妹も我が家は、がん家計と信じた。以来私は毎年年に一回人間ドックにはいり検査した。「早くみつけて、早く叩く」という方法をとったのだ。生命保険のきらいな私は、がん保険にだけはいまも入っています。現在までに三年連続で大腸のポリーブをとっています。この時は入院していません。食道のポリープをとった時は一日入院でした。ポリープは、すべてがんではありませんでした。毎年、血圧、血糖値、体重が高いと言われたことがありません。コレステロールが高いと言われたことはあるが、それほど高いと言われることもなく、脳梗塞になることなどなく、私が病に倒れるのは内臓だとばかり考えていました。それが脳梗塞といわれてびっくり仰天。幸いなことに軽くてすみ、現在は階段を降りるのが怖く、怖いと言っても杖をつくでもなく、一段一段両足をついて下りるわけではありません。「よーし、下りの階段だぞ」と自分で意識しながら注意して歩かなくてはなりません。これだけならリハビリすればいずれは駆け足ができるのではと思っております。

私はこれまでにいくつもの逆教を克服してまいりました。こんどの病気でも入院中、このまま終わってたまるかという心底からわきでる闘争心を抱え込んでおります。二、三月中は、リハビリにはげみ4,5月頃には駆け足ができるようになるでしょう。・私のブログファンの方々には、今回ブログが更新できず大変失礼いたしました。男、えんだんじ、まだまだ元気いっぱい、これからもいままで以上にがんばりますので、これまで同様応援のほどよろしくお願いいたします。それにしても田母神氏の選挙応援何もできずに終わるのが残念無念です。実につらい思いです。

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