憲法九条を固持する人たちへ

この文章中に出てくる「あなたがたは」というのはすべて憲法九条に固持する人たちのことを指していることをご承知ください。
私たち日本人は、物事を情緒的に、感情的に捉えるのがくせで、どうも現実を直視して物事を論理的に考えたり、論理的に討論することを苦手にしている民族ではないでしょうか。特にあなたがたは、こと戦争と核兵器に関しては、情緒的に、感情的にとらえるだけで、論理的に話すどころか、論理的に考えることすらできないのです。
戦後、戦争とは悲惨なもの、戦争することは悪いこと、このことばかり強調され過ぎたためもあるのでしょう、若者が祖国のためなら戦うという積極的な態度があまり見えません。それどころか例え他国に支配され、奴隷状態になっても戦う気はありませんなどと平然と応える若者もいるのです。この種の考え方がいかにまちがっているか、わからないのです。戦争することは悪と徹底的に教え込まれているからです。
私は戦争の悲惨さには、同意しますが、「戦争することは、すなわち悪」には同意できません。世界史には独立戦争という戦争がいくつもありましたが、この戦争は悪なのでしょうか。あなたがたは、戦争すること、即ち悪と考えていますが、それは戦争が敵、味方ともに悲惨な目に会わせるからという戦争の表面的な面でしか捕らえていないからです。
現在私たちは、高度な文明の発達の恩恵を享受しています。あなたがたに質問したい、高度な文明が発達した原因は、何だと思いますか。その原因は数え切れないほどの戦争があったからではないのですか。戦争ほど人類の文明発達に貢献したものはありません。人類は戦争することによって同じ人類、すなわち自分の身内を犠牲にしながら文明を発展させてきたのではないでしょうか。
人類は、過去において無数の悲惨な戦争を体験してきましましたが、文明の発達によって戦争で失ったものより、それ以上の恩恵を手にいれてきたのではないでしょうか。だからこそ地球上の人口が60億にも達しているのではないでしょうか。戦争と言うものが負の遺産ばかりでしたら、人口が増えるわけがないのです。
あなたがたは、私のことを「お前は戦争肯定論者か」と詰問するかもしれませんが、私は、あなたがたが考えようとしない、戦争の現実というものを説明しているだけです。
私の説明であなたがたは、戦争とは悲惨なものと一概にかたずけられないものがあることを理解していただけましたか。まだ理解していただけない方には、それではもう一つ質問しましょう。人類がこの地球上に誕生して以来、一回も戦争の体験をしなかったら現在、人類はどうなっているでしょうか。恐らく誰もこれほど高度の文明に達していなかったと答えるのではないでしょうか。最近ブラジルのアマゾンの奥地にいまだに原始生活をしている民族がいると、空中撮影した写真が新聞に載っていました。
恐らくこの部族は、最初から戦争を体験しなかったか、あるいは他民族との争いから、あるいは争いをさけるためにアマゾンの奥へ奥へと進入していったのでしょう。
それを考えると人類は、一度も戦争を体験しなかったら、現在人間の文明度は、原始時代から多少なりとも進んだ程度の文明になっているか、あるいは人類は滅亡したのではないかと考えてしまいます。
高度に文明が発達した現在でも、人間は天変地変に勝てません。いかに被害を少なくするかが精一杯です。ましてや太古の昔は、人類にとって天候がすべてです。
A民族の住んでいる土地は、天候にめぐまれ草木は育ち、動物は育ち、果樹は育ついいことずくめ、しかしすぐ近くに住むB民族の地方は、大変は干ばつで餓死寸前です。この時B民族は、A民族を襲って飢えを逃れようとするのが人間なのです。
このことは現在でも変わりません。環境悪化が極度の水準までに達し、水のみ場争いになったら、話し合いで解決することはできません。武力争いになり戦争で勝った方が水のみ場確保するのです。
あなたがたは、戦争など一切しなくとも、現在のような高度の文明を持つことができたと考えますか。戦争は人類の文明発展そのための必要悪であったと考えられませんか。その必要悪の戦争のために幾多の民族がこの地球上から消えてゆきました。例え地球上から消えていなくても、もう民族としてのアイデンティティを無くしてしまった民族が現在でもいるのです。満州民族がそうです。チベット民族がその危機にさらされています。
したがって日本が侵略攻撃にさらされた時、戦争することは悪いことだと言って無抵抗で侵略されるという事がいかに危険であるか、いかに間違った考えであるかを理解していただけたと思います。歴史を振り返れば人類の存在するところ必ず戦争がありました。人類は戦争と共存してきたのが人類の歴史です。したがって私たちは「治に居て乱を忘れず」、いつでも戦争に対する備えをしなければならいことはおわかりでしょうか。
私たちの戦争に対する備えが日米安保条約です。日米安保条約が結ばれた時、あなた方の中のお年よりや朝日新聞のような左翼の連中は、日米安保条約は日本を戦争に巻き込むといって大反対しました。日本が戦後60年以上も戦争にまきこまれなかったのは、日米安保条約のお陰なのです。それをあなたがたは、日本の憲法が戦争放棄を規定しているからと主張するのです。そんなことを主張するのは世界であなたがただけです。なぜか人類の歴史を考えたら、あまりにも非現実的ですからです。
憲法に戦争放棄をうたえば、戦争に巻き込まれないならば、どこの国の憲法も戦争放棄をうたいますよ。あなたがたは、こと戦争に関しては情緒的、感情的にしか考えることができないのです。
第一次世界大戦が1918年に終わりました。それから23年後に世界第二次大戦が始まりました。そして1945年に第二次大戦が終わりました。第二次大戦が終わって今年で63年目です。もう60年以上世界大戦のような大規模の戦争は起こっておりません。また今にも世界大戦が起こるような気配もありません。局地戦争はあちこちで起こっていますが世界大戦のような大規模な戦争は起こっておりません。なぜでしょうか。
その理由は核兵器が抑止力になっているからです。大東亜戦争の時初めて原爆という核兵器が使われました。この時人類は、特に先進国の人たちは、核兵器の恐ろしさを知ったのです。もう世界大戦のような戦争を起こしたら人類の文明の破滅どころか人類そのものが破滅することを知ったからです。ケネディー大統領の時、あわや米ソ戦が始まるかと思われた時がありました。しかし戦争が回避されました。核兵器が戦争の抑止力になったからでした。
この核兵器に対しても、あなたがたは情緒的にまた感情的に捕らえるだけで、すなわち核兵器反対、核兵器反対と核兵器廃絶を唱えるだけで、現実的に論理的に決して捕らえようとしないのです。あなたがたは、戦後一貫して核兵器反対、核兵器廃絶を訴えてきました。しかし現実はどうでしょう。核保有国が増える一方です。なぜか。核を保有した方が外交上優位にたてるからです。北朝鮮を見て下さい。
現在の北朝鮮は、アフリカの貧乏国と同じで本来なら国際社会で発言権などないに等しい。しかし核兵器を持っているというので、大国アメリカと外交面で堂々とわたりあっています。あなたがたはこの現実をどう見ているのですか。なんにも感じないのですか。インドとパキスタンは、カシミールの領土問題で毎年のように軍事衝突を繰り返していました。両国が核兵器をもったら年中行事のような軍事衝突がなくなってしまいました。
日本を敵視している中国や北朝鮮は、核兵器を持っています。あなたがたは、この両国に対して危険性を感じないのですか。日本人が二度と核兵器の被害を受けないようにあなた方は、核兵器廃絶を訴えてきました。しかし実際には、核兵器廃絶どころか核兵器を所有する国が増えている現状です。それなのにあなたがたは、なぜもっと現実的な対処ができないのですか。現実的対処とは何か。
スイスは永世中立国として有名です。国民皆兵制度で永世中立国としての国策を守っています。そのスイスは、原爆被害者としての体験もないのに将来の核戦争にそなえて各地の山中に核シェルターを備えているのです。核兵器が落とされても、核シェルターの中にいれば最低6ヶ月間ぐらい地上に出なくても生活できるようになっているのです。
核兵器廃絶を訴えても核保有国が増える現状を考えたら、あなたがたは、なぜに日本でも核シェルターを持とうと提案しないのですか。日本民族が二度と原爆の被害を受けないように核廃絶を訴えているのではないのですか。日本の大都市では、地下鉄が縦横に走っています。その地下鉄建設の時には、国の費用で核シェルターを建設することを条件にしていたら今頃何十万も収容できる核シェルターが存在したでしょう。
現在は核兵器が戦争抑止力になって大戦争が起きていません。しかし核兵器を持つ国が増え続け、テロリストまで核兵器を持つようになったらいずれ大戦争が起きるでしょう。
その時、日本が例え戦争当事者でなくても被害はまぬかれません。日本民族全員生き残ることは無理でしょう。その時は、できるだけ沢山の若者を核シェルターに非難させ、私のような年寄りは犠牲なるべきです。スイスという国はそこまで考えて核シェルターを備えているのです。
ところがあなたがたは、どうですか。日本が核兵器を持つべきかどうか論じ合うことも反対、核シェルターを備える考えもない、ただ核兵器反対だけを唱えるだけ。毎年原爆慰霊祭の時、核廃絶を訴えてそれで終わりです。あとはなにもしません。大学生が学校を卒業して社会に飛び立ちます。その時現実の実社会に即応した生活をしていかず、感情論や情緒論だけで生活していたら人生の敗残者になってしまうことぐらいあなたがたは同意するでしょう。国の安全も現実を無視し、感情論や情緒論だけで考えていたら、これほど危険なことはありません。日本の近隣諸国の現実、世界の現実を直視して、戦争や核兵器に対してもっと現実にそくして論理的に考えてもらいたいものです。それともあなたがたは、すでに中国の謀略にはまっているのですか。

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8 comments »

みかん三世 より:
2008年12月8日 9:16 PM
今でこそ博多、大阪と東京を繋ぎ、ビジネスなどの役に立っている新幹線。これも実は軍事と関係があり、元軍事技術者が戦時中に考案していた弾丸列車を基にしたものです。
確かに戦争は悲惨だが、反面、戦争が無ければ国家の存亡も危うかったし、また今の科学の発展も無かったと思う。

えんだんじ より:
2008年12月9日 9:44 AM
みかん三世様
コメントありがとうございます。
人類は戦争と共存する運命にあると考えていただければ、それに対する備えを怠るわけにいかないぐらい
理解していただけると思うのですがねぇ。

たつや より:
2008年12月11日 2:22 AM
[太字]太字の文[/太字]
健康な男子にとって、「戦争は面白い」ものです。昔の子供は、戦争ゴッコをして遊びました。チャンバラゴッコも戦争ですね。核兵器ができて、おいそれと戦争はできなくなりました。ただし、これは、核兵器を持つ国同士の間だけでしょう。知り合いの「平和主義者」夫婦の子供が、「機動戦士ガンダム」のファンでした。「ガンダムは戦争ゴッコじゃないか?戦争が面白い訳だね?」とダメを押すと、その子はひどく困っていました。「戦争放棄」は、「動物としての人間」に、洞察がないと思います。
さて、「半藤一利の著『昭和史』の欠陥」のコメント欄に、内緒で御著書のお送り先を書いておきましたが、お読みになられたでしょうか。この時の差出人は「道灌山」としておきましたが・・・。

えんだんじ より:
2008年12月11日 1:34 PM
たつや様
コメントありがとうございます。
<内緒に御著書の送り先を書いておきましたが、お読みになられたでしょうか。
残念ながら読んでいません。「内緒に」というのはどういう意味なのでしょうか。
私はまだパソコン音痴の状態で、このブログペイジも他人が作ってくれたものです。ご迷惑をかけていたら、お許しのほど御願いします。

たつや より:
2008年12月12日 1:40 AM
[太字]太字の文[/太字]
おや、そうでしたか。
「内緒に」とは、「ブログ主だけが読めるが、他の人は読むことができない」というかたちです。この投稿欄の下の「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れると、そうなる(非公開コメントになる)と考えて、過日投稿いたしました。
どうも、お読みになれなかったようですね。
住所・氏名を掲示板上に示すのは、心ないいたずらをされる場合もありますので、「内緒」にいたしました。
それでは、当方のメールアドレスは、そちらで読めますでしょうか。読めれば、メール頂ければご返事差し上げますが・・。こちらでは、えんだんじ様のメールアドレスは、今のところ、判りません。

えんだんじ より:
2008年12月12日 8:06 AM
たつや様
私のメイルアドレスは、
tosi-suzuki@d03.itscom.netです。
こちらの方へ御願いします。

たつや より:
2008年12月14日 5:22 AM
加藤周一が亡くなりました。
加藤周一は戦後で第一級の知性を持つ人の一人と思いますが、政治的判断は誤りと思います。
九条擁護の立場から、反論がないのが不思議です。彼らは人間の必要悪から目を背けています。
えんだんじ様
メールアドレスの御教示ありがとうございます。
メール差し上げておきました。

えんだんじ より:
2008年12月14日 1:16 PM
たつや様
コメントありがとうございます。
確かに必要悪から避けていますね。現実から目をそらしているのです。
明日、本を郵送します。

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